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第百十話 千宗易抹殺計画 その10


 氏治が開催した茶会は堺の重鎮達をして唸らせ、絶賛させた。だが、肝心の千宗易が一言も言葉を発さない事に氏治は疑問を持った。千宗易の反応を見たくて了慶に依頼して呼んでもらったのだ。このままでは何も情報を得られずに終わりそうである。氏治は情報を得る為に千宗易に質問をした。


 「宗易殿は私の新しい茶の湯をどうお考えですか?先程から何も仰らないので気になっているのです」


 氏治に問われた宗易は返答に窮した。自分まで絶賛するのは都合が悪い。何とかケチを付けられないかと考えた。この紅茶は侘び茶の敵である。そしてこの娘も同様だ。田舎大名如きに自分の侘び茶が潰されてたまるものかと考えた。


 「悪くは御座いませぬが、この宗易には些か(うるさ)く感じます。氏治様は新しき茶の湯と申されましたが、茶の湯とは禅の思想を茶に映したもので御座います。茶に禅の思想を加え、茶を通してもてなしとしつらいを致します。和し、敬い、清らかで、動じない心を茶として振舞うのです。小田様の茶の湯には確たる思想が足りないのではと考えます」


 宗易の言葉を聞いた氏治は意外に多弁だと思いながら考えた。


 (正直、何言ってるか解らない。ただ、説教されてる感じだから私の紅茶が気に入らないのだと思う。史実の宗易の行動を見ていると頑固な人みたいなんだよね?私の紅茶が流行れば勢力が二分されるからそれも気に入らないのかも知れない。ちょっと反論してみようか?)


 「私の茶にも思想はありますよ?親しい人や持て成したい人に気分良く美味しいお茶を味わって貰いたいのです。宗易殿の仰る事も理解出来ます。宗易殿は禅の思想と仰いましたが、思想は一つではありません。様々な思想があるのは当たり前ですし、相手に失礼が無ければ禅の思想に拘る必要は無いのでは?私は今の茶の湯を育んできた先人を尊敬申し上げますし、否定もしません。ですが温故知新という言葉もありますし、古いものにだけ拘る必要も無いと思うのです」


 氏治の言葉に宗易は驚愕した。まさか茶人として名を知られる自分の言葉に反論して来るとは思っていなかったのだ。年若い娘だから少し難しい事を言ってやれば尻込みすると考えたのだ。しかも理路整然とした自分の考えを宗易にぶつけて来たのである。このまま引く訳にはいかないと口を開いた。


 「この宗易は古きものに拘っている訳では御座いません。既存の茶を理解し、そして新しき茶を追求しています」


 「そうですか。宗易殿の新しき茶とはどの様な茶なのでしょうか?とても興味があります」


 宗易は生意気にも問うて来たこの小娘の鼻っ柱を折ってやろうと思った。ここで理屈で言い返さねばこの小娘は調子に乗るに違いないと口を開いた。


 「この宗易の茶の湯は閑寂の中に真の美を求め、そして貧困の内から富を見出します。貧しき民が苦しみ喘ぎ、この暗き夜の如き戦国の世であればこそ見えるものがあるので御座います。そして黒もまた至高として居ります。人々が苦しむこの世の闇の色こそが、この世の真理の色であり、故に黒を至高と致しました。戦が続き、様々な物が不足する中でも心があれば人は満たされるものです。贅沢を廃し、一切の無駄を排し、それを茶の湯に映すのです。これを侘び茶と名付けました」


 宗易の言葉を聞いて氏治はまた考える。


 (歴史に語られる通りだ。でも、侘び茶が成立するのはもっと後の話だ。宗易は三十くらいの若造だけど、今この侘び茶という考え方を持っているのは私が宗久殿と関わった事でバタフライ効果が及んだとしか考えられない。それにしても、こうして本人から聞くと何て暗くてジメジメした考え方なのだろう?人の業の暗い部分だけを取り出して茶の湯に投影するとかただの変人だと思う。史実だとこんなのが認められてたんだ?二〇〇パーセント関わりたくない。なんかこの人も暗いし。どうせ敵だからケチつけてやろう)


