第百二十六話 北条包囲網 その13
先行していた久幹が世田谷城を落とす事に成功した。私と義昭殿は軍勢を引き連れて共に世田谷城に入城したのだ。上杉朝定には城を落とした連絡をしていない。彼等は情報収集を碌にしていないのでバレるまでに時間が掛かると思われたので放置である。そして小田家の将と、佐竹家の将で合同の軍議を行う事になったのである。
今回の策で狙っている城は各地に点在しているので、出発時間などを調整したり、獲った後の行動を決めないといけない。小田家は軍勢が多いから城を獲ったらそのまま守って貰えばいいけど、義昭殿の軍勢は四千なので少し心許無いのだ。私は義昭殿に拠点として旧小山領の榎本城を提供した。義昭殿も上杉家と戦をする事を決めた日に領地に早馬を送って、国境を守っている軍勢の殆どを下野に集結させるようである。二千五百は集まると言っていたので、今回の連合に対しての義昭殿の消極性が伺えたのである。
私も留守をしている岡見に銭で領民を雇って集めるように命じたのだ。三千程集めて、武蔵の城を落とした順に防衛の兵代わりに領民を入れる予定である。目的は城に多く人を入れて兵として誤認させる事なので問題無いと思う。それにこの時代の人達の殆どは軍役の経験者なので大丈夫だと思う。集めた領民は沼尻に預けて別動隊として決行の日までは待機してもらう事になっている。
この世田谷城から下野は距離があるので、義昭殿の軍勢は直ぐに出陣する事になった。今回のピンポン奪取作戦では義昭殿が直々に唐沢山城を落とすそうだ。生真面目な義昭殿は出陣のギリギリまで赤松と飯塚から演技指導を受けていた。その演技を見ていたけど、本当に苦しそうで私は感心してしまった。偶に赤松と飯塚が私を可哀想な目で見るのが気に入らない。でも、私は大根役者認定を皆から受けていそうなので何も言えないのだ。
赤松には平井城の攻略を担当して貰う。平井城には上杉憲政の嫡子である龍若丸がいるので、機転の利く赤松に任せたのである。捕らえた家族や家臣などは幽閉する事に決めて、それぞれの備えには旗指物を多く持たせてそれなりの軍勢が籠もっているように見せ掛けるよう指示をした。決行の日は二日後の朝と決めたのだ。私はそれまでに軍勢を率いて滝山城にいる両上杉軍に合流する事になる。
一日を世田谷城で過ごしていると、上杉家の使者がやって来て城を明け渡すように要求された。意外に早いなと思いながら私は用意していた言い訳を話した。大軍を率いているから獲った武蔵の城に兵糧を運び込んだから、戦が終わったら明け渡すと言ったのだ。使者は納得して帰ってくれたけど、すんなりいって拍子抜けである。そして次の日に私は軍勢を引き連れて滝山城に向かったのである。
滝山城は多摩川と秋川の合流地点にあって、そこにある複雑な形の丘陵の上に建っていた。丘陵の麓には上杉両軍の軍勢が屯している。そして上杉家の軍勢に近付いて行くと懐かしい光景が目に入った。懲りない人達である。久幹は軍勢を停止させて私の元にやって来て馬を降りた。私も下馬して、呆れながら久幹に声を掛けたのだ。
「久幹、もう見ただろうけど、陣中に遊女がいるよ。上杉様は懲りていないようだね?」
私がそう言うと久幹は苦笑しながら言う。
「河越を落としたので気が緩んだのでしょう。尤も、学ぶという事を知らぬ愚か者には違いありませぬ。これでは戦のし甲斐が御座いませんな?御屋形様、御覧下さい。鎧も付けずに酒を飲んでいる輩も御座います」
久幹が指を差した方向を見ると、あちこちで焚火を囲ってお酒を飲んでいる人達がいた。まだ昼間なのによくやると思う。
