第百十七話 北条包囲網 その4
―下総国 小金城 小田氏治―
小金城に入城した私達は次の行動を決めるべく軍議を開いた。広間に諸将が次々に入って来て腰を下ろす。その中には降ったばかりの高城胤吉もいる。葛飾東部と国府台城を明け渡してくれたし、被官もしてくれたので特別に扱っているのである。
この小金城も良い城だし、城下町も整っていて戦にならなくて良かったと思う。降った後に高城胤吉が乱取りを心配して私に嘆願したのだ。私は小田家の法度で乱暴狼藉と民への無道を厳しく禁じている事を話すと驚いたようである。高城胤吉は私に奪われたにも関わらず、整えた町や村が荒らされない事に安堵したようだけど、こういう人にこそ領地を任せたい。土地からは切り離さざるを得ないけど、彼には城代になって貰うつもりである。私が得た小金城と国府台城の価値がとても高かったのも理由の一つである。
史実を見れば、国人達はその時々で北条家と長尾景虎の間を行ったり来たりするのが関東の歴史である。北条家に付いていた千葉家も例外ではないのだ。そこへ私という所領の安堵を認めない大大名が出て来たから少なくとも下総の国人は土地を手放すしかなくなると思う。高城胤吉が簡単に降伏して来たのは降れば所領を安堵して貰えると確信していたからだと思う。本来それが普通なのだ。
所領を安堵して貰える筈が、小田家では被官しか認めないと知り、そして碌に兵も居ないとなれば降るしか道が無くなるのである。そこに私と政貞で小田家のやり方を説明して説得したのだ。高城胤吉自身も今回の連合で北条家の力が弱まる事は予想していたらしく、また私が千葉家を完全に滅ぼす事を明言したからそれで決心したのだと思う。
高城胤吉は千葉家の内情を話してくれた。小弓城に籠もるのは多くて三千で兵糧の備蓄は掻き集めて十分以上にあるそうだ。里見家との長い抗争で千葉家も軍費を調達する為に年貢の取り立てはかなり厳しく、国衆にも徴発を命じたそうだ。よくも国衆が応じたと思うけど、それだけ原胤清の力が強いのだろう。私が百姓に穀物を配るつもりだと伝えると高城胤吉は泣いてしまったのだ。家を保つ為に民に負担を掛けていた事が心苦しかったと彼は言った。
そして次の目標は小弓城になるので、軍議では小弓城の攻略が議論された。諸将から次々に提案と発言があり、政貞はそれを聞いて戦略を煮詰めていく。今の小田家の軍議の殆どは車座になって行われる。中央に大きな地図を置いて頭を突き合わせて考えるのだ。勿論私もその輪に加わっているし、新参の高城胤吉もそうだ。ただ、凄く戸惑っていたのが印象的だった。
でもこの車座、輪を少しでも小さくする為に皆が寄り添う形になるのだけど、今回の車座では赤松と政貞が私の両脇に居て、赤松の体温が異常に高いのか、熱気が私に伝わって来る。ていうか、暑苦しいのである。小田家も千葉家も関東八屋形の一つである。格が重んじられるのが当然なのだけど、意見を出し合う軍議で格は必要無いと私が提案したのである。距離も近いから話しやすいし、私の性格を重臣は知っているから特に反対もされなかったのである。
「小弓城まではまだ支城が幾つか御座いますが、この軍勢であれば落とすのは容易いでしょうな。皆様の意見の多くは金山城と国府台城を固めて侵攻致すで御座いますな?」
政貞がそう統括すると野中が発言した。
「それもよう御座いますが、国府台城を拠点と致し、印旛沼から西を制した方が後の面倒が御座いませぬ。当家は一早く下総に討ち入りましたが、連合致した他の軍勢は未だ兵を集めて居ります。出陣にはもう一日を要し、軍勢が発するのは更に次の日で御座います。慌てる必要も無いと思われますので、先ずは周辺を固めるべきかと存じます」
確かに野中の言う通りだと思う。皆は上総に攻め入りたいから侵攻を主張しているけど、野中や矢代、岡見、沼尻は沈黙していたから多分、野中の意見と同じなのだろう。こうして見ると武闘派と穏健派みたいな感じに見える。ちなみに武闘派の筈の赤松は沈黙している。きっと調略をしたいに違いない。そう考えていると政貞から意見を求められた。
