第百三十四話 北条包囲網 その21
それから二日後に義昭殿が小田勢が駐屯している滝山城に着陣した。小田家も勝貞が北条家の武蔵の城の接収を終わらせて戻って来ている。北条綱成も解放して帰って貰ったのだ。北条綱成とはお茶をしながら色々な話をした。史実では北条家随一の猛将と言われる彼だけど、飾らない気さくな人柄で私は直ぐに好意を持ったのだ。
北条家では私の噂を集めたそうで、その内容に皆が頭を捻っていたと聞かされた時はかなり恥ずかしかった。特に次郎丸の話は誰も信じなかったそうで、城に帰ったら皆に話したくてうずうずしていると彼は言った。そして次郎丸が相当気に入ったようで、帰る時には次郎丸の首に抱き着いていた。次郎丸が困惑したように私を見るから、それが可笑しくて笑っていたら、北条綱成が赤面してしまって、私は慌てて弁明したのだ。
義昭殿が率いる佐竹勢は巧くやったようで、下野を平定し、金山城と平井城を無事確保して、上野の貴重な平野部を押さえる事に成功したそうだ。大領を得た義昭殿や小田野殿、御一門の佐竹義廉殿と佐竹義堅殿も得意満面の笑みであった。
佐竹家からすれば、報酬が兵糧のみだったのが一転して、領地が倍になったのである。それに今回得た下野と上野の領地は豊かな土地なので、義昭殿の力も増すから嬉しいと思う。佐竹家も律令を採用しているので、家臣に俸禄を支払うためには銭が必要なのだ。だからその原資になるお米が採れる土地を手に入れる事はとても大切な事なのである。
私は義昭殿と紅茶を飲みながら、ここまでの小田家の事情を話した。両上杉家が小田勢を騙し討ちしようとしていた事や、私への暴言があった事。上杉憲政と上杉朝定、そして太田資正を捕らえた事や北条幻庵が上杉家との和睦交渉から小田家との和睦交渉に切り替えた事。そして和睦の条件として小田家が北条家が治める武蔵の領地を得た事などである。
義昭殿は私への暴言のくだりを聞くと一瞬で怒りの形相になったけど、「上杉共は捕らえたと申しましたな?」と言って不敵な笑みを浮かべていた。嫌な予感がしたので私は上杉憲政の嫡男である龍若丸には罪が無い事を強調した。義昭殿は「さもありなん」と答えてくれてホッとしたのである。
義昭殿とは今後の行動を話し合った。私は小田家は上杉家に人質を解放する代わりに武蔵の残りの城を貰うつもりだと説明した。そして北条氏康が軍勢を解散したら帰国する事も話した。義昭殿はそれまでは付き合ってくれると言ってくれたのである。やっぱり義昭殿は頼りになるのである。そして話は信長の戦の話題になった。
「信長殿から文を頂いたが、此度の今川の動きに合わせて尾張を平定致すと申されました。信長殿や信秀殿は如何されているのか気になりますな?氏治殿は尾張の動きを掴んでいるのであろうか?」
そう言って義昭殿はマイカップに注がれた紅茶を飲んだ。そして「紅茶に酒がこれほど合うとは思いませなんだ」と言って、続けて一気に飲み干した。義昭殿の紅茶にブランデーもどきを入れてみたけど好評のようである。
「当家の忍びが尾張にもいますが、今は別のお役目を命じていて人の余裕が無いようで報せがまだ来ていませんね。百地の忍びも戦に駆り出していますから尾張の情勢は二の次になってしまっているのです」
今は全力でお米の買い付けと相場の調べや、情報操作をさせているのである。武蔵の統治が喫緊の課題になったので、お米と銭の確保が最優先になったのである。小田家が大国になり過ぎたので、百地には甲賀の忍びのヘッドハンティングを優先して貰わないといけないかな?
「信長殿が尾張を獲れば、西三河と合わせて六十二万石程度ですな。当家も此度は領地を獲れて安堵致しました。当家が三十万石ではこの義昭の立場がありませぬからな。これで信長殿に会わせる顔が出来たというものです」
義昭殿の言いようが可笑しくて、私は小さく笑いながら聞いてみた。
「義昭殿は信長殿と随分と仲が宜しいようですね?」
「信長殿が気に入ってしまいました。氏治殿もそうですが、我等には対等の者が居りませぬから。友とは良いものです。氏治殿に信長殿を紹介頂けた事は幸運でありました」
「考えてみれば、此度の戦は私と義昭殿、信長殿と連動していますね?それで戦果が上がったなら嬉しく思います。信長殿と信秀殿なら尾張を切り取る事自体は容易いと思います。ただ、律令を進められるかが問題かと考えます」
「当家は小田野が動いてくれたので然したる苦労がありませんでしたな。ですが尾張織田家の内情を知らぬ故、確たる事は申せませんが、尾張を平定すれば信秀殿の力が増しましょう。次いで三河を獲り、全ての城に被官致した者を城代に置けば、尾張織田家の家臣も考えを変えるのではないかと思いますな」
義昭殿の指摘が中々鋭い。大領を得て、被官した家臣を優遇すれば国人も靡くだろうし、家中の序列も変わるから、それを目の当たりにした国人がどう動くかは予想しやすい。仮に信長が尾張、三河、美濃を押さえれば百四十万石。上方に一番近い信長が天下人に近付けば被官化は更に進むと思われるのだ。
「尾張織田家も被官が進めば更に力を得ますね、その時が楽しみです」
