第百十六話 北条包囲網 その3
―下総国 小金城 小田氏治―
軍勢を引き連れた私はその日の夕方に小金城を視界に納めた。小金城は規模が大きくて、多くの郭を備えていている平山城である。この辺りでは一番大きい城だろう。城下町も整備されているように見えるし、戦で荒らさないように注意しないといけない。
久幹と政貞が次々に伝令を飛ばして諸将に指示をする。私は愛洲を呼んで、次郎丸と一緒に私の護衛をするように命じた。今回の戦では愛洲には護衛に徹して貰うつもりである。戦が決まると愛洲から要求されたので私が受け入れた形だ。北条家には風魔衆がいるので、腕の立つ愛洲は護衛に最適である。居眠りしなければ。
小田家の軍勢は小金城を包囲すべく布陣を開始した。包囲が完成すると本陣で軍議を行う事になった。軍議の場では他に降伏した城の扱いも相談される。軍議には黒鍬衆の福池順次も参加していて、補給の状況を諸将に伝えていた。順次は小田邑の豪農の次男坊で、私とは顔見知りである。黒鍬衆を立ち上げた時に声を掛けたら引き受けてくれたので、私は武士の身分を与えて黒鍬衆を任せたのだ。最初は三十人くらいから始まった黒鍬衆だけど、今では五百人に増えている。何れも農家の三男、四男や女性でも出来る仕事なので自立したい農家の人々が黒鍬衆に参加しているのだ。
勝貞の軍勢は鹿島から渡河を終えて、小見川城と森山城の奪取に成功したと伝えて来た。五千の兵の渡河なので、千葉勢に気取られたらしく、当主である千葉親胤は取り逃がしたそうだ。千葉家も背後から軍勢が来るとは思っていなかったらしく、城自体は簡単に落とせたと伝えて来た。政貞は勝貞に計画通り周辺の城を抑えるように命じたのだ。
私は百地に頼んで、小田家が一万五千の大軍で攻め込んで来ている事と北条家の援軍は来ない事や連合軍が迫っている事を吹聴して貰っている。戦意を喪失して貰うのが目的である。
千葉家が本拠にしている下総は現代の千葉県だけど、この時代は現代人がイメージする千葉県と違ってかなり狭い。香取の海もあるし、川と沼が多く、大きな島のような地域もあって埋め立てが進んだ現代とは違う姿を晒しているのだ。内陸にある古河や結城が何故下総なのだろうと前世で不思議に思った事があるけど、川が地域を分断しているので下総は独特の形をしているのだ。だから石高も意外に少ないのである。その代わりに商業が盛んで、香取の海や川や沼を使った物流が盛んである。
私が国府台に進軍しているのは江戸川沿いに支城があり、江戸湾に向かって進めば前線を支える主要な城が獲れるからである。内側の城は降伏させれば良いし、兵も少ないので獲った城に守備兵を置けば手出しも出来ないのだ。
軍議では小金城の城主、高城胤吉に使者を送り、降伏を促す事になった。降伏の使者には赤松が選ばれて、皆で送り出そうとした所で小金城の城門が開いて使者らしき者が出て来たと家来が報せて来た。私は赤松の派遣を一旦止めて、使者を待つ事にした。
「大軍って凄いよね。手薄な所に攻め込んだせいもあるだろうけど、囲うだけで城を落とせる気がする。この調子で行くなら血が流れる事も無いし、私も気楽なんだけどね」
私がそう言うと矢代が答えた。
「某は一万の軍勢に囲まれた事は御座いませんが、己であればと思うと良い気はしませんな。この様子だと此度の戦は武功を挙げる機会が少なそうで御座います」
矢代が言うと赤松が続いた。
「ですが、血を流さない事に越した事は御座いませぬ。御屋形様の意にも叶い申す」
赤松も中々いい事を言う。ちょっと前は飯塚と武功、武功と言っていたけど殊勝な態度である。でも私は騙されない。口の巧い赤松に使者の任が増えるから言っているに決まっている。使者は危険な役目なのに嬉々として行くのだから恐ろしい。もう少し慎重になって欲しい。勝貞に付けた飯塚はどうしているだろうか?
