第百十四話 北条包囲網 その1
顔色を悪くした正木時茂が退席すると、私達はそのまま軍議に入る事になった。里見家に上総を獲らせてあげてもいい気がするけど、組織が大きくなっているので私も我侭を言い難い。里見家は久留里城まで押し込まれていると百地から報告があったけど、反攻する体力はあるのだろうか?
それにしても大軍を持つというのは凄い。今まではどんぐりの背比べで戦をしていたけど、圧倒的な戦力があると戦が簡単に思えてしまうから不思議である。史実では北条家が北関東を草刈場にしたと伝わっているけど、その気持ちが分かる気がする。久幹が言うように今回は背と脇には義昭殿がいるから小田家は前に軍勢を繰り出すだけである。これで勝てない方がおかしいのだ。
史実の信長が五畿を制圧してからはワンサイドゲームになったけど、小田家も頑張れば出来そうな感じになっている。ただ、相手は北条氏康なので油断は絶対に出来ない。きっと奇襲を考える筈である。とは言っても河東から来る今川義元に全力を出さないと詰むから下総を獲るだけなら割と安心かも知れない。
地図が用意され、軍議が始まると早速とばかりに久幹が発言した。
「諸将も先程の話を聞かれたと存じますが、此度の戦では下総と上総の一部を切り取りたいと考えて居ります」
久幹がそう言うと地図上に扇子を動かしながら勝貞が続ける。
「御屋形様が御指示なされた桟橋に船も多く造って居る。軍勢を二手、三手に分けて討ち入るのが宜しかろう。鹿島に府川、金野井から討ち入り致せばさして時も掛からず平定出来よう」
「父上、豊島家は如何致すので御座いましょうか?」
「此度は無視しても構わぬとも思うが、戦が始まる前に使者を出し、降した方が良いかも知れぬ。大台、松虫、長沼を獲れば兵糧と軍勢を入れる事が出来よう。さすれば、戦も更に有利になる。御屋形様、如何で御座いましょうか?」
「う~ん、橋頭保を作れるのはいいと思う。使者を出すなら軍勢ごと行くといいよ。戦は十月だし、粘られても困るよね?降ったら川幅の狭い所に橋を掛ければ軍勢も通れるし物資も搬入出来る。こんな所かな?」
「で、あれば、この勝貞が行って参りましょう。道も整備致しましたのでついでに試して参ります」
「政貞はそれでいい?」
「よう御座います。して、下総攻めで御座いますが、兵は一万五千居りますので三手に分けて五千ずつで御座いましょうか?」
政貞がそう言うと顎をさすりながら久幹が答える。
「そうで御座いますな。勝貞殿が鹿島から、某が府川から、政貞殿が金野井からで如何で御座いましょうか?本音を申せば某は鹿島から千葉家の本拠である森山を獲り、そのまま上総まで攻め上がりたい所で御座います」
「久幹、欲張らない方がいいよ?私は国府台を獲るのが先決だと思うよ?北条の援軍が来たら『各個撃破』されるよ?」
「そうで御座いました。敵を甘く見てはいけませんな。氏康殿と綱成殿が要注意でしたな。ですが、これ程の大軍を率いるとなると興奮致しますな」
新領地の統治で泣きそうになっていたくせに、戦になると直ぐこれである。下総の残り二十三万石を獲ったら久幹に統治させよう。いつまで待ってもジャンク船を贈ってくれない罰である。でも、江戸湾を確保出来たらジャンク船が欲しいな。いけない、今は戦の戦略を練らないと。
「千葉家の御当主の親胤殿はまだ幼少で、実権は原胤清殿が握っているんだよね?なら森山城で親胤殿を捕らえて、小弓城で原胤清殿を捕らえれば降るしか無いと思うけど?千葉家も武蔵と上総の国境に兵を分けているし、一万五千の軍勢が攻めて来たら降ると思うんだよね?」
私がそう言うと政貞が口を開いた。
「『各個撃破』は兵法の基本で御座います。各々方、努々お忘れなきように。某が見まするに原胤清殿が千葉家で権勢を振るっていると聞いて居りますので、原胤清殿を降すのが早道かと存じます。某が提案致しますのは父上が鹿島から五千、真壁殿と某で一万の軍勢で金野井から国府台に進軍致すのが宜しいかと?国府台は要衝で御座いますから抑えねば安堵出来ませぬ。然る後に小弓城へ向かいますれば良いかと存じます」
「勝貞はどうするの?」