 そう考えた氏治は口を開いた。


 「宗易殿はとても悲しい考え方をするのですね。この乱世で民人(たみびと)が苦しんでいるのは存じて居ます。ですが、人は苦しいからこそ希望を求めるのです。人は陽が昇ると働き、生きて行くための糧を得るのです。そして陽が沈めば床に就き身体を休め、そして朝日を待つのです。宗易殿はこの世は闇と申されましたが、それは余りにも偏ったものの見方だと思うのです。人には光も闇も必要なのです。そして人は光を好みます。なので黒が至高とは考えられないのです。宗易殿は贅沢を廃すると申されましたが、そもそも茶の湯を楽しむ事自体が贅沢なのでは?貧しく苦しむ人々から何が見えたのか存じませんが、人は心だけでは満たされません。食べることが出来て、寒さを凌げる衣服があって安心して眠れる寝床があって初めて満たされるのです。私には宗易殿のお考えが理解出来ないのですが?」


 氏治に反論された宗易は口をパクパクさせた。己の思想を語ったら一瞬で全否定されたのだ。しかもこの世で一番格好いいと考えている黒まで否定されたのだ。そして氏治の語る事に反論が出来なかった。何とか言い返そうと考えを巡らせたが言葉に出来ないでいた。ただ、怒りは沸々と湧いて来た。この小娘だけは許せない。考えに考え抜いた自分の思想を粉砕されたのである。許せる筈がない。


 一方で剣呑な雰囲気になって来た様子に宗久は焦った。宗易が氏治の茶の湯に意見するとは思わなかったし、それに対して氏治がこうも反論するとも思って居なかった。しかも氏治の弁舌は宗易の思想の全否定である。少なくとも宗久が今まで付き合って来た氏治の性格から考えると、とても強い言葉に感じた。そして氏治は反論できないでいる宗易の様子を見て満足していた。


 (女子(じょし)に口喧嘩で勝てるとでも思っているのかな?なんか青筋立ててるし?ネットの叩きはこんなものでは済まないよ?はっきり言って死ぬ寸前まで追い込まれるのが普通だからね?黒が至上なんて書き込みしたら中二乙とか言われてめちゃくちゃ叩かれるよ?私も歴史板で持論を書き込んだら叩かれた事があるけど、当時の私は顔を真っ赤にしながら反論したものだよ。結局は逃亡を余儀なくされたんだけど、それ以来怖くて書き込みしなくなったっけ。でも、この程度なら心配しなくてもいいかも知れない。二度と立ち上がれないくらいのダメージを与えたいから反論してくれないかな?)


