第百四十話 長尾景虎の来訪 その3
小田城の本殿の一室にはテーブルと椅子が設置されている。その部屋には私のコレクションの一部などを飾りにして、洋風の部屋にしてあるのだ。宗久殿の自慢の部屋を真似た形である。漆塗りの棚を設置して、出来のいいグラスや堺で手に入れた南蛮品などを並べている。さりげなく置かれた愛洲が作った鍬を振り上げた農民フィギュアの存在感がお気に入りである。棚の一角は愛洲コレクションを並べてもいいかも知れない。宗久殿から頂いた虎の皮を衣桁に掛けて飾ったり、装飾した火縄銃や私の自慢の太刀なども置かれている。この混沌具合が秋葉原のフィギュアショップに雰囲気が似ていて私は気に入っている。
陽の射す壁には次郎丸を模ったステンドグラスの大窓を壁をくり抜いて二枚設置していてなかなかオシャレに出来ていると思う。テーブルセットは又兵衛が父上の為に造った逸品で、緑の漆が塗られていて、装飾も凝っていて、黒漆が塗られて磨かれた板間に良く映えている。私なりに頑張った部屋である。父上が気に入っていて、ここでよく紅茶を飲みながら優雅に時を過ごしているのだ。ランプも設置してあるので夜も明るく過ごすことが出来る。
義昭殿が小田城に来た時に真っ先に案内したのだけど、義昭殿も驚いたようで、自分も造りたいと言っていた。義昭殿も宗久殿の部屋を信長と見ているし、紅茶も気に入っているようなので仲間が増えるのは嬉しいのである。その自慢の部屋に景虎を招き入れると、彼は足をとめて「おぉっ」と声を漏らしていた。
「なんと見事な、かようなものは見た事が無い」
景虎はそう言って部屋のあちこちを見て回っていた。私も自慢の部屋に興味を持って貰えてご満悦である。私は景虎に問われて、様々な品の説明をした。この時代ではお目に掛かれない部屋である。そう考えると宗久殿の凄さが解るというものである。
「これが硝子とは信じられぬ。珍陀酒の器と同じ物だとは思えませぬな。様々な色に、これは御神体であろうか?見事な絵で御座る」
「それは御神体では無くて、私が飼っている犬を模したものです。後ほど引き合わせますね」
「ふむ、越後は田舎ですが、正直申しまして常陸も大して変わるまいと思って居りました。ですが、かような見事な部屋は都にも御座いません。感心するばかりです」
「この部屋は堺の今井宗久殿のお部屋を真似たものです。私も都に参った事はありますが、荒れ果てていい気がしませんでしたね」
「左様で御座いますな。嘆かわしい事です」
都を復興しようとか言われたら困るので私は話題を変えた。景虎のこういう所は油断できないのである。そうしていると、桔梗が紅茶を持って来てくれた。私は景虎に椅子に座るよう促して自分も席に着いたのだ。景虎は椅子が珍しいようで、色々と質問をして来たので私もそれに答えて、なるべく政治向きの話にならないようにしたのである。
カップとソーサーが並べられると、興味深そうに手に取って検分していた。そして紅茶が注がれると、その色に驚いたようである。そして私が試すように促すと恐る恐るカップに口を付けて一口飲むと目を見開いた。そして熱いのにも関わらず飲み干してしまったのだ。なんというか、男子らしい豪快さである。信長や義昭殿は上品だけど、景虎は野生的である。
「真に美味い。これが茶ですか?氏治殿には失礼かと存ずるが、私は茶室に連れて行かれるのかと思っていたのです。茶の湯は苦手でして、作法などもよく知りませぬ」
「これは紅茶と申しまして当家で作った新しき茶です。堺の今井宗久殿がこの新しき茶を上方で広めているのです。都でも流行りそうだと宗久殿から文を頂いていますね。珍陀酒もそうですが紅茶も引き合いが強いので今は貴重な品になります。この新しき茶は、いまのように楽に楽しむものですから、作法など気にしなくて良いのです」
「ほう、それはよう御座いますな。堅苦しく座らされて、あの不味い茶を飲まされるのが嫌だったのです。ですが、この茶は良い。この椅子と申す道具も楽でよう御座います。何より茶が美味いのが良い。氏治殿、もう一杯頂けまいか?」
私は桔梗に紅茶を注いでもらってから、小瓶に入れたブランデーを注いだ。私がブランデーを注いでいると鼻をひく付かせて景虎が口を開いた。
「う、氏治殿。それはまさかぶらんでーでは?」
