第一話 河越夜戦前夜
2023/2/1、何の気なしに見返したのですが、余りに駄文なので前半を大幅修正致しました。
一五四六年、五月。
古河公方と管領上杉氏、扇谷上杉氏による連合包囲軍が、もう半年も河越城を包囲している。北条綱成が三千の兵で籠もる河越城を、ぐるり八万の兵で囲む連合軍の前に、落城は必至の状態である。
だけど、私は知っている。もうすぐ北条氏康率いる兵八千が夜襲を仕掛け、連合軍は敗走するのだ。世に言う河越夜戦である。
何故そんな事を知っているのかと言えば、それは私が現代日本からの転生者だからである。小田政治の嫡男として生まれた私は、事情を知ると大いに驚いたのだ。現代では転生物語が流行りで、そんな小説が溢れているけれど、まさが自分がそうなると思っていなかったので、慣れるまでは随分と悩んだのである。小田政治の嫡男と言う事は私は小田氏治であるらしい。
小田氏治は常陸の戦国大名で、居城である小田城を何度も落城させたことから、『戦国最弱』の異名を持っている。八度城が落とされる度に奪還し戦い続けて、最後には豊臣秀吉に所領を没収されるのだ。どうせなら外敵の少ない大名家に生まれたかったけど、親ガチャで考えれば小田家は悪くは無いと思う。
小田家を含む関東の戦史は、主に関八州古戦録で語られる事が多い。この記録は軍記物なので、半分以上が創作なのである。現代に語り継がれる戦国武将の逸話は数あれど、正しい事実は闇の中なのだ。
私が転生した小田氏治だけど、記録を見るとガチンコの戦闘は弱くはない。尤も、家臣団が戦うのだから、家臣が有能なのだろう。小田家は戦国時代の大名としては少し毛色が違う。菅谷を始めとする忠誠心の高い譜代の家臣があり、土地を四百年も治めているから、町民や百姓までが譜代なので、下々までが小田家に忠誠を誓っているのだ。
歴史で語られる小田氏治は、外交下手で、戦下手。家臣と領民に支えられて、何度も城を獲られては獲り返すという人生を歩んだ人だ。その彼に私は転生したけど、私は男ではない、女である。小田政治の嫡男という肩書だけど、私の性別は女性で、小田政治の一粒種であるので、女ながら嫡男として扱われている。
戦国時代では女が大名になる事は普通に出来る。御成敗式目では女性の家督継承が認められていて、今の大名が制定している分国法は、御成敗式目をベースにしているから、私は女でありながら家督を継ぐ事が出来るのだ。
私は前世でも女だった。大学に通う、ごく普通の歴女である。専攻は歴史オタクの巣窟、日本史学科なのは言うまでもない。小学校五年生のとき歴史に目覚め、本を読み漁る毎日を過ごし、歴史ゲームで遊び、好きが高じて大学でも歴史三昧であった。
毎日が楽しかった。時間を作っては城跡巡りをして美味しいものを食べ歩く。そんな幸せな日々が唐突に終わったのだ。一寸先は闇とはいうけれど、それにも限度があると思う。自分が死んだのかすら解らない、目が覚めたら赤ん坊になってた次第である。私は小田家十四代、小田政治の娘として生を受けたのだ。
目覚めてからは本来あるべき現実との葛藤はあったものの、割とすんなり現状を受け入れた。だから二度目の人生を楽しもうと思った。周りはリアル戦国時代である。その事実が私の知識欲を激しく刺激して、生きる原動力になったのだと思う。
自分なりに自重しながら私は成長していった。ただ周りからは随分風変わりな子供に見られているのは仕方ないと思う。なにせ中身は二十一歳である。自重するにも限度というものがあるのだ。神童扱いは嫌なのだけど、子供の振りをするのが苦痛で直ぐに諦めたのだ。周りの大人たちは私の予想に反して、賢い子だと喜んでいた。それでいいなら私は構わないけど、何だか複雑な気持ちである。
今生の父親である小田政治は少し変わった人で、私を嫡男としたのはいいけれど、私に男子としての教育を与えた。私の衣服は武家の男子と同じで、小田家の家督を継ぐべく学んでいるけれど、私としては幸運だと思っている。戦国の女の扱いは言うまでも無いけれど、政略結婚の道具なのは既知の事実だから、私はそういう意味では助かった形である。知らないおじさんと結婚とかはちょっと考えられないのは当然だと思う。
ここまでは戦国時代でもよくある話と言えなくはない。女当主は割といたらしい。有名なところだと井伊直虎や立花誾千代や古河公方の足利氏姫などである。現代には伝わっていないだけで、他にいたとしても全く不思議は無いと思う。資料的に考えて。
