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第百二十九話 北条包囲網 その16


 滝山城を包囲する上杉家の軍勢は二千程の兵を交代で繰り出して、北条綱成が守る滝山城の城門を攻めていた。そしてついには城門を破り、三の丸を落とす事に成功した。今は二の丸に攻め掛かっている。連合軍の攻撃の目的は北条勢を休ませない事と、兵を減らす事なので無理な攻撃はさせずにじっくりと挑むように将達には命じていた。その戦術に北条勢は日々すり潰されるように兵と気力が減じて行った。城を守る北条綱成と富永直勝は疲れ切った身体に鞭を打ちながら必死に防戦の指揮を執っていた。


 緩慢ではあるが途切れる事のない敵勢の攻撃に、味方の将兵も疲労の色を濃くしていた。北条氏康からの援軍が来ない事にはこの状況を逆転する術は無いが、小田氏治の援軍まで到着し、敵の軍勢は三万近くになり、流石の氏康も手を拱かざるを得ないのだろうと考えた。


 そうして絶望の防戦をしていると、聞き覚えのある音が多く鳴り響いて来た。そして櫓に上がっている物見から報告があった。物見が言うには、上杉家と小田家が戦をしていると言うのである。北条綱成と富永直勝は顔を見合わせた後に、二人で争うように櫓に登ったのだ。そして眺め見ると確かに軍勢が争っているのを見ることが出来た。


 「これは一体どういう事だろうか?上杉の陣に小田の軍勢が打ち掛かっているように見えますな?」


 北条綱成が遠くで争う軍勢に目を凝らしながら言うと富永直勝も眼下で繰り広げられる戦を見ながら口を開いた。


 「これが天の助けとなるかは判りませぬが、上杉の軍勢が引けば儲けもの。ようやく一息つけるやも知れませぬな?」


 「上杉が一方的に押されているように見えますな。小田殿が裏切りを致し、攻め掛かったのだろうか?それにしてもあの音は鉄砲で御座ろうか?随分と数があるように思われますが……」

 

 北条綱成が眼下を見回していると富永直勝が言う。


 「この様子なら城に攻め掛かっている敵勢も引きましょう。ですが我等が討って出たとしてもどうにもなりませぬな?殿は如何なされて()るのやら。討つならば絶好の機会だと思えるが」


 外部との連絡が絶たれている滝山城では北条氏康が和睦を決めた事を知らないでいた。今まさに北条幻庵が和睦の使者として上杉憲政の陣に向かっていたが、連合軍の混乱を目にして足を止めていた。そして使者の一団は百地の忍びに監視されて居り、報告を受けた菅谷政貞は手勢を差し向けて保護という名目で捕らえようとしていた。


 小田勢は休息している両上杉家の軍勢に襲い掛かった。大軍ではあるが軍紀が緩んだ上杉の雑兵は鎧も付けずにあちこちに屯していた。そこへ小田勢が襲い掛かったのである。怒号と聞いた事がない大量の鉄砲の音を耳にして、これは危ないと一目散に逃げ始めた。小田家の軍勢が進んだ分、蜘蛛の子を散らすように四散したのである。元より雑兵は武士ではない。戦に駆り出された民百姓である。だから自分の命が大事と逃げ出すのは当然の成り行きであった。


 小田氏治と菅谷政貞は丘の上からその様子を眺めていた。そして逃げ散って行く雑兵を見て勝ちを確信していた。別動隊として出た真壁久幹と菅谷勝貞は既に敵の本陣に到達していると思われた。そこで敵将を討ち取るなり捕らえれば勝ちは確実なものとなる。


 異変に気付いた上杉家の将は必死に兵を集めようと声を枯らして呼び掛けたが、眼前に小田勢が迫っている状況では誰も聞く耳を持たなかった。そして聞いた事が無い鉄砲の音にも驚き、後方の味方の方に逃げ去るしかなかった。


 軍勢に守られながら小分けに配された鉄砲衆は容赦なくその銃砲の筒先を敵勢に向けて撃ち掛けていた。九百の鉄砲の攻撃は凄まじく、上杉の兵は逃げ惑い、中には鉄砲の音に恐怖して地に這いつくばる者もいた。百地桔梗と手塚雪は鉄砲衆を指揮して、敵の軍勢の数の多い所に鉄砲を撃ち込ませた。敵が逃げ散ると前進し、再び鉄砲を撃ち掛ける。反撃して来る軍勢も無く、戦場は一方的な殺戮の場と化していた。


