第十一話 堺へ その8
2023/2/2 微修正
その夜、私達は今井宗久に夕食に招かれた。メンバーは私、久幹、百地、桔梗である。桔梗はしきりに遠慮をしたけど、私が女一人になるのが嫌だと伝えると渋々了承してくれた。屋敷の奥に通されると、そこは珍しくも懐かしくもある西洋風の部屋であった。小洒落た丸テーブルに彫刻が施された椅子が囲うように並び、床には絨毯が敷いてある。調度品も見事なもので、その上に置かれた様々な置物や陶器が嫌でも目を引く。現代人なら西洋と中華が混合したような印象を持つだろう。何よりもこの部屋の主のセンスに感じ入った。私なら同じものを持っていてもこのように見事なレイアウトは思い付かないと思った。今井宗久は高名な茶人でもある。美に対する情熱も人並み以上なのだろう。この部屋に掛けた財がそれを表している。私もいつかはこんなオシャレな部屋を作ってみたいものだ。
「これは……。見事な物ですな。このような物は見た事がない。いやぁ、見事、見事」
三回も見事って言ってる。久幹はこういうの好きそうだからね。頑張って買うといいよ。
「この部屋は宗久の自慢で御座います。気に入って頂けて何よりですな」
「某も堺に来るまでに様々に拝見致しましたが、このような素晴らしき物に出会うとは、世は広いのですなぁ~」
久幹と宗久殿はあれやこれやと談話を始めた。主賓である筈の私は放置である。まっ、良いけどね。男子はああいうの好きだし、私もオタだから気持ちを理解できるよ。それにしても南蛮品がここまで入っているとは思わなかった。テーブルに置いてあるのはこの時代では珍しい瓶に入ったワインである。確か珍陀酒と呼ばれていた筈だ。席毎に切子グラスの失敗作のようなグラスが置いてある。だけどそれはそれで味があるように見えるのだから不思議なものだ。暫くすると宗久は思い出すように私達に向き直り、恐縮したように口を開いた。
「これはこれは、申し訳御座いません。つい話し込んでしまいました。ささっ、どうぞ、どうぞ、お座り下さい」
「お気になさらないで下さい。久幹がこのように興味を示すのは珍しいので、私も少し驚いて見ていたのですよ」
「若殿、面目御座いません。つい夢中になってしまいました」
うん、絶対面目ないとは思ってないと思う。なにその爽やかな笑顔?四郎と又五郎に見せてあげたいよ。ただ、この時代は娯楽が少ないんだよね。久幹は真面目な性格だし、贅沢とは無縁の人だ。そんな久幹の琴線に美術品が触れたのだろう。良く考えたら戦国時代に茶器が流行したのは武家にそんな人が多かったからかもしれない。
宗久殿が席に付き、私が、次いで久幹が見よう見真似で椅子に座った。床几にしか座った事ないだろうからね。百地が椅子を見て思案してるように見えた。そして彼は流れるような動作で椅子に胡坐をかいた。その様子を見ていた桔梗がコクリと頷き、そしてピョコンと椅子に正座した。私は崩れ落ちた。この時代は人を笑うのは大変無礼である。二人の様子が可笑しくて床に崩れ落ちた私は丸くなり、必死に笑いを堪えていた。ツボに入った、ホント止めて欲しい。
「若殿!」
「小田様!」
「若殿!」
「若殿!」
それぞれが私の名を呼び駆け寄った。そして私が笑いを堪えようとしているのに気が付くと一様にホッとしそして神妙な顔で互い顔を見合わせた。復活した私は体調に問題ない事と非礼を詫びた。百地だけなら我慢できた。桔梗に止めを刺されたよ。気を取り直してと各々のグラスにワインが注がれようやく食事が始まったのだった。
「これは南蛮渡来の酒で御座います。これが一度飲むと抜けられないので御座います」
皆、見慣れない赤い液体に戸惑っているようだ。私はそんな彼らを尻目にワインに口を付ける。ふむ、香りが良くない。雑味が凄い。苦みも強い。アルコールはかなり強い。つまり余り美味しくないという事だ。
遥かヨーロッパから船に積んで運んで来たのだ。品質も劣化するだろうし、保存に気を遣おうにも限度があるだろう。ただ、遥々海を越えてやって来たワインには罪は無い。そしてこれが戦国時代の味だと思うと特別感があった。でも、これなら私の自家製ワインの方が遥かに美味しいかな、清潔だし。作ったら宗久殿にも分けてあげよう。ワインに口を付けた私を見て、彼等もそれぞれ口を付けた。なんか私が人身御供にされた気がするのは気のせいだろうか?君達は私の家臣だよね?和気藹々と食事を楽しむ。流石は今井である。料理が凝っていて美味しい。料理人を雇っているに違いない。ちなみに小田家は料理番など存在しない。侍女が作るのだ。
「先ほど百地丹波殿と申されましたが、伊賀の百地殿で間違い御座いませんか?」
気になっていたのだろう、宗久殿から質問された。私は百地を訪ね伊賀に行った事、そして百地に家臣になってもらった事を話した。
「これは驚きましたな、伊賀者と言えば特定の主に仕えぬと聞いております。まさか小田様が家臣になされたとは驚きました。この宗久、ただの一日でこれ程驚こうとは思いませなんだ」
宗久殿はしきりに感心していた。滅多に驚かないとか言っていた割に、三回も驚いたって言ってるよ。こうして夜が更けていったのだった。
♢ ♢ ♢
パーン!
