第十話 堺へ その7
2023/2/2 微修正
百地に裏切られた私だけど、気落ちしている暇はない。まだ石鹸の売り込みが残っているのだ。少々バツが悪そうな宗久に「慣れているから気にしていません」と伝えたら更に恐縮してしまった。私くらいの歳だと男女の性差が少ないので勘違いしたのは分かる。この時代だと元服するまでは髪を伸ばしているから女の子みたいな男の子も多いのだ。
「ところで宗久殿、まだ商いたい品があるのです」
「なんと、他にも何かお持ちなので御座いますか?」
私はコクリと頷く。私は宗久に手洗いが出来るよう桶と中に水そして手ぬぐいを用意して欲しいとお願いした。それを聞いた宗久は面白そうにしながら人を呼び、手配してくれた。
「何をされるかは存じませんが小田様には驚かされたばかり、期待してしまいますな」
「ご期待に沿えると思いますよ。そうですね、見事宗久殿を驚かせたら何か褒美を頂けますか?そうでないなら私が褒美を出しましょう」
それを聞いた宗久は目を丸くして快活に笑った。
「それはそれは、小田様はこれ以上宗久を驚かせると申されるのですか。しかしなんとも愉快ですな、承知いたしました。手前が驚く事があれば仰せの通りに致しましょう。ですが、この宗久は滅多な事では驚きませぬぞ」
よし!ご褒美ゲットである。日本に石鹸が入ってきたのは安土桃山時代あたりだと考えられている。南蛮からの輸入品だ。日本で石鹸が生産されるのは千八百年代である。製造に関しては二百五十年先取りしているのだ。仮に宗久が知っていても量産化には驚く筈だ。それにしても通常モードの宗久は話がしやすい。商売で身を立てた人だから元々魅力のある人物なのだろう。なんだか私が篭絡されそうだ。
暫くすると桶が用意された。私は桔梗を呼ぶと石鹸が入った小箱と巾着を受け取った。小箱を傍らに置き、巾着から石鹸を取り出す。これは私の普段使いの石鹸だ、お試しに新品は勿体ないしね。私は懐から紙に包んだ鉛筆ほどの細い木炭を手に付かないようにして宗久に差し出した。彼は不思議そうにそれを見ていた。
「宗久殿、この木炭を掴んで手を汚してください。どちらの手でも構いませんよ」
木炭は少し湿らせている。汚れが付きやすいようにだ。「承知致しました」と宗久は右手で木炭を掴んだ。私が離すよう伝えると彼の手は当然汚れた。炭の汚れは落ちにくい、彼の口元が少し引きつっていた。私は桶の水で軽く石鹸を泡立て宗久に汚れた手を差し出すよう伝えた。そして彼の手を取り石鹸の泡で洗い始めた。流石の宗久も手を洗われるとは思っていなかったのだろう。気恥ずかしそうにも恐縮してそうにも見えた。私は大名の嫡男だからね、大サービスだよ。それに十代の女子に洗ってもらえるなんて幸運だと思う。深い意味はありません。やがて洗い終わると私は手ぬぐいで宗久の手を拭き取り彼の手を戻した。すっかり汚れが落ちた手を見て目を見張り、次いで私をみて更に石鹸を見た。
「これはなんとも……。なんとも不思議な、炭の汚れはなかなか落ちませぬ。正直に申しますと後の手洗いを思案しておりました」
そう言うとまじまじと手を見つめていた。
「これは我が領で作った物です。石鹸と名付けました。手洗いなど汚れを落ち易くしてくれます。例えば油なども落とし易くなりますね」
「なんですと!かような物を作られたとおっしゃるので御座いますか!」
そんな彼を見て私はニッコリと笑う。まさに余裕の表情である。私の女子力を甘く見ないで欲しい、料理も裁縫も一通り出来るし得意な部類でもある。オタだけど。
「真に失礼に存じますが、その石鹸なる品もこの宗久に商わせて頂けると考えて宜しいので御座いましょうか?」
「勿論です。私は宗久殿にしか椎茸を卸さないとお約束しました。であれば石鹸も同様に決まっています」
それを聞いた宗久は瞠目した。
「なんと真っ直ぐなお人か!お見逸れ致しました。この宗久、ただ恥じ入るばかりで御座います」
そして深く頭を下げたのだ。
「そのような事はありません、私はお約束を守っているに過ぎないのです。それにこの品は完成したばかりで作るのが難しいのです。宗久殿が満足される数を揃えることが出来ないのです。本日持ち込んだ石鹸は全て差し上げます。お使いになって様々に確かめると良いと思います」
