第百二話 千宗易抹殺計画 その2
九月が終わる頃、又兵衛が城を訪ねて来た。私が発注したティーセットとテーブルセットを持参してである。私はそのとき父上とお茶を飲みながら雑談していた。又兵衛の来訪を告げられた私は父上に中座を詫びたのだけど、父上も興味があるらしく私について来たのだ。
広間に行くと、既にテーブルがセットしてあって座れるようになっていた。私と父上の姿を認めた又兵衛は慌てて平伏したけど、私はいつものように振舞うよう命じた。又兵衛は私には慣れているけど父上とは初めて会うので随分と恐縮していた。私は父上に椅子に腰かけて貰い、又兵衛にも座るように命じた。
「ふむ、小太郎、随分と珍しきものであるな。曲録(僧が使う椅子)に似て居る」
ひじ掛けの具合を確かめながら父上が感想を漏らした。
「心地よいの、小太郎、これは如何致すのか?」
「これは堺の今井宗久殿に贈るのです。円卓と椅子と名付けました。父上もお気に召したのであればこの又兵衛が御造り致しますよ?」
私がそう言うと父上が又兵衛に顔を向けた。
「其の方、又兵衛と申すのか。見事である。この政治にも同じものを用意せよ。褒美は期待するがいい。良いな?」
父上と同席させられた又兵衛は顔色を変えていた。父上の要求に『もっと良い物を献上致します』とテーブルに平伏するようにして言った。
「又兵衛、父上は寛大なお方だからそう畏まらなくていいよ。それよりもこの椅子はいいね、注文通りだよ」
「職人が随分増えましたので、手前は大して手を加えて居りませぬが満足いくものが出来ました。腰かけと背もたれの布団はまだ検討の余地が御座います」
「長く使うと潰れるから何か考えないといけないね。まぁ、綿が偏ったら外して戻せば問題ないけどね。あっそうだ、又兵衛この椅子の足なのだけど弓の様な木材を付けられないかな?ゆらゆらして心地いいと思う。椅子も大きめにして布団も大きく厚くして、ひとつ作ってみて。父上に差し上げたい」
「面白そうで御座いますね。承知致しました、大殿様の円卓と椅子と一緒に御造り致します」
ゆり椅子はきっと心地よいに違いない。父上もいい年だから丁度いい。
「それで又兵衛、例の物は?」
私がそう言うと又兵衛は椅子から降りて、傍らに置いていた風呂敷包みを解き、大きめの桐の箱を二つテーブルに置いた。父上も興味深そうに見ている。
「御屋形様、お検め下さいますよう」
私は箱のひとつの蓋を開けて中を見た。白銀に輝くティーカップにスプーンと漆で塗られた皿が入っている。カップを一つ取り出してひとつは父上に手渡し、もうひとつを私は眺め見た。カップの上下を囲うように複雑な曲線が浮きだしたかのような装飾が為されている。その装飾には金が使われていて、等間隔に翡翠の小さな石がはめ込まれている。取っ手は木製だけど青く染められていて磨いたのだろうか光沢を放っている。そしてこの木目と青色が白銀のカップによく似合っている。出来が凄すぎて言葉にならない。
「又兵衛、見事過ぎて褒める言葉が見つからないよ」
私は小さなカップから目を外さずに言った。一体どうやってこの輝きを出しているのだろう。まるでメッキみたいである。私の顔が映っているし。
「何とも見事な椀である。これ程の腕を持つ者が我が領に居ったとは」
父上はそう言うと物欲しそうな視線を私に投げかけた。
「父上、この椀は順に御造り致しますので暫くお待ちください。義昭殿と信長殿の次ですね」
「ふむ、仕方あるまい。又兵衛とやら、天晴である」
私はもうひとつの箱に入ったポットを検分した。茶こし付きの逸品である。これも小ぶりに作っている。カップを小さくしたのは紅茶をお代わりしやすいようにである。お湯は茶釜を使ってもいいかもしれない。茶の湯の道具も取り込めば宗久殿も受け入れやすいかもしれない。
「皿は木で作ったんだね?」
「銀で作ったので御座いますが、皿に置いた時の音が気になりまして木皿に漆を塗りまして御座います」
「いいと思う、皿を持ちながらお茶を飲むから軽いほうがいい。匙も凝っていていいね、宗久殿、驚くだろうなぁ」