今井の射手が標的代わりの具足を的に鉄砲を撃ったのだ。轟音が響く。思っていたより音が大きく煙も多い。朝食を摂った私達は宗久殿と堺の郊外に来ている。鉄砲の試し撃ちをする為だ。住宅地で撃つと迷惑になるからである。
「これは……。物凄い音ですな、それに火を噴いたように見えましたな」
鉄砲射撃を初めて見た久幹が漏らすように呟いた。私と百地、桔梗は平然としている。桔梗も鉄砲を知っているようだ。
「百地殿はともかく、若殿は余り驚かぬのですな?」
「十分驚いてるよ、それにしても煙も凄いね」
鉄砲を撃った射手は銃口から棒のような物を突っ込み掃除している。その様子を見て、久幹は百地を振り返る。
「あれが百地殿が言われていた手入れですな?」
「左様で御座います」
棒を引き抜いた射手は次いで火薬を入れ、更に玉を押し込んだ。そして待機する。
「これだけ時が掛かれば切り込むのは容易いですな、使うには一考の余地があると見ます」
「小田様、命中したようです。検分に参りましょう」
宗久殿に促され、私達は的となった具足を検分する。射手の腕が良いのだろう、腹の真ん中にしっかりと穴が開いていた。戦になるとこれを撃ち合うのだ。そう考えると少し怖くなった。
「これが当たれば久幹でもタダでは済まないよね、当たれば剛の者でも倒せるよ」
「確かに、弓矢であれば叩き落すことも出来ますが玉は見えませぬからな」
叩き落とせるのは君だけだからね?ナチュラルに自分を基準にしないで欲しい。
「小田様の仰る通りに御座います。ですが、次の玉を用意致すのに時が掛かるのが難点で御座います」
玉込めの問題は現代の歴史家の間でも今もなお議論されているテーマだ。三段撃ちとかである。まぁ、有った、無かったの議論もあるけど。
「それは今後の検討ですね。私は気に入りました」
「そうで御座いますか、小田様は鉄砲は使えるとお考えなので御座いますね?」
「当然です、でなければ宗久殿が造る筈もありません」
「はっはっは、左様で御座いますか、小田様にそう言われますと手前もなにやら自信が湧いてきますな」
私達は鉄砲を撃たせてもらう事になった。一番手は久幹である。今井に用意してもらった鉄砲を受け取りレクチャーを受け、鉄砲を放った。思ったより反動があったのだろう、それに驚きながら鉄砲をしげしげと眺め、次いで銃口を覗いていた。それダメなやつだからね?ちなみに玉は外れたようだ。
「次はどなたが撃たれますか?」
「百地と次いで桔梗ですね」
私に指名された二人は順に鉄砲を受け取り、やはりレクチャーを受けてから撃った。玉は二人とも命中した。流石である。着物姿で鉄砲を構える桔梗がとても凛々しく見えた。
「小田様はどうされますか?」
「私は遠慮します、撃たせて貰えるなら桔梗に出来るだけ撃たせたいのですが宜しいですか?手入れも含めて覚えられるようにお願いしたいのです」
「畏まりました、玉は二十ほど御座いますので仰せの通りに致します」
それを聞いた久幹は疑問を投げ掛けるように口を開いた。
「若殿、桔梗にと申されましたが何かお考えでもあるのですか?」
「桔梗に鉄砲衆を任せようと思ってるんだよ」
「鉄砲衆で御座いますか、それで桔梗を連れて来たのですか」
桔梗が鉄砲を撃ち始めた。それを眺めながら私は答えた。
「昨日久幹が四郎と又五郎を連れてから百地と話して決めたんだけど、久幹が怒っていて話せなかったんだよ。怒った鬼真壁に近付く勇気は私には無いからね」
「それは……。大変失礼しました。ですが桔梗は女子です、兵共が従うでしょうか?」
「それも考えがあるんだよ。私に任せて欲しい」
やがて桔梗が鉄砲を撃ち終わり戻って来た。少し興奮している様で頬が上気している。
「桔梗、どう?覚えられた?」
「はい、当てるのは難しいのですが使い方は覚えました」
「それで十分だよ、鉄砲衆は任せるからね」
「畏まりました、身命を賭して役目を果たします!」
「それはダメです。鉄砲も撃ち手も貴重なのだから生き残るのが第一だよ。戦で使っても真っ先に逃げてもらうからそのつもりでいてね」
