内之浦臨時要塞 トンネルにて
日本が戦後の復興と混乱の最中にある1950年某日。鹿児島県志布志湾の一画にある要塞跡地を訪れる、1人の男が居た。
「……相変わらず良い眺めだな」
男の名前は中津川京平。旧陸軍第16方面軍、内之浦臨時要塞鋼索鉄道式打撃隊に所属していた経歴を持つ。終戦後は建設会社に就職し、数年足らずで管理職の地位に収まった。
「さてと、誰か来てるのかどうなのか」
森の中へ分け入っていく。薄っすらと残る獣道をひた歩くと、あのトンネルを閉ざす大きな鉄製のドアの前に、誰かが立っていた。
「…………半沢さん?」
そう呼ばれた男は、ゆっくり振り返った。あの頃しょっちゅう無精していたヒゲは姿を消し、軍人とは思えなかったボサボサの髪も綺麗に整えられ、まるで別人のような風体に変化していた。
中津川はそんな彼を前に、どう言葉を発していいか迷っている。
「久しぶりだな、大尉。いや、今はどう呼べばいいかな」
「好きに呼んで下さって結構ですよ。むず痒いのでしたら、元大尉でも構いません」
「では元大尉。君が2番目のようだ。道中、誰かを見掛けたかね」
「いえ。まだ誰も見ていません」
中津川は足を進め、半沢の隣に立った。目の前に聳えるのは要塞を後にする直前、誰にも悪用されないようにとの願いを込めて閉ざしたドアである。どうやらまだ封印は破られていないようだ。
「半沢さん、中津川さん」
誰かに声を掛けられた。振り返ると、スーツ姿の男がこちらを見ていた。
「……中尉か」
「元中尉ですよ、半沢さん」
「この前の映画を見させて貰ったよ。端役だなんて嘘じゃないか。主人公の弟は立派な登場人物の1人だし、台詞まで貰えるなんて凄い事だぞ」
「ありがとうございます」
飯塚は除隊後、何を思い立ったか役者への道を歩み出した。元から顔付きは整っており、喋り方が柔らかいので話している相手が自然と心を許す特徴が最大限に生かされる職を選んだようだ。
「おや、首脳部がお揃いで」
「ご無沙汰しています」
泉川元曹長と脇坂元少佐もやって来た。これを皮切りに、かつて工兵隊に所属していた兵士たちがワラワラと姿を現し始め、独立工兵隊のほぼ全員が揃い出す。
続いて現れたのは、数台のバスだった。どうやら元管理部だった民間人達が団体でやって来たらしい。
「お元気そうで何よりです」
「まだ誰もくたばっちゃいないようだな」
岡林と松野両名も来てくれた。松野は少しだけ老けたように見受けられる。
「お久しぶりです。その後、どうですか」
「この年になって起業するとは思っても見ませんでした。ですが、存外に楽しいものですね」
元管理部の内、会社が空襲で倒壊していたり、知らない間に無くなっていた者を掻き集めた岡林は、一念発起して会社を立ち上げた。主に土木工事を請け負っており、殆どが顔見知りで構成されている。
松野はそこでも現場監督として手腕を揮っているため、人知れず苦労が重なっているそうだ。
「そろそろ現場から退かせてくれんか。体が痛くなって来ててな」
「なんのなんの。復興事業は止まる所を知りません。体が動く限りは働いて貰いますよ」
昔は気難しい松野の相手を岡林が務めていたものだが、何時の間にか立場が逆転している2人だった。それが同時に、時の流れを感じさせる。
その後も続々と仲間達が集まり、自ら閉ざしたドアが開け放たれた。中はあの頃のままで、電源さえあれば全てがもう1度動き出しそうな雰囲気を保っている。
「……ちょっとぐらい動かせないもんですかね」
脇坂が寂しそうに呟いた。だが、それは流石に難しいだろう。誰もがそう思っていると、半沢が唐突に通電ブレーカーを上げた。トンネル内の照明が点灯し、鈍く輝く軌条を照らし出していく。
「…………どうして電気が」
「半沢さん、あなたもしかして?」
飯塚が問い掛けると、半沢は苦笑いを浮かべた。照れ臭そうにブレーカーから手を放す。
「実は日本発送電に潜り込めてな、この日のために色々と調整をしていたんだ。今は適当な管理職に就いて、比較的自由にやらせて貰っている」
元戦車兵たちは目を輝かせ、自分たちが乗っていた戦車まで走った。まるで子供のように無垢な表情である。
「5年ぶりかぁ、動くかな?」
「最後に油差したのは俺だぞ。まぁ、期待はしないさ」
元機関部の民間人たちが、さんざっぱら面倒を看ていたモーターの点検を始めた。あの頃の日々が脳内に甦り、誰しもが懐かしい気分に駆られる。
「点検に10分下さい」
「各部の通電確認急げ、電圧の計器をしっかり見とけよ」
中津川はふと、恒常的に訓練していたあの日々に戻ったような気がした。来る日も来る日も訓練と整備に明け暮れ、起きるかどうか分からない本土決戦に備え続けたあの時間。結局は無駄になったが、同じ時間を共有した人間たちとこうして集まれた事は、何よりも幸せな事なのだろうと実感していた。
「どうしたね、元大尉」
「……5年前に戻った気分です」
「あれはあれで、楽しかったですね」
元機関部の「通電良し!」と言う掛け声で、中津川は耳を済ませた。モーターの回転に伴い、鋼索が軌条の間で擦れ動く音が聞こえて来る。
「モーター回転良し!」
「1号車から運転開始!」
待避所に収まっていた鋼索鉄道式の戦車が動き出した。何もかも、あの頃のままだった。
「はしゃぎ過ぎるなよー」
「壊さないでくれなー」
工兵たちの言葉に答えるように、戦車は前後に動き続ける鋼索を掴んだり放したりして、急な前後進を繰り返した、殆ど曲芸に近い状態である。脇坂を始めとする元戦車兵たちは、終始楽しそうにしていた。
各々が持ち寄った酒や食べ物を広げ、トンネルの各所で宴が始まる。その話題は尽きなかった。
「実はここを、私たちの出資で歴史的資料として保存する運動を始めようとしているんです。半沢さん、一口乗りませんか」
「そうだな。会社も時期に名前が変わって、大規模な電気事業が再開される見通しだ。そうすれば、そこそこの額を出資する事が出来るかも知れん」
岡林と半沢は何やら悪巧みを思いついたようだ。穏やかな表情が印象的な岡林だったが、この数年で色々と小汚い知恵も身に付けたらしい。
中津川は久々に懐かしい顔が見れた事ですっかり上機嫌になり、らしくない発言を繰り返していた。そんな状態に気を許した飯塚が、ポロッと口走る。
「内容はまだ何も決まっていないんですが、来年の作品で主役をやらないかと言われているんです。ネタはこの要塞の事を提供しようかと」
「おいおい、誰の役をやろうってんだ」
「それは勿論、あなたですよ」
飯塚が笑みを浮かべて中津川を見た。とんでもないヤツだと思いつつ、酒の入ったコップを一気に煽る。
「分かった分かった、じゃあ俺が本人役として出るから中尉も自分の役を」
「じゃあ自分も」
「私も出ていいですか」
2人の周囲に人が集まり、自然と声が大きくなった。トンネルの中は大笑いが木霊し、あの時を駆け抜けた者たちだけの時間が流れていく。