目覚め
前世を思い出したのは、取り返しのつかない失敗をしてからだった。
悪夢を見た。絶えず発汗し、噛みしめた唇からは血が滴り、鼓動は早鐘をうつ。縋るようにシーツを握りしめる手からも手のひらに爪が食い込んで鮮やかさをもって赤く染まった。
熱にうなされた三日間、朧気ながら辛うじて意識が戻った時にはまるで昇る太陽が闇を払うように悪夢は消え、ついさっきまでいったい何の夢を見ていたのか自分自身に深く問うがよくわからなかった。
しかし今まで体験したことがない言いようもない恐怖がすぐそこにあったのだけは間違いなかった。敢えて言うなら死ぬほど怖い、否死ぬ夢とでもいうのか。
それは一日目に続いて二日目にも起きた。目が覚めると霞のように消えていて物覚えの悪いようにてんでそのことが記憶にないのも同じだった。
起きると夢の記憶が無くて何なのかわからないが、それほど怖いというのだからタチが悪い。
当然また寝るのが恐ろしかったが、人間は睡眠を欲するように作られ更に怪我をしている身では抵抗虚しく気付けば夜の帳と共に瞳を閉じていた。
そして遂に三日目でようやくその正体に気付いたのは、体の熱が下がって嘘のようにうだるさが消え、頭上に掲げた左手の指の本数が欠けているのがヒントになった。
指を欠損する、そんなこと初めてなのに以前にもこんなこと経験したことがある。確かな既視感。
そうだ僕は糖尿病だったんだ。それに母子感染した免疫不全症候群でもあった。小児1型糖尿病で子供のころから注射を病院で打たれ、ずっと泣いていた嫌な記憶がある。
あんなこと忘れようにも忘れられない。どこに行っても付きまとった機械での検査と注射。
そして手足の指が壊死した絶望。
でももっと嫌だったのはそんな僕を見て泣く両親の顔だった。
前世の名前も職業も、生まれ育った場所も虫食いの記憶で今は思い出せないけれどあれだけは強く記憶に残っている。まるで魂に深く刻み込まれるように。
僕はブルりと震えて上体を起こすと、恐怖を打ち消すかのように小指と薬指が欠けた左手を抱きしめるように胸に寄せた。未だ指の切断面からは心臓が血液を送る度鈍痛が波となって押し寄せている。指を根元から切り落とした喪失感と前世を思い出したダブルパンチに呆然自失した僕はしばらくそのまま動けなかった。
それからどれくらいの時間が経過したか。乱れた息を整えて寝汗を拭う。
落ち着け、落ち着けと暗示を行う。
生きている、いや死んだ。前世、何で覚えてるんだ。
よくわからない。少し頭がこんがらがる。
今世であるルークと前世の記憶が混線しているみたいだ。
これはいわゆる来世ということなのか。
疑心で透かして何か見えるわけでもないのに、何かわかることはないかと不必要に手を見るが何もわからない。
取りあえず冷静になろう。気持ち悪さも見え隠れしているが汗で冷えた服が体に張り付いて少しクールダウン。それから息苦しさを感じてたてつきの悪い窓を開けると風が吹き抜けて光を反射しながら埃が妖精のように舞った。
「風……気持ちいい」
そうだ、前世でもよく病室から窓の外を眺めていた。怖い手術の前でもこうして自分を慰めて落ち着かせていたんだ。
前世の時と窓から見える景色はだいぶ違うが。
「起きたかルーク。災難だったな」
窓を開ける音を聞いて僕が目覚めたのがわかったのだろう。
扉が開いて入ってきたのは眉雪だった。
診療所の主であるローゲル医師。
確かルークが、僕がよく駆け出し冒険者として受けられる数少ない依頼の薬草採取の依頼者がローゲル医師だ。それにこの町の数少ない医師でしかも冒険者に親身に、そして安めで治療をしてくれるのは彼だけだ。白くて長いもじゃひげを携えた薬品のにおいがいつもする白衣の尊老だ。
因みに冒険者というのは戦う何でも屋で、田舎の村から町に出稼ぎにきたルークの職業だ。
「ええ、あれは本当に災難でした」
たしかあの時も魔の森の浅いところで薬草採取を行っていたのだ。
魔の森はまさに魔物がでる森で危険と隣り合わせだが、そんな魔物を倒して素材として売ったり貴重な薬草や鉱石が手に入るところだ。
ルークのような初心者が狩場としている森の浅いところなら角が生えている角兎や、精々小さい緑色の子鬼であるゴブリンくらいしか出ない。危険も少ない分収入も無いけどルークはそれでも人々のために貢献できていると従事していた。
けれど予想外なことが起こった。その場にイレギュラーな強さの敵の出現。
それは冒険者のアンデッドだった。
よく覚えている。その人はルークじゃ危険で到底入っていけない森の奥まで進む同業者だ。その人が魔物に敗れてアンデッドとなってそこに現れたのだ。
魔の森のような場所や怨念が多い特定の地域で死ぬとああしてアンデッドになってしまうことがあるらしい。