桔梗は「はぁ」と少々不満げである。そんな彼女を見て思わずクスリと笑うのだった。今井の屋敷に戻った私達は宗久殿と対面していた。今回の椎茸の代金と今後の納入の打ち合わせ、依頼した職人などの受け入れを話し合った。職人に関してもすぐにとは行かない。人の移動は簡単ではないのだ。
「ではそのように致します、他に何か御座いますか?」
「そうですね。土産に木綿を多く欲しいし他にも買い付けしたいのですが、私達では運べないのでどうしようかと迷っています。常陸は遠過ぎます」
資金は潤沢だ。でも常陸はとても遠い。運ぼうにも他家の領土を通るのは骨なのだ。
「そうで御座いますな、どうで御座いましょう?今井の船をお使いになられては?」
「宜しいのですか?そうして頂けると助かりますが?」
「手前共にお任せ下さい。丁度、明から戻った船が空いております。船長には手前から話しておきますのでご安心されますよう」
宗久殿、素敵すぎる。行きはよいよい帰りは怖いなんだよね。北条領を通るのが不安だった。それに帰れば評定もあるし、実は間に合うか不安だったのだ。
「宗久殿、真に助かります。船長と船員にもお礼をしないといけませんね」
「いえいえ、そのようなお心遣いは無用に御座います。どうも小田様は手前共のような者にも気を遣われるご様子。大変有り難い事では御座いますが、他所のお武家様はそのような事は御座いません」
「家臣にもよく言われるのですが性分のようで直りません。宗久殿もお気になさらないよう」
「これは参りましたな。そうそう、小田様。石鹸の賭けの褒美ですがご用意させて頂きました、お検めください」
そう言うと宗久は近くの者に「お持ちしなさい」と声を掛けた。そう言えばそうだった。堺の豪商の褒美だから期待してしまう。暫くすると大きな長い箱が部屋に持ち込まれた。これってまさか。
箱の蓋が開けられた。中には鉄砲が入っていた。
「鉄砲を十丁、小田様に差し上げまする」
まさかの鉄砲である、それも十丁。鉄砲は出回り始めたばかりの品だ。確か初期は現代価格で一丁、一千万近くした筈である。十丁だと一億、ホントに貰っていいのだろうか?
「宜しいのですか?大変貴重だと聞いております」
「手前も商人です、多少は下心も御座います。ですが、大変失礼に存じますが、小田様を気に入ったので御座います。どうぞお受け取り下さいますよう」
宗久殿が男前すぎる。正直、何丁買うか悩んでたんだよね、船も借りられるし至れり尽くせりだ。この借りは大きいな。
「宗久殿、有難く受け取ります。長い付き合いになりそうですね」
宗久殿との打ち合わせを終えた私達は今井の店に移動した。ショッピングである。温かいと言うより激熱な懐である。千石船を出してくれるので大量に購入した。特に木綿は重要だ。この時代木綿は輸入に頼っている。肌触りが良く、柔らかく、そして温かい。木綿の衣類は軍事にも使われる。戦の最中は屋外である。温かい木綿は兵士の体温低下を防ぐのだ。大名家では戦略物資にもなるそれを、現地価格で買えるのは大変お得なのだ。とは言っても私は生活品としての購入になる。使い道はいくらでもあるからだ。他には鉄砲の玉薬や生活物資も買い込む。常陸では手に入れにくい品も堺なら手に入る。鉄砲代が浮いたので、久幹には供をしてくれたお礼に宗久に頼んで手頃な茶器をプレゼントした。好きな物を選ぶようにと伝えると、喜び方がハンパなく宗久と二人で随分長い時間を掛けて選んだようだ。私は本を大人買いだ。持っていない本を有るだけ買った。公家などの日記は格安だった。多分無理やり買い取らされたのだと思う。私にとってはお宝なんだけどね。
百地の苗買い付け組にも資金を渡した。彼等と話し合い、予想の金額の三倍を渡す。勿論、路銀やお小遣いもだ。彼等は無茶しそうなので釘はたっぷりと刺しておいた。前世ではショッピングモールなどで買い物をしたものだけど、久しぶりの買い物はとても楽しかった。私は今戦国時代を満喫していると断言できる。買い物だけど。
翌日。宗久殿と別れを惜しみ、私達は常陸に向けて出港した。船には買い付けた荷物が満載である。ほとんど交易のような気もするけど、儲かったので良いとしよう。堺の滞在はとても短いものだったけど、十分過ぎる成果だったよ。
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