半沢独立工兵隊
中津川はここ、内之浦臨時要塞の構築を取り仕切る半沢大佐の副官として配属されていた。公式な記録には残っていないが、半沢独立工兵隊として終戦を迎えるその日まで、この要塞に居たらしい。
数日を置いて、トンネルの造成は続いていた。97式中戦車が移動出来るだけの高さや幅を考慮して掘削が進む。中津川は当初、戦車を射撃のたびに停車させるのではなく、移動したまま撃てる環境を作ろうと考えていた。そうなると、少なくとも砲台に設けられる開口部は横一線に作った方が見通しは良くなる。しかし、これは敵砲弾が直撃した際、一挙に崩壊してしまう危険性も孕んでいた。
トンネル作りを行う傍ら、中津川はどうしたものかと考え込み、森の中で図面と睨み合っていた。
「どれもこれも手間だし費用も馬鹿にならん。トンネル全体を鉄筋コンクリートで補強出来れば強度も上がるんだが……いや、そうすると戦車の騒音も酷くなるか」
浮かんでは消えを繰り返すアイディアと格闘を続ける。トンネルが掘り終わるまでは時間があるから、考えられるのはその間だけだ。南方戦線で構築された要塞の資料でもあれば参考になったかと考えるも、そもそも戦車を要塞内で移動砲台として扱う事自体が前代未聞だった。
「大尉、お茶はいかがですか」
「ああ、そこに置いといてくれ。後で返しに行くよ」
声を掛けたのは飯塚中尉だ。中津川をここまで連れて来たあの中尉である。半沢とは前任地から側近のような関係で、腹心の部下と言った所だろう。
「作業の方ですが、少しばかり速度を落とさせましょうか。大尉が考えられる案の中で実行可能な物が生まれる時間は、幾分か稼げるかと思いますが」
中津川が副官となった事で、飯塚は作業全体の調整役を買って出ていた。ここには軍人だけでなく、徴用された民間人も多い。物腰柔らかい中尉は工兵たちの不満を上手くコントロールし、民間作業者の悩みを聞いて回ると言う、並の軍人では務まらないだろう大役をこなしてくれている。
「それは有難い提案だが、全体の進み具合はどんな感じだ」
「6割強と言った所でしょうか。正直、厭戦気分が顔を出し始めています。何の意味があるんだと嘆く者も多いです。人間、暇になると色々考えてしまうものですよ」
それは当然だ。この前のマリアナ沖海戦で、海軍は大きな損失を出したばかりである。陸軍もサイパン玉砕で数万の死者を出した。この期に及んで本土決戦に備えろなどと言われても、やる気が出ないのは仕方ない事だろう。
「とは言えだ。やらなきゃならんのが辛い所だな」
「軍人ですからね。そういう訳です」
飯塚の淹れたお茶を飲み干した中津川は、再び思考の海へと潜っていった。
ほぼ半日を思考に費やした中津川は取りあえずでも出来合いのプランを脇に抱え、小さな指揮所に収まる半沢の下へと向かった。
「褒められたような物ではありませんが、幾つか案を考えてみました」
机の上に、簡易的な図面や外観を描いた仕様書を並べる。1枚目からの説明を始めた。
「一つ目は他の要塞でもよく見られる形式の物です。砲台を等間隔に設置して、戦車はその後方に設けられた通路を走り、射撃位置に就いて発砲の後に離脱して次の砲台へ移動。これを繰り返します」
上から描いた図面には、砲台と砲台間の移動用通路を、更に1本の通路が繋いでいた。これは通常の要塞や塹壕戦でもよく見られるタイプである。しかし、歩兵が使うのと戦車が使うのとでは訳が違った。
「もしこれが歩兵用の射撃陣地なら私も賛成だ。だが、これを使うのは戦車だ」
「はい。前進はよくても、薄暗い通路での後進は一苦労だと思います。しかもその最中に敵艦の砲弾が飛び込んで来て食い破られれば、木っ端微塵でしょう」
必然的に一つ目の案はボツとなった。続いて次の説明に移る。
「続いてですが、こちらは砲台を作らずに射撃のための開口部を等間隔に設けます。利点としましては、一つ目のように前進後進をする必要がなく、撃ったらそのまま移動が出来る点です」
聴く限りでは現実的な案のように思える。しかし、これもこれで問題点を抱えていた。と言うより、恐らくどんな案を考えようとも付き纏う問題点が残る。
