愚かなる主人公
戦場のあった北は偉く冷えた。そして冷酷に帰途すらも予断を許さぬ鋭き牙を向けた。
骨にジン、と重く鈍く伸し掛かるように冷気が忍び寄る。隣のおっさんの様になった無精髭が夜明けに見たら凍り付いて、氷の花のように砕けて無意味に綺麗で笑ってしまった。
半煮えの豆の味のしないスープに、火を通さないゴムみたいな干し肉。硬いし冷えるしで歯が立たなず。ずっと口の中に入れて、ガムのように食べ歩く。
深夜に暖をとる焚火も生木で煙たく、心情を表すかのように不安げに揺れている。
背嚢を枕に、男共は互いの名前も知らぬ仲だというのに身を寄せ合って眠る。特に若くて肌が柔らかく匂いも薄い僕のような若者はケツを狙われるように男たちが隣でくっついて眠って来て、疲れが取れない。まだ戦場にいるかのような疲労感がどっと押し寄せる。
ただただ、闇を照らす綺麗な夜の女王が戦場を終えた男たちの寝顔を覗き込むように月明かりだけが慰めだった。
確か月というのは地平線近くだと大きく見えるのであったか、だなんてどうでもいいことを前世知識を思い出すほどには無性に郷愁を掻き立てられ故郷に帰りたかった。
僕は周囲の戦場帰りを見習って装備を脱いでいた。
胸元の服を引っ張ると火照る体から昇る汗がスチームのように蒸れ、外気に触れた瞬間途端に凍り出す。癖になるほどこの瞬間だけは気持ちい。
もう戦争が終わったから防具を切る意味が無いということもあるが、脱ぐのは鉄装備が肌にくっつき凍傷を招くからだ。最初は好発部位として手足の指を始め以外にも耳や鼻なども凍傷を起こしやすい。実際赤黒く指の血行不良が見られるものがちらほら、中には酒に酔ったかそれとも戦傷か、寝て起きたら死んで道端に弔われていた者も少なくなかった。
戦利品で厚みのある皮鎧を鹵獲していて本当に良かった。けれどタイタニック号然り鉄は冷えると脆く壊れやすい。体温による熱の供給を失い、重く運ぶのに一苦労の折角の鹵獲品がガチャガチャとぶつかるごとに鉄屑がボロボロと零れ落ちてしまう。
鉄装備に布を巻いて当てたいところだが、ぶかぶかの革靴にロシアのポルチャンキのように布を巻いてしまったり他、膝や凍傷を起こしやすい部位に用いていた為不足気味だ。売れる鉄製品を優先してあまり布を用いらなかったのは失敗だった。
どうにか布が手に入らないかと脱落者の死体から服を剥ぎ取りたいのだが、僕が気付いて死体に近づくころには他の人間に衣服を剥ぎ取られ、見ていて寒い格好で道端の死体は何も語らずうち捨てられている。
そう言えば、戦争前に話をした隻腕の彼は大丈夫だっただろうか。戦利品漁りで忙しく、彼を見つけられなかった。僕は何が何でも金が欲しくて、金目になる狙い目の装備を死体から引きはがすのに忙しく、そんな僕みたいなの人が大勢いてその中から見つけ出せなかったんだ。
こんな風に死んでいなければいいな。
でも僕がそんな他人の心配祖するのは白々しいだろう。一連の流れを知る人が見れば、僕は彼も死んでいた方が利益になって喜びそうなものだと冷たく言い放っているだろう。
他でもないガイアの死に飛び上るほど僕は喜んでいるのだから。
何せいの一番に僕が戦利品あさりに走って装備を引きはがしたのは戦った憎き公国の敵兵でもなく、肩を並べた小隊員の仲間でもなく、ガイアの死体その人だったからだ。
知り合いどころか、隣村の友人だろうか、僕としては友人だったのかわからないが傍から見れば隣村の友人のように見えていたかもしれない。
あんな活躍して有名になったガイアの稼いで金を注ぎ込んだ装備を、僕はあっさりと手に入れてしまったのだ。勿論背丈から、筋力も違うから防具を始め武器は僕には扱えないが、手に入れたときはガイアの人生の集大成を、彼全てを手に入れて支配したような気さえした。