結果として普段弱い魔物としか戦ったことがないルークは不覚を取り、怪我を負いながらも町に逃げ込んだのだ。
「アンデッドの方は既に討伐された。ああ……指がなあ……どうしようもなかったのだ」
医師が僕の手を取って怪我の経過観察をしながら診断した。
痛々しい傷跡で、変色し血がこびりついている。
それと時を同じくしてずきりと責めるように痛んだのは肩だ。
頭上から剣を振りかぶったアンデッドに切り付けられて、咄嗟にガードに使った木の棍棒を切り裂いてなお勢いを残した剣が肩から入って鎖骨で止まり、体から引き抜くために手で剣身を握った。
結果九死に一生を得る代わりに左手の2本の指を失ったのだ。
「これってどうにもなりませんよね」
僕は痛む手を先生に見せる。予想はしていたがやはり首を振られた。
「幻肢痛は鎮痛の魔法で誤魔化せてもちょん切れた指は治せないのう」
そう言ってローゲル医師は懐から先端に石がはめ込まれた杖を取り出すと魔法を唱えた。
そうこの世界には魔法があるのだ。魔法が科学の代わりに発展し、独自の文化や習慣が生まれ人々に寄り添って存在しているのだ。確かに車とか飛行機がないのは不便だが魔法使いなら馬と魔法の組み合わせでそれを代用できるしワイバーンという魔物に乗って空をかけることもできると聞いた。
けれど技術の進歩というのは無駄を省き洗練されれば似通ってくる。
勿論文明全体を見ればまだまだ前世日本現代の技術には追いついていないが、発展を遂げている物に関してはある程度できることの限界の水準が同じなのだ。
地球の現代医学でも欠損した指を生やせないように。もし可能だったら他でもない先生本人が一にも二にもなく自身の毛根を再生させていただろう。
緑色の魔方陣が現れるとそこから暖かい光の粒子のシャワーが手にかかる。するとすっと痛みが消えていく。
とても儚く綺麗でどこか包み込むような暖かさと優しさを感じるイルミネーションのような光。
今一度目の前の光景に驚嘆する。本当に不思議だ。魔法があるだなんて。
「銀貨一枚じゃ」
「ええ!?」
金とるの?それはないよ。とほほと泣きたくなる。
「因みに今のは鎮痛の値段じゃ。全体の治療代はこっちだ」
ああ頭が痛くなってきた。これを言ったら頭にも魔法をかけられそうだから言わないが。
ローゲル医師が治療診断書をもってくるも当然読めない。ルークは字が読めなかったのだ。そもそも平民の識字率事態が無い。どういうことかというと平民の大半が読めないのが当たり前で割合を調べるまでもないからだ。読めるのは商人とか貴族に使える一部だろう。
「指二本の切断の処置の治療、剣による肩の怪我の治療、薬草その他入院費諸々占めて銀貨54に銅貨が7」
因みに銀貨がだいたい1万円くらいで金貨は10万だけど、基本的に金貨は両替の手間と生産する国の情勢によって金の含有量が大きく上下する問題で平民での取引では中々使われない。
それにしても54万かあ。いや、日本のお金と比べるのは少し見当違いか。
日本で高価なものがこっちでは安かったりとかその逆もある。たぶん正確な比較なんてできないだろう。自分に対して型にはめてわかりやすくするため、あくまで目安くらいではあるけど。
54枚の銀貨というのは稼ぎの低い駆け出し冒険者であるルークにとっては年収の半分に匹敵する。今までのルークは年収自体数える発想がなかったが。
今までのことを振り返るとその少なすぎる稼ぎは宿代と食事代に税金と諸々の経費に殆ど消えていたのを鑑みれば返済は絶望的。
というか故郷の村から出てきた時の貯蓄をやりくりしながらもなんとか冒険者として軌道に乗せようと四苦八苦していたのだ。
業績不良だ。
初期費用や維持の面を見れば赤字冒険者だったのだ。
でもルークは楽しそうだった。生まれ故郷を出て、まだ見ぬ世界に足を踏み入れて出会いと別れを、たった小さなことでも大切そうに胸に刻み込んでいた。それに幸いルークは健康だ。指が無くなったのは問題だがある意味そのおかげで前世を思い出したのだ。
自分の足で好きなところに悠久の旅を営めるのは自由人の代表冒険者の特権だ。好きなことができる。何て良い響きか。
前世ではかなわなかったがルークとして今度こそ僕は自分の足で世界を見て回るんだ。そう、冒険者は自由だからだ‼
「借金は冒険者ギルドが肩代わりしてくれることになったが活躍と納税が一定を超えないと奴隷落ちじゃぞ。もうすぐある戦争に徴兵されれば徴兵履行義務に支度金と終わった後の報酬金で奴隷落ちは当座は免れるがな」
自由は今死んだ。
空を飛ぶことを夢想し甲高く啼いた雄鶏が絞められるように僕という冒険者は着地点を見失って壁にぶつかったのだ。
作者のもう一方の小説を書いていて、行き詰った時に思いついたアイディア小説だから更新頻度は低めかな 気分次第
良ければもう一方の小説もどうぞ