九話 『ハジメ。腕相撲しようぜっ!』
四月二十日。お昼休み。
「ハジメ。腕相撲しようぜっ!」
「また、唐突だな。お前は……まぁ、良いけど」
何を考えているのか、はたまた狙いがあるのか、ニフネくんが言い出して、
「にゃっ? ハジメニャンがやるなら、ニャーもやるニャン♪」
「お? 良いね。面白そう。私もやろうかな」
コネコちゃんにまさかの高根さんまで、参加する腕相撲大会が始まった。
「よし。じゃあ、先ずはオレとハジメだな」
「……手加減してくれよ?」
「ふっ。安心しろって。勝負に情けはかけないぜ!」
「……言葉が通じねぇ」
腕相撲の勝負など、俺とニフネくんでは、やる前から結果が見えている。
だって、彼、校庭から素の力だけで、二階の教室まで登れる超人だ。
しかも、俺を背負って……勝てる訳がない。
「よっしゃぁあああっ! 久々に全力出すぜっ!」
それなのにニフネくんは、何故かやる気マックス。
肩を回してエンジンを温めている。
……コレでは、俺の腕がもげかねない。
全力で上手く負けよう。
「あっ。ハジメくん。腕相撲? 頑張って」
「ん。ガンバレ、ガンバレ。男の子。……まさか、女の子が応援しているのに、負けたりしないよね?」
と、思ったが、勝負に気付いて寄ってきた前髪ちゃんの応援と、高根さんの発破で気が変わった。
この超人を全力で捻り潰すっ!
「よーい。にゃーんっ」
「「ふーぬっ!」」
――カンカンカンッ!
勝者。ニフネくん。
……まあ、やる気を出したところで、こんなものだ。
大方の予想通り……瞬殺された。
やっぱりニフネくんは強い。肩が外れるかと思った。
「よっしゃ――ッ! 次、かかってこーいっ!」
俺に勝った程度で、テンションを上げまくるニフネくんが、高根さん達を手招きして挑発する。
しかし、さすがに高根さん達も、ニフネくんとは戦いたくないようで……
「えー? 負け残りでしょ? 最弱は誰だって、ね。さーっ。ハジメくん。次、私だよ?」
「え?」
勝手にルールを変更……改編した高根さんに指名される。
「ん? 遠慮はしないで良いよ? 全力でやろうね♪」
「ちょっ。連戦!? 全力云々より前に……力が」
ニフネくんとの戦いの直後で残っている痺れを訴えて、いくばくかの休憩を求める……が、高根さんは、にっこりと完璧な微笑みを浮かべて、
「だから?」
早くやれ。そう言った。
そして、容赦なくその瞬間は訪れる。
「じゃあ、行くニャン。よーいニャン♪」
――カンカンカン♪
勝者。高根さん。
「やった。私、男の子に勝っちゃったっ!」
「……」
当たり前だろ。
全然、力が入らなかったわっ!
「ハジメニャン。次、にゃーニャン」
「……」
こうして俺は絶望に抗う統べもなく、三連敗を決して、晴れて最弱の名を戴いた。
だが、文句はない。高根さんはズルかったが、コネコちゃんには普通に負けた。
ついでに挑戦してきた前髪ちゃんにも負けた。
……俺って結構、力がないらしい。
そんな感じで、なんだかんだ腕相撲大会も盛り上がり、今度は最強を決める二回戦を始めようと……となっていたら……奴が来た。
「皆様。面白そうなことをやっていますね。日本の遊戯ですか? 私にも手ほどきをお願いします」
そう。誰もが認める美少女、高根さん。その高根さんを霞ませるほど別次元の美しさを放つ、お姫サマだ。
「……ちっ」
「ハジメさまっ! そんなにあからさまに嫌そうにしなくても良いじゃないですかーっ!」
「流石はエルフ族のお姫サマ。俺の気持ちが解るなら、向こうに行っていてくれませんか?」
「……そんなに私が嫌なのですか?」
嫌だ。と、ハッキリ答えようとした、俺の口をニフネくんがガッチリ塞ぎ、
「いえいえいえ。麗しの我がお姫さま。どうぞ、どうぞ、よしなに」
鼻の下を伸ばしながら、お姫サマに傅いた。
……煩悩が解りやすい男である
「よろしいのですか?」
「はい。それはもう……お姫さまと戯れられるのならっ。ハジメを殺しても良いっ!」
「まぁっ! ニフネさま、冗談が過激ですよ。ふふっ」
「いえいえ。どうぞどうぞ……これでお姫さまとくんつほぐれつっ、ぐふぐふふ……」
「そうですね。では、お言葉に甘えまさせていただきます」
そうして、ニフネくんに言われるがまま、俺の前に座る。
……って、まさか。また、俺がやるのか? お姫サマと?
