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第百二十八話 北条包囲網 その15


 ―下野国 唐沢山城 佐竹義昭―


 佐竹義昭は戸板に横たわり、兵に運ばれながら明けたばかりの空を眺めていた。小田氏治の謀略に賛同し、自らが唐沢山城の攻略をする事を決めたのである。義昭の身体には血止めの布が巻かれ、その布には大きな血のシミが付けてあった。頭にも同様に捲かれ、右手は兎を潰して手に入れた血袋を握っている。唐沢山城に到着する寸前に握り潰すつもりであった。


 急な山道を軍勢と共に登り始めると傍らにいる小田野義正が陽気に語り掛けて来た。


 「噂には聞いて居りましたが、確かに堅城で御座いますな。この険しさでは大軍を以てしても城門を打ち破るのに難儀致しますな。此度の策無くば、城を落とす事は叶わぬのではないかと思えまする」


 「氏治殿には毎度驚かされる。かような策を思い付かれるとは軍略家としても大したお方だ。戦は城や軍勢では無く心を攻めよと良く申すが、まさに心を攻める一手であるな」


 怪我人を装っている義昭を見て馬廻の将が笑いを堪えていた。義昭は自身も笑みを浮かべながら馬廻を窘めたが、思わず氏治が怪我人を演じた様子を思い出して笑うのを堪えたのだ。義昭が必死に平静を取り戻そうとしていると小田野義正が口を開いた。


 「この戦も語り草になりましょう。諸葛孔明でも考えが及ばぬ奇策で御座います故」


 「さもありなん。だが、巧く行けば軍勢を損じずに下野を平定できる。所領は十八万石、当家の所領と合わせて四十八万石、平井城を氏治殿から頂けば五十万は軽く超える。奥州を攻めるより近いので楽で良い。金山城も奪えば平井城の守りも厚くなる。かような機会が訪れようとはこの義昭も運がいい」


 「小田様には感謝せねばなりませぬ。何ぞ礼をせねばなりませぬ」


 小田野義正がそう言うと義昭は窘めるように言った。


 「小田野、今少し考えよ。此度の策は常の城攻めに比べると味方も敵も死ぬ者は少なかろう。確かにこの策は巧く行くであろう。だが、氏治殿の策は一見非道と思われるが、その実、氏治殿の慈悲の心が宿っている。此度は良いが、次に氏治殿が策を講じた時は我等はよくよく考えねばならぬ。氏治殿はあのようなお方だ。非情にはなれぬ。氏治殿の不足を我等が埋めねばならぬ。礼を致すとすればその時よ」


 義昭と小田野義正が話をしていると前方の兵が慌ただしくなった。それを見て小田野義正が言う。


 「先触れを出すのが早過ぎましたかな?どうやら出迎えが参るようで御座います」


 「承知した、其の方もしかと演じるが良い。赤松殿と飯塚殿に叱られぬようにな?」


 義昭主従は唐沢山城から来た将を伴って城に向かった。義昭は事前に用意していた血袋を握り潰して苦しむ演技をしたのだ。唐沢山城を預かる将は竹沢定冬と名乗った。佐野家中でも名のある人物である。竹沢定冬は義昭を心配し、励ましの言葉を掛けたのだ。竹沢定冬は佐竹家の当主が怪我をしている事に驚き、何故わざわざ山城である唐沢山城に来たのかと疑う事すらしなかった。竹沢定冬に声を掛けられた義昭は苦しそうにしながら僅かに顎を引いた。


 そして山道を行くと唐沢山城の城門に辿り着き、義昭ごと軍勢を招き入れたのだ。竹沢定冬が手配の為に義昭主従の元を離れると、小田野義正は頃合い良しと軍勢を討ち入らせた。義昭も起き上がり、自ら得意の槍を持って兵を指揮する。三の丸から二の丸、本丸まで一直線に攻め入ることが出来た。


 義昭は兵を指揮しながら成程と納得した。常ならば戦になれば門は厳重に管理される。だが、平時では門は開け放たれ義昭の軍勢を阻む者はいなかった。それに、戦に駆り出されて空城同然である。義昭は難無く本丸を占領し、佐野家の家来や佐野昌綱の家族などを捕らえる事に成功した。捕らえた者達は数刻したら放逐する事に決めていた。


 捕らえられた竹沢定冬は憤怒の表情で義昭を罵倒したが、小田野義正が上杉憲政の振舞いを倍にして大仰に語り、それが為の戦であると説明した。竹沢定冬は当家とは関わりが無いと抗弁したが、上杉憲政に従っている以上は敵であると小田野義正が切り捨て、軍略を見抜けなかったのは留守役である竹沢定冬の落ち度であると説いた。尚も言い募る竹沢定冬の様子を義昭は黙って見ていたが、騙した事が悪く思えてきて少し胃が痛かった。


