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第百十九話 北条包囲網 その6

 ―下総国 国府台城 小田氏治―


 勝貞と合流した私達は軍議を開き、情報の共有をした。千葉家の本拠である森山城や支城の占領は問題が無かったそうだけど、香取神宮の宮司が反抗的だったそうだ。史実でも千葉家が度々神領侵犯をして、社の運営も儘ならなくなったそうだから、それも関係しているのかも知れない。


 私は政貞に戦後に父上と相談して小田家の分家から人を選んで香取神宮の宮司にする事を提案した。小田家の一門なら家格もあるし、一族で経営すれば問題も霧散すると考えたのだ。私の提案が過激に聞こえたようで、政貞は渋面を作っていたけど、鹿島で苦労した経験が後押ししたのだろうか、渋々了承した形である。これが巧く行けば香取の海の全ての水運を握ることが出来るのである。


 今回の戦が収束すれば、江戸川と江戸湾の水運も握ることが出来るので、鎌倉時代に宝篋山の極楽寺にいた忍性のように日本一のお金持ちになれる気がする。この水運から上がる銭を使って米や麦を買い占めて、下総や上総の民を救う事が出来るのである。寺社がお酒を飲んだり、豪勢な食事を楽しんだり、女性を買ったりするなら民に分けてしまった方が神様も納得すると思う。香取神宮で巧く行ったら、鹿島神宮にも横展開したいけど、日本三大神社の一つなのでクレームが入る気もする。


 軍議では占領した城に属する村々に物資の配給をしてから小弓城を目指す事に再度決定した。敵軍の動きが全く無いので、何か策でもあるのかと疑ったけど、百地が見張っているから軍勢が動けば迎撃出来るように、鉄砲衆と五千の軍勢は警戒に充てる事にしたのである。


 昼になると私と政貞に百地から報せがあり、昨日の夜に北条氏康が軍勢を率いて河東方面へ出陣したと伝えて来た。ただ、町人や女性や老人に旗だけを持たせた軍勢が幾つもあって、私が使った見せ兵なのではないかと伝えて来た。確かに金剛さんや土岐の兵を使って見せ兵にしたけど、北条氏康も私と同じ発想をしたのだろうか?


 「氏康殿が見せ兵を考えたのかな?確かに今の状況で使えば、今川殿からすれば大軍に見えるだろうね。遠い山や丘に置くだけで背後を突かれる気になるかも知れない」


 実際、山や林などに置かれると見分けが付かないのだ。晴朝に聞いてみた事があるけど、結城勢は全く疑っていなかったと言っていたし、河東の何処で戦をするのかは知らないけど、氏康なら効果的に使いそうな気がする。


 「確たる事は申せませぬが、先の戦を風魔が調べたので御座いましょう。某も御屋形様の兵書で学ぶまでは見せ兵など知りもしませなんだ。氏康公が御屋形様の為さり様を知り、模倣したのではないのかと考えます」


 と百地は言った。そんな事、書いたっけ?と思いながら私は話を続けた。


 「だとしたら光栄かな?私如きの『戦術』をあの氏康殿が模倣するのだから。でも規模が凄いね、徹底すると効果も上がる気がするよ」


 私がそう言うと政貞が口を開いた。


 「侮れぬ御仁で御座いますな。これは今川様も危のう御座いますが、お知らせ致さぬので御座いますか?」


 「政貞、内緒にしてね?私としては義元殿が関東に出て来られても困るんだよね?氏康殿と潰し合って欲しいかな?ただ、何となくだけど氏康殿が勝ちそうな気がする。河越城には綱成殿がいるから、連合軍が河越城を抜けるのか心配だよ」


 史実で私は北条氏康の実力と今川義元の実力も知っている。どちらも英雄の名に恥じない力を持っているのである。私は歴史の知識を元に全体を見るけど、そんな知識の無い政貞達は伝え聞く風聞でしか判断をする事しか出来ない。だから私がやたらと今川家や武田家や北条家を警戒すると不思議そうな顔で見られる事があるのだ。