 と、物騒な事を考えていた。愛らしく演出した目の奥底には山猫が獲物を狙うかのような獰猛さを隠していた。


 宗易は顔を赤くして必死に頭を巡らせていた。しかし、焦燥と怒りで何も思い付かない。それでも何とか口を開いた。


 「ホホホ、お武家様には敵いませぬ」


 宗易がそう言うと氏治が待ってましたとばかりに口を開いた。


 「私の茶の湯は身分など関係なしに心のままに振舞って頂く事を是としています。私は武家ですが宗易殿も心のままに論じくださいませ。今、私と宗易殿で見解の違いを論じ合いましたが、私はまだまだ論じ足りません。宗易殿のお考えをもっと聞きたく思います。ですが、今のままだと私が宗易殿のお考えを論破してしまったようで後味が悪いと思います。ですが、宗易殿の侘びという考え方は余りにも暗くて宜しく無いとも思っているのです。茶を振舞う人間がその様な事ではいけないと思うのです。茶の湯の歴史は私も存じて居ます。私は既存の茶の湯も良いものだと考えています。ですが、宗易殿の茶の湯は余りに個の見解が過ぎると思うのです。まるで茶の湯の傾奇者に見えるのです。それは先人が積み重ねて来た茶の湯の値打ちを下げてしまわないか心配になるほどです。私のような小娘にこの様な申し方をされたのですからお怒りになっていると思います。そのようなお顔をしていらっしゃいますし?ですが、人というのは間違いを指摘されると怒るものなのです。現に宗易殿はお口を噤まれています。宗易殿の侘び茶が正しいのであれはもう少しお考えを聞きたく思います。そう言えば先ほど一切の無駄を排すると仰いましたが、人とは無駄を大切にする生き物なのだと私は考えます。人とは他の獣と違って暇を楽しむ生き物です。そして、その楽しむ手段が童の頃の遊びであったり、友と楽しく会話する事であったり、鷹狩や書を読んだり様々な楽しみ方があると思います。私は茶の湯もその一つに過ぎないと考えています。ですから私の茶の湯は気楽に美味しいお茶を楽しむ事を是としています。一切の無駄を省く事を最上なのだとお考えであれば何もしない事が最上になってしまうのでは?茶の湯をしなければ無駄など考える事もありませんし、大金を掛ける必要もありません。茶の湯事体が無駄の塊だと私は考えます。そして数寄者も同様ですね。茶道具に大金を掛け、持て成しの料理も最上の食材を選び供するのは無駄の極致ではないのですか?それと、先ほど宗易殿は私の茶の湯を少々(うるさ)いと申されましたが、茶の湯とは茶を通して人との繋がりを育むものだと考えます。ですから、悪戯に他者のやり様を否定すべきではありません。宗易殿は自らの考えを是としているのは承知しています。ですが、他者のやり方を否定するのは自らも否定される事を受け入れる覚悟が必要です」


 一言言ったら何十倍にもなって返って来た。宗易は反論出来ずに黙り込んでしまった。その様を今井宗久と津田宗達、日比屋了慶(ひびやりょうけい)が唖然として眺めていた。だが三者とも氏治の語る事は正しいとも思った。確かに格や作法も定められている。だが所詮、茶の湯は道楽である。


 宗易の考え方は道楽からは大きく外れている。津田宗達は氏治の物の見方に感心し、日比屋了慶(ひびやりょうけい)は氏治を信奉している事もあるが、氏治の言は正しいと考える。そして今井宗久が思うのは、この小田氏治という人物が持つ価値観に自分は共感出来るという事である。だが、このままではいけないと宗久は場を治めに掛かった。


 古馴染みである宗易の頑固な性格をよく知っている宗久は、宗易は決して認めまいと考えている。大名に対して意見するのは無礼と言おうとも考えたが、氏治の茶の湯は思うままに語る事が許されているので、自分がそれを言っては掟破りになってしまう。そう悩んでいると津田宗達が口を開いた。


 「宗易殿、そこもとの考えはちと()き過ぎているとこの宗達も考える。茶の湯も数奇者の道楽ぞ?かように道を求めるものではないと存ずるが?この宗達は小田様に遠慮して申している訳では無い。道を求めるのは良いかと考えるが、小田様の茶の湯を批評致したのは頂けない。そこもとが道を求めるのであれば、尚更の事。断じて許されまいよ。都合が悪くなると口を閉ざすのは尚悪い。それにそこもとの身なりを見るといつも葬儀を思い出す。今まで言わなんだが年長として言わせて貰えば、商人(あきんど)なのか、坊主なのか、はたまた茶人なのか区別が付かぬ。良い機会であるから改めるが宜しい」


 津田宗達がそう言うと日比屋了慶(ひびやりょうけい)が続いた。


 「そこもとはまだお若い。若い時分には(ひょう)げた行いをする者も多くあるが、そこもとは茶人として名が売れた為に少々図に乗っているのではないか?会合衆ともあろう者がそのような事では若い者に示しが付かぬ。茶の湯を致すのは良い。だが、そこもとの本分はこの堺の商人であり、会合衆としてのお役目でもある。宗達殿も言われたが、頭の先から足袋まで黒一色とは頂けぬ。扇子まで黒にする事はあるまいよ。氏治様は傾奇者と申されたが真では無いか?そこもとを見ていると烏を思い出す。どこぞの墓に群れ飛び交う様を思い出して良い気はせぬ。改めるが宜しい」