皆が雑談している。戦なのにこの余裕は良くないとは思うけど、下準備もしているし、今川に北条が当たる事も判っているし、千葉家の戦力が少ない事も判っている。百地が監視をしているとなれば仕方ないか。でも、きっと北条氏康は今川義元と和睦して取って返してくると思う。そこからが本当の戦になると思う。暫くすると小金城の使者が本陣にやって来た。次郎丸を見て一様に驚いていたので宥めてからの会見となった。使者は高城胤吉と高城胤辰と名乗った。
現代の歴史好きから見るとマイナーな人だけど、葛飾郡東部一帯を支配している国人である。小金城と城下町を見る限り優秀な人だと思われる。高城胤吉は開城の条件として所領の安堵を申し出て来た。長尾景虎の北条征伐の記録を見る限り、この親子は素直に降っている。そして北条が戻って来ると直ぐに北条方に付いている。でも、そうしないと家が滅びるのだから仕方ないのだ。誰も好き好んで大国の組下に入る訳では無いのである。
私は高城胤吉に俸禄で仕えるか、戦をするか選択を迫った。高城胤吉は苦悩したようだけど、私は北条家と千葉家の劣勢を説き、高城胤吉は俸禄で仕える事に同意したのである。そして高城胤吉の管轄である国府台城も手に入れる事が出来た。国府台城の城主が史実とは違うようだけど、北条家の未来が変わったのだろうと考えた。ここに北条家の将が詰めていなかったのは僥倖である。一戦は覚悟していたけど、無傷で城が手に入れば補修の必要も無く、鉄砲衆を置けば早々抜かれる心配も無いのだ。直ぐに城の接収作業が開始され、暗くなった頃に私は小金城に入城したのだ。そしてまた軍議である。
―上野国 平井城 正木時茂―
小田氏治が小金城を降し、軍議を始めた頃、正木時茂は上杉憲政から前祝いと称する宴席に招かれていた。槍大膳と称される正木時茂は山内上杉家から丁重な扱いを受けていた。この名声もあって今回の連合を立ち上げる事が出来たのではあるが、戦の前から弛緩している上杉憲政の様子に嘆息した。
正木時茂の元には弟の正木時忠から早馬が届き、久留里城の落城が知らされていた。それを聞いた時は飛び出して行きたい気持であったが、まだ望みはあると己を戒めたのだ。そして続報としてやって来た次の早馬では主君である里見義堯は安房に逃げ延びたと報せて来たのだ。それを聞いた時は心底安堵したものだった。
だが、久留里城を失ったという事は上総を平定するどころか、取り返す事も出来ないのではないのかと考えた。城が落とされたという事は兵をも失うのだ。安房の石高は四万五千石、長く続いた戦で人は減り、兵糧の貯えも少なく、とても上総へ出陣出来ないのではないかと考えた。
小田家で相対した真壁久幹と菅谷勝貞の顔がチラついた。両者共に上総への侵攻に意欲的であったので、このまま行くと下総だけでなく、上総の全てを平らげるのではないかと考えた。そうなれば里見家は領土を広げる事が不可能になり、いずれは小田家に降るしかなくなるのではないかと不安になった。
連合を立ち上げた事自体は間違ってはいない。現に北条家が攻勢を強め、連合無くしては里見家は確実に滅ぶと思われた。間違いがあるとすれば連合の立ち上げに時を掛け過ぎた事である。遠因は小田氏治に策を見破られた事ではあるが、こうなると多少の恨み言を言いたくなる気持ちになった。
上杉憲政から酒杯を受け取り、己の不安を打ち消したくて一気に呷ったのだ。「お見事!」と能天気に笑う上杉憲政を憎らしく思うが、力を借りねば里見家は滅ぶしかないのだ。正木時茂の様子を見て、山内上杉家の重臣の一人である長野業正は無理も無いと同情した。
上杉家中ではあるが、正木時茂は長野業正と交友があり、流石に里見家の謀略だとは言えなかったが、現在の里見家の状況を長野業正だけには伝えていたのだ。一度信じると明け透けになる正木時茂を長野業正は気に入って居り、何とか手助けしたいと考えていた。
