第十二話 評定
2023/2/2 微修正
今井の船に乗った私達は香取の海に入った。途中の寄港地では観光を楽しみながらの帰還である。足は他人任せ船任せなので気楽なものであった。宗久殿には大感謝である。船上では足を動かす事も無いので百地と久幹、桔梗と色々話をして友好を深める事に費やした。百地からすればいきなりやって来て家臣になれと言われて、遠い常陸にやって来たのであるから不安もあると思う。百地一党の未来を背負っている彼の重荷を少しでも軽くしてあげたい。彼等を連れて来た責任は私にあるのだ。
船上では百地から色々な話を聞いた。主に上方の情報になるけど、応仁の乱の影響は私が考えているより悲惨なものであった。荒れ果てた京を見た時も思ったけど、幕府が全く機能していなく、畿内は荒れ果て野盗が跋扈する世界になっていた。百地の忍びの多くは孤児であり、桔梗もその一人だと百地は語った。坂東も享徳の乱が二十八年も続いている。戦場は主に利根川の西で、北関東の上杉氏と古河を拠点にする足利氏が争った。長い戦が続いて田畑は荒らされ、収穫は軍の兵糧として奪われて慢性的な食料不足になっている。幸い小田家は父上の努力もあって出兵はあったものの、戦地になって荒らされる事も無く、民は平穏に暮らしている。だけど、戦国時代はこれからが本番だ。史実の小田家は佐竹家との同盟を破棄してから、滅亡の道を歩んでいく事になる。当事者は私だから当然回避していくつもりだけど、正直不安である。歴史の知識を活用したとしても、一つの事柄が史実と乖離すればそれがどの様な道を歩むのか、全く判らなくなる。あまり考え過ぎても仕方が無いのだけど。
香取の海に入った船は順調に航海を続け、見慣れた景色が目に入って来た。ひと月も留守にしていないのにとても懐かしい感覚を覚えた。そして遠くに見える山々が安堵を与えてくれる。周りを見回すと皆それぞれに顔が綻んでいる。思いは私と同じなのだと嬉しくなった。四郎と又五郎も同様のようだ。彼等はこの航海で船酔いを克服したようだ。二人は何かをやり遂げたような満足げな表情をしている。彼等は何をしに来たんだっけ?身ぐるみ剥がされた二人は出発前とは違う着物を着込み、腰には刀をちゃんと差している。中身は竹光なのが悲しい。私が刀を買い与えようとしたら、久幹に「竹光で十分です」と止められたのだ。二人とも家から良い刀を持ち出して来たようだから、帰ってから親に叱られるんだろうな。それにしてもあの二人を見てると何だか不安な気持ちになるのだけど、何かに似てる気がするんだよね。あっ、あれだ、やる夫とやらない夫だ。小太りの四郎に長身の又五郎を見て何となく懐かしくなった。前世で見たキャラクターなんて私しか知らないのだから。百地と桔梗は伊賀の里から先行して来る形だ。二人も第二の故郷になる常陸の地が気になるのだろう、熱心に辺りを見回している。そんな百地に私は話し掛けた。
「百地、もうすぐ着くけど常陸の様子を見てどう思った?」
私がそう問い掛けると、百地は私に振り返った。少し興奮しているのか百地の頬に赤みがさしていた。
「伊賀と比べると、とても豊かに見えます。それに、このような海の側にご領地があるなど想像して居りませんでした」
「魚も捕れるから食べるといいよ、伊賀は山しかないしね。百地の衆に小舟を何艘か用意するから釣りや漁も楽しむといいよ」
小田領は常陸の南側にある。筑波の山々を背にして日当たりの良い土地は米がよく育つ。そして山の恵みがあり、香取の海からは海の恵みがある。ここは立地がとても良いのだ。史実で狙われたのはそのせいなのではないか、と時折思うのだ。
「それに刈入れ前だからすぐに米も手に入るし、皆が到着したらご馳走するといいよ」
小田家の年貢は六公四民である。単純計算で千八百石が収入になる。今の百地の規模なら十二分である。
「お心遣い痛み入ります。かような豊かな土地を見れば一族の者も喜ぶ事でしょう」
「そう言って貰えると私も安心するよ。伊賀から連れて来てしまったから少し心配だったんだよ」
私と百地が話をしていると久幹が話に加わった。
「百地殿、某も手伝いますゆえご安心ください。慣れぬ土地で不便もありましょう。某を頼って頂きたい」
久幹と百地は短い付き合いながらも意気投合しているようだ。男同士の友情かな?でも良い事だ。