又兵衛が帰ってから私は義昭殿に文を書いた。堺行きの日程を決める為である。翌日の昼に小田野殿が小田城にやって来て日程と人員を決めたのだけど、素早過ぎて驚いたのだ。きっと義昭殿は楽しみにしているに違いない。五日後に出発と決めて信長にも文で連絡をした。そして様々な準備に追われて出発の日を迎えたのである。
出発の当日、私は国境まで義昭殿を出迎えに行った。義昭殿も小田野殿もとても機嫌が良さそうだった。馬の轡を並べ話をしながら土浦に向かった。土浦城の大外堀を見た義昭殿と小田野殿が目を丸くしていた。私は馬に揺られながら城の説明をして港に向かったのだ。
船が出ると義昭殿は嬉しそうに船の舳先で海を眺めていた。でも舳先過ぎてちょっと危なっかしい。落ちそうになったら私が捕まえよう。捕まえた時にタイタニックみたいになったら嫌だな。
小田野殿は政貞と話をしたりと楽しそうにしていた。なんというかもっと『義昭殿が心配』みたいな感じかと思ったけど、義昭殿を完全放置である。
そうして船旅を続け、駿河に着くと私は拠点のひとつである商家に義昭殿と小田野殿を案内したのだ。他の皆は旅籠で休憩である。そして次郎丸は船でお留守番である。私が百地に案内され、商家に到着すると百地の忍びである秋が出迎えてくれた。中に通されてから私は義昭殿に説明した。
「義昭殿、この商家は小田家が出している店です。ここで納屋を致しているのです」
「氏治殿が店を出されて居るのですか?」
「そうですね。この商家を使って他国の調べを致したり、秋には米の買い付けをしているのです。収穫後は米が安いですから。他にも様々な事を致して居りますが、良い機会なので義昭殿に見て貰おうと思ったのです。秋、倉に案内してくれる?」
私達は秋に案内されて倉へ移動した。店からだいぶ離れていて到着すると五つの蔵がそうだと説明された。そして秋は蔵に付けられた錠前を鍵で外して中に通してくれた。中には米が山積みになっていて首尾よく米が買い付けられている事に私は満足した。
「参りましたな。氏治殿には驚かされる」
義昭殿は蔵の中を見回しながらそう言った。
「相模、駿河、遠江、三河、尾張、伊勢、そして堺に店を出しています。買い付けた米は戦になれば常陸へ送り、使わなければ米の値が上がったら売り払うのです。北条との戦があるので義昭殿が入用であれば当家の買値で卸しますので申して下さいね」
「それは有難い申し出ですが、氏治殿、宜しいのですか?」
「お互い利の無い戦ですから、少しでも損害を減らさないといけません」
「そうですな。当家も下野の統治が落ち着き、今年の収穫で一息ついた所です。那須は降しましたが、北条との戦は頭痛の種ですな」
私達は少し話した後に旅籠に戻る事にした。義昭殿のおかげで結城との戦は楽が出来たし、少しでも恩返しがしたかった。まだ足りないと思っている。それにこれからも佐竹家とは共に歩んでいくのだから少しくらいは情報を開示してもいいだろう。ちなみに勝貞と政貞と久幹には謀略をしている事は内緒である。
熱田に入港した。何度か来ているから私達は慣れたものだけど、義昭殿主従は珍しい様で、熱田の港を見回している。尾張では次郎丸も上陸である。私にピタリと寄り添って長い二本の尾をゆらゆら揺らしている。例によって人がわらわらと集まって来る。それを見た義昭殿が口を開いた。
「氏治殿。我らは慣れて居りますが、次郎丸は隠した方が宜しいのでは?騒ぎになるかと思いますが?」
「以前も連れて来ているので問題ないと思いますよ?信秀殿の気に入りですし」
人々が遠巻きに作った輪を割るかのようにして武士の一団がやって来た。先触れを出したので信長達だろう。先頭を歩く見覚えのある若者が私の姿を見つけると走り寄って来た。久しぶりに見る信長は更に男らしくなったように見える。同い年なので十八歳だけど、私より年上に見えた。
私は信長と挨拶を交わしてから義昭殿を紹介した。信長と義昭殿が挨拶を交わすと信長が口を開いた。
「義昭殿の御話は氏治殿から文で伺って居ります。この信長、義昭殿に一度お会いしたいと思っていたのです」