 手塚雪の率いる鉄砲衆の傍らで、手塚石見守は率いている弓衆を存分に使い、敵勢を仕留めていた。手塚の弓衆は小田領から集められた精鋭揃いであり、鉄砲に負けないくらいの戦果を上げていた。鉄砲を主体とする小田軍だが、飛び道具である弓の有用性は変わらず評価され、専門特化の部隊となっていた。曲射による一斉射撃は敵の奥まで届き、面制圧に特化した鉄砲の及ばない部分を補填した。


 小田家の諸将は敵陣に果敢に踏み入り、暴れに暴れた。その様子だけで上杉勢は恐怖して逃げ惑ったのだ。一万の軍勢の奇襲である。数にも押されて上杉勢は戦の態すら取ることが出来なかった。勝ち戦と慢心していた上杉勢はこの奇襲に対応する術が無かった。


 上杉朝定が本陣を置く居館では、菅谷勝貞が軍勢と共に踏み込み、乱戦となっていた。だが、居館にいる兵は僅かであり、勝貞の率いる五百の軍勢に館は包囲され、突入してきた軍勢に次々と蹴散らされた。敵襲と怒号が響く中で、上杉朝定と太田資正は何事かと怒鳴り歩いて広間に向かった。そこにいる数人の将から小田氏治の軍勢が攻めて来たことを聞くと、身体から血の気の引く音が聞こえた気がした。


 太田資正は考える事も無く、主君である上杉朝定に居館から逃げ出そうと提案した。いざ動こうとした時に辺りが一斉に騒がしくなった。菅谷勝貞を先頭に小田家の軍勢が広間に雪崩れ込んで来たのである。太田資正を始め上杉朝定の家来は抜刀して対峙したが、あっという間に囲まれてしまった。こう敵兵が多くては切り抜けられまいと観念しつつあった。


 「太田よ、また()うたな。其の方の首を貰いたいところだが、今暫く預けておく。傲慢な己が振舞いを後悔致すといい」


 菅谷勝貞がニヤリと笑いながらそう言うと、太田資正は顔色を無くしながら口を開いた。


 「小田は関東管領様に弓を引くと申すのか!手出しをすれば逆賊ぞ!分かって()るのか!」


 その言葉を聞いた菅谷勝貞は槍を肩に担いで盛大に笑った。


 「関東管領様なら今頃は真壁殿が捕らえていよう。其の方等が我等の御屋形様を嘲った事は既に耳にして居る。それに我等に八王子の城を攻めさせ、背後から襲うと話して居ったそうだな?其の方等の企みは露見して居る。決して許さぬから覚悟するがいい」


 菅谷勝貞がそう言うと上杉朝定と太田資正は青くなった。武士を嘲れば仇になるのは当たり前である。それに小田家を襲う謀略も露見している。しかも小田勢は上杉勢に討ち入っているようであり、奇襲を受けたなら軍勢はたちまちに追い散らされるだろうと容易に想像が出来た。上杉朝定は慌てた様に口を開いた。


 「我はそのような事を致すつもりなど無かった!上杉憲政様とこの太田が企み、致し方なく賛同致したのだ!我は小田殿と争うつもりは無い!降る!降るから氏治殿に会わせよ!」


 「かような戯言など聞く耳を持たぬ!河越で氏治様に命を救われながらその恩を忘れた其の方に人たる資格はない!得物を捨てよ!申し開きは我らが御屋形様に致せ!」


 上杉朝定と太田資正は観念したのか手に持った太刀を床に落とした。その様子を見て家来も太刀を床に置いた。菅谷勝貞は家来に上杉朝定主従を縛り上げるように命じた。勝貞は縄で拘束される様を睨むように眺めていた。そして縛り上げられた太田資正を家来に抑えさせてから拳を太田資正の顔面に叩き込んだ。何度も顔を打ち据え、太田資正は呻きながら口から血を流した。歯が何本も折れていて、その様を見た上杉朝定は震え上がった。太田資正の顔は直ぐに膨れ上がり、人相が別人のように変わっていた。それを見て満足した勝貞はギロリと上杉朝定に視線を動かした。上杉朝定は命乞いをしたが、太田資正同様に勝貞に打ち据えられた。


 勝貞は家来に上杉朝定を討ち取ったと吹聴するように指示をした。そして縛り上げた二人を氏治のいる本陣に送るように申し付けると、自身は槍を手に取り、軍勢を引き連れて敵を求めて突入して行った。


