六話 『前髪っ! ゆいだよっ!』
四月七日。
お姫サマが転入してきて一週間が経過していた。
俺と代わりサポート役になった御影くんの献身もあり、徐々にだが、確実にお姫サマは、学校に馴染んで来ている。
一週間前は、異物感しかなかった異次元の美貌も、見慣れて来るものだ。
お姫サマの学校全ての生徒と友達になる計画もほぼ順調に進んでいる。
もちろん中には、魔法の世界のお姫様? そんなことより日常でしょ!
と、例え、明日、世界が滅びようとも変わらないだろう生徒たちも多いが、それでもお姫サマと交流すると、途端にデレデレになってしまう。
そして、復讐なのか、何なのか、お姫サマは俺の周りの人間関係を積極的に取り込んで行く。
俺の日常が抗体の見つかってない病原菌に蝕まれていく気分だ。
「――で? コネコちゃん。どうだったんだ?」
「にゃ?」
そんな日々が続く放課後、俺はコネコちゃんと部活に精を出す。
お姫サマにはああいったが、大して強い縛りがある部活でもなく、病原菌が蝕むせいで、参加人数は現在進行形で激減の真っ最中だ。
最低、十一人はいないと出来ないスポーツなのだが……それは言っても仕方がない。
「サッカーボール追うの楽しいにゃ♪」
「いや、そんな見てればわかる君の気持ちじゃなくて。……ほら、城に行ったんだろ? お姫サマの」
「にゃーるほにゃっ! ハジメにゃん。本当は来たかったんだにゃんね」
「……」
――ダンッ!
足元のサッカーボールを割と強めに蹴り飛ばす。
「にゃっにゃっっ!」
それを追うのが、コネコちゃんは好きなのだから、ご褒美だろう。
……サッカーと言うのか? ペットとの戯れと言うのか、議論はしないが。
「ひどいにゃ……」
「――で?」
「……にゃーん」
猫に耳ぽっく結んであるしゅしゅを垂らして、コネコちゃんがボールを拾いに行く。
「……凄かったにゃんよ? 異世界だにゃ~っ! って、感じにゃ。マジカルマタタビもまた――」
「へぇ……」
大して興味もないのだが、どうやらあの日、誘いを断ったのは俺だけのようで……
いや、どうでもいいのだが、あんなゴリラ姫。
「ただにゃ……」
「ん?」
そこで、いつも脳天気に愛嬌を振り撒くコネコちゃんが、遠い目をして呟いた。
「……姫にゃん。ずっと……死んだ魚を食べる猫のような目をしていたにゃ」
「……」
「もしかしたら姫にゃん。……ハジメにゃんと仲直りしたいかもしれないにゃんよ?」
重たい声と表情で大事な事を言っているのは分かった。
……ただにゃ。
「ごめん。例えが、特殊過ぎて何を言っているのか頭に入らない」
「にゃっにゃ!」
しかも、死んだ魚を食べるような目を、普通に想像すると、獲物を喰らう野獣の姿。
確実にナニカを始末しようとしている。
……ナニカが俺だという確率は、結構高いのではないか?
と、そんなふうに嫌な予感で背筋を震わせていたら、
――ばぁりんっ!!
唐突に、校舎の窓ガラスが砕け散った。
直後、
「ぁああああああああああああああああああ――っ!」
平和国家の日本には馴染みの少ない断末魔の様な声。
「……な、なんだ? 急に」
校庭で部活をしていた生徒たちも含め、全員が割れた窓ガラスに視線を集める。
……って、二年一組(俺の教室)だった。
「こ、コネコちゃん――」
そのことをコネコちゃんに確認しようとしたのだが……
「ハジメ――っ!!」
割れた窓から、ニフネくんが顔を出し大声で俺の名を呼んだ。
彼がいるという事は、ほぼ間違いなく、二年一組だ。
……ガスでも爆発したか?
「ど、どうした!?」
「お姫様が倒れたんだ! すぐ、来てくれ!」
「は? 倒れた? なんで……爆発? いや、それよりも……」
なんでお姫サマが倒れたからって、俺が呼ばれるのか?
行かなければならないのか? お姫サマが俺に何をしているのか忘れたか?