「この義昭も信長殿と同様です。氏治殿からはよくお話をお聞きして居りました」
私達は軽く会話すると信長に促されて那古野城に向かう事になった。ニコニコして信長に付き従っている平手殿に挨拶してから出発したのだ。連れて来た晴朝をチラリと見ると政貞や赤松達と仲良さそうに会話していた。常陸から出た事が無いだろうから楽しんでいる事だと思う。そして例によって次郎丸を一目見ようとする人々が私達の後ろに列を成したのだ。
那古野城に入ると信秀が出迎えてくれた。とても元気そうだけど、史実だと今頃は病に臥せっていると伝わっている。信長からは何も言って来なかったから元気なのだろうとは思っていたけど。でも、元気ならそれでいいか?私達は広間に通され信秀と改めて挨拶を交わしたのである。
「この信秀も少々の事では驚きませぬが、大名当主が御二方も当家に参られるとは思いもしませなんだ。しかも倅を誘って堺に行くなど前代未聞ですな」
「お誘いした私の無礼をお許しください。信秀殿に御迷惑を掛けていないか心配です」
「なんの。佐竹殿をご紹介頂きこの信秀、感激して居るのです。常陸では大戦があったと聞いて居ります。今宵はお話をお聞かせ下さると期待して居ります」
信秀の言葉に私と義昭殿が苦笑していると信長が口を開いた。
「この信長は氏治殿と義昭殿にお会いするのを楽しみにしていました。共に堺に行けるなど夢のようです。私の望みがひとつ叶うのです。今宵はこの信長にとっての前祝いでもあります。氏治殿、義昭殿、今宵はこの信長の持て成しをお受け下さい」
「なんの。この義昭も堺には興味が御座いました。それに氏治殿からは信長殿は大人物と伺って居ります。今宵は酒を酌み交わし話をしたいと思うて居ります」
義昭殿の言葉に信秀は驚いたように口を開いた。
「なんと!氏治殿は倅を大人物と評されるのか?」
「そうですね。私が知る限り、信長殿より優れた御仁は知りません。私などでは到底及び付かないと考えています」
私がそう言うと信秀と信長が顔を見合わせていた。そして信秀が口を開いた。
「氏治殿のお人柄は存じて居るので、世辞では無いのでしょうが、倅をそこまでと言われるとは。この信秀も倅は見所があると考えて居りますが、この信秀以上に倅を評して居るという事になるが」
「信秀殿にはとても失礼な言い様になりましたが、本心なのです」
だって天才だし。持ち上げるつもりはないけど、義昭殿の口から出たなら私は普通に肯定する。ただ、信長は信秀のやり方に凄く影響されているから信秀も凄いのだけどね。
「この信長をそこまで評して頂けるとは、これでは無様は見せられませんね。この信長も励みましょう」
その後雑談していると西三河の話が出て来た。私は詳しい事が知りたくて信秀に質問して驚く事になる。どうも西三河を安定して維持しているようなのだ。第2次小豆坂の戦いがあったはずなんだけど、話しぶりからすると小競り合いに終始しているようだ。
今は百地の商家こそ置いたけど、三河の情勢は気にしていなかったし、桶狭間が消滅する危惧を抱いていたくらいだ。私は何かとんだ勘違いをしているかも知れない。前に来た時も信長の武勇話は聞いたけど、織田家の情勢までは聞けていない。そうだ、信秀が元気なのだ。史実だと幾つか説があるけど来年三月に亡くなるはずだ。でも、見た感じパワフルなんだよね?亡くなって欲しくないから私は嬉しいけど。
「西三河の事に随分とお詳しい。驚きましたな」
信秀がそう言うと信長が続いた。
「氏治殿は当家の西三河が気になるのですか?何か存念があればこの信長にお話下さい。『戦略』なども御有りなら聞きたいものです」
どうしよう?あまり戦略を語って真に受けられても困るんだよね?ていうか『戦略』とか言ってるし。私もこの時代に生まれて随分と戦略の見方が変わったけど、知らない土地で通じるか判らない。そもそも、信長が家督相続後に十四年も掛けて尾張を統一するのだから。今の情勢からどうして行くのか、たられば話を思考ゲームとして話してみようか?
