第百二十三話 北条包囲網 その10
―下総国 国府台城 小田氏治―
千葉家を降してから五日が経った。下総と上総東部の食料の配給が終わり、久幹は軍勢を真里谷信政が籠る椎津城に向けた。真里谷信政に降伏の使者を送ったけど断られたのである。同様に万喜城に籠る土岐為頼も小田家の降伏勧告を拒否したのだ。私は久幹に勢力の大きい真里谷家の攻略を指示したのである。この二家を攻略すれば上総を平定する事が出来るので、これが終われば対北条戦という事になる。久幹は軍勢を集結させている長南城から攻め込む事になる。
私の元には北条氏康と今川義元が和睦を結んだと報せが来ている。今川家は河東で大敗したようで、結局は河東を獲られてしまったようだ。連合軍の初敗北になるけど、運が悪いと思う。史実では河東一乱から北条と今川の抗争が続いているので、その延長になっただけの気がする。だけど、お陰で私達は悠々と領土を増やす事が出来たので感謝はしているのだ。それに義元の力が弱まれば、信秀と信長が楽になるのである。
河東を獲られるという事は、常に駿府を窺われるという事なので、義元も今後は迂闊には動けなくなるだろう。吉原平野の僅かではあるけれど、貴重な穀倉地帯を失う事は経済的にもダメージを与えそうだ。吉原平野は水が豊かで広い平野を持つけれど、過去の富士山の噴火などで火山灰が堆積し、また川を流れて堆積した土壌のせいで、見た目ほどお米は採れない。
だけど、この土地は今川家と武田家を結ぶ土地であり、戦略的な要地であるのだ。この土地を北条家が固めて見張る事が出来ると、今川義元は軍事行動を起こしづらいし、武田家との連携が不便になるので、勢力拡大を目論む今川義元に楔を打ち込む事が出来るのである。今後はもしかしたら信秀と北条が結んで今川家をすり潰すかもしれない。
両上杉、佐竹連合軍は、とうとう河越城を落とす事に成功したそうだ。北条綱成は、夜中に敵中突破を図って軍勢ごと逃亡したと百地が伝えて来た。そして北条綱成は滝山城に入ったようで、また籠城の構えを見せてるらしい。たぶん遅滞戦術を取っていると思われる。
連合軍は河越城付近の支城を落として滝山城に向かうそうだ。それを報せて来たのは両上杉軍から離脱してきた義昭殿である。義昭殿は河越城が落ちると、小田軍と行動すると言って両上杉軍から離脱してしまったのだ。領土を増やす事が出来ない義昭殿に遠慮したのか、両上杉家は特に抗議をしなかったようだ。ただ、太田資正にはしつこく引き留められたと笑っていたけど、義昭殿もフリーダム過ぎる気がする。
私は小金城を義昭殿に提供して軍勢を休ませて貰う事にしたのだ。戦が始まってもう半月も経過している。私も早く小田に帰りたいけど、これからが北条との戦の本番なので、気を引き締めなければならない。でも、上総を平定したら割と他人事で対応する気がする。
北条氏康からは相変わらず和睦の使者がやって来る。あまりにしつこすぎて、本気で和睦をしたくなるから不思議である。私が和睦を受け入れたら両上杉家に奇襲をすると思われるので、堪えているのである。私と義昭殿が北から伺う形を取っていれば、北条氏康も迂闊に動けないので私も我慢なのだ。
そして二日が経った。上杉憲政は戸倉城を残し、支城と砦を占領して旧領をほぼ回復した。ただ、戸倉城は滝山城を抜かないと獲れないので、今は上杉朝定と滝山城を包囲している。私の元には上杉朝定から使者が何度も来て武蔵に討ち入るよう催促されている。私は使者には上総を平定してから検討すると伝えて帰って貰っている。その時に国府台城に遊びに来ていた義昭殿もいて、使者は額に青筋を立てていた。
そしてその日の夕方に太田資正がやって来て、管領家として強い言葉で私に命じて来たのだ。私もムカついたけど、義昭殿や勝貞や政貞、赤松が怒って言い合いになったのだ。四対一の口喧嘩が始まったけど、太田資正は一歩も引かずに言い返していた。彼も武蔵を得ようと必死なのだろうけど、今回の連合の発起人は里見家である。私が管領家に命じられる謂れは無いのだ。
勝貞が興奮して、私は将軍家の縁者であり、家来筋の上杉憲政に命じられる謂れは無いと激高して言い放つと、太田資正はそれを鼻で笑って、ならば公方になれば良かろうと嘲笑ったのである。私の隣にいた義昭殿も怒って太田資正の言いようを咎めたけれど、関東管領の名代を身分として振りかざして聞く耳を持たなかったのだ。
私的には身分はどうでもいいけど、友軍に命じるのは間違っているし、大国になった小田家に一方的に命じれば、小田家の家臣も反発するに決まっている。にも拘らず強引な物言いをする太田資正の頭の中が理解出来ないのである。結局は物別れになって太田資正は帰って行ったけど、皆の怒りが凄くて連合から離脱するべきだと言われてしまったのだ。義昭殿も静かに怒っていて、あのような下郎は討ち滅ぼせばいいと口にしていた。
そして夜遅くになると正木時茂がやって来て、太田資正の振舞いを私に謝罪したのである。どうも、太田資正は上杉憲政にある事ない事を言ったらしく、一方的に小田家が悪いような事を伝えたらしいのだ。私は里見家が私に謝罪する必要は無いと伝えたけど、太田資正と管領家は別である。坂東武士の面子があるので私が許したら家臣が納得しないのだ。現代人であれば頭を下げれば済むくらいの話だけど、この時代は命の取り合いになるのである。特に舐められる事を許す武士はいない。太田資正もそのくらいは解りそうなものだけど、相当焦っているのか、何か考えがあるのか、企んでいるのか?