ならばなんとしても、お姫サマをおいだそう。
それが無理なら俺が出ていく。
「お姫サマ。腕相撲ですよ? 手と手が接触する遊びですよ?」
「そのようですね。でも、あなたとなら問題ありませんよ?」
「……なら、俺は――っ」
辞めるからっ! そう言おうとした口を、再び塞がれた。
今度は高根さんに……
「まーまー。ハジメくん。コレは面白そうだから、我慢しよ?」
「……(面白いのは高根さんが、ですよね)」
「ん。答がないのは了承の証だね」
違う。
口を塞がれていて声が出なかっただけだ。
「んーっ! んーっ! んーっ!」
「あははっ。くすぐったいよ。私の手、舐めてるの?」
「……」
悪あがきをしてみても、高根さんは一枚上手でかわしてしまう。
女の子の手を舐めていると言われたら、もう……何も出来なかった。
……その間に、ニフネくんから腕相撲のルールを聞いたお姫サマが鼻息を大きく吐き出して腕をセットしてしまう。
「全力で……やる。ですね♪ ニフネさまっ」
「はい。そうですよ。お姫さま。手を抜くことは美学に非ず、相手を侮る非常に失礼な行為ですので」
「理解致しました。さっ。ハジメさま。お早く」
「……」
にこにこして俺を待つお姫サマ。
ここまで来てしまったらもう……やらない訳にも行かなくなった。
……が、しかし。百歩譲って、腕相撲は良い。だが、お姫サマが全力でやるというのは背筋が凍る。
エルフ族は華奢な見た目のお姫サマでも人間を凌駕する怪力の持ち主だ。
そんな相手に勝てるわけない……
「ガンバレ。ガンバレ。ハジメくん。かっこいい所を見せてね♪」
「うん。頑張って。ハジメ君」
「……」
……が、このお姫サマにだけは、死んでも負けたくない。
もし、どや顔で勝ち誇られたら、発狂してしまうだろう。
ならばっ!
「じゃあ行くニャン♪」
「……お姫サマ」
「はい。何ですか?」
「よーい。ニャン♪」
「アッ! 黒板にお姫サマのパンツが――」
「――えいっ!」
「……え」
どぉっごぉぉぉおおおおおおんっ。
……小細工をしてみたが、お姫サマが惑わされることは一瞬もなく、事前申告通り、全力で腕を倒された。
直後、バギィンっ! と、俺の骨から本気でヤバめの音がなり、そのまま机を粉砕し、床のタイルを凹ませる。
勝負が机ではなく床で行われていたなら、今頃、一年一組の教室には天井がなくなっていたことだろう。
……どうでもいいけれど、4月もまだ始まったばかりで、俺の机、壊れるの二度目だな。
と、本当にどうでもいいことが頭に浮かんだが……一瞬遅れて、
「ぐぁああああああああああああああああああああ――っ!」
画鋲の非じゃない激痛が襲ってきた。
それはもう、痛いといえば良いのかすら分からないほどの、刺激。
「ハジメ樣っ!」
遮二無二悶える俺に、目を剥いたお姫サマが急いで例の回復魔法? を、懸けてくれる。
みるみると痛みは引いていくが、痛覚と記憶に刻まれた感覚だけは消えてくれない。
「ぐっ……マジ……死ぬ……ぐはっ」
「ハジメさまぁああああああああ~~っ」
「にゃにゃにゃにゃにゃ――っ!」
「ハジメくん……死んじゃったんだね」
「そんな、あのハジメくんがっ!?」
「ハジメ……ぇぇ! 仇はオレが伐つからな」
悲痛なお姫サマたちの叫び声が虚しくこだまする……戦場で大切な仲間と永遠の別れを迎える時の様な……
が、しかし、ここは日本の高校だ。戦場では決してない。
だから、俺も、
「いやいや、生きてるから」
「――よし。お姫さま。オレと勝負……出来ますか?」
「ニフネさま……と、ですか……それは」
「え? 無視?」
「やっぱり……まだ、オレには触れませんか? ……オレ……ハジメと違ってムキムキだから……ダメですか? オレ、イケてないから……女の子からもよく生理的にムリ。マジキモい~わ~。とか……言われますし。やっぱり……お姫しまもっ!」
「いえいえ。そんなことはありません。ニフネさまは、ハジメさまよりも数百倍はイケておりますよっ! 自信をもってください」
「……」
……ニフネくんの話が重い。
そのせいで既に、お姫サマも、そのほかの皆も、俺の体を張った寸劇をどこかへ忘れている。
俺の安否など最早、どうでもいいとばかりに。
……俺の方こそどうでもいいが、勝手に巻き込んで、勝手に腕まで折って……この扱いか。
「じゃあっ! お姫様っ!」
「っ……そうですね。何時までも、避けていてもいつかは向き合うこと……初めてが、ニフネ様なら、私も安心です。多種族との自発的接触。やってみましょう」
「よぉおおおおおおしゃぁあああああーっ! ハジメをダシに使ったかいがあったぜぃ。心の友よ。安らかに眠れっ!」
「ふふふ……」
俺は今、お前の心の友を辞めることを誓ったがな。
知っていたが、思った以上に、ニフネくんはゴミ屑だ。
しかしかしかし、何故か、良い話のように、皆々様、暖かい視線でその会話を眺めていらっしゃる。
お姫サマも優しい微笑みを、ニフネくんへ向けている。
確かに、お姫様がずっと避けてきた多種族との接触が出来るようになれば、一つの歴史が生まれる。
生まれる……が、なんか、釈然としない。
お姫サマのコンプレックスなど、興味は微塵もないが……なんだろう?