暫くすると土浦の港に到着した。私は荷を運び出す為に人足の手配を四郎と又五郎に命じた。旅が終わってから初仕事とか少し複雑だったけどまあいいや。そうしていると騎馬が一騎、駆けて来た。政貞だろうなと思っていたらやっぱり政貞だった。彼は私の姿を認めると、馬から飛び降りて私の前に膝を付いた。
「若殿!ご無事で何よりで御座います!」
「政貞、留守役ご苦労でした。変わりは無い?」
「御座いませぬが、若殿からの文が届かなくなったので心配して居りました。ですが、お元気そうな若殿のお姿を見て安堵致して居ります」
「遠すぎて途中で辞めたんだよ、危ない事も無かったし、心配させたのは悪いと思うけど。取り敢えず荷が多いから戸崎の城に運んでくれるかな?落ち着いたら話そう」
「堺での取引は如何で御座いましたか?」
「これ以上無いくらい良かったよ。政貞、悪いけど私は少し疲れたから城に戻るよ。荷は四郎と又五郎に命じてあるから心配しなくていいよ。それと私の客もいるから、もう行くね」
百地の事はまだ黙っておく。政貞の事だから騒ぐに決まっているのだ。久幹にも侍女にも口止めをしてある。ようやく常陸に戻って来たばかりだし、落ち着いたら政貞に話すつもりだ。私は船長に礼を言い、別れを告げてから戸崎の城へ戻った。こうして私の堺への旅は終わったのである。
城に戻った私は百地と桔梗に部屋を用意した。評定で紹介するまでは二人は好きにして良いと伝え、久しぶりの自宅で寛いだ。なのに、側には百地と桔梗がいる。好きにしていいと言ったから好きにしているのだろうけど、散歩くらいしてくればいいのに。久幹とは土浦で別れた。彼も自分の領が気になるらしく、足早に帰って行ったのだ。立派な体躯の久幹が、堺で手に入れた茶器を大事そうに抱えていたのが印象的だ。あれだね、信長の真似をするまでもなく、久幹の恩賞は茶器とか美術品でいい気がしてきた。椎茸の秋の収穫分を送ったら宗久に幾つか選んでもらおう。ストックしておいた方が良さそうだ。久幹は二日後に戸崎に来る予定になっている。幾つかの打ち合わせをしないといけないからだ。久幹の被官の件と百地の件がメインになる予定である。
そしてその夜、私は政貞に百地の登用を伝えた。案の定、反対されたけどもう連れて来てしまっている。そして彼は渋々認めたのだ。ちなみに久幹の被官は話していない。菅谷を差し置いての被官になるから、政貞だけでなく勝貞も騒ぐと思われる。なので面倒事は後回しである。
小田家では月に一度評定がある。ただ、特に戦も無いし変化も無いので、簡単な報告会になっているのが実態だ。私も毎月参加はしているけど、何も無いのは平和な証拠とむしろ安堵している。戦が無いという事はとても幸せな事なのだ。そして今日はその評定の場に来ている。百地と桔梗を引き連れて評定の間に入って来た私に視線が集中した。そして私の後ろに控える百地が気になるのだろう。百地と桔梗を伺うようにチラチラと視線を動かしている。父上も例外ではなく、百地と桔梗を興味深そうに眺めていた。評定が始まると私はいの一番に父上に百地を私の家臣として登用したことを伝えた。私の報告に居並ぶ諸将から驚きの声が上がる。代々譜代の家臣で領地を固めている小田家では珍しい事だからだと思う。私の報告を聞いた父上は神妙な表情で口を開いた。
「忍びを家臣?そのような事、聞いた事も無い」
「今まで誰もしなかったから聞いた事が無いのは当然です。これからは聞く事になるでしょう」
大した事では無いように答える私の言葉に「ふむ」と思案するようにしてから、父上は百地を眺め見た。
「伊賀の百地と申したな?小太郎、乱破を家臣にしてどうするつもりだ?」
ちなみに私の幼名は小太郎である。そして私は女子である。別にいいんだけど。
「私の家臣として小田家の為に役に立ってもらいます。聞くところによると、結城は乱破を多く抱えているそうではありませんか?百地ならそれに対抗も出来ると考えています。我等が結城に後れを取る訳にはいきませんから」
「ふむ、結城か……」
私の言葉に父上が思案している。小田家は結城家と何度も戦をしている。父上にとっては結城家は宿敵のようなものである。その結城家は乱破を多用しているのだ。この一事は結城政勝の有能さを示していると思う。華やかな戦場より地味な裏方の仕事の方が重要な事が多いからだ。