「なんと!下さると申されるのですか?いやいや、手前も堺の商人タダで頂く訳には参りません。是非、買い取らせて頂けますようお願い申し上げます」
宗久は再び手を付き頭を下げる。私はそんな彼に言うのだ。
「どうぞお顔を上げて下さい。そしてこれは私の気持ちだと思って受け取って下さい。私は天下の今井宗久にお会い出来た事が嬉しいのです。その礼をしたに過ぎません」
宗久は口を半開きにしながらまじまじと私を見つめた。それが微笑に変わりそして彼が答えた。
「この宗久、椎茸も石鹸も驚きましたが何より小田様の器量に驚きました。真に参りました」
商談を終えた私達は宗久に請われ今井の屋敷に逗留する事になった。荷は今井に引き取ってもらい査定してもらっている。宗久に通された部屋は畳敷きである。豪商と呼ばれるだけのことはある。
「これはまた見事なものですな」
久幹が感心したように部屋を見回している。
「宿とは大違いだよね。私は清潔なのが嬉しいよ」
「ところで若殿、先程の鉄砲とは何ですか?某は聞いた事が無いのですが?」
うん、聞かれると思ってた。まだ鉄砲伝来したばかりだしね。ただ記録には応仁の乱で使った形跡もあるし教科書で教えられる種子島よりも早く伝来している可能性はあった。種子島に漂着したのは明のジャンク船だし。今井で量産が始まっているのを勘案しても幾つかのルートで伝わっている筈である。鉄砲は明からも伝わっている可能性が高いのだ。
「私は旅の商人から聞いたんだよ、凄い武器があるって。雷のような音を出して礫を飛ばすそうだよ?百地は知ってる?」
しれっと嘘をついて百地に振る。現代知識は便利だけどこういう時に困る。
「存じております、ですが戦に使えるかは疑問があります」
百地が知ってた。さすが忍びである。
「百地殿、疑問とは?」
「某が見たところ礫を飛ばす度になにやら手入れをしておりました。具足を貫くほど威力はありますが、次に飛ばすのに時が掛かり過ぎで、弓を使った方が良いと思いました」
「ふむ、どうにも想像がつかぬが若殿はそれだけの……情報で御座いますか、情報でよく職人を雇う気になりましたな」
「興味があったんだよ、宗久殿は渋っていたし良い買い物をしたかもしれないよ?」
「そうですな、あの御仁が渋るのですから価値はあるのでしょう、明日の見物が楽しみですな」
明日は宗久に鉄砲を見せてもらう予定なのだ。それから夕食まで各々時間を過ごすことになった。私は今井から本を借りて読んでいた。現代人の私からすれば戦国時代の本はお宝だ。失われてしまった本は星の数程あるのだ。ビブリオマニア垂涎のお宝が一束いくらで売られていたりするのだ。小田家の蔵書も同様、お宝である。これらの本が私の知識を補完するのだ。趣味もあるけど。
そうしているとドカドカと足音が聞こえて来た。何だろうと百地と桔梗と顔を見合わせていると久幹が入って来た。鬼のような顔をしている。そして後からは粗末なボロを着た二人の若い男が入って来た。呆気に取られる私の前に久幹が座り、その後ろに男達が座った。
「若殿、この馬鹿者共をいかがされますか?」
「いかがって、誰ですか?」
「四郎と又五郎です」
久幹が忌々しそうに言うと振り返り「挨拶せい!」と二人に呼びかける。二人は「申し訳ありません!」と平伏した。
「四郎に又五郎?一体何があったの?」
刀も無ければ袴も履いていない。上着は農民が着ているような麻の服だ。追い剥ぎにでも遭ったのだろうか?
「実は……」
四郎が話し始めた。私達と別れてから二人は旅を急いだらしい。船と徒歩では当然船の方が速い。旅は順調で彼等は私達より早く堺に到着したそうだ。尾張や伊賀で予定外の逗留があった私達を知らない二人は暫くは大人しく待っていたけど、懐も温かく堺の賑やかさで浮かれ遊び歩いていた。そこで賭場に手を出した。初めは調子よく勝っていたけど、それに気を良くしてのめり込んでいったらしい。そして大負けして取り返すために私が渡した路銀も使い切り、とうとう自分達の持ち物を質草にして使ったとの事。一文無しになり、仕方なく今井の荷担ぎの仕事をしていたらしい。仕事をしている所に久幹が港の見物にやって来て発見されたそうだ。良く見ると二人の左頬が腫れている、久幹に殴られたのだろう。話を聞いて私は腕を組み変に感心してしまった。なかなかの冒険をする!