「大きな問題があります。この特殊な環境下で戦車を運用する事を前提にすれば、どんな要塞を作ろうとも付き纏う問題かと」
「何だね。遠慮なく言ってくれ」
中津川は、幾分か諦めが混じった表情で話し始めた。
「戦車が方向転換をする場所が絶対に必要です。攻撃を移動しつつ途切れなく行うには、何所かで戦車の向きを変える場所がないと実質不可能です。正直、どんな設計を考え付いても、これを解決しない限りは前に進めないでしょう」
本格的な工事を始める前から既に暗礁に乗り上げてしまっていた。土台、無理だったのだろうかと言う空気が2人を包み込んでいく。
「私と君の生首を大本営に捧げれば、諦めてくれると思うかね」
「さぁ、どうでしょうね。取りあえず、トンネルの造成については戦車が横に3両分並べる広さを確保しつつ行います。ここもいずれは拡張してしまうので、別の場所に本部を設ける必要があるかと」
「分かった、一時的に外へ出そう。電話線やら電気系統の移動で時間も掛かるから、明日から早速始める。私としては2つ目の案でもう少し煮詰めて貰いたい所だな」
「承知しました。引き続き、試行錯誤してみます」
本部から引き払った中津川はその後、明け方まで図面を描いては消すのを繰り返した。時には空母の甲板に航空機を上げるようなエレベーター方式など、突拍子もないプランを頭の片隅で考えつつ、実現可能な物の追求を続けた。
それから3日ばかりが過ぎ、中津川は新たなプランを生み出していた。基本的には半沢に提案した2つ目を実行する事を前提としながらも、戦況の共有や緊急時の対処を盛り込んだ兵士達の安全面を考えるプランの説明が始まる。
「我が軍の保有する砲台。または堡塁の中には、同一地点に複数の重砲火器を設置する構造も多く見られます。沿岸砲台では特に顕著な設置方法です。これを応用し、トンネルと言う考え方そのものを無くしてみました」
図面上では山の内部に広大な空間と、沿岸方面に対して横一線に構築した開口部を確保し、戦車が好きな所へ取り付いて撃てるという物だった。こうすれば方向転換をする必要もなく、1両が各座して通路が塞がれる心配もない。補給もその空間内なら何所でも随時受けられる。
「何よりこれは、兵士達の生存性も考慮に入れられております。もし何所かが食い破られても、トンネルが落盤を起こして生き埋めになる確率は減ります。人間は目に見える情報の殆どで物を考える生き物です。一箇所でも破壊されれば、それでその場に居る全員の共通認識が生まれます。通信で何所そこが破壊されたと言う情報では理解するのに時間が掛かるでしょう。ですがこれなら、一発でそれが理解出来ます。しかも補給のために弾薬庫へ移動する事もなく、担当する兵士がこの空間内の随所でそれを行う事が可能です」
要するに、格納庫そのものから攻撃を行う方法らしかった。固定した射撃位置も専用車庫も作らず、仕切りのない空間に全てを置いて作戦を遂行する事になる。無論、燃料弾薬は別の場所に保管庫を設けるが、攻撃時にはこの空間に分散して配置し、補給担当の兵士が台車か何かに乗せて迅速に運ぶのだ。
「……まるで空母の格納庫だな」
「ええ。視界が広いのが良いですね。命令の伝達が素早く行えます。ただ、被弾時を考慮すると兵士達には防護服か何かの着用が必要だと思います」
「破片による負傷はそれで防げるか。それにこれなら、炎上する戦車の消火も容易に行えそうだ。乗員が戦車諸共に狭い空間で生き埋めになって苦しみながら死んでいくような事態も減らせるだろう」
半沢と飯塚はこの案に飛びついた。中津川自身も、問題点が残る2つ目の案を実行するのがどうしても乗り気になれなかった事もあり、この案の採用を喜んでいた。
「ありがとう大尉。正直、これもこれで何かしら問題点は発生するだろうが、我々には考え付かなかったような提案だ」
「細部は現場で詰めながら、問題点の洗い出しを行いましょう。明日から早速、全員に作業速度を少しずつ上げるよう指示を致します」
その日は早めに切り上げ、各所の調整に奔走する飯塚に甘える事にした半沢と中津川は、沈み行く太陽と赤く染まる海原を眺めながら、森の中で酒を酌み交わした。主計が用意してくれたささやかな煮物や漬物を摘みつつ、話に花を咲かせていく。