「信長殿。私もそう大した者では無いのですが、盤上遊戯としてお聞きください。素直に受け取られては私も困ってしまいます。それにとても無礼な事を申し上げる事になってしまいます」
私がそう言うと信秀が答えた。
「盤上遊戯とは面白う御座るな。他国の方がどのようにこの尾張を料理致すのか興味があります。無礼などとは思いませぬ。お聞かせ願いたい」
私は話半分にと断ってから話をした。喫緊の課題として西三河を維持しながら尾張を統一する事。その統一には手段を選ばず、信秀殿なら今川家と和睦し、美濃の援軍を引き出し、一気にやってしまう事。斎藤家は六角家と争っているから戦後に協力を約束すれば援軍が貰える可能性が高い事。統一したら信頼出来る家臣を城代に据えて、一族であっても信頼出来なければ土地を任せない事。統一したら富国に努め、西三河を維持しつつ機を伺う事。出来れば水軍衆を引き入れて今川家を撹乱するのも手である事。私の語りを信秀と信長が真剣に聞いている。気後れしながら必要だと思われる事を話した。もちろん理想論である。
「ただ、問題も多くあると思います。守護の斯波殿に上四郡守護代の織田信安殿、下四郡の織田彦五郎殿は信秀殿より家格は上。これを制するには大義名分が必要です。ですが、斎藤利政殿のように力で追放してもいいかも知れません。結局は戦に勝てば無理が通るのですから。御一門でも信長殿の家督継承を快く思って居ない方も居られると思います。私は信秀殿と信長殿に謀反せよと申している事になりますね。ですが、手をこまねいていては何れ今川なり斎藤なりに飲まれるでしょう。もし尾張を制したならば、謀反の火種を残さない事はとても大切だと思うのです。ただ、私は酷い事を申していますね」
私がそう言うと信秀がギロリと私を見た。
「参りましたな。この信秀には思い当たる事が多くありますな。他国の方がここまでお考えなさるか。しかも、当家の事情にお詳しい。ですがこの信秀の甘さを叱られた気分ですな。確かに手をこまねいては今川に飲まれるやも知れませぬ。だが、今川と和睦が出来ればやれそうではありますな?しかし、非情も致さねばなりません。主家の全てを打ち滅ぼす事になり申す。所で、氏治殿が家督を相続された時は御家中は荒れたのでしょうか?」
「当家は少し事情が違うのですが、まず父上の力が強く、また家臣も町人や百姓すらも頼朝公以来の譜代の者ばかりでしたから問題なく家督を継げました。私の家督相続を狙って隣国が攻めて参りましたがそれだけですね。私はとても運が良いのだと思います。今は国人が全て被官致してくれたので何も心配はしていませんね」
「なんと!では、氏治殿のご家中は全てが被官であると?」
「そうですね。これからは国人に力を持たせては御家を守れないと考えています。国人や一門の顔色を伺っていては政は出来ません。私はこれを重視しているので此度の戦では降った家でも領地は取り上げています。俸禄として銭で仕えて貰い、土地から切り離しました。こうしないと私の力が弱まりますし、離反や謀反の芽を残す事になりますから」
私は一拍置くと更に続けた。
「ですが、当家でも例外的に所領を安堵している家もあります。そこに控える菅谷と、信長殿は存じているかと思いますが真壁と百地ですね。僅かばかりですが所領を安堵しています。私に真っ先に被官してくれたので特別に扱っているのです」
冷静に考えると私は謀反と粛清を唆しているように聞こえる気がする。ていうか勧めている。だけど、尾張織田家は一族がそれぞれ力を持っているから早く纏めないと後が大変なんだよね?歴史が変わってしまっているから何か手を打たないといけない。私の考えが正しいとは思えないけど、こういうやり方もあるというのは伝えたい。