景虎は私が手に持つ小瓶をガン見している。そこまで欲しいのかなと思いながら私は答えた。
「そうですよ。この紅茶にはブランデーが合うのです。どうぞお試しください」
私はそう言ってカップを差し出した。景虎は嬉しそうに受け取ると香りを嗅いで紅茶を一口飲んだのである。そして幸せそうな顔をした。
「まさか茶に酒を入れようとは思わなんだ。ぶらんでーがよく合いますし、茶が更に美味くなりますな。それにしても茶にぶらんでーとは……」
なんかブツブツ言っているけど気に入ったようである。その後はまた質問責めに遭って私は辟易したのだ。相手が相手なので迂闊な事は言えないし、いい人っぽく見えるけど、史実の上杉謙信は残酷な人間である。あまり懐に入られても良くないと思ったので、適度に距離を取りながらの会話である。私が油断して家臣や民に被害が出る様ではいけないから警戒するべきである。
ブランデー入りの紅茶のお代わりを要求されて再度用意したけど、私がブランデーを注いでいると「今少し!今少し!」と要求するので呆れたのである。こんな強いお酒を平気で飲むのだからお酒好きにも困ったものである。結局お代わりされまくってブランデーの小瓶が空になってしまったのだ。本人は軽く酔っているようで、とても機嫌が良さそうだった。義昭殿がこの量のブランデーをこんな短時間で飲んだら重体になる気がする。
私は景虎を誘って土浦に行く事にした。政貞がお酒の後のお蕎麦は美味しいと言っていたのを思い出しての行動である。それにお蕎麦も珍しいだろうし、私の本屋にも案内したいので観光がてら接待しようと思ったのだ。私は桔梗に命じて、御蕎麦屋の席を確保するように店長である梅吉に早馬を出したのである。
私と景虎、そして政貞と百地を伴い、馬を駆り、四半刻ほどの時間を掛けて土浦城にやって来た。石垣造りの大外堀を見た景虎は歓声を上げていた。土浦城の大外堀の奥行きは十一間(二〇メートル)あって、土浦城の城下町の三方向を囲んでいる。堀は香取の海と繋がっていて、堀では海水魚が釣れると聞いている。私の自慢の堀である。
今は道に石畳みを敷く普請を行っていて、商店街と飲食街の普請は終わっている状態である。以前は無かった大外堀には塀を掛けつつあって、三方にそれぞれ大門を建築している所である。景虎が馬から飛び降りて、堀を覗き込むように観察していた。政貞も下馬して景虎に堀の説明をしている。私と百地も下馬して、景虎の様子を眺めていた。彼は政貞の説明に満足したのか、私の元に歩み寄って来て口を開いた。
「見事過ぎて言葉になりませぬ。この城を落とすのは難儀致しましょう。あの門も随分と大きい、丸太程度では打ち破れませぬな」
防衛の事はあまり考えないで作った大外堀だけど、規模が大きいので自然と堅固になってしまったのだ。門が完成すれば、侵入しようとする無法者や風体の悪いゴロツキは排除か捕らえられて賦役を課されると思う。景虎は門を眺めたり、堀を眺めたりして思案するようにしていた。たぶん、自分がこの城を攻めるならどうするか考えているのだと思う。戦国武将らしいとは思うけど止めて欲しい。この人は色々危険だと思う。
私は景虎に急ぎましょうと促して城下町に入った。入り口で馬を預けて徒歩の移動である。石畳がいい感じで敷かれている。私は石畳を検分しながら飲食街に向かったのだ。景虎は建物の全てが瓦ぶきである事に驚いたようだ。そしてまた政貞に質問して足が止まったのである。そして満足したのか、私の元に歩み寄って来て口を開いた。
「屋根瓦は火事が広がらぬように致したと政貞殿から伺いました。銭も掛かりそうですが、良い考えだと思います。これでは城外から火矢を射かけてもあまり効きそうにありませぬな」
そう言ってまた思案し始めた。たぶん、どうしたら町を焼く事が出来るか考えているのだと思う。本当に止めて欲しい。私は景虎に急ぎましょうと促して歩かせたのである。
景虎には町を見せてはいけない気がして来た。他人の町を見て、堂々と攻略方法を考えるとか止めて欲しい。思考がほとんど犯罪者である。商店街に連れて行こうと思っていたけど中止である。さっさとお蕎麦を食べさせて城に拉致った方が安全だと思う。ていうかこの男は危ない。もう、友好関係とかどうでもよくなって来た。若い大名当主は信長や義昭殿のイメージが強かったから同じような感じなのかと思っていたけど、全く別の生き物だった。戦国武将らしいといえばらしいけど、どこか粗野で、野蛮な空気を感じるのである。得体のしれない危機感を感じながらようやくお蕎麦屋に辿り着いたのである。