ただ、この小田政治さん。何というか徹底していた。女の私を男として扱うのではなく男そのものとして扱うのだ。そして謎の男教育。男子たるものから始まり男の道とか訳の分からない、何と言うか思春期の男子みたいな事を懇々と語るのだ。坂東武者の心得とか、正直私はどうでもいい。ただ、とても良い父だとは思っている。
小田政治は小田家中興の祖と伝えられている。小田家の最大版図を築いた功労者であり、他国からも一目置かれ、そして家臣からの信頼も厚いのだ。ただ、たまに漏れ聞く武勇伝が、一騎で敵陣に踏み込んだとか武勇を誇るものが多くてちょっと引いた。ちなみに私は安全な場所から一方的に遠距離攻撃する主義である。
今生の私は女当主、小田氏治として生きて行くことになったけど、小田家の舵取りをしなければならない。豊臣秀吉の小田原征伐までどうにか凌いで、所領安堵が目標になると思われる。しくじったら財産担いで堺にでも逃げようか?家臣が許してくれればだけど。
さて現状である。河越城を包囲して約半年、そろそろ夜襲がある筈だ。小田家の家臣、菅谷貞次に北条から和議の仲介依頼が来たからだ。だけど連合軍はこれを受け入れず北条氏康を攻撃して、氏康は戦わずに府中に兵を引いている。私の知っている史実通りである。
そして未だに色々な家のルートから和議の使者が来るのだ。油断させるためだと歴史を知っている私は理解できるけど、ここまでやるのかと正直感心してしまった。実に勉強になる。
出来ることなら夜襲を防いで北条を弱体化させたいと考えている。ここで叩けないと史実通り、北条が勢力を拡大させるからである。そして関東に長尾景虎が介入して踏み絵を踏まされて、結城、佐竹が暴れて、鬼真壁が突っ込んでくるのだ。何もしなければ我が小田家も翻弄されるのである。具体的にはフルボッコである。
この戦では私は初陣で十二歳、しかも女である。関東の多くの大名、国人が参加する大軍に埋没している存在である。夜襲の危険を訴えることは出来るだろうけど、この見た目と相まって可愛らしい事を言っているくらいに思われるのが関の山だ。姫武将と言えば聞こえはいいけれど戦国時代は男子の世界なのである。
そんなことを考えながら付近の陣を眺めていた。大軍である事に驕ってあちこちで酒盛りをしているし、笛の音と笑い声が聞こえる。陣中に遊女を呼んでいるのだ。雑兵達はお酒に博打に忙しそうである。勝手に陣を離れて乱取りに向かう者も多いと聞いているし、現代人である私から見れば野蛮極まりないのだ。遠くに見える河越城を眺めると、篝火を多く炊いているのが見て取れた。籠城側は真面目に戦をしているのだから呆れるしかない。
史実ではこの夜襲で扇谷上杉氏の当主、上杉朝定が討ち取られて、扇谷上杉氏は断絶するのだ。これにより管領上杉氏も衰退して、上野は北条家の草刈り場と化すのである。私にはこの夜襲を防ぐ術は無い。でもやれることが一つだけある。それはここで戦死する上杉朝定を逃がす事だ。関東最強の北条家が相手なので扇谷上杉家自体の滅亡は防げないと思うけど、上杉朝定が延命してくれれば北条家の拡大スピードが遅くなるので、弱小である小田家も助かるのである。
そんな事を考えていると、二人の武将が近付いてきた。小田家の家臣である菅谷勝貞と真壁久幹である。菅谷勝貞は私の守役である。父上が付けてくれたのだけどこれは幸運だと思う。徳川家康も称賛した忠義の一族なのだから、信用できる人材は有難い。歴史オタク的には最高の家臣であると言い切れる。前線の指揮も政務も任せる事が出来る得難い存在だし、水軍まで持っている。私が今後活動していくのに必須の人材である。
そしてもう一人の真壁久幹には剣術と兵法を教えてもらっている。彼に関しては私が猛烈におねだりした。勿論、下心有りなのは言うまでもないと思う。この真壁久幹は、小田政治が亡くなると小田家から独立して結城政勝側に寝返ってしまうのだ。そして佐竹と組んで小田家を滅亡寸前まで追い詰める事になる。私にとってはジョーカー的な存在である。
私はそれだけはどうしても防ぎたかった、小田家の凋落は真壁久幹の寝返りから始まるのだ。だから幼少の頃から彼を見掛けると甘えて引っ付いたりしていた。流石の鬼真壁もこうまで懐かれると可愛くなるのだろう、私を見ると目尻が下がりまくる。女は皆女優である。幼女でも油断してはいけないのだ。
「若殿、お呼びだと伺いました。何用で御座いましょうか?」