 この河越の戦もそうである。両上杉家は史実だと北条家に滅ぼされて、現代でのイメージは取るに足らない弱小勢力くらいに思われている。でも実際は領地相応の実力があり、大軍を擁していれば河越くらい落とせる筈なのだ。だけど、私もイメージが先行してしまってどうにも信用が出来ないのである。私の言葉に政貞は腕を組んで思案するようにした。


 「となりますと、我等が武蔵に中入りすれば綱成殿を孤立させる事が出来ますな?氏康殿の援軍が無くば、綱成殿も城を諦めざるを得ないかと考えまする」


 「それはしないよ。小金城と国府台城を見て思ったのだけど、この城は簡単には抜けないと思う。鉄砲衆を使ったら川も渡れないと思うよ?国府台城では足利義明様が川を渡らせてから討ち入ったそうだけど、そういう事をしなければまず落ちないと思う。だからこの国府台城と小金城を守っていれば、氏康殿も手が出せないと思う。尤も、小田家の鉄砲の数も知らないだろうし、戦った事も無いから来たら確実に私達が勝つと思う」


 私は一拍置いて話を続けた。


 「でも中入りはしないけど、中入りしようと見せ掛ける事はする。氏康殿の動きを封じられるようにしたいかな?『情報操作』と『示威行動』も使って動きを制して、河越に行けなくする事が出来ればいいのだけど、やってみないと判らないかな?此度の連合は里見家の都合なのだから、私は兵を無駄に死なせたくない。だから極力氏康殿とは戦わないつもりだよ。上総は獲るけどね?」


 私はなるべく武蔵の戦には関わらないつもりだ。兵を出せば十分だと考えている。つまりは日和見をするんだけど、管領家の為に自国の領民を死なせたくないのである。管領家からすれば協力しない私を非難すると思うけど、関東が荒れたのは管領家の争いのせいなので責任くらいは取って欲しいと思うのだ。


 「ふむ、では小弓城の城攻めは真壁殿に託し、某と父上はこの城に残り、守りを固めまするか?」


 「私も残って百地と『情報操作』したい。久幹には一万の軍勢を任せて上総まで平らげて貰いたいかな?なるべく降す方向で?」


 「承知致しました。では村への施しが終わりましたら軍議を致して詰めまする。それにしても、戦を致しながら民への施しを為さるとは前代未聞で御座います。戦が終われば語り草になりましょう」


 「私達の民になるのだから出来る事はするつもりだよ。特に上総の民は酷い様子だと聞いているから、早く戦を終わらせて安心させてあげたいよ」


 「左様で御座いますな。ですが、此度の戦で土地を得れば五十九万石で御座います。その民を養うとなると相応の銭が掛かりますな。これも頭の痛い事で御座います」


 「所領がまた倍になるね、百二十一万石だよ?安定させたら関東を獲れちゃうね?これ以上仕事が増えるのは私は御免だけど、全部里見殿が悪いと思う」


 「某も同意致します。お役目が増えるばかりで終わりが見えませぬ」


 「私は土浦で手一杯だから押し付けるよ。政貞、そろそろ決めないといけないね?第三軍団を誰に任せるか?」


 ―駿河国 今川義元―


 対北条家の連合軍に加わる事を決めた今川義元は、輿に乗り、一万の軍勢を率いて相模を目指して進軍していた。今川義元が輿に乗るのは今川家は足利将軍家の分家であり、将軍家から特別に輿に乗ることを認められているからである。それは戦場(いくさば)へ行く時も変わらない。戦場に輿で乗り付けるのは自身が将軍家の縁者である事を誇示する事になるのである。


 北条氏康の父である北条氏綱の頃から今川家と北条家は対立しており、河東での戦では苦汁を舐める事もあった。北条家の兵は勇猛であり、過去の戦では敗退する事もあったが、今回の諸国の連合であれば勝ち越す事が出来ると今川義元は見ている。


 この戦では太原雪斎は連れて来ていない。武田家との交流を重視している今川義元は武田家と婚姻関係を結んでいる。それが為に北条氏綱と険悪になり、河東での戦が起こったのであるが、今もその考えは変わらない。今川義元の正室、定恵院が死去し、武田家との縁が切れてしまった為、太原雪斎に命じて今川義元の長女である嶺松院を武田晴信の嫡子である武田義信の正室として嫁がせて、同盟と婚姻関係を結ぶべく交渉させているのである。


