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第百三十二話 北条包囲網 その19


 滝山城を守る北条綱成と富永直勝は文字通り頭を抱えていた。上杉家と小田家が争い始め、暫くすると滝山城を攻めていた上杉家の軍勢が引いて行った。城を守る兵から歓声が上がり、そしてようやく一息付けると安堵すると共に奪われた三の丸を取り返した。だが城門は破壊され、再び攻め込まれたら三の丸は守り切れない状態であった。それでも北条勢の兵達の顔色は明るかった。逃げ場の無い戦から解放された心持ちになったのである。


 北条綱成は三の丸を諦め、二の丸の補修と防備を固める事にした。だが、交代で兵を休めているところで再び敵勢が現れたのである。ようやく休めると弛緩した滝山城を守る兵達だったが、再び緊張に包まれた。現れたのは小田勢で、その存在が上杉家の敗退を北条綱成に確信させた。そして慌ただしく防戦の備えをし、小田勢の攻撃が始まったが、これには勇将と名高い北条綱成と富永直勝も肝を冷やしたのだ。


 矢倉や塀に登った射手や兵が次々と鉄砲の餌食になったのだ。それも見た事も無い大量の鉄砲である。そして曲射で放たれる大量の矢が降り注ぎ、多くの兵が手傷を負ったのだ。北条綱成は富永直勝と共に物陰から小田勢を眺め見たが、あり得ない程の鉄砲撃ちを目にする事になった。


 「あれが全て鉄砲撃ちだと言うのか!」


 富永直勝が瞠目して言うと北条綱成も同意しながら返答する。


 「鉄砲を多く使うと江戸殿や風魔が申して居りましたが、斯様な数だとは思いませなんだ。これでは手も足も出せませぬ」


 一斉に放たれる鉄砲の発射音に思わず身を竦ませる。その音が鳴る度に確実に兵の命が奪われていた。


 「身を晒せば鉄砲に狙い撃ちされますな。如何致したものか?何ぞお考えは御座らんか?」


 「これでは手の打ちようが御座いませぬ。某は鉄砲を侮って居りました。数が揃うとこれほど恐ろしい力を発揮致すとは思いませなんだ。小田殿は如何程の鉄砲をお持ちなのか」


 「感心ばかりして居られまい。このままでは城を守り切れぬ、落ちるなり、降るなり、決めねばならぬと見た。如何致す?」


 富永直勝の問い掛けに北条綱成は言うまでもないと答えた。


 「殿からは敵方の軍勢を遅らせよとお命じになりました。であれば、敵中を突破し、落ち延びた後に八王子に入りまする。そこで再び敵勢を抑えるしか御座いませぬな」


 「ふむ、だがこの軍勢を突破出来ようか?」


 「夜陰に乗ずるくらいしか手立てが御座いませぬな。兎も角、夜まで持ち堪えねば全滅で御座います。やるしかありませぬ」


 こうして北条綱成と富永直勝による決死の防戦が始まった。木盾や遮蔽物に隠れながら弓矢や投石などで応戦する。だが、大量の鉄砲の威力は凄まじく、多くの兵が命を落とした。そして、このままでは夜まで保たないのではないかと二人が話していると、鉄砲の音が鳴り止んだ。何事かと建物の陰から小田勢を覗き見ると、敵陣から北条家の旗印を掲げた一団が見えた。目を凝らすように見ていた富永直勝が口を開いた。


 「幻庵様の旗印で御座いますな。という事は和睦を致したという事であろうか?」


 「兎も角、幻庵様をお迎え致さねばなりませぬな。話は幻庵様から御座いましょうから」


 北条綱成は自ら矢倉に登り、北条家の旗印を掲げた一団を眺め見た。敵の偽計の可能性もあり、簡単に城内に入れる訳にはいかないのである。そして顔が識別出来る距離になると、北条幻庵が手を上げて綱成に自身を示した。確かに幻庵だと確信した綱成は兵に命じて城門の裏に積んだ大量の石をどかすように命じた。暫くの間じりじりと待ったが、やがて石がどけられて城門が開かれると、見知った顔の者達が門を潜って来た。