私は口止めをお願いして正木時茂に話をした。坂東武士として太田資正の振舞いを当家の家臣は許さないだろうという事。当家は関東管領様に従い戦に参加しているわけでは無い事。上総に討ち入っている家臣がこれを聞けば、私でも抑えられるか判らない事。なるべく穏便に済ませるように努力する事などである。
史実では太田資正は北条に敗れて小田家に庇護を求めて来た。そして城を任されたのだけど、その後に城ごと佐竹家に寝返って、小田攻めの急先鋒になったのである。それもあるから私は太田資正が好きになれないし、たぶん相性も悪いのだと思う。正木時茂が不憫すぎる。里見は領地を失ってしまった。だからと言って連合の取りまとめ役から逃げる事も出来ない。さぞ胃が痛い事だろうと思う。
私も他人の戦に本気になるほどお人好しでは無いのである。予定外の領土を得たので守らないといけないし、関東管領からは迷惑を被った事はあるけど、助けてもらった事は一度も無いのである。小田家が連合軍に攻められても仲裁する素振りすらなかったし、危機に瀕した結城家や宇都宮家を助ける事もしなかった。だからそんな管領家は信用できないし、協力はするけど、従う事はあり得ないのである。今は大領の主になったので気の小さい私も強気である。
次の日になると勝貞が、江戸城方面に示威行動をしに二千の軍勢を連れて出た。昨日の太田資正の態度が気に入らないらしく、まだプリプリと怒っていた。この軍勢は敵に発見されるのが目的で、敵に見つかったらゆっくり帰って来る事になっている。この示威行動はもう何度もしているけど、これだけでも牽制になるので私は協力していると主張できると思う。でも太田資正に嫌味を言われそうな気はする。
政貞と赤松も同様で、昨日の事を怒っていた。久幹が戻ったら皆で話し合うと言っていたので荒れる気がする。久幹は怒ると本当に怖いので、私も何も言えなくなりそうな気がする。
その日の午後に、私は義昭殿と紅茶を飲みながら歓談していた。義昭殿はマイカップを持参である。随分と気に入ったようで、正木殿や長野業正にも振舞ったと言っていた。正木殿とか怒らなかったのだろうか?しかも、戦国時代の有名人である長野業正まで招いているという剛の者ぶりである。義昭殿とは内政の話をして、金山の話題になったので、宗久殿に南蛮吹きが出来る人を紹介してもらっては?とアドバイスした。義昭殿の喰い付きが凄く、宗久殿に頼んでみると義昭殿は目を輝かせながら言っていた。そして話題は戦の話になった。
「氏治殿が百二十万石の主となられる。この義昭も励まねばなりません。数年は領地を育てるつもりで居りますが、その後は白河結城と岩城家を平らげるつもりです。その際は援軍をお願い致したい」
「承知しました。当家は義昭殿に救われましたし、私も大軍を持って初めて解りましたが、力があると何かと楽なのです。此度は運良く上総も獲れそうですが、巧く領地が治まれば北条も怖くなくなります」
私がそう言うと義昭殿は頷いて、さもありなんと言った。
「白河結城家が七万石、岩城家が十二万石、合わせて十九万石。今の領地で田畑を増やしてようやく五十万石。いやはや、領地を得るのは苦労が御座います」
そう言って義昭殿は紅茶を一口飲んだ。確かに、義昭殿の領地は山がちだからちょっと可哀想な気がする。下野の六割以上を獲っても十一万石しかないのだ。今回も報酬はお米だけだし。なんだかお小遣いを貰っている感じである。
「下野を平定出来ればいいのでしょうけど、下野の残り十八万石の国人は上杉憲政様に従っていますから、北に行くしかないですよね。問題は蘆名家になりますが、義昭殿は何か手を打っているのですか?」
「蘆名家とは使者を行き来させて居ります。今の所は友好関係を結べていると思えます。ですが、いざ戦となればどうなるか判りませぬな」
「磐城は小大名が多いですから、合力しそうですね」
「なんの、当家と氏治殿で合力致せば敵ではありませぬ。とはいえ、この義昭は氏治殿に頼る立場、あまり豪気な事は言えませぬな?」
そう言って私と義昭殿は笑った。
「実際の話ですが、氏治殿は将軍家の血を引いておいでだ。関東管領は家来筋に過ぎぬ。いっそ、平らげては如何か?この義昭は氏治殿に当然御味方致すが?」
「古河公方様が御健在ですよ?義昭殿は私を唆すおつもりですね?悪いお人です」
私がそう言うと義昭殿はニヤリと笑った。