「私は野中の案に賛成かな?慌てる必要が無いんだよ。氏康殿は今川殿と戦をするようだけど、武蔵に出て来るまで時が掛かる筈。その頃には連合した軍勢が河越を落とすなり侵攻しているから、氏康殿が向かうとすれば上杉様だと思う。武蔵を諦めて和議の可能性もあるけど、私達は国府台城と小金城に鉄砲衆を置けばまず抜かれない。ならば支城を確実に押さえて侵攻した方が野中の言う通り後の面倒が無くなるよ。私は国府台城を拠点にして、支城を降した方がいいと思う。勝貞もこちらに向かって侵攻しているし、合流してからでいいと思うよ?」
私がそう言うと遠慮がちに高城胤吉が発言した。
「で、あれば、某がお役に立てるかと存じます。功を求めるつもりは御座いませぬが、某が国人を降して参ります。兵は原胤清殿の元に集められて居りますれば、千葉の支城はもぬけの殻同然で御座います。今や千葉家と北条家は亡国の危機、それを説けば降るしか無いと諦めましょう」
高城胤吉の言葉を聞いて政貞が口を開いた。
「某も野中殿の意見に賛成で御座います。高城殿のご助力があるのであれば、国人も抵抗は致さぬでしょう。御屋形様、如何で御座いましょうか?」
「久幹が残念そうな顔をしているけど、此度は野中の案で行こう。民に食料を配りたいからゆるりでいいよ。皆も早く小弓城に行きたいなら支城を落として、民に食料を振舞うといいよ。でも、皆は焦り過ぎだから反省して欲しい。少しの油断で戦に負ける事は歴史では幾らでもあるのだからね?」
久幹は後ろ頭を掻きながらバツが悪そうな顔をした。
「承知して居ります。ですが、上総が獲れるのであれば欲も掻き申す。里見殿をお救いする事も出来ましょうし、正木殿も安堵する事が出来まする」
「この戦がどんな終わり方をするのか判らないけど、下総の統治は久幹がするんだよ?じっくり固めれば久幹が楽をする事が出来るのだから、一緒に苦労する事になる野中が言うのも解るよ。兎も角、今言ったようにお願いね?差配は政貞に一任する。私は村を慰撫して回るから護衛を貰えればそれでいいよ」
「承知致しました。御止めしても行かれるので御座いましょうから御止めは致しませぬが、軍勢は率いて頂きます。獲ったばかりの領地で御座いますから、御身大事はお忘れなく」
こうして軍議は終了し、明日からは調略と民の慰撫をする事になった。私は桔梗と次郎丸を連れて用意された部屋で休む事にした。政貞達は明日の分担を決める為に残ったようだ。
次の日になると、私は国府台城に拠点を移した。そして黒鍬衆の福池順次を呼び出して食料の配給先を決めて、護衛の兵をつけて各地に派遣したのだ。補給物資は豊島家から奪った松虫城と長沼城に備蓄しているので使い切っても問題無しである。配るのはお米ではなく安価な麦などの穀物だけど、農民にとっては助けになる筈である。戦国時代ではあり得ない行動だけど、現代の軍隊は普通にしている事である。出来ない筈が無いと私は頑張るつもりである。
私は百地と赤松に五百の軍勢と百の桔梗の鉄砲衆、物資を持つ黒鍬衆引き連れて、近場の村から回り始めた。次郎丸を連れているので村人は怯えたし、軍勢を引き連れているので乱取りと勘違いされて逃げ出す人が続出したのだ。私は赤松に頼んで村人を連れて来て貰い、事情を説明して貰った。
赤松曰く、全く信用してくれないそうなので、取り敢えず物資を広げて配給を始めた。最初は遠巻きに見ていた村人だけど、乱暴な事を全くしない事が分かったらしく、列を作って配給を受け始めた。私は村長を呼び出して、周辺の村に穀物の施しをする事を説明し、村々にこの事を伝えて欲しいとお願いした。
村長が泣いてしまって私と赤松は戸惑ったけど、どうにか配給を終わらせて次の村に向かったのだ。念のために今度は先触れも出しての配給である。どこの村も貧しくて、痩せた人ばかりなのが気になった。千葉家は里見家と長い抗争をしているから容赦無く年貢を取り立てたのだと思う。城下町ではこのような事が無かったので、百姓だけが搾取の標的なのだろう。それが当たり前の時代だから悪いとは言わないけど、この様子だと上総も同様なのではないのかと不安になった。