やっぱり、釈然としない。
「ほらっ。ハジメ様。始めますから、お早く立ってください」
「……は?」
「は? では、ありませんっ。もしもの時の為に、あなたは私と肩をくっつけて、マナを供給してくださらないと」
「……」
いや、釈然としない。から、この言葉で、怒りへと昇華した。
マナ暴走症候群の事件から、このお姫サマ、俺に対しての振る舞いが明らかに雑になっていないる。
数秒まえ、腕をへし折られた謝罪すら、まだされてはいないのもその証拠だ。
……ますます、このお姫サマへの不興が募っていく。
「ふぅ~~~~っ」
……が、先ずは落ち着く。
この話がうまくいけば、今の俺の充電バッテリーみたいな役割から解放される。
あと、一回。この一回だけを我慢すれば……念願の自由が手に入るのだ!
「よし。解りました。お姫サマ。どうぞ。お好きにしてください」
「……やけに素直ですね。また、意地悪をするつもりですか?」
「いえいえ。とんでもない。我々下等な人間とお近づきになられようとするお姫サマの御姿に感服したまで」
「……下等? ……いえ。そういう事なら良いのです。もっと早くそういう風に殊勝な態度になっていれば――」
「なっていれば?」
「……もっと早く、仲直り出来たかも知れませんよ?」
「……」
何を勝手に仲直りした事にしようとしているか?
あの回復魔法も、傷や体力を回復させられるが、病気や欠損は治せない……らしい。
だから例え、お姫サマが忘れようと、改竄しようと、奥歯の恨みは一生消えない。
一生、俺がお姫サマを許すことなどないのだ。
しかし……今だけは、何も言わないでおく。
嫌いな人間に怒っても意味がない。恨みをぶつけても何一つ解決しない。
ただ、そっと距離をとるのが一番良い方法だ。
……お姫サマはエルフだけれど。
この一瞬の我慢は、そのための布石になるっ!
「じゃあ、お姫サマ。肩……つけるので、吹き飛ばさないでくださいよ」
「あなたを吹き飛ばした事など一度もないじゃないですかっ。もう……普通に安心して、お気楽にどうぞ」
「では……」
ぺたり……と、お姫様の肩と俺の肩をくっつけた。
俺は半袖のワイシャツ、お姫サマはエルフ民族衣装で、服は薄く、ノースリーブで羽衣程度しかなく、肩が露出しているため、生の肌同士がぴとっと密着する。
その感触を詳しく説明するのは省くが、青春時代真っ只中の俺には少々以上に刺激が強く、精神的に心地が悪い。
嫌いな相手にたいして煩悩……か。
それこそ俺が一番嫌いな事だ。
心を無にして煩悩を滅却。
「……。……では参りましょうか。ニフネさま。よろしくお願い致します」
「こ、こちらこそ、感服です」
ニフネくん……どうでもいいけど感服じゃなくて、感激だろ?
さっき俺が言ったことを無意識にトレースしたな。
……まぁ、緊張するのも解るが。
「御手を……出してください」
「は、ハイッ!」
――ピシッ!
何故か無駄に綺麗な直立不動になったニフネくんが、お姫サマの前に右手を差し出した。
「……」
どくんっ。どくんっ。どくんっ。どくんっ。どくんっ。どくんっ。どくんっ。どくんっ。どくんっ。どくんっ。どくんっ。どくんっ。……
動悸の音までハッキリと聞こえて来るほど、緊張している……いや、コレはお姫サマの方か?
「……」
肩から伝わる激しい心音が、気になってお姫サマを横目で伺うと、ポーカーフェイスで微笑んでいるが、首元や耳の生え際にびっしょりと汗をかいていた。
種族的に。あまり発汗が良い訳ではないのに。
……マナ暴走症候群の前兆だ。
「お姫サマっ! ムリならムリって言ってもニフネくんは怒ったり――」
「大丈夫ですっ!」
……忘れていた。
そして、思い出した。
お姫サマは俺が知っている誰よりも、心が強いということを。
強すぎるということを。
向き合うと決めたなら、本当に死にかけるまで自分を追い詰められてしまうのだ。
それこそ、前にマナ暴走症候群を引き起こした時のように、だ。
「私はやります。私はやれます。ニフネさまがここまで近寄って来てくださるのです。この厚意を無下には致しません。一族の姫である私が、真っ先に種の垣根を越えねばならないのですっ!」
「お姫サマ……」
だからこそ、止める人間が必要だった。
だからこそ、俺が気づいて止めなければならなかった。
だからこそ……
「ふふ……そんなに心配なさらずとも。大丈夫ですから」
「……」
だからこそ、俺には彼女を止められない。
一番最初の日と同じように。
「行きます」
彼女は独りで前進できる強い少女なのだから。
――ぴとり。
そうして、お姫サマは種族の壁をアッサリと突き破った。