勿論知り合いの死体を前に、息をしていないか、本当に死んでいるのか、うわ顔面から魔法が入って内部で炸裂して後ろにまで大きな穴が開いて突き抜けているとか、グロテスクだなとか。良心の呵責や葛藤も当然あった。
でもその時は戦場の魔法使いの魔法を放たれたとき以上に心臓が早鐘うち、僕が身ぐるみを剥がさないと他の誰かに取られるとかガイアの仲間が回収に来るんじゃないかとか色々憶測が脳内を飛び交った。
……いや、言い訳だ。わかっている。見て見ぬふりはやめて正直に話そう。
仲間としてせめて遺品を持って帰ろうという使命感とかそう言うのがあったのではない。
奪ってやる。金が欲しい。
そう言ったどす黒い欲望に突き動かされて僕はガイアの装備を手に入れたのだ。
裸にしてしまえば顔が欠損している誰かすらわからない死体を無慈悲に捨て去り、戦争は面白いとほくそ笑みながら。
それから何とかまっすぐファイレイクの町に戻ると僕は借金を返済した。
ファイレイクは王国北部ではあるが戦場ほどまだ冬は厳しくなく、小さな山を越えると川端康成ではないがその逆、まだこちらは雪が降り積もっていない暖かな気候だった。
それでも食料が少なくなる冬だというのに金が無くなったわけだが、鍛冶屋と武器屋で戦利品や鉄くずを幾何かの金に換えたのでこれなら何とか切り詰めればある程度過ごせる蓄えができた。
勿論ガイアの装備も僕に扱えそうにないから売り払い、結果としてガイアの装備は僕が手に入れて、戦争に行きもしなかった商人が手に入れるのかとよく経済が出来ているものだと感慨深く取引を行った。
ああ、しかし重かった。前線まで戦利品を買取に来た商人たちに売ってもよかったけれど買いたたかれるのがわかっていたからわざわざここまで体に鞭うって売りに来て良かった。
借金が無くなって金事情で綺麗さっぱりになると、納税額と冒険者としての活動記録が低い問題が浮き彫りにある。冬場は稼ぎにくいがそれでも稼がないと冬明けにはまた戦争に送り込まれることになるだろうことは容易に予想がついた。
手にした硬貨達の軽さがまるで仲間が少なくて責めてくるようだ。
ごめんな寂しがり屋のお金はたくさんいる金持ちのところに集まりたがる習性があるもんな。
市場で冬越し用の厚めの布や雑貨を買って背負う。
久方ぶりの安宿に戻ると荷物を置いて装備を点検した。
剣は錆びてしまうと次の戦争に出るかわからないが近い将来使えなくなるのは避けられない。研いで湿気に気を付けて部屋隅に立て掛ける。
盾は……大丈夫だろう。仮にも敵の小隊長が持っていたものだ。素人目で見ても頑丈な作りをしていて歪みやがたつきもない。
そして買ってきた屋台の飯を食べる。
硬い黒パンと塩気がきついポトフもどきだ。ポトフもどきには薄いキャベツがまかれたソーセージとは別に筋張った馬肉が多く入っていた。戦争で死んだ馬の肉がここまで運ばれたようだ。パンを浸して柔らかくすると掬い上げるように口に運ぶ。
まあまあだな。酸味が少ししつこい気がするけど。戦場の味気ない飯と比べれば天と地。
戦争中は人の死がフラッシュバックして吐き出していることもあったが、食事を自身の血と肉にかえられなかった者は力が出ないで死んでいったから無理にでも飲み込んでいたら慣れてしまった。
満足の行った食事にぷはーっと息を吐くと胃の中でまだ熱の覚めていないポトフのスープの熱気が漏れ出してのど元を心地よい温度にしてくれる。
何故かそれに帰ってきた実感が湧いて力が抜けてしまってその日は寝てしまった。思っていた以上に疲れていたようだ。肉体的にもそうだが心労がやはりあったのだ。
働くのは明日からにしよう。
朝目覚めると早速ギルドに出向いて何か仕事がないか掲示板で佇んだ。