「御屋形様、百地殿の調べで上杉憲政と上杉朝定の所在が知れました。上杉憲政はこの丘向こうの龍源寺に本陣を置き、上杉朝定は東にある居館に本陣を置いて居ります。上杉憲政の本陣は距離が御座いますし、軍勢も厚く置かれて居りますので厄介で御座いますな。ですが、あの者達を見る限り気は緩み切って居りましよう」
「上杉朝定様は相変わらず危ない所に陣を敷くんだね?久幹、当家は何処に陣を敷くの?」
久幹は鞭で方向を示しながら言う。
「丘陵の向こうに開いている土地が御座います。丁度良い丘も御座いますので、そこに本陣を置きましょう。両上杉の後方になります故、討ち入るには良いでしょう。ですが、戦に参じる気が無いと思われるでしょうな」
「構わないよ、取り敢えず陣を敷いちゃおう。どうせ直ぐに戦だから文句を言われたら明日にでも陣替えすると言えばいいよ。それから陣を敷いたら直ぐに軍議だね?」
「そうで御座いますな。今から腕が鳴りまする」
「久幹、私は上杉様に会いたくないから気分が優れない事にして、他の者に挨拶に行かせてくれる?後日私が伺うと伝えればいいよ」
「承知致しました、では当家の者を遣わしましよう」
そうして私達は両上杉軍を攻撃しやすい位置に陣を敷いた。本陣が設置され、私がそこに入ると正木時茂が訪ねて来たと家来が伝えて来た。私はここに呼ぶように命じた。久幹や政貞も呼んで、暫く待っていると正木時茂と正木時忠がやって来た。顔色が優れないのは私が安房を獲ったからだろう。それに里見義堯も捕らえたままだし。正木時茂は私と挨拶を交わすと早速と口を開いた。
「小田様、此度の当家との戦の顛末は聞き及んで居ります。大義は小田様にあると某は考えます。ですが、どうか御慈悲を頂けないでしょうか?里見義堯様が欲を張ったのは御家の為を思ってこそ、不幸な行き違いは御座いましたが小田様に敵意あっての事ではないと存じます。手前勝手は承知して居りますが、どうか御慈悲を持ってお許し頂きたく存じます」
何だか気の毒だ。でも、里見義堯は私に謝罪一つしないんだよね?別に謝って欲しい訳ではないけれど、それだと誰も理解してはくれない。知勇兼備の勇将なのは知っている。だけど、自分の非を認めないのは別の話だと思う。私も家臣の手前、簡単に許すことは出来ないのだ。
「正木殿のお気持ちは察しますが、当家の家臣が納得しないでしょう。里見殿は自らの非を未だにお認めになって居りません。正木殿が主の為に申しているのは私も心得ております。ですが、肝心の里見殿があのようではどうしようもありません。私は里見殿の御家族も、御家中の方々も出来る限り保護致しました。当家は十二分に里見家に配慮致しました。それに武士が血を流して獲った城は簡単には返す事は出来ません。当家が里見家に悪意を持っていない事はご理解下さい」
私がそう言うと正木時茂と正木時忠は明らかに落胆した様子だった。土地を獲ったら簡単には返せないのは彼も承知している筈だ。正木時茂は苦しそうに口を開いた。
「承知致しました。里見義堯様を如何されるおつもりで御座いましょうか?」
「悪いようにはしないつもりですが、ご本人がどうお考えか判らないと手の打ちようがありませんね。この戦が終わったらまた話し合いになるのでしょうか?」
「某をこの戦が終わりましたら主にお引き合わせ願いたい。どうか御頼み申します」
「そうですね、では正木殿には私の陣にお越し下さる事を対価として求めます。御家来衆も全てです。宜しいですか?」
私がそう言うと正木時茂は合点が行かないと神妙な表情になった。彼からすれば意味が分からないだろう。だけど、奇襲を仕掛けるから正木時茂達を保護しないといけないのだ。
「それで宜しければ某は従いまする。小田様の軍勢に従えば宜しいので御座いますな?」
「そうですね。両上杉様と太田資正殿の噂話は聞かれましたか?」