 津田宗達と日比屋了慶(ひびやりょうけい)に説教される千宗易を見て、氏治は不思議な感覚を覚え、そして思った。


 (千宗易がお説教されているけど、よくよく考えたら当然かもしれない。私や現代人がイメージする千利休は茶道の大人物であり、日ノ本中の大名に影響力を持つ怪人だ。秀吉の元で様々な陰謀にも手を染めたとも言うし。でも、今のこの時期は大成する前のただの若造だ。津田宗達と日比屋了慶(ひびやりょうけい)のような年上から見たら危なっかしく見えるだろうし、会合衆として指導するのも当然だ。立場があるのだから尚更だと思う。それにしても津田宗達も日比屋了慶(ひびやりょうけい)も盛大に宗易の黒をディスっている。私だけじゃなく皆良く思っていなかったらしい。当然と言えば当然だ。仮に祝言や祝い事があったとして、黒ずくめで来られたとしたらこの時代なら下手をすれば刃傷沙汰になると思う。でもお陰で千宗易も瀕死状態みたいだから、宗久殿が息の根を止めるのかな?)


 とまだ物騒な事を考えていた。そんな氏治の期待を背負っているなどとは露とも思っていない今井宗久は、怒りと恥辱で耳まで真っ赤になっている千宗易に今日はもう帰るように促した。それを聞いた千宗易はすぐさま立ち上がり、一礼すると足早に去ったのである。その背中を見送り終わると今井宗久が口を開いた。


 「氏治様、此度は大変失礼致しました。あれは昔から頑固者で御座いまして、斯様な事になりましたが、手前は千宗易とは古い馴染みで御座いまして、どうかご無礼をお許し下さいますようお願い申し上げます」


 「宗久殿、私は何も気にしていませんよ?私としてはもう少し論じ合いたかったのですがそれが残念ですね。罰などは求めないのでご安心下さい」


 氏治は内心では舌打ちしていたが、千宗易の侘び茶という考え方を論破するという思わぬ成果もあり、今日はこのくらいで勘弁してやろうと矛を収めた。そして今井宗久は仕切り直しを提案し、再び紅茶を楽しむ事になった。


 一方、今井の屋敷を後にした千宗易は足早に自宅に向かった。その途上に竹林を見つけると下草を気にする事も無く分け入り、人気が無い事を確認すると、懐から短刀を取り出して竹に向かって遮二無二振り回した。


 (小娘!小娘!小娘!許さん!許さんぞぉぉおぉ!黒こそ至高!黒こそ至高!黒こそ至高ぉぉぉ!)


 千宗易は暫くそうして怒りを発散したが、やがて疲れたのか短刀を懐に仕舞いトボトボと家路についたのであった。史実が伝える戦国時代の怪人、千宗易は氏治に出会ったが為に正親町天皇への禁中献茶に奉仕する事も無く、史実であれば宮中参内するため居士号「利休」を勅賜されるのだが、それも消滅する事になる。

 

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>この世で一番格好いいと考えている黒 厨二過ぎてオモロイ 千原ジュニアの大阪時代に、引越しに後輩が手伝った際に、窓一面を黒いビニール袋で塞いで光が全く入らないようにする様に命じられた時に、なんか不気…
[一言] こうも叩かれると流石にちょっとかわいそうだなぁ、クラスで陽キャに絡まれた中二病男子のような気がする。 「ねぇねぇ宗易くん、なんでいっつも黒い服しか着ないワケ?」 「茶の話になったらめっちゃ…
[一言] 『図星を指されると人は皆立腹するのだ』by I・Kwww
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