酒宴が続き、皆がしたたかに酔って来たのを見計らって長野業正は酒と酒盃を手に持ち、正木時茂に目配せして人のいない縁側に誘って腰を下ろし話し掛けた。兵の集まり具合や兵糧の用意など、出陣にはあと一日掛かるであろうと伝えたのだ。正木時茂は長野業正の気遣いに感謝をし、更に続報として伝えられた小田氏治の戦況を話したのだ。それを聞いた長野業正は感心したように言う。
「小田様は大した弓取りと見た。まだお若き姫君だと聞いて居るが、軍勢を整えられ真っ先に攻め込まれるとは。北条が今川に当たるのを見越しての振舞いであろうが、胆力も御有りになるようだ」
長野業正から酒杯を出すよう促され、杯を差し出しながら正木時茂は答えた。
「小田様は一万五千の大軍を御出しになりました。下総は草刈り場になりましよう。長野殿もお会いすれば解ると思われますが、かの御仁は只人では御座いません。先の戦も見事で御座いましたが、政も見事という他ありませぬ。この大戦で更に名を挙げると某は見て居ります」
「槍大膳にそこまで言わせるとは、小田様も大した御仁で居られる。お会い致すのが楽しみではある。だが、此度の戦も先の河越のように慢心してはどうなるか判らぬ」
そう言って長野業正は杯を傾けた。
「あの戦は惨う御座いました。しかし、陣中に遊女を呼び、酒を喰ろうては勝てる戦も勝てませぬ。それが為の此度の包囲で御座いますれば、油断さえ無ければ武蔵を切り取れましょう。ですが当家は・・・」
最後まで言い切らずに正木時茂は口を噤んだ。
「正木殿、里見義堯殿が御存命である事が何より大事。小田殿が討ち入ったのであれば千葉家も守りに兵を回すしかあるまい。土地を奪われたのは口惜しいであろうが、家臣は主君が大事。それが解らぬ正木殿ではあるまい?」
「左様で御座いました。ですが、もっと早うに連合致して居ればと考えてしまうので御座います。己の未熟故に里見が領土を減じる事になり申した。恐らく、上総は小田様が獲りましょう。さすれば失地回復とは参りませぬ。安房は四万五千石、三十万石あった所領が四万五千に減じると思うと義堯様に合わせる顔が御座いませぬ」
「正木殿はそう申されるが、上総は三十九万石であったか?容易く切り取れるものでもなかろうて。小田殿と挟み討てば勝機があるのではなかろうか?」
「それなので御座いますが、上総は戦続きで民も疲弊して居ります。千葉も碌に兵を集める事は叶わないでしょう。当家の安房も同様に御座います。戦が長過ぎました。兵も兵糧も集まらぬと見て居ります。小田殿が千葉宗家を降せば、国人は皆従うでしょう」
正木時茂の言葉を聞いた長野業正は何も言えなくなってしまった。それ程に苛烈な戦をしていたとは思っていなかったのである。確かに三十万石を誇った家が衰えてはグチの一つも言いたくなるだろう。とは言っても小田氏治が土地を獲れば里見に返す義理も無いのである。武士が血を流して土地を獲れば、次は命を懸けて守るのが当然だ。
沈黙してしまった正木時茂の様子を気にしながら長野業正も無言で酒杯を傾ける。正木時茂は不安を紛らわすかのように酒杯を空けるのであった。
毎回、言い訳のように書いていますが、戦の表現が苦手です。お見苦しい所が多々あると思われますがご容赦ください。今回は対北条家、千葉家ですが、私自身が千葉家を詳しく知らないので、あまりに惨い点がありましたら修正しようと考えています。この戦パートも現在17話を執筆している所です。かつて無い長いパートになり、辻褄合わせで冷や汗をかいています。正直申しますと、戦のパートは書き易くもあります。ですが、登場人物も多くなり、個性を出すのがとても難しいです。淡々と書き進める事は出来ますが、その文章が面白いかは別の話であり、自分で何度も見返しても今ひとつ納得が出来ないと言った感じです。なんとか書き上げたいものです。最後に、宜しければブックマーク登録をお願い致します。