そもそも、そういうときの為に御影くんがいるのだろう。
「あっ、いや。待てっ。オレが行った方が速いな」
「……は?」
困惑してあれこれ考える俺に、ニフネくんはそう叫ぶと、窓から身を乗りだし……
馬鹿みたいに跳躍した。
もちろん、ここは日本、物理法則に従い落下する。
校舎の二階……高さ十メートルはある場所から。
「ちょっ! ニフネっ~~っっ!」
――ばぁんっ。
俺は叫んだが、それで結果が変わることもなく、ニフネくんがコンクリートで舗装された地面に墜落。
砂埃が起こり、沈黙した。
……え? 死んだ――と、心臓が冗談でなく、嫌な脈を数回打ったあと、
「ハジメぇえええ~~っ」
「へぇええええええ~~っ!」
無傷のニフネくんが砂埃こりから現れ、流れる様に俺をお姫様抱っこで抱え上げた。
「ちょっ……ニフネくん」
「喋るな。舌噛むぞっ!」
「はいぃぃぃっ!?」
俺は知っていた筈なのに忘れていた。
ニフネくんはただの馬鹿だと言うことを。
「行くぞっ!」
「どこにっ!? あの世!? 嫌だっ! 死にたくないっ! 一人で逝けっ!」
「うおおおおおおおおおおおおおお~~っ!」
「ひぃゃやあああああああああああ~~っ!」
俺を持ちあげたニフネ君はそのまま来た道を逆走し、跳躍した。……校舎の壁に向かって。
……降りる分には、ぎりぎり、解る。
だが、登るのは流石に無理だろう。
と、何を叫んでるのか、自分でも解らない悲鳴をあげ続ける。
だが、ニフネくんは、日頃の筋トレの成果か、俺を持ったまま、数メートル近く跳躍し、昇降口の屋上、一回のベンダ、二階のベランダ……と段階を踏むことで、昇りきってしまった。
「にゃははっ♪」
と、愉しそうに軽々付いてきたコネコちゃんと言い……人間じゃない。
「うぅ~~っ」
しかし、それに対して文句を言う時間も、恐怖を振り返る暇も、付いた教室には残されていなかった。
「エルメテル様っ!」
「エルメテルさまっ!」
「エルメテル姫っ!」
教室は椅子や机が無造作に散乱し、ガラスの破片が、飛び散っている。
更に、物凄い力で殴り飛ばされた様な御影くんがロッカーに頭を突っ込んで呻いていて、割れた窓の近くでは、綺麗なお姫サマが倒れている。
その周りをクラスメート達が心配そうな声をかけて囲っていた。
「あっ。ハジメくん。どうしよう。どうすれば――っ。お姫サマが急に倒れちゃったよ」
そんな有様の中、俺に気づいた前髪の女子生徒が涙目ですがってくる。
どうしようと聞かれても、どうすれば良いのか俺が聞きたいぐらいだ。
でも、
「お、落ち着けって。前髪ちゃん」
「前髪っ! ゆいだよっ」
「とにかく何が起きたのかを教えて、お姫サマより、誰か御影くんを助けてあげて」
いきなりこんな惨状に連れて来られてパニックを起こしたいが、そんな俺以上に混乱している前髪ちゃんを見ていると、なぜだか取り乱す事だけはなかった。
「あ、あのね。窓際にいた、エルメテル様に御影くんが話しかけたの。その時、うっかり、エルメテル様の肩に触っちゃって……」
「それであの暴力ゴリラ姫、殴り飛ばしたのか」
気絶したのは、多種族に触られた拒絶反応か。
どこまでも面倒くさい種族だ。
これなら日本も異世界戦争に参加すればよかったのだ……
「ち、違うよ。驚いてたけどエルメテル様は、大丈夫ですって言ったんだよ? でも……」
「やっぱり赦さんって殴った?」
「違うって、そのあと急に凄い風が起こって、気絶したの」
では、窓が割れたのはその時の風か。
「え? 御影くんは? 関係あるよね」
「うん。倒れたエルメテル様を介抱しようと触ったら」
「そこでいきなり殴られた!?」
「ハジメくんっ!」
「……ごめんなさい」
「介抱しようと触ったら、弾かれたように吹き飛んだの」
と、そこまでが、現状までの流れらしい。
御影くんも、助け出した生徒から無事だと聞く。……一安心。
「どうしよう?」
「……って、言われても、触ったら、御影くんコースなんでしょ? 保険の先生を呼びに言って、現状維持くらしか……」
これは人間に起こる類のものではない。
例え、人間に起こる類のものでも、最善の処置方など解らないが、魔法の世界の精霊族なら尚更……
「いや。ハジメなら触れるだろ?」
「は?」
混乱する生徒達の中、ニフネくんは何時もと変わらず、バカっぽく笑って俺の背中をバシンと叩いた。
……痛い。
「思い出してみろよ? だって、お前、お姫様に叩かれていたじゃないか」
「はへ?」
確かに、頬を叩かれたあれも接触って言えば、接触だ。
しかし……
「にゃー見たにゃん。ハジメにゃんが姫にゃんの手を叩くところ」
「……」
「うん。心当たりないの? ハジメくん」
コネコと前髪ちゃんにも言われて、そういえば、初日の時、お姫様が掴まってきた事を思い出す。
他にも、ちょくちょく接触があった気がする……
「けれど……もし、違ったら……御影くんコース……」
「大丈夫だ。俺が支えてやる!」
「にゃーも、にゃんにゃんしてあげるにゃん」
「……」
コネコちゃんには全く期待せず、ニフネくんの肩を叩き、前髪ちゃんに失敗したら、保険の先生や他の先生、オクレ先生以外を連れて来ることを頼んでおく。
「皆。俺がやってみる。離れて」
おいっ、大丈夫か?
それは流石に辞めた方が良いよ。
と、決意を揺らす優しいクラスメートの心配を振りきって、唾を飲み込んでから、倒れるお姫サマの身体を持ち上げた。
ニフネくんの例に習い、お姫サマをお姫様抱っこである。
「おっと……? イケタ? おおっ。俺スゲー」
「ん……っ」
「おい、動くな。意識があるなら、掴まれ。今から保険室に運ぶぞ」
「んっ……ハジメさま……? ……はい」
意識を取り戻したお姫サマが真っ青な顔色で苦しそうに喘ぎ、大粒の汗を流すが、指示に従って、するりと俺の背中に腕を回した。
「ニフネくん。前髪ちゃん。ここ、頼む。ガラスとか散ってるから、二時被害――」
「な、何してるの! ハジメくん!? ……この状況は!? お姫様!?」
「高根さんっ!」
「……ん。良くわかんないけど、ここは私に任せてっ。お姫様を早く。それ、ヤバい気がするから」
「は、はいっ」
そこで、駆け込んできた高根さんにその場を任せて、駆け足で保険室へ向かった。
ぞろぞろと皆がついて来るが、苦しそうなお姫サマを前に気にしている余裕はなかった。