「この義昭も領地から上がる米を算じた時は呆れましたな。今までではあり得ぬ量の米が手に入る事が判った時は驚いたものです。それはそうと氏治殿、赤松殿は立派な御仁で御座いますな?平井城の宝物蔵が封印されて居りました。私に獲れとの事だと思われますが、城を頂いた上に宝物まで頂いてはこの義昭の面目が立ちませぬ。蔵の中身は小田城に全て届けます故お受け取り下さい」
「宜しいのですか?義昭殿も軍資金は入用だと思いますが?」
「当家は十分に得を致しました。それに赤松殿は私の演技の師でもありますからな、なんぞ礼をせねば顔を合わせ辛くなりまする」
そう言って義昭殿はニヤリと笑った。でも軍資金が増えるのは正直助かるので感謝である。関東管領の宝物蔵の中身だから期待してしまう。
「ならば遠慮なく頂きます。赤松には褒美を取らせないといけませんね?」
私と義昭殿が笑い合っていると政貞がやって来て、上杉家からの使者が訪ねて来たと伝えられた。私と義昭殿は顔を見合わせてから一緒に使者に会う事にした。私と義昭殿が滝山城の広間に入ると、既に場が整えられて皆が整然と並んでいた。私は義昭殿と共に上座に腰を下ろした。
形式的な挨拶を上杉家の家臣と交わすと、早速とばかりに使者は口を開いた。使者は上杉憲盛と名乗った。確か、深谷上杉家の当主だった筈だ。上杉憲盛は今回の謀と上杉憲政の暴言を私に詫びたのだ。そして、上杉憲政と嫡男である龍若丸を返してくれれば武蔵の城を全て明け渡すと言った。だけど、上杉朝定と太田資正の事には触れなかった。なので、私はそれを聞いてみた。
「上杉朝定様と太田資正様は如何為さるのですか?当家としては引き取って貰った方が良いのですが?」
私がそう言うと上杉憲盛は露骨に嫌そうな顔をした。
「此度の件は、太田資正が我が主を唆した事が原因と考えまする。であれば、当家が引き取る義理は御座いませぬ。小田様の御好きなように御計らい下さいませ」
上杉憲盛がそう言うと政貞が口を開いた。
「憲盛殿、当家では上杉憲政に上杉朝定、太田資正は罪人として扱って居ります。御嫡男である龍若丸殿は幼き故、罪は御座いませぬが、この三名は引き取って貰わねば困りまする。我等の御屋形様が首を獲らなんだ事は慈悲を下されたからで御座います。引き取らぬのであれば三者とも賦役を課し、死ぬるまで奉仕致す事になりますが、それで宜しゅう御座いますか?」
政貞がそう言うと上杉憲盛が顔色を変えた。呼び捨てに、罪人扱いに、死ぬまで働かせるだから驚いたと思う。でも、皆が許さないから私からは何も言えないのである。
「いくら何でも無礼が過ぎるのではないか!関東管領様をかように扱おうとは信じられぬ!」
「信じられぬのは当家で御座います。上杉憲政の暴言は常軌を逸して居ります。首が繋がっているだけでも有難く思われるが良い。それに憲盛殿が当家の立場であれば同じ事が言えますかな?当家は怒りを治めた訳では御座らん。気に入らぬのであれば、今から一合戦致してもよう御座います。最早当家は管領家には従いませぬ。よくよく考えられよ」
上杉憲盛は怒りなのか恥辱なのか顔色が真っ青になった。そして暫く苦悩するように考えていた。
「―――承知致した。引き取りまする。まずは管領様にお引き合わせ願いたい」
「よう御座います。三者には罰を与えました故、あまり驚かぬよう御忠告申し上げます。罪人で御座いますからな?身柄は城と引き換えで御座います。当家が城を接収しますればお返し致します」
政貞が結構な意地悪だけど、相当怒っているんだろうな?上杉憲盛が凄い睨んでるけど、私は関わりたくない。でもこのまま行けば、上杉憲政と上杉朝定、太田資正の顔を見なくて済むかもしれない。勝貞と久幹にボコられたそうだから顔とか変形していそうで怖いのである。そして上杉憲盛は政貞と勝貞に連れられて三人に面会する事になった。そして暫くすると帰って来たけど、物凄い形相をしていた。そして座った途端に口を開いた。
「小田様!いくら何でも余りで御座います!かような振舞いを為さるとは非道にも程が御座います!」
うわぁ、凄い怒ってる。私は見てないけど相当惨いんだろうな?私がどう返答しようか迷っていると勝貞が口を開いた。
「あの罪人共のなりは御屋形様の下知ではない。この勝貞と真壁殿が仕置をしたのだ。其の方等はあれ程の無礼を致しながら何を申すか!命があるだけ有難く思うがいい。それにこの勝貞は未だ許して居らぬ。次に会う時は首を落として進ぜるから覚悟するが良い!」
勝貞が怖い顔でそう言うと上杉憲盛はまた顔色を変えた。何だか気の毒になってきた。もう適当でいいから終わりにしたい。もう帰って欲しい。そして上杉憲盛が退席しようと立ち上がり掛けると、義昭殿が口を開いた。
「其の方、まだ当家との話が終わって居らぬ。龍若丸殿と引き換えに平井金山城を譲渡致せ。龍若丸殿にお会いしたが良きお子であった。上杉憲政のような下種に育てるでないぞ?」
義昭殿がそう言うと上杉憲盛は口をパクパクさせた。もう止めてあげて下さい!そして彼は帰って行った。怒りの余り戦になるかもと思ったけど、上杉家は城を開城して小田家はそれを接収した。そして上杉憲政と上杉朝定、太田資正を返還してようやく上杉家との戦が終わったのである。ちなみに義昭殿は平井金山城を手に入れてご満悦だったのである。