 西三河では織田信秀と対立しているが、今は和議を結び停戦している。連合に加わる条件として使者として訪れた正木時茂に織田信秀との和議を求めたのだ。正木時茂は今川義元と織田信秀との間を取り持ち和議を成立させた。よくもあの信秀を口説いたと義元も驚いたが、連合で討ち入れば北条家を弱体化させることが出来るとほくそ笑んだのだ。


 小国である織田家は時間を掛ければ潰せるが、北条家はそうは行かない。この機会を逃さずに北条家の領地を切り取り、あわよくば滅ぼしてしまおうと考えたのである。以前の連合では北条家から河東を割譲するとの条件で失地を回復できると和議を結んだが、今回は一方的に攻める事が出来るのである。


 今川義元は軍勢をゆるりと進軍させた。連合国の決起日が決められているが、なるべく遅くに向かった方が有利と考えたのである。両上杉家と佐竹家に北条氏康が当たっている間に、まずは韮山城を落とすつもりでいたのである。輿に揺られながら相模の統治を夢想していると、早馬が届いたと家来から伝えられた。義元は輿から降りて何事かと聞いてみれば、重臣の一人である岡部親綱から信じられない言葉を聞く事になる。


 「太守様、興国寺城が落城で御座います。更に駿東郡も獲られたと申して居ります。敵は北条氏康だと逃げ帰った兵が申して居ります」


 「戯けが!直ぐに物見を放て。麻呂が直々に取り返してくれるわ!」


 予想外の出来事で激高した義元は岡部親綱に怒鳴りつけるように言い放った。そして馬を引かせて騎乗し、軍勢を急がせて奪われた興国寺城に向かったのである。進軍中に北条勢から逃れて来た兵が合流してきたが、それを見る度に怒りが湧いて来た。そして放った物見が帰って来ると、北条勢は布陣をし、待ち構えていると義元に伝えた。その数を聞いて義元は驚いたのだ。


 「一万五千だと!氏康は全軍を率いて来たと言うのか!」


 公家言葉も忘れて義元はそう言い放った。


 北条氏康が小田氏治に倣い、見せ兵を使っている事を義元は知らない。氏康は見せ兵として集めた民百姓を山や林に置いて、あたかも軍勢がいるように見せ掛けているのだ。氏康も常の戦であれば富士郡まで落としたいところであったが、見せ兵としている民が付いて来れまいと興国寺城の先で布陣をしたのである。氏康は短期決戦で今川義元を打ち破り、河東を獲ってから帰還するつもりでいた。


 氏康が全軍で攻め込んで来るとは予想していなかった義元は常になく狼狽した。兎も角、氏康を追い返し、奪われた興国寺城と駿東郡を取り返さないといけない。だが、軍勢は氏康の方が五千も多いのである。有利な筈の戦が一転して不利な状況になってしまったのだ。義元はこうなっては仕方が無いと、連合軍を当てにした持久戦を取る事に決めたのである。


 ―駿河国 北条氏康―


 興国寺に置いた本陣で風魔小太郎から報告を受けた北条氏康は満足気に頷いて、金子の入った袋を投げ渡した。今川義元はこちらに向かっており、直接対決の姿勢を見せているのだ。ここまでは巧く行ったと内心では胸を撫で下ろしている。氏康のいる本陣には備えの配置を済ませた諸将が続々と集まって来ている。初戦の奇襲が成功した事もあり、諸将の顔色は幾分か明るい。


 氏康は夜の闇に紛れて軍勢を分けて先行させ、興国寺城を瞬く間に落とし、葛山城を落とし、駿東郡を占領する事に成功した。氏康の父である氏綱がかつて行った軍略をそっくりそのままなぞったのである。そして守備の兵を残し、大急ぎで本軍に合流させたのである。


 北条氏康の兵の実数は約一万、風魔から伝えられた今川家の軍勢は同じ一万だと聞いている。同等の戦力での押し合いなら負けない自信がある氏康は、勝ち方によっては駿河の奥まで侵攻すべきか検討していた。半端に勝って義元に戻って来られては困るからである。