 北条綱成と富永直勝は北条幻庵との挨拶もそこそこに、足早に広間に招き入れた。主だった将にも集まるように指示をして、幻庵を上座に据えると早速と北条綱成が口を開いた。


 「幻庵様、和睦が成ったので御座いましょうか?」


 北条綱成がそう聞くと幻庵は忌々しそうに答えた。


 「左様、お主等は事情を知らぬだろうから、まずはそれを話して進ぜよう」


 幻庵はここまでの経緯を話し始めた。上杉家と和睦をする為に来た事。いざ来てみれば上杉家と小田家が戦をしていて驚いた事。そして小田家に保護という名目で捕らえられた事。交渉相手が変わり、結局は武蔵を手放す事で和睦をする事になったなどの話をした。


 「忌々しくも、恐ろしい小娘じゃ。当家の事情も存じて居るようだし、果ては今川と共に当家を磨り潰すとまで言い居った。上杉が逃げ散ったのを幸いに条件を付けずに和睦致そうと試みたがこのざまじゃ」


 幻庵がそう言うと綱成は沈痛な面持ちで言った。


 「殿は武蔵を手放す事をお決めになられましたか。残念で御座います」


 「仕方あるまいよ、こうも戦が続くと軍資金が幾らあっても足りぬ。今も小田原に兵を留め置いて居るから日々兵糧が減じて行く。大国であった我等が今は見る影もない。これ以上戦を続けるのも実際は困難極まりない。銭も無いが米も阿呆のように値が上がって居る。打つ手無しじゃ」


 「では、この城も手放す事になるので御座いますな。惜しくは御座いますが、致し方ありませぬか」


 富永直勝が悔しそうに言う。その様子を見て嘆息してから幻庵は綱成に視線を向けた。


 「小田の小娘は武蔵の城の明け渡しが終わるまでは其の方を人質にと求め居った。この幻庵では不足らしい。かように扱われるのは初めての事じゃ。全く以て忌々しい」


 「某で御座いますか?」


 「左様。城を明け渡したら小田の小娘の陣に行くがよい。兎も角、これで戦は仕舞いじゃ。殿には早馬を送った故、直に軍勢は解散するであろう」


 綱成は常になく機嫌の悪い幻庵を見て、幻庵が語らなかった何かがあったのだろうと考えた。幻庵は己の弁舌が氏治に全く通用しなかった事に腹を立てていたが、それを他の者に言うのは屈辱であった。結局は力に押された形になったが、伊勢宗瑞の実子として誰もが一目置いた自身が軽く扱われた事にも腹が立った。


 「では、早速行って参ります。残念では御座いますが、これで兵共に休息を取らせる事が出来る事のみは喜ばしい事で御座います」


 そして綱成が席を立ち、広間を出ようとすると、綱成の背中から幻庵が声を掛けた。


 「次郎丸は真であったぞ、其の方もしかとその目で確かめるがいい」


 綱成はその言葉に驚いて幻庵を振り返った。


 ♢ ♢ ♢


 北条幻庵との外交交渉を終え、小田家と北条家は和睦をする事になった。武蔵の譲渡が条件になったけど、本当に要らなかったので私は不満である。幻庵が去る後ろ姿を見送った諸将は彼が陣幕から出ると歓声を上げた。その様子を見て幻庵が怒っているだろうなと気の毒になった。それにしても武蔵の譲渡とは幻庵というか北条氏康も太っ腹である。恐らく、北条家は私が考えている以上に苦しいのだと思う。


 下総と上総への影響力が無くなり、武蔵を手放した北条家は、相模十九万石、伊豆七万石、そして河東の石高が数万石だから三十万石程度の力になってしまった。兵力は七千五百、銭で兵を集めても一万程度の兵しか動員出来ない事になる。河東を獲らなかったら悲惨な事になっただろう。でも、最大動員を一万と仮定して、その兵力を氏康や綱成が運用する事を考えるとまだまだ恐ろしい国だと思う。


 領地の譲渡で武蔵の殆どを手にした訳だけど、とうとう武田晴信と領地を接する事になってしまった。武田家は未だに三十万石、石高だけ見れば小田家の敵ではないけど、生理的に嫌なのである。まともな隣人なら私も何も言わないけど、分別の無い乱取りや虐殺、条約破りと本当に武田晴信は人として問題のある人物なので関わりたくないのである。


 武田家からすれば小田家はかなりの脅威だと思う。仮に村上義清や小笠原長時と手を組まれれば亡国は必至である。三方から攻め込まれたら、今川の援軍があったとしても守り切るのは困難だと思う。ただ、山城ばかりなので大軍が意味を成さずに攻略には時間が掛かると思われる。