 だが、悪逆非道な策を笑顔で説明する氏治を思い出して心を治めたのである。義昭は嫌な役回りを全て小田野義正に押し付けて心の平穏を保ったのだった。


 城を完全に制圧すると、義昭は随伴している百地の忍びに狼煙を上げるように伝えた。そして狼煙が上がる様子を見ていると別動隊として派遣した軍勢が向かった方角でも次々と狼煙を上げているのが見て取ることが出来た。義昭と共に狼煙を目にした小田野義正が口を開いた。


 「こうも簡単に城が取れようとは、今だけで四本の狼煙が上がって居りますれば、この城と合わせて五城で御座いますか。恐ろしい策で御座います」


 小田野義正がそう言うと、義昭は下野と反対の方向を指で指し示した。


 「見よ、武蔵の城も落ちたようだ。平井の城も落ちて居る。赤松殿が巧く致したようだ。あそこもだ、次々と狼煙が上がって()る。それにしてもこの城からは武蔵や上野の全てが見える。良い城を獲れたものだ」


 小田野義正は義昭が指差す方向を眺めながら笑みを浮かべた。


 「これは面白き様子で御座います。滅多に見られるものではありませぬな。あちらも五本、いやまた二本上がりましたな。これは愉快で御座います」


 義昭主従は次々と上がる狼煙を見て楽しそうに話をしていた。成功するとは考えていたが、実際に目にすると痛快な気持ちになった。武蔵や下野、上野を見渡しながら策の成功に心を躍らせていた。


 「狼煙は敵方からも見えようが、何の事かは判らぬであろう。未だ敵勢の城は空であるからまだまだ城が獲れそうだな。そろそろ参ると致そう。軍勢と合流し、下野を平定致す」


 「御屋形様、守りの軍勢にも限りが御座いますれば、此度は下野と上野の一部で辛抱致して下さいませ。氏治様は上野の平定に力をお貸し下さると約束されました。まずは金山城と平井城の防備を固めねばなりませぬ」


 「承知して居る。早々に片付け、氏治殿に合力せねばならぬ。上野は氏治殿と磨り潰せばよい」


 義昭と小田野義正は馬廻のみを引き連れて軍勢が集結している榎本城に馬を駆けさせた。策の成功を確信した義昭は若い血潮を滾らせながら馬に鞭を入れた。


 ―武蔵国 滝山城包囲軍 小田氏治―


 両上杉家との決戦の日を迎えた。私を始め重臣達は丘に設置した本陣の外に出て、狼煙が上がるのを今か今かと待っていた。時刻を合わせての作戦なので、時間になれば各々が城に向かう筈である。ピンポン奪取作戦が巧く決まれば、敵方は帰る家を無くすのである。それに落としにくい重要拠点を狙っているので、一度獲れば周辺の支城の兵力では太刀打ちできないだろう。


 重臣達は昨日は怒り狂っていたけど、今朝の様子を見ると大分落ち着いたようである。私はそれを見て胸を撫で下ろしたのだ。小田家の陣では炊煙が立ち昇り、兵達は食事を摂っている。百地は早くから出掛けたようで、上杉憲政や上杉朝定、太田資正の位置を確認したようである。


 桔梗と雪が二人で話し込んでいる。漏れ聞こえる話の内容は鉄砲衆の運用についてのようだ。今までは守りや城攻めがメインだった事に対して、今回は攻めで鉄砲を運用するから心配なのだと思う。ただ歴史で見ると、厳島の戦いや屋島の奇襲やもちろん河越夜戦など、奇襲戦は少数で軍勢を容易く討ち破っているので、今の時期では珍しい鉄砲を撃ち込みながらの奇襲戦は誰もが経験した事が無い筈なので私はあまり心配はしていない。


 今回は両上杉家が気の毒なくらいだ。一万の軍勢に奇襲を掛けられたら一溜まりも無いだろう。私が両上杉家の立場なら防ぐ術を見つけられない。そして敗走して逃げ帰っても城は獲られているというダブルパンチである。なんだか、孔明の仕業っぽいやり方な気がする。


 後の心配は北条家だけど、動く素振りがないと報せが来ている。夜の内に動かなければまず安心である。北条氏康の軍勢は特に厳しく見張っているけど、問題は両上杉家を追い散らしてからの対応になるのだ。滝山城は健在だし、小田勢の奇襲を見た北条綱成がどう判断するかで更に戦局は動くのだろうけど、三の丸を破られていて兵力も減っていて、更に昼夜問わずに城を攻められているから動く体力は無いと思う。それに小勢で三つ巴の戦をしたら普通に潰されるだろうし。