 富士郡を落とし、守備の兵を置けば、武田晴信が援軍として駆け付けて来ても守ることが出来る。やはり河東を獲って和睦に持ち込む方が確実かと考えていると、多目元忠が氏康に話し掛けて来た。


 「殿、先ずは一安心と言った所で御座いましょうか?この後の始末が問題で御座いますが、如何なさるおつもりで御座いますか?」


 氏康は組んだ腕を解いて自身の顔にある向こう傷を一撫でした。この傷は北条家中では『氏康傷』と呼ばれ、敵に背を向けず戦をした証として称えられていた。


 「先ずは今川殿の出方を見るしかあるまい。興国寺と駿東郡は獲ったが、これを返して和睦を求めれば今川殿に弱気と見られるであろうな。姻戚であるにも関わらず、何の情も無く討ち入って来たお人だ。このまま和睦を結んだとしても、すぐさま破られる気がしてならぬ。やはり信ずる事が出来ぬお人よ」


 「早めに決着を付けたい所で御座いますな。見せ兵として駆り集めた民百姓も長くは留め置く事が出来ませぬ」


 「分かっておる。見せ兵に対して今川殿が布陣致せば、備えを薄くする事が出来る。やはりこの軍略は使える。小田殿は大したお方だと思わぬか?」


 氏康は見せ兵として置いた軍勢を遠目で見ながら言う。効果があるとは考えていた氏康だったが、実際に見せ兵を置いてみると確信に変わったのだ。あれならば余程近付かないと見破れないだろうし、見せ兵などを使っている事は、敵方からすれば想像も出来ないだろうと考えた。多目元忠はその様子を見て苦笑しながら答えた。


 「左様で御座いますな。此度は小田殿の軍略に助けられそうです。ですが、その小田殿は下総のみならず上総も獲りそうで御座います。我等が今川殿を破ったとしても千葉殿を救う事が出来ませぬが、綱成殿はお助けせねばなりませぬ」


 氏康は多目元忠に視線を動かして悩まし気に言った。


 「問題はそれよ。武蔵を守り切る策が全く浮かばぬ。小田殿が下総と上総を獲り、国府台から中入り致せば我等は武蔵から兵を引き、相模を固めねばならなくなる。いっそ武蔵を明け渡し、駿河を獲った方が良いのではないかとも思える。だが武蔵を失えば集められる軍勢も減る。家臣の多くが所領を失い、この氏康は頼りなき君主と見られよう」


 土地を失った家臣は俸禄で養わなくてはならなくなる。所領が減った上でそれをすれば北条家の力が更に減じる事になる。中には氏康を見限る家臣も出るだろう。そう考えて氏康は嘆息した。

 

 「今川殿が力を減じれば此度のような事態は防げましょう。武田も村上と小笠原との戦が続いて居りますれば、援軍する余裕もありますまい。ですが、豊かな武蔵を手放すのは惜しゅう御座います。先々を考えますればどうにか維持したいところで御座いますが、此度はそうも行きますまい」


 多目元忠は北条氏康の知恵袋の一人として氏康から頼りにされているが、この危機を脱する妙案が浮かばない事に忸怩たる思いに駆られていた。この危急にあって主の助けにならない自分が情けなかった。


 「何れにせよ、今川殿を打ち破ってから検討致す事にしよう。状況が動けば見えて来るものがあるやも知れぬ。其の方の心は存じて居る。その様な顔を致すな。今は合戦の事を考えていればよい」


 北条氏康と今川義元は長きに渡る因縁の延長のような戦に臨む事になる。氏康は河東も河越も自身にとっては縁起の悪い土地なのではないのか?と思わずにいられなかった。

 

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― 新着の感想 ―
民に施しながらの戦 了慶さんが聞いたらますます信仰を深めますね 次に堺に行く時が楽しみです
[良い点] 敵役である氏康の心理にも立ち入っているのが良いですね。 完全に敵に回ってしまったにも関わらず氏治へのリスペクトが失せていないのが垣間見られて、今後の両者の邂逅への期待が否応なく高まります。…
[一言] すいません(汗) 事実誤認してました❕ 一代一度きりなのは徳政令でした。 ま、好きなのには変わりありませんがね。
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