ここで勘違いしていけないのは戦争を体験したけど僕としては何も強くなったわけでないことだ。
確かに剣と盾とそれに最後に運よく皮鎧を鹵獲できて装備の質が上がったがそれだけだ。
何か必殺技とかそれこそ魔法なんて覚えられたらよかったのだが何一つ進歩していない。
クエストボードで無難に薬草採取とゴブリンのクエストを見た。
ほぼ毎日ある常駐クエストだ。けれど受注しない。どうせ帰ってきてからもあるだろうから事後受注するのだ。
薬草とかは誰かが先に根こそぎ採取してたら、見つからなくて無収穫になることもある。
正直今日中でクリアできると思えないし期限内にクリアできないと違約金が派生する。
だから採取し終わった事後だ。
取りあえず戦争から帰還してギルドに戻ってきたこと告げた。昨日は遅くに借金を返しただけで帰ってしまったので何というか出張帰りに会社に帰還報告をする的なものだ。
緩い規則だからそのへんしなくてもいいけど律儀な僕はしといた。すると隣の酒場で飲んでいた……今朝方町に到着したグレン先輩が手招きしていた。
僕は利息があるから一日でも借金を早く返すために寄り道せず走って帰ってきたのだが、先輩は途中で寄り道していたから遅れて着いたようだ。それにしても早い。飲んだくれだけど基礎となる体力とか全然違うのだろうか。……え? 商人の馬車に乗せてもらった? ……そっか僕頑張って歩いたのに。
勿論先輩が集合と言えばはいよろこんでと飛んでいくのが新人たる僕にふさわしい行動だ。
若輩者らしく何の用か伺う。聞いてみるとどうも戦争に行かなかった組が酒を奢って戦争の様子を知りたいようだ。
特に期待の新星であるガイアが帰ってこない話題が持ち切りだ。僕はどうやって死んだのかガイアの最後を見たけど彼に興味を持っていなかった先輩は記憶からほとんど抜け落ちたらしい。もしかしたら見てすらいない可能性もあるが。
僕は戦場がどうだったか、冒頭から語りそして呆気なくガイアが戦死したことを語った。内心の嬉々としている感情を抑えながら。それと同時に喜ぶ自分に自己嫌悪しながらだが。
それは本当なのか、見間違いじゃないのかと詳しく聞きたがる周囲に食いつかれるように質問されたが死体を確認した僕だから間違い用は無い。
「ああそうだった。参戦した初日にザイルの系譜が出てきて消し飛ばされたんだったな」
ガイアのことは覚えてないけどザイルは覚えている、そう先輩は肉を食う片手間に言うと皆納得いったのか波が引くようにガイアの話題はそこまでとなった。
そっか仕方ないって、やれやれと肩を竦めて、白ける。溜息を吐いて、グレン先輩と同じように興味を失ってそれこそまさに過去の人のように扱っている。
だが僕は何というか、その先輩たちの薄いリアクションに肩透かしを食らった感が否めない。
そんな程度なのかガイアについて。同じ町から戦争に行った仲間に対して。
もっとあるんじゃないか。悲しむとか。怒るとか。
僕が意識し過ぎなのか?
いや、まさに先輩連中からしたらガイア程度その程度というわけか。何も知らなくて情報収集を怠り狭い世界で生きていた僕にとって色眼鏡で見ているからそう見えるのか。
そこで僕は、唐突に何故かこうもガイアに執着している自分に気づいた。
そして自分の本心を知った。ガツンと後頭部を殴られるような衝撃だ。
僕はガイアのパーティに加わりたかった、そんな心の奥底の感情に今更気づいた。今気づいたってなんの意味もないのに。
僕は何も知らないのだ。
この自分でさえ自分のだけの自分の感情も、過去も現在も。何もかも知らなかったのだ。
無知だ。
そして恐ろしいほど、良く自分が戦争から生還できたものだと感心? いや、違う。何だこれは。もう何もかもがわからなかった。