「我が小田家は頼朝公以来の名族、それは心得て居るな?」
父上は私に確認するように問う。
「勿論です。私は小田家の為に百地を家臣と致したのです」
「だが、乱破を雇うでなく家臣に致すと申すなら、諸国の物笑いの種ぞ?其の方が尋常の子ではない事はこの父も存じて居る。だが、此度の振舞いは如何なものかと考える」
「父上、笑いたい者には笑わせておけば良いのです。乱破、乱破、と申しますが百地は乱破ではありません。忍びです」
「ふむ。それは一体何がどう違うと申すのだ?」
「軍に例えれば乱破は雑兵です。そして忍びは大将です。乱破はごろつき共の集まりで、何の技も持たない者達です。そして都合が悪くなれば逃げます。ですが百地は伊賀の上忍です。この者達は技を磨き、主命とあらば命を捨てる覚悟をする者達です」
私は一呼吸置くと再び口を開いた。
「この百地は武家に勝るとも劣らない者達です。武家でも卑怯者は大勢います。勿論、当家にそのような者は居りません。ですが、他国の話を耳にすると、卑怯な武家の話はよくある話で、そのような者達ですら他家では家臣として仕えているのです。百地はこの私がこの眼で見定め、信じられると確信したのでこの氏治の直臣に致しました。父上、百地は当家にとって特別だとお考え下さい。当家には武勇に優れる将は大勢居ります。ですが、この乱れた世を生き抜くためには力だけでは不足があります。その不足を百地が埋めてくれるでしょう」
広間に居並ぶ重臣、家臣が騒めいている。ひそひそと話声も聞こえて来る。私が直臣を取った事にも驚いていると思う。将来は側近になるから、譜代の家臣の心中が穏やかでない事は理解しているけど、これから結城家や佐竹家とやり合うには忍びは必須である。父上はじっと私を見つめながら黙考している。
「小太郎、其の方の言い分は分かった。百地と申したな?」
「はっ、伊賀の百地丹波と申します」
「其の方、結城の乱破に勝てるのか?」
「容易い事に御座います。乱破など我等の敵では御座いません」
この場でそんな事が言えるなんて百地ってすごい度胸がある。私なら出来ても言えないセリフだ。父上は百地を眺めるように見ながら思案している。そして居並ぶ重臣、家臣に問い掛けた。
「皆の者は如何考える?小太郎に遠慮は要らぬ。申してみよ」
「ありまする」
父上の問い掛けに久幹が応えた。久幹は居住まいを正して口を開いた。
「某、百地殿は存じて居ります。百地殿にお会いする為に若殿に付き従ったのは某で御座います。某が見る限り立派な御仁だと思うて居ります。若殿のご意見に某も賛同致します」
皆には堺の事は伏せて百地を登用しに行った事にしてあるのだ。私の外出はバレるけど気にしない。
「暫く姿を見せぬと思えば、小太郎、其の方が参ったのか?わしは聞いておらぬぞ」
「申して居りませんからね、私が無理を言って政貞を口止めし、久幹を供にして百地の元に行って参ったのです。父上、政貞と久幹は叱らないでやって下さい」
「全く勝手な事をし居って、其の方はこの政治の世継ぎであるのだぞ?今少し身を慎まねばならぬ。家臣共の心中も察せよ」
「承知していますが、おかげで大魚を釣り上げることが出来ました。この氏治はとても嬉しく思っているのです。父上、私は伊賀に参りましたが、武家の子が多少出歩いた程度の事でそのように案じられるのは良くありません。この氏治は坂東武者です、何も恐れて居りません」
「其の方は、ああ言えばこう言うと、口ばかり達者になり居って」
「百地は私が連れてきました。暫くすれば百地の一族も参るでしょう。百地は私が養います。私は領主なのですから」
私の言葉を聞いて諦めたのか呆れたのかは判らないけど、父上は短く息を吐いた。
「分かった、其の方を信じよう。だが其の方は小田の世継ぎなのだ、今少し身を慎むがいい。だが、坂東武者としての心意気は良し!今後も励むが良い」
「父上!有難う御座います!」
私は父上に平伏し、次いで立ち上がって皆に振り返った。
「皆、言いたい事がある者もいると思う。私は自分の眼は正しいと思っている。皆も百地を受け入れて欲しい。余所者は受け入れないなんて狭量な者はいないと私は信じているよ」
「若殿がそうせよと申されるのであれば、この勝貞は従いまする。若殿がご立派に成長なされている事は、この勝貞がよう分かって居ります」