「父上には森山城を落とし、周辺の支城を抑えて頂きます。特に香取神宮は抑えねば地侍共を使って何を致すか判りませぬ。某、鹿島の統治で随分と苦労致しました」
ふむ、政貞の案の方が安全そうだ。里見家との競争なんてしない方がいいし、勝貞と久幹に無茶させない方がいいだろう。国府台城を獲れば江戸川を挟んで守りやすいし、北条の援軍があれば迎撃できる。
尤も、北条氏康は千葉家を見捨てざるを得ないんじゃないかな?今川義元の迎撃に力を入れないといけないし、もしかしたら兵力を集めて小田原に籠もる可能性もあるけど、そうすると領土が好きに切り取られるだけだからそれは無さそうだ。本拠地である伊豆を今川に獲られたら取り返せないだろうし?香取神宮は勝貞にさらりと神領侵犯して貰って小田家は甘くない事を知らしめて欲しい。最初から保護すると呆れる程、舐められるから必要な事である。社の運営分以外は水利権も取り上げないといけない。
「政貞の案で行く。勝貞は香取神宮に舐められないように対応してくれる?最初が肝心だから厳しくお願い。水利権は取り上げるからそのつもりで。水利権は菅谷の水軍が握るんだよ?宮司が反抗的なら首をすげ替えてね。神様より銭が大切な人は要らないからお願いね。勝貞も久幹も此度の戦から先陣は禁じるからね?大将として軍勢を勝たせる事を手柄とするから気を付けるように」
私は続けて百地に指示を出す。
「百地は此度も敵の軍勢の監視に力を入れて欲しい。軍勢を監視していれば奇襲も防げるから大役だよ?それと商家の拠点を使って穀物の買い付けをお願い。下総も戦続きで民が疲弊しているから獲った後に食料を配りたい。それと、鷹丸に忍びを何人か付けて義昭殿に力を貸してあげて欲しい。分かれてしまうからこちらの情報も逐一伝えてね」
私が大まかな戦略を指示して、その後は軍勢の割り当てを検討していく。鉄砲は九百丁に増えているので、北条家との単独決戦も可能である。小田家は勝ち戦が続いているので油断しない事を厳しく注意した。そして各々が戦の準備をして行く事になる。
九月の半ばになり、いよいよ戦が近くなって来た。私は義昭殿の太田城に出向き、今回の戦の相談をした。義昭殿は四千の兵を出すそうだ。白河結城家と岩城家への備えもあるから妥当な数だとは思うけど、報酬が兵糧だけな事に不満があるようだ。私が下総の切り取り勝手だから差が激しい。でも関東管領の支援となると中々断れないのが現状である。
私は義昭殿に鷹丸を始めとする忍びの貸与を申し出た。義昭殿は百地を知っているので快く受けてくれたのである。話が終わると義昭殿に誘われて久慈に建設している町を見に行く事になった。私は喜んで承諾し、義昭殿と政の話をしながら久慈の町に向かった。
義昭殿の苦労話を聞きながら久慈の町に到着すると空堀が既に掘られていて、区画整理を行っているようだった。あちこちに仮小屋が建てられていて、波止場の建設に人を割いているように見えた。ゼロから町を造るのだから大変だと思うけど、ここに町が出来れば人の多い太田城との物流も始まるだろうし、東北との交易も出来るようになる。東北の交易品は魚介の乾物が多いけど、利益が出易い物が多いのである。
米があまり採れない東北では当然需要があるので米を転がして儲けを出す事も出来るのだ。義昭殿と商売の話をして楽しく時を過ごした。そして小田城に帰ると長尾景虎から文が届いて驚いたのである。まさか、今回の戦に参加でもするのだろうか?と考えながら文を読んだけど杞憂だったようだ。
私が以前、珍陀酒を贈った事があるけど、文面を読むと珍陀酒のお代わりが欲しいらしい。物凄く遠回しな言い方で書かれているけど、素直に欲しいと書いたらいいのにと思う。多分、これが長尾景虎の性格なのだろう。確か血液型はAB型で、血液型占いだと性格は二重人格である。機会があれば越後に行って観察しよう。
お土産に大量の青苧を貰ったけど、正直多過ぎて引いたのだ。でも、長尾景虎と仲良くしていれば戦も回避出来そうなので、珍陀酒を贈る事にした。ついでに熟成中のブランデーもどきを一瓶付ける事にした。とても強いお酒だから水で割って飲むように文にも認めて送ったのである。ついでに塩を肴にお酒を飲むのは身体に良くない事も記しておく。