お蕎麦屋さんでは特に問題も無く、景虎は大人しくお蕎麦を食べていた。随分と気に入ったようでお代わりをしていたのが印象的だった。政貞の蕎麦講釈が始まって、景虎と会話してくれて助かった感じである。私はもうお腹いっぱいなので話題を振りたくないのだ。
そしてお蕎麦を食べた後は小田城に戻り、夜は景虎の為に酒宴を開いたのである。珍陀酒を振舞ったので、景虎は嬉しそうに飲んでいたのだ。私は政貞と久幹、百地に接待を命じたのだけど、三人とも潰れてしまって私と桔梗が介抱する羽目になったのである。よくよく考えたら百地はお酒に強くないし、政貞と久幹も常識人枠である。明らかに私の人選ミスである。こんな時に限って赤松と飯塚がいないのが悔やまれるのである。景虎は酒豪だと伝わっているけど、水のようにお酒を飲むのには驚いたというより呆れたのだ。
そして翌朝、二日酔いになる事も無く景虎は元気に帰って行ったけど、私はようやく安堵したのである。珍陀酒はこちらから毎月送る事にして、景虎が直接取りに来ないように牽制をしたのだ。本人には悪気はないのだろうけど、私が疲れるので外交は文だけにするつもりである。そして二日酔いでダウンした三人は勝貞からお説教されていたけど、私は接待を命じただけなので悪くないと思う。
そして私達は再び政務に没頭する事になる。政務をしていて強烈に思ったのが、政務上手がもっと欲しいという願望である。皆はよくやっていると思う。でも、一地方をポンと投げられる人が少ないのだ。野中や矢代は下総の統治に必要だし、領地が広がり過ぎて譜代の家臣が足りないし、登用したばかりの家臣は今一つ信頼を置けないので、結局は譜代の家臣の分家などを引き上げているのである。
そこで不意に思い出したのが明智光秀である。文でのやり取りは続いていて、斎藤利政からは相変わらず不遇な扱いを受けているようである。それならば斎藤家を致仕して小田家に来てくれれば高禄で召し抱えるし、活躍の場は幾らでもあるので私も助かるし、光秀も納得するのではないかと考えたのである。
この時代は主君に不満があれば致仕して浪人し、新たな主君に仕える事は割と普通に行われている。武士道などが厳格に定められたのは江戸時代からであり、今の乱世だと頼りない主君が見限られる事は往々にしてあるのである。信長からも文が来ていて、無事に尾張を平定したようだし、斎藤家とは何れ敵対する筈だから引き抜いても問題ないと思う。
尤も、光秀を重用していないのだから斎藤家から引き抜いても信長が注目する訳ではないし、光秀を使わない斎藤利政も別に困らないと思う。ただ、主替えは主君の名声を落とすから怒るとは思うけど、それは利政の問題なので致仕を申し出られても仕方ないと思う。
そう考えた私はそれならばと、政貞に相談して了承を得たのである。そして光秀に文をしたためたのだ。小田家は律令を採用している事や、人が足りなくて困っている事。そして光秀が斎藤家を致仕して小田家に仕えてくれたら高録で召し抱える事。私の直臣として重臣の列に加える事。家臣は全て連れて来ていい事や、明智荘の民も受け入れる事を文に記したのである。
光秀が小田家に仕官する気があるなら、尾張に商家の拠点があるからそこから船で移動すればいいし、今回の戦で里見家の安宅船も手に入れているので、人員や物資や家財道具の輸送は問題なく出来ると思う。信長も協力してくれるから問題は無い筈である。私はこの事を百地にも話をして光秀に直接文を渡す事と、百地からも当家に鞍替えするように説得をお願いしたのである。
そして数日が過ぎると、義昭殿から平井城の宝物蔵に納められていた品々が届けられたのだ。伝来と思われる甲冑や武具の数々。書や掛け軸から様々な物が送られて来たのである。そして軍資金までそのまま送ってくれたので、私と政貞は資金の問題が解消されて安堵したのだ。特筆すべき事は上杉家の家系図が含まれていた事である。史実では北条家の攻撃を受けて落城し、家系図の幾つかが消失したと伝わっているのだ。折角なので私のコレクション行きにして、次代に伝えようと思う。