鎧に身を包んだ二人はカチャカチャ音を立てながら私に一礼する。前世では珍しい甲冑も、今生ではよく見るのですっかり慣れたなと二人を見て思った。
「うん。勝貞、実はお願いがあるんだよ」
私の様子に勝貞の表情に軽い警戒の色が見て取れる。
「大した事じゃないよ、今夜から夜襲に備えてほしい。あと陣を上杉朝定様の近くに張り直してほしい」
北条の夜襲があれば担いででも上杉を逃がすつもりでいるのだ。私の声は聞かなくても勝貞と鬼真壁の言う事なら耳を傾ける筈である。私は居住まいを正すと力強く言った。
「夜襲の備えをする事は当たり前の事でしょう?」
さも当然と言わんばかりの私の態度に勝貞が僅かにたじろいだ。早熟な私を知っているこの人はただの子供の戯言と侮らない人だ。
「ですが、氏康は降伏寸前で御座います。本日も和議の使者が来たと聞いております。こちらは八万の大軍、夜襲があってもそう崩れるとは思いませぬが」
そう思うのは当然だと思う。私も歴史を知っていなかったら舐めプしてただろう。だけど、そんな自分を棚に上げて私は語るのだ。
「勝貞、八万の大軍と言うけど、石高で考えたらあり得ないんだよね?誇張はしているのだろうけど、実際はそんなにいないよ。いいところ四、五万だよ。大軍には違いないけどね?それに私は久幹から学んだよ。今のこの軍勢は富士川の戦いの平家にそっくりでしょう?私が北条方なら夜襲は当然考える。だったらそれに備えるのは当然の事だと思う」
そう、私は久幹から兵法を学んでいるのだ。史実の真壁久幹は一国人領主でありながら巧みな外交と軍略で勢力を保っている。実際学んでみると彼の見識に驚かされる。史実では鬼真壁と武勇だけが伝わる彼だけど兵書を読み、書や絵に親しむ一面がある。某シミュレーションゲームのパラメーターは間違っていると思う。
「勝貞、私の立場で無理を言っているのは私も理解しているよ。だけど、私の手勢だけでもなんとかならないかな?他の皆には一度軍紀を引き締めてもらって油断しないように言ってもらえばいいから」
私の手勢は百騎である。副将として勝貞と久幹が付けられている。私の訴えに勝貞が唸っている。彼は歴戦の勇将だ、私に指摘されるまでもなく案外そういった懸念を持っているのかも知れない。数万人もいて誰も予想しないなんてそれこそあり得ないと思う。
「勝貞殿、若殿の意見にも一理ありますな。我等だけならそう文句も付かぬと存じます。某も教えを引き合いに出されては若殿にお味方するしか御座いませんな」
久幹が同意してくれた。この人は自分がダメだと思ったら絶対引かない人だし、ましてや今は軍中だから悪戯にわがままを言うのは許されない。でも、酒盛りしてる人たちに言われたくないけど。
「しかし御屋形様が何と仰るか……。それに軍紀にも反する事になりまする。某が罰を受けるのは構いませぬが、若殿が咎められるのを見過ごす訳には参りませぬ」
「勝貞の気持ちは嬉しく思う。でも周りを見て欲しい、あのような者達を放置している大将には軍紀を語る資格は無いと思うよ?あれが坂東武者かと笑われるよ」
「若殿!そのような事を申されてはいけません!誰の耳目があるやもしれません、ご自重下さい」
「分かっている。でもね勝貞、私は初陣の功を焦っている訳ではないし、目立つ行動を取って耳目を集めたいとも考えていない。兵法とは相手の立場になって物を考えるのが基本だよ。貴方が北条ならどう考える?重臣を敵に囲われてただ手をこまねいている?あの河越城の北条綱成がもし私だったら貴方達はどう行動するの?」
私の言葉に勝貞が瞠目する。久幹は「ほうっ」と顎をさすっている。勝貞は私の目をじっと見て口を開いた。
「某であれば若殿を救出すべく動くでしょう、それこそ何者の静止を振り切ってでも。確かに綱成は北条氏綱の娘婿、そして氏康の義弟で御座いましたな。それに氏康からの信任も厚いと聞いております」
「私が氏康で勝貞が綱成の立場であったとしたなら私は貴方を救うことに躊躇することはないよ。どんな手を使ってでも助けると思う」
「若殿!」
「今、勝貞が語ったところは私の考えと同じだよ。武家はお家が大事、だけど私達武家もまた人なんだよ。家臣と領民のためなら私は家など潰れても構わない。北条氏康だって人だよ?彼にだってどうしても譲れないものがある筈。それが綱成だと思えるんだよ」
「もう一度言うけど、あれが勝貞なら私は譲らない。どんな手を使ってでも助けに行くよ」