私がそう言うと正木時茂はまた、表情を曇らせた。本当に苦労性で可哀想である。でも、もうちょっとで解放されるから我慢して欲しい。
「存じて居ります。小田様には正直に申し上げます。上杉様は小田様を随分と侮って居られるようで御座います。また、兵共にもその話は伝わっているようで、某も心苦しく思って居りました」
百地の情報操作も巧く行っているようである。これで一安心かな?私の評判が悪くなって良い事なんて一つも無いし。悪評は上杉家と太田資正に全て被って貰うのだ。
「正木殿、まずは当家の陣に御家来衆と参って下さいませ。里見殿の件もありますし、あのような方々と居られるのは正木殿に相応しくありません。今日中にお越し下さいね?」
正木時茂が了承し、退出すると政貞が私に問い掛けた。
「これで正木殿のお命を守れまするな。死なすには惜しい御仁、よう御座いました」
暫くすると小田勢の布陣が終わり、諸将が続々と本陣にやって来た。この軍議で明日の段取りが決まるのである。私も少し緊張気味なのだ。そして軍議が始まった。政貞が明日の段取りの説明を始めた。
明日の早朝に各地に散らした軍勢が一斉に上杉家の城を訪問する事になる。そして城門を開けさせて連れた軍勢が一気に雪崩れ込み、城を制圧する。城を制圧したら各軍勢に付けている百地の忍びが狼煙を上げる。この時代は空気が綺麗だし、ここは少し標高も高い。武蔵は平地が広いので狼煙の視認が出来るのである。史実では江戸時代に唐沢山城から江戸の大火が見えたと言う話もある。私達はその狼煙を合図に上杉勢に攻撃を仕掛ける計画である。そして政貞が続けて言う。
「諸将も御覧になって驚かれたと思われまするが、上杉勢は戦場に遊女を入れ、兵共は鎧も付けずに酒を喰らっております。此度の戦に苦労は無いでしょうな、存分に励まれると宜しい。ですが、敵勢も城攻めをする軍勢を交代で繰り出しているようで御座いますから油断召されぬようお願い致す」
そして久幹が皆を見廻しながら口を開いた。
「上杉憲政と上杉朝定、そして太田資正には我等を侮りし事存分に後悔させてくれましょうぞ。敵勢は御覧の通り、弛緩しきって御座います。我等は軍勢を二手に分けて丘陵を分かつように討ち入りまする。上杉朝定が本陣を置く居館には容易く届きましょうが、上杉憲政の本陣である龍源寺はちと遠く御座いますな。ですが、此度で討ち取る必要も御座いませんので敵の軍勢を討ち散らす事を考えられよ。別で動いてる諸将等が上杉共の帰る城を獲りましょうから見物で御座いますな?」
諸将から笑いが漏れる中から矢代が質問をした。
「敵勢を打ち散らすのは容易いかと存じます。ですが、その後は如何為さる御つもりだろうか?」
「軍勢を分け、奪った城に兵を送ろうと考えて居りますが、小勢で足りましょう。上杉共の様子を見て決めようと考えて居ります。此度は領土を獲り過ぎます故、一度整理を付けねばなりませんな。獲った武蔵の城の支城を降すなり落とすなりになるでしょうな」
「承知した。まずは敵勢を討ち散らす事を考えまする」
「義昭殿が下野を平らげて赤松が平井城を獲る、そして他の七つの城を獲る。それから武蔵の支城を獲って武蔵から上杉家を追い出す。今後は上杉家が大軍を起こして私達や民に迷惑が掛からないようにしたい。悪い殿様には出て行ってもらう。皆も励むといいよ」
その後は備えの割り振りをして諸将はそれぞれの持ち場に軍勢を移動させた。私は桔梗と雑談したりして時を過ごしたのだ。明日の戦が心配で今日は眠れそうもない。高台にある本陣から桔梗と夕日を眺めていて、明日は晴れるねと話をしていたら血相を変えた百地がやって来た。その様子に私と桔梗は顔を見合わせたのだった。
 