 菅谷勝貞が敵を求めて動き始めた頃、真壁久幹は上杉憲政が本陣を置く龍源寺に雪崩れ込んでいた。異変を察知した上杉の兵が集まって来たが、得意の得物である金砕棒(かなさいぼう)で敵兵を弾き飛ばすように粉砕していた。その様を見た上杉の兵共は身を翻して逃げ出した。


 龍源寺の周りは既に真壁勢に取り囲まれている。真壁久幹は兵を励ましながら上杉憲政を探したのだ。途中途中で上杉の将が名乗りを挙げて向かって来たが、興味無しと打ち掛かり屠って行った。戦場(いくさば)で培われた技と力の前に上杉の将は容易く討ち取られる事になった。


 一方、小田勢からの襲撃の報を聞いた上杉憲政は金切り声を上げて家来を叱りつけていた。


 「何故、もっと早うに気付かなかった!」


 上杉憲政は寺の本堂で、大急ぎで鎧を付けながら怒鳴り散らしていた。昨日までは小田氏治の軍勢に奇襲を掛ける相談をしていたのに、一夜明けると自分が奇襲を受けているのである。誰かが小田氏治に内通したとしか考えられなかった。昨日の話が小田氏治の耳に入ったとしたら激怒する事は容易に想像出来た。


 「裏切った者が()る。一体誰だ!許せぬ!」


 上杉憲政が怒りに震えていると控えていた曾我兵庫助が言う。


 「管領様、お怒りをお治め下され。ここは危のう御座います。今は落ち延びる事をお考え下さいませ。最早一刻の猶予も御座いませぬ」


 「承知して居る!急ぎ兵共を集めよ!」


 「小田家の軍勢がこの本陣に討ち入って居りまする。兵を集めるのはこの場を脱してからでないと叶いませぬ」

 

 そうしていると辺りが騒がしくなってきた。そして「上杉憲政は何処(いづこ)ぞ!」という声が聞こえてきた。上杉憲政は自身を探すその声を聞いて身を強張らせた。曾我兵庫助や家臣達は抜刀し、声の方向を睨んだ。直ぐに敵兵が姿を現し、上杉憲政と曾我兵庫助の姿を見ると、「見つけたぞ!」と声を張りあげて味方に伝えた。そして本堂に次々と小田勢が入って来て、上杉憲政主従に槍を向け包囲した。そしてその包囲を掻き分けるようにして大柄な武将が上杉憲政の前に姿を現した。真壁久幹である。


 「其の方が上杉憲政か、醜悪な面をして()る。其の方の企みは存じて()る。捕らえて犬の餌にでも致そうと思うて居ったが、臭くて犬も喰らうまい。今暫くは生かしてやる。神妙に致せ」


 「無礼な!我は関東管領ぞ!我に手向かい致すは幕府への反逆ぞ!」


 「知らぬ。其の方は罪人である。手向かい致せばこの金砕棒(かなさいぼう)で頭を叩き潰す。降るか死ぬか選ぶがいい」


 冷酷な眼差しで真壁久幹がそう言うと上杉憲政は震え上がった。曾我兵庫助を始めとする家臣は上杉憲政に降るよう口々に諫めた。上杉憲政は「降る」と一言を漏らすように言った。家臣達は太刀を床に置いて無抵抗を示した。真壁久幹は家来に上杉憲政主従を縛り上げさせると、菅谷勝貞と同じように上杉憲政を殴り始めた。上杉憲政の家臣は必死に抗議したが、久幹は一顧だにせず体罰を与えた。そして泣いて許しを請う上杉憲政の様子を満足げに眺めると、家来に連れて行くように命じたのだ。上杉家の家臣達は常の戦では有り得ない行為に恐怖した。昨日の話が露見している事を確信して、次は我が身かと震えたのである。


 真壁久幹は龍源寺を出ると、敵を求め、軍勢を率いて戦場に向かった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 真壁久幹「これは愚かなる上杉憲政への裁きの鉄槌である!」 上杉憲政「殴ったね!親父にもぶたれたことないのに!」 小田氏治「それでも男ですか!軟弱者!」
[一言] 自分が家臣ならば、仕える主人(人格者)が馬鹿にされてれば相手を火炙りにしてたのにぃ〜。もし生きて幕府の方に逃亡したら、ちょいやばくない?まぁ京より離れてるからいいかな
[気になる点] >今まさに北条幻庵が和睦の使者として上杉憲政の陣に向かっていたが~ とありますが、「その12」で氏康が >使者は別の者を遣わすゆえ、此度は堪えよ と言っていたので、使者は幻庵ではないと…
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