 皆で眺めていると近くの木に登って監視をしている百地の忍びの声が頭上から聞こえて来た。狼煙が一本上がったようだ。私達は木に登った忍びを見上げ、その指し示す方向を見た。黒い狼煙が細く見て取ることが出来た。私は策が巧く行った事に安堵した。皆も狼煙を指差しながら口々に策の成功を喜んでいる。暫く見ていると次々に狼煙が上がっていく。その様子を見て重臣達が私の側に集まって来た。そして政貞が私に話し掛けてきた。


 「首尾良く城を獲れたようで御座いますな?敵方には気の毒で御座いますが、これで帰る城を無くしましょう」


 「あとは沼尻が兵を入れてくれれば心配は無くなるね?一番遠いのは天神山城だから、そこに守りの兵を入れれば安心かな。だけど、もう限界だと思う。これ以上領地が増えたら手が回らなくなるよ」


 「上杉めを捕らえるなり致しましたら如何なさる御つもりで御座いますか?」


 「昨日は皆があまりに怒っていたから言わなかったけど、戦が終わったら生かして放逐するつもり。赤松が捕らえていると思うけど、龍若丸殿も返すよ?だからなるべく生け捕りにしたい」


 私がそう言うと久幹が口を開いた。


 「生かして捕らえ、死なぬ程度に痛めつけてやりましょう。本来であれば生かしたまま犬にでも喰わせるところで御座いますが、御屋形様の御名に傷を付ける訳にも参りませぬ」


 「久幹も落ち着いたようだね?大将なのだから冷静にね?勝貞は大丈夫?」


 私がそう聞くと勝貞はニヤリと笑った。


 「御屋形様には恥ずかしき姿を晒してしまいましたな。ご安心下され。この勝貞が上杉めをひっ捕らえて参ります故、吉報を御待ち下さい」


 あまり大丈夫じゃない気もするけれど、まあいいか?


 「では、そろそろ参ると致しましょう。勝貞殿、手筈通りにお願い致します」


 「承知した。真壁殿も気を付けられよ。不意を突くとは言え敵陣の奥に入る故」


 「上杉めをひっ捕らえれば、人質として盾に使えますのでご安心下さい。では皆様、参りましょうか!」


 久幹がそう言うと皆は声を挙げてそれに応えた。そして持ち場に散って行く。私は政貞と共に本陣で指揮を執る事になる。とは言っても政貞がメインになるけど。愛洲と次郎丸は私の護衛として侍る事になっている。今回は愛洲も機嫌が良いようだ。久幹に連れて行かれないように随分と念を押されたのだ。


 本陣のある丘の上から眺めていると、備えから二つの部隊が移動を始めた。上杉憲政と上杉朝定の本陣に近付いてから総攻撃をする事になっている。上杉憲政がいる龍源寺には久幹の軍勢が五百、上杉朝定と太田資正がいる居館にも勝貞が五百である。端から見ると、大軍の中で備えの一部が移動しているくらいにしか見えないだろう。


 両上杉家の雑兵が多く見えるけれど、自分達が襲われるとは考えていないだろうし、博打やお酒で弛緩しているので問題なしである。四半刻ほどその様子を眺めていたけど、久幹と勝貞の軍勢が足を止めて密集していく。


 「そろそろよう御座いますな。御屋形様、戦の御下知を」


 「正木殿の方は大丈夫?」


 「戦が始まりましたら兵で固めてから事情を説明致しまする」


 「うん、丁重に扱ってね?此度は正木殿が気の毒だけど仕方ないよね?」


 正木時茂の行動はやる事成す事全て裏目に出ている気がする。やろうとしている事は間違っていないけど、何と言うか運が悪過ぎる。


 私は周りの皆を見廻してから腰の太刀を引き抜いて頭上に掲げ、振り下ろしながら声を挙げた。


 「全軍突撃!」


 私の合図で一斉に法螺貝と陣鐘の音が鳴り響く、そして眼下の備えからは太鼓が激しく打ち鳴らされた。軍勢が一斉に動き出して上杉の陣に走り向かって行く。遠くの別動隊を見ると法螺貝の音が聞こえたようで、錐のような形で両上杉家の本陣に向かっているように見えた。多分、勝貞も久幹も先頭にいるのだろうなと思いながら私はその様子を眺めていた。


鋼の後継様、レビューを頂き有難うございました。心より感謝申し上げます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 竹沢定冬「義昭!謀ったな、義昭!!」 佐竹義昭「君は良い城主だったが、君のご主君がいけないのだよ」
[一言] 太田の資正は八つ裂きでもいい気はしてるw
[一言] 放逐は長尾に逃げられた時に面倒なことになりそうな感じしかしませんが…… 全部関東管領って奴が悪いんだよってことにして北条と停戦する時に手土産代わりに北条に引き渡すとかの方がみんなで幸せになれ…
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