そんな事を考えていたら勝貞が陽気に話し掛けて来た。


 「御屋形様、まずは北条家からの武蔵の譲渡、目出度く存じます。これで関東は残すところ相模と上野のみ、佐竹様と関東の支配が叶いましょう」


 それを聞いた平塚が続けるように言った。


 「まだ上杉家の所領が残って居りますが、捕らえている上杉憲政の身柄と引き換えに得る事が出来ましょう。さすれば武蔵を平定致す事が叶いまする」


 ああっ!そういえばそれが残っていた。この状態で残っている武蔵の領土はいらないなんて言えない気がする。私が救いを求めるように政貞を見たけど、政貞は小さく首を振ったのだ。私は気になって懐から算盤を取り出して弾いてみた。武蔵は六十六万石だから合わせると百九十一万石。気が遠くなる石高である。そして動員兵力は約四万七千、恐ろしい大軍である。私がその数字に慄いていると久幹が私に言う。


 「御屋形様、勘定など致して如何されたので御座いますか?」


 能天気に聞いて来る久幹が憎たらしいのである。今回は赤松の第三軍団長が内々で内定しているので、久幹自身は新たに獲得した下総の統治が仕事になるから余裕の表情なのである。領地の割り振りは私と政貞の仕事になるのでそれを考えると頭が痛いのだ。こうなると政務をしながら戦をした方がいい気がする。


 「石高と兵力を算じていたんだよ。武蔵を全部獲れば、石高が百九十一万石で軍勢は四万七千かな。私は嫌になって来たのだけど?此度は戦が終わったら軍団長達にも手伝って貰うから覚悟するように」


 「またで御座いますか?以前も巻き込まれたので御座います。此度はゆるりと珍陀酒(ちんたしゅ)を味わうつもりで居りました。此度ばかりはご勘弁下さい」


 「久幹は私に贈り物をくれると言ったよね?まだ届いていないようなんだけど、贈り物を貰えたら考えてもいいよ?私はジャンク船が来るのを心待ちにしているんだよ」


 「そんなご無体な。それにあの件はいい加減お許し下され、某は反省して居ります」


 久幹の政務参加が決定した。赤松も逃がさないつもりである。それに武蔵の統治者も決めないといけない。武蔵は六十六万石で土地が大き過ぎるけど、赤松を上総から武蔵に変更すれば何とかしてくれると思う。そして苦しむといいと思う。あと一人は誰にしようか?家格も考えると飯塚になるかな?上総は武蔵から近いし、あの二人なら放っておいても協力プレイするから飯塚にしよう。後で要相談である。


 暫くは皆がわいわいと楽しそうにしていた。戦に一区切りがついた事もあり、私は皆にお酒を振舞って、祝杯を挙げたのだ。ただし、一人二杯までに制限したので、今はこれで我慢して欲しい。まだ北条氏康が軍勢を解散していないしね。


 そうしていると家来がやって来て、北条綱成の着陣が伝えられた。私は本陣に北条綱成を呼んで、支城の明け渡しについて話をしたのだ。北条綱成は私の好きな武将トップテンに入る人である。北条家随一の猛将でありながら外交も熟すという、優秀でありマルチな武将である。歳は確か三十六か七くらいの筈だ。見た感じが若々しくて四十前とは思えなかった。優しい感じの人で、幻庵とは大違いである。人質を変えて正解である。


 滝山城は既に開城して小田方に引き渡したと彼は言った。そして伝令を飛ばして他の城の開城を進めるそうだ。私は勝貞に命じて城の受け取りに行って貰う事にした。北条家の家臣を随行させて城を受け取り、守りを固めて貰うつもりである。北条氏康が軍勢を解散するまでは油断なんてとても出来ないのである。


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― 新着の感想 ―
[一言] 好き嫌いって顔見て話すなら じじいよりイケメンが良いって話なのか…?
[一言] 圧倒的戦力差なのに全く油断しないの相手からしたら悪夢だろうなあ
[一言] 「小田の小娘」なんて言ってる時点で幻庵はダメダメだなぁ 「小田の夜叉女」とか「小田の鬼子母神」とか「小田の山姥」とか色々表現ほ………おや?誰か来たようだ………………グワァー!!
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