私達と別行動になった遊び人枠のこの二人はきっちりと役割を演じたようだ。遊び人らしいその結末も彼らの冒険に相応しい成果と言えるだろう。そしてこれは彼ら親友同士の若かりし頃の思い出になるだろう。歳を取ったら「あの時に丁を選んでいれば」とか「いや、あそこで半を選んだのは仕方のない事だったんだ」とか思い出話に花を咲かせるのだろうか?博打なんて知らないけど。今回の旅は私も中々の冒険ぶりだ。ラスボスにいきなり出会ったり、パーティーメンバーが増えるイベントがあったり短い期間に色々な経験をしたのである。そしてまだ継続中だ。
「取り敢えずその身なりを何とかしよう。桔梗、今井にお願いして一式揃えてもらって」
「承知致しました」
桔梗が部屋を出るのを見届けると、久幹が言う。
「それで、如何なされますか?」
「う~ん、反省しているだろうし次から気を付ければいいよ。ねっ?四郎、又五郎?」
「若殿!寛大にも程があります!こういう輩はしっかり罰しないと示しが付きません!」
久幹の言葉に四郎と又五郎が肩を震わせる。鬼真壁をここまで怒らせた勇者である。平塚と沼尻の家も親はいい人なんだよね、何とか助けたいけど久幹のいう事は当然だし、厳しい家だと切腹ものだ。それにしても久幹は怒り方が怖い、後ろの二人も気が気じゃないだろうなぁ。
「でも、若い男って皆こんなものではないの?」
「そのような事は御座いません!某共も一緒にされては迷惑です!」
「う~ん、では開墾をして貰おうか?整地して、百地が買い付けて来る苗を全て植えるというのはどう?私の苗だから手抜きは許さないし」
「少々手ぬるいとは思いますがいいでしょう。少なくとも人足の駄賃は浮きますからな」
「ではそういう事で、四郎、又五郎、いいよね?」
二人は久幹に連れられて部屋から退出して行った。「ふぅ」と息を吐いた私は百地と目が合い聞いてみた。
「百地はどう思った?」
「若殿が余りにもしっかりされて居られるので、真壁殿もそれに比してお怒りになったのだろうと存じます。しかし、博打はともかく若い者は得てしてあんなものです」
「陣中でも博打は多いと聞いているし、河越の戦場では皆やっていたよ?何が楽しいのか知らないけど」
「雑兵共はそれが目当てで戦に行く者もおります。酷い者だと着物や具足を質草し、いざ戦となると槍だけ持って戦う者もおります。更に酷い者は商家の蔵を勝手に質草にし、負ければ戦のあと商家を襲い負けを払う者もいたと聞いております」
ちょっと想像を超えていた。他人の蔵を質草にして襲うとか野蛮にも程がある。
「兵を雇ってもそのような事をされたら堪らないな。う~ん、銭で兵を雇うつもりだったんだけど、百地の話を聞いたら銭が勿体ない気がしてきたよ。政貞も役に立たないと言っていたけど」
「雑兵共は百姓はまだましとして、野侍共が厄介ですな。戦が終われば野盗に早変わりする連中です。若殿は兵共を雇って如何なさる御つもりなので御座いましょうか?戦はお嫌と伺っておりますが?」
「守る戦はするけどね。鉄砲衆を作りたいんだよ。鉄砲ををずらりと並べて、つるべに撃てば敵も近寄れないと思ったのだけど?」
兵農分離をしようと考えてた。だけど百地の言う通り、ならず者が多過ぎて無理な気がする。よくよく考えたら他国の者も入ってくるのだ。貴重な鉄砲を盗まれては堪らない。そもそも兵農分離自体が不可能な気がする。
「鉄砲衆とはこれはまた随分と鉄砲に期待しているので御座いますな」
「久幹にはあのように答えたけど、私は鉄砲を見た事があるんだよ。どこでかは秘密だけど」
「成る程、ご存じで職人を雇われたので御座いますな。合点が行きました。兵は如何程で考えておられるので御座いましょうか?我等でよろしければお役に立てると存じますが」
「百地の忍びの技は貴重だからダメかな。やって欲しい事も沢山あるし」
百地と話し込んでいると桔梗が帰って来た。そこでピンと来た。
「百地、桔梗を私にくれないかな?身分も与えるよ、足軽大将にしたい」
「桔梗で御座いますか?」
百地が瞠目する、いきなり名前が挙がった桔梗は目を瞬いている。
「鉄砲衆を任せるよ。兵も銭で雇うのは止めにする。百地が協力してくれれば鉄砲衆が作れると思う」
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