黒鍬衆が食料の配給をしている所を眺めていたら、百地が私に話し掛けて来た。
「この村人達を見ていますと、伊賀や京の町を思い出しました。我等は御屋形様から十分な土地を頂き、俸禄まで与えられて居ります。飢えとは無縁になり、贅沢まで致して居ります。この下総の民人達も、今少しの辛抱で食えるようになりますが、世にはまだまだ苦しむ者が多く居るのでしょうな」
百地は腕を組み、村の広場を見回した。私も釣られて眺め見る。十二の時に堺へ行く途中で伊賀や京に立ち寄った時に見た光景を思い出した。特に京を見た時はあまりの荒れように気落ちしてしまった記憶がある。
「私に出来る事はするつもりだけど、結局は自国の民しか救ってあげられないんだよね?他国に施したとしても年貢として奪われるだけだし、それを使って戦をするのだから武士は救いようがない悪人にも思えるよ。私達は民百姓から奪って生きているのだから、せめて守ってあげないといけないよね?」
私は百地を見上げて同意を求めるように言った。百地は私に視線を落とした。
「左様で御座いますな。上総も惨いものだと手の者が申して居りましたが、いっそ上総を平らげ民人を救うてみるのも宜しいかと存じます。御屋形様の御心に叶う筈で御座いますから」
「やっぱり上総も酷いんだ?」
「上総は戦が長ごう御座いました。乱取りに次ぐ乱取りで田畑が荒れ果て収穫も儘ならないと聞いて居ります。田畑に蒔く種籾があるかも怪しいとも?」
「ここよりも酷いなら何とかしてあげたいと思うけど、千葉を降したら考えてみるよ。商家の拠点に貯めているお米を全部使う事になるかもね?あまり領地が増えると統治が大変だから嫌なのだけど、苦しむ人がいるなら仕方が無いか。でも、百地に上総を獲るように唆されるとは思わなかったよ」
「上総の東は千葉家が押さえて居ります。その他は土岐家や真里谷家が分け合っているようで御座います。千葉を降せば上総半国、残りは小さな国人で御座いますから獲るのは容易いかと。土岐家や真里谷家を残せば戦の火種を残します故、平らげた方が宜しゅう御座います。安房の里見様を降すのも一興で御座いますな。知勇兼備の勇将とはいえ、民人を苦しめている事に変わりは御座いません。当家とは特に強き縁も御座いませんので遠慮は無用かと」
私と謀略などでよく話をするせいか、最近の百地は政治寄りの考えを発言する事が多くなっている。以前は忍びが政に口を出す事はあってはならないと言っていたけど、小田家に来て私と行動を共にするようになって、彼なりに考える事があったのだと思う。百地は根が善良で優しいし、過去の苦労もあったから民に寄った考え方をする。私はそう思いながら口を開いた。
「正木殿に義理が立たないから里見家は獲れないよ。でも分かった、上総を獲ろう。百地、城に帰ったら商家の拠点にお米と穀物なら何でも良いから買い付けを徹底させて欲しい。上総を獲ったなら来年は年貢を免除しないと保たないと思うし、買い付けた米を配ってあげないと皆死んでしまいそうだよ」
「承知致しました。城に戻り次第下知を致します」
百地は微笑みながらそう言った。
「一つ問題があるんだよね?上総を獲ったとしても誰に任せようか?百地がやってみる?」
百地は政に合っていると思う。小田家は軍団長が頂点になって担当地域の統括をして土地を治めるけど、百地なら問題無くやってしまいそうな気がする。でも、百地は諜報部のトップだから断るだろうなと思いながら聞いてみた。
「それはご勘弁を。某は御屋形様と悪巧み致す方が性に合って居ります」
百地はそう言うとニヤリと笑った。まぁ、私も百地と謀略を練るのが実はかなり楽しい。上総の軍団長は他の人に任せるしかないかな?そして、私は上総獲りを決意した。この際、武蔵への討ち入りは遅れても構わないと思う。まずは苦しんでいる人々を優先する事に決めたのだ。