私も調子のいい事を言っている自覚はある。だけど全ては小田家の為なのは間違いない、少しでも北条の拡張を抑えられるならやってみたい。私は小田の皆が心から大切なのだ。今は小田が私の故郷なのだから。
「若殿!そこまでこの勝貞を!某は嬉しゅう御座います!」
目から涙が溢れさせ勝貞はがばっとその場に平伏する。彼は私のお祖父ちゃんの様なものだから琴線に触れてしまったのだろう。なんだか私も泣いてしまいそうだ。私は勝貞を立たせると彼に問い掛けた。
「では勝貞は賛成してくれる?」
「無論で御座います。これ程のお心を頂いて何の異がありましょう!若殿の下知に従います!」
ですが、と勝貞は続ける。
「もし万一、敵が攻めてくれば若殿の御身を第一と致します。そして余裕があるならば上杉様をお救い致しましょう。小田家嫡男とはいえ、若殿は女子なので御座いますから無理はなさらないよう」
「分かってる、私も男に張り合うつもりは毛頭ないよ。まだ死にたくないしね」
私は勝貞と久幹を座らせ小さな車座になり話を続けた。
「夜襲の備えは引き受けました。ですが、何故陣を上杉朝定様の側に置くので御座いますか?」
久幹から質問が飛んだ。確かに夜襲に備えるだけなら移動の必要ないしね。歴史の知識で上杉朝定が討ち取られる事を知っているからだけど、そんなこと言える訳がない。
「綱成を救うには軍勢を追い散らすしかないと思う。さっきは偉そうに語ったけど、この大軍に攻撃を仕掛けるのは正気の沙汰ではないよね?」
「そうですな、簡単な事ではありません。氏康の軍は八千と聞いております」
「夜襲があるとすれば北条は軍勢を分けて来るんじゃないかな?ここには上杉憲政様、上杉朝定様、足利晴氏様の三人の大将がいるからね」
私は二人反応を見ながら続ける。
「この軍勢を追い散らすには大将の首を捕るしかないと思う、今のこの油断した軍勢になら勝機は十分にあると思う。大軍と言っても兵の殆どは雑兵で民百姓なのだから、夜中に不意打ちを仕掛けたら、皆驚いて逃げてしまうと思うよ?彼等は好きで戦をしている訳ではないのだし?」
私の言葉に久幹が考えるようにして答えた。
「確かに、やりようによっては軍勢に紛れることも可能でしょう。八万、いや、若殿の見立てでは五万で御座いますか。小勢であれば指物を変えれば軍勢そのものも入れそうです。咎めが無ければ、生きて帰ることを諦めればで御座いますが」
「夜中に討ち掛かれば同士討ちもあり得るよね。もしそれが起これば私達に止める術は無いと思う。だから私は逃げることを考えてるよ」
「逃げるで御座いますか?」
「うん、逃げる。ただし、上杉朝定様を担いでね。もし夜襲が成功すれば百騎しか持たない私達がいくら頑張っても無駄死にするだけ。でも敵の狙う大将を守ることは出来る。上杉朝定様の陣に行くのは逃げにくい場所にあると思ったからだよ」
「成る程、確かにあの陣は外の様子が知りにくいですな」
「杞憂であれば良し、私が恥をかくだけならそれでいいよ。でも万一、上杉様が討ち取られたらあの家には世継ぎがいないでしょ?そうなれば国人達は北条に付くと思う。北条が力を付ければ、それは私達の脅威になると思う」
私の言葉に二人が感心している。十二の小娘が軍略を語るのだ。歴史を知っているからこそなんだけど騙しているみたいで気分が悪い。騙してるんだけど。
「承知致しました、某をお使い下さい」
久幹が申し出ると勝貞もそれに続く。
「無論、この勝貞もお使い下さい。若殿の仰る通りに致します」
二人の了承を得られた私はその日の内に行動を開始した。目立たないように夜の移動となった。勿論父上には内緒だ。怒られたら勝貞に庇って貰うつもりである。
小田軍は河越城に対して東側の足利晴氏側に陣を敷いている。そこから上杉朝定の陣に移動したのだけど、道中何の咎めも無かったからホッとした。と同時に不安になる。今回私はかなり危険な行動を取る事になる。北条氏康の軍は背後から奇襲を掛けてくるからだ。奇襲を受ければ同士討ちが始まる。そうなったときに冷静に行動出来るか不安なのだ。
私達は移動を終え、陣を整えた。そして私は勝貞と久幹を呼び出した。軍議をする為である。
木盾で作った机に地図を広げて見入る私の様子に二人は面食らったようだけど、皆で地図を囲み、上杉朝定の居城である松山城までの逃走経路を話し合ったのだった。
面白いと思った方はブックマーク登録、評価、レビューをお願い致します。