私は勝貞に頷くと席に戻った。そして百地を見てニッコリ笑う。もっと揉めるかと思ってたから拍子抜けだ。でもこれで百地も小田の人間だ。百地の登用で皆は驚いたようだけど、その後はいつも通りに評定は続いた。さしたる議題も無く、そろそろ終わろうかと思われる頃に久幹が切り出した。
「御屋形様、この真壁、此度はお願いが御座います」
そう言うと久幹は父上の前に進み出て平伏した。その様子に父上が驚いている。勿論、他の皆も同様だ。大名と国人は基本的に対等である。そしてその大名が頼りないと思えば他家に鞍替えする。とてもドライな関係なのだ。だから久幹が父上に平伏する事は本来あり得ない。力の差はあるけど同盟者のようなものであるからだ。国人、地侍が家臣になることを被官と言う。室町時代以降は環境により呼び方は様々である。
父上は久幹の様子に困惑しながら口を開いた。
「真壁殿、そのような事をして如何なされた?」
「小田様、本日はお願いの儀が御座います。某を氏治様の家臣となる事をお許し頂きたいので御座います」
「!!!」
流石の父上も声が出ないようだ。他の人達は口々に驚きの声を挙げている。久幹はそれらに構わず言葉を続けた。
「氏治様のお人柄、そして尋常ならざる才を知り、お仕え致したくなったので御座います。氏治様からは既にお許しを頂きました」
久幹に物凄く褒められているのだけど何だか据わりが悪い。私は現代知識でズルしてるだけの歴オタである。歴史の知識があるだけで大名としての力量は無いと思う。でも小田家が生き延びるには久幹の力は必要なのだ。
「真壁殿、真にそれで良いのか?真壁殿は国人、国人が自ら被官致すなど、この政治は聞いた事が無い」
「氏治様の御器量に惚れました。真壁久幹の主として不足は御座いませぬ。氏治様に誠心誠意お仕え致します」
「真壁殿、領地はどうなる?」
「一部では御座いますが氏治様に献上致しました。残りの領地は褒美として安堵頂けるとのお言葉を頂いて居ります」
「この様な事があるのであろうか?だが、我が子をそこまで見込まれて親としては嬉しく思う。真壁殿、小太郎を御頼み申す」
評定の場は驚きにざわついていた。武力の圧力に寄らない被官はあり得ないからだ。その中で、私に訴えるような視線を送る人達がいる。
手塚石見守、赤松凝淵斉、飯塚美濃守、菅谷政貞。特に政貞は聞いてないと声が聞こえるようだ。彼らは小田四天王と呼ばれる面子である。手塚石見守は弓を得意とする人だ。いい人なんだけど目つきが悪い。赤松凝淵斉と飯塚美濃守は小田家中でも武勇で知られている。いい人なんだけど筋肉自慢がうざい。菅谷政貞は忠義の一族だ。いい人なんだけど口煩い。私はそんな彼等に呼び掛けた。
「手塚、赤松、飯塚、政貞、言いたい事は分かっているからそんな目で見ないで欲しい」
特に手塚!お前だ!目つきが悪すぎて普通に怖いんだよ!
「政貞殿は若殿にお仕えして居りますが、我等も若殿への忠義は誰に劣るものでは御座いません!勝貞殿より河越のお話は聞いて居ります。お仕え致すのを楽しみにして居りましたが、真壁殿に先を越されたような思いで居ります」
飯塚美濃守が責めるように私に訴える。河越の話も大袈裟に伝わっている気がする。きっと勝貞の仕業だ。止めて欲しい。
「お前達まで私の所へ来たら父上が困るでしょ?父上をしっかり支えてくれないと私も困るよ」
「分かって居りますが、ですがなんとも口惜しい」
「私が家督を継いだら存分に働いて貰うよ、それに父上に対して失礼になるよ?皆の気持ちは嬉しく思っているし、私はいつも頼りにしているよ」
小田は家臣に恵まれているとつくづく思う。私の場合お家騒動とか無さそうだし、信長は大変なんだろうな。そして勝貞が凄い目で私を見ている。菅谷一族を差し置いての被官である。勝貞は普通に所領を差し出しそうなので困るのだ。菅谷は小田宗家にとっては特別な一族なのである。だから被官なんてしなくても信頼が揺らぐことはあり得ないのだけど。ちょっと拍子抜けだったけど心配していた百地の仕官も認めて貰えたし、父上も家臣も私に気を遣ってくれたんだと思う。皆にお返し出来るか心配だけど頑張ろう!
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