この時期の長尾景虎は越後を統一したばかりだから、現代人が知る軍神と呼ぶような人はいないし、恐れる人もいない。史実だと信濃に出兵するのは来年だけど、今も村上義清や小笠原長時は健在なので川中島の合戦は起きそうにない。私と百地が暗躍しているので、武田晴信も動きに精彩が無いのである。今年も米の買い付けは続行するけど、今回も全ての拠点で買い占めをするつもりである。北条家、今川家、武田家に安価な米は買わせないつもりなのだ。お米の転売は本当に儲かるので、私の懐も温かいのである。
勝貞が降して来た豊島家の城の拠点化も進んでいる。戦で使う兵糧は勿論、今回は穀物を大量に運び込んでいる。纏まった数の城を獲る毎に民を慰撫する計画である。その活動は黒鍬衆が担当する事になっているのだ。これは統治の効率を良くする為だけど、大軍で討ち入るからこそ出来る事でもあるのだ。ギリギリの戦をしていたらそんな余裕は無いのである。
そして準備が整い、出陣の朝を迎えたのだ。軍勢は金野井城に既に集結している。一万人の人馬の喧騒は凄いもので、どこを見ても人である。八万石からスタートした小田宗家だけど、この私が一万もの軍勢を率いているなんて今一つ実感が持てなかった。それは政貞や久幹も同様らしく、お互いに少し興奮していた。
「まさか、本日に御出陣なさるとは思いませなんだ。上杉朝定様も上杉憲政も本日の朝に陣触れ致しますと言うのに」
私の傍らで軍勢を眺めていた正木時忠が呆れたように言った。正木時忠は正木時茂の弟で、連合軍の連絡役として参陣している。正木時茂は本隊になるであろう、両上杉と義昭殿の軍勢と行動を共にするそうだ。でも、現在進行形で里見義堯がピンチの筈なんだけど放っておいて良いのだろうか?
「正木殿、この様な事を申すのは何ですが、里見義堯様は大事無いのですか?本拠である久留里城で戦していると聞いていますが?」
正木時忠は苦そうな顔をした。そして政貞と久幹に聞かれない様に私に小声で言う。
「小田様は御存じと兄上から聞いて居りますので正直に申し上げれば、今すぐにでも引き返したく思って居ります。ですが、連合軍が動いてくれませぬと当家は滅びまする。小田様の素早さには驚き申したが、この軍勢であれば北条も千葉も真里谷も兵を戻すかも知れませぬ。願わくば急ぎ討ち入って頂きたく存じます」
「事情は承知していますが、相手はあの氏康公です。しっかりと詰めて行かないと何処で足元を掬われるか判らないのです。先ずは国府台城を制圧して守りを固めます。当家の軍勢が迫っている事は直ぐに知れるでしょうから、久留里城から敵勢が手を引くのを期待するしかありませんね。当家の百地に久留里城を見張らせますから、報せが来れば正木殿にもお伝えしますね?」
「それは有難い申し出で御座います。当家も人を配して居りますが、多ければ多い程よう御座います。忝い」
私が正木時忠と話をしていると、政貞から出発すると伝えられた。私は馬に跨り、次郎丸を伴って、昇る朝日に照らされながら出陣の指示を出した。
先陣を任せた野中と平塚が飛び出すように軍勢を率いて出発した。野中は木野崎城、平塚は山崎城の攻略を先んじて行って貰うのである。どちらも金野井城からは近い城である。私は残りの軍勢を引き連れて最初の目的地である山崎城に向かったのだ。
お読み頂き有難うございます。当小説ではあまり評価等を求めて来なかったのですが、昨日の投稿時に偶にはいいだろうと、評価とレビューを皆様に催促してみました。そうしましたらポイントが多く入り、また、伸び悩んでいたユーザー数が激増して日間一位を取る事が出来ました。特にレビューの効果だと思われますが、アクセス数が六千人ほど一気に増えて驚いた次第です。何気に一位を取るのは初めての事なのでとても嬉しく思います。ポイントを下さった皆様、わざわざアカウントを取得してまでレビューを書いて下さった「かぶきあげ様」に心から感謝いたします。また、いつも誤字修正をして下さる皆様にもこの場を借りてお礼申し上げます。氏子から伝言です「もっとポイントとレビューを貰ってもいいんだよ?」と申しております。日間とは言え、得難い体験をさせてもらいました事を感謝申し上げます。