「ですが、此度の戦で解り申した。もはや将軍家は力が無きに等しい、いっそ古河公方を追放致し、管領家は滅ぼすなり、追放したほうが世の為になり申す。もし、氏治殿にその気があれば、この義昭は御味方致します」
義昭殿も今回の戦でストレスが溜まっているように思えた。確かに、一方的に利用されれば誰でも怒ると思う。都に将軍家はあるけど、関東には口出しして来ない。室町幕府は西を将軍家が支配していて、東は古河公方家が支配しているのだ。つまりは西と東に将軍家があるのである。これは室町幕府の特色でもある。義昭殿は東の将軍家を滅ぼせと唆しているのだ。
「公方様が義昭殿の敵になるのであれば、私は義昭殿に御味方します。ですが、私は気が小さいので将軍家を滅ぼせそうにありません」
「まぁ、二城しか持たぬ古河公方家を相手にしても仕方ありませぬな。ですが、此度の戦で管領家が力を持ちます。そして氏治殿も同じですな。そして北条が力を減じる、となりますれば、もう一波乱はありましょう。その時に管領に合力する必要は無いと義昭は考えます。氏治殿が御賛同頂ければ、この私は上野を、そして氏治殿は武蔵を獲れば宜しい」
「上野と下野の残りで六十七万石、武蔵が六十六万石、それにしても私と義昭殿は大領を得る話が出来るようになってしまいましたね。ですが、この戦国の世がこのまま続けば弱小は淘汰されて大国のみが残りますね。義昭殿の考えは正しいと私は思います」
「坂東では管領家が争い、国人や民を苦しめたのは事実、今は淘汰され、当家と氏治殿を残すのみとなりました。管領家は坂東を静めるどころか争いばかりを引き起こす。なれば、滅ぼしてしまう方が宜しい」
義昭殿が何時になく雄弁である。先を考えれば管領家は確かに邪魔だと思う。信長の支援をするにしても管領家と北条は排除したほうがいいに決まっている。あれ?私は義昭殿に説得されている?でも正しいよね?城郭技術が上がる前なら城攻めも鉄砲があれば容易いし、今だから勢力を伸ばせるのも事実。長尾景虎も越後を統一したばかりだし、関東に越山して来ても、支援してくれる国人がいなければ何も出来ないよね?それに上杉憲政は長尾景虎の元に身を寄せてはじめて和解したわけだし?そうなると、長尾景虎は関東に来ない事になる。武田も村上と小笠原に足止めされているし、もしかして今って凄いチャンスなのかも?
私が戸惑いながら悩んでいると義昭殿がニコニコして見ていた。今日の義昭殿は意地悪である。私がそれを訴えると義昭殿が笑った。
「義昭殿のお言葉が正し過ぎて何も言えなくなってしまいました。ですが、管領家を攻める口実は如何するのですか?」
義昭殿は空になったカップを手で弄びながら言った。
「扇谷上杉の太田資正が無礼を致したで十分でしょう。あのような者が居るなら何れ良からぬ事を企みましょう。それに此度の北条との戦も大した大義は御座いません。管領家が正しいのであれば公方様を放っておく現状が既におかしい。氏治殿が諸国に攻め入られていても仲裁するでも無く、己の事しか考えて居りません。公方様もそうですな。ならば勝手致せば良いのだと義昭は思います。太田資正の振舞いはあってはならぬ事。氏治殿は寛大が過ぎますな。武蔵半国、今なら容易く獲れましょう。連合から離脱し、上杉朝定様の領地を獲られては如何かな?この義昭は合力致します。当家の家臣も手柄を立てる機会が無く身体がなまって居りますゆえ喜ぶでしょう」
う~ん困った。いつもの私なら華麗に断るんだけど、太田資正の態度を見ていると明らかに私達を舐めているんだよね?次の標的が私か義昭殿になる可能性も十分にある。北条と結び、北は蘆名家、白河結城と岩城と結んで挟撃することは出来る。規模が大きすぎて現実感はないけれど、私が北条に代わる一強になれば十分にあり得るのだ。
そして今日の義昭殿は一味違うようだ。たぶん静かに怒っている。私と義昭殿と信長は友達でもある。だから余計に怒っているのだと思う。でも、連合から離脱して直ぐに攻め込むなんて不義理と言われそうで嫌だな。義昭殿が私を煽っているのはチャンスを逃すなと言っているのだろうけど。
「当家の真壁が戻れば太田殿の話を聞くでしょう。私は今から頭が痛いです、きっと怒ると思うのです。上総に行っている将もそうですね。そうなると本当に上杉朝定様と戦になりそうで怖いですね」
私と義昭殿が話をしていると、政貞がやって来て膝を付いた。ここ最近では見せない厳しい表情をしていて、私も義昭殿も思わず身構えた。
「真壁殿が安房に討ち入ったと百地殿が報せて参りました」




