五話 『……怒ってる?』
翌日。四月二日。二年一組。午前七時半。
何時もは登校してきた生徒がぼちぼちと集まってきて、各々自由に過ごす時間帯だが……
今日は、今日も可憐な黄金のお姫サマの周りに生徒たちが集結していた。
昨日の反省を活かして、一定の距離を開けている光景は、高貴な人物に傅いているようで、お姫サマがお姫様であることを強調するかのようである。
同じ、学校のセーラー服を着ているが、全く違う高価なドレスを着ているかのように見えるから不思議。
そんなお姫サマは、昨日少しだけ、揉めた俺の方をちらっちらっと、チラ見して来る。
その度に、ウサギのように長い耳がピクリと跳ねて、赤く染まる。
……昨日から経験上、その動きは怒りの感情だ。
俺が視界に入るだけで、御立腹とは、たった一日で相当嫌われたものだ。
勘弁してください。
「……っ!」
「……」
と、そこで、俺とお姫サマの視線が重なってしまい、お姫サマの顔から微笑みが消える。
更に、耳をぴんっと尖らせて、身体の向きを俺の方へと向けた。
……ヤバい。また殴られる。昨日の片付けがあったが、もっとゆっくり登校すればよかった。
「え、エルメテル様っ!」
不穏な空気を察したツインテール女生徒が、慌てて間に身体を捩込み、その歩みを妨害する。
ヒトに触れられない高貴なお姫サマは、それだけで進路を完全に塞げてしまう。
「あの……少し、あのお方と――」
「分かってます。分かってます。昨日のアレは、全部、ハジメ君が悪いんです。友達を侮辱されて怒るのは、エルフとか人間とか、関係ありませんよっ!」
「……え」
「殴らて当然の事です」
「そう……ですよね」
そうだっ! そうだっ! ハジメが悪い。
ハジメはもう、エルメテル様には近づけませんので、どうか、エルメテル様も近づかないでください。
……アイツ空気読めない人間の底辺なので。
うん。そうだっ! そうだっ!
とかなんとか、盛り上がっている。
お姫様も胸を押さえてホッとしている御様子だ。
「でも……ハジメ君。ちょっと間が悪いけど悪いヒトじゃないから。昨日の失言も、悪気があったわけじゃ――」
敵だらけの教室で、そう言ってくれるのは、前髪で目が隠れた女生徒だが……
「ちょっとユイっ! 何言ってるの! ハジメ君が悪いんでしょ! でしょ!!」
「え? ……あっ、うん……そう……かな?」
拝啓。お母様。昨日は学校に来るなとか言いましたが、もう来ても構いません。
既に、僕はイジメられていますので。
いや、来たところで、母親がこのイジメをどうにか出来る訳もないか。
……俺が悪いって、誰よりも先に、いってきやがったし。
もう見たくもない光景だが、一番後ろの自席に付き、自然に前を向いているだけで、視界に映ってしまう。
だから、お姫サマがもう一度、俺の事を鋭く睨むのも、ハッキリと見える。
……視線を外して、逃げる事は、俺の小さく無駄なプライドにかけてしない。
なぜなら、俺は悪くないと、確信があるからだ。
「でも……やはり――」
視線のあったお姫サマの重心が、再び俺の方に傾く。
コレだけ、皆が俺をイジメていても、まだ、イジメ足りないと言うのだろうか?
……ちょっと根に持ち過ぎだろう。って、言ったらまた殴られたりするんだろうか。
と、そこで、お姫サマに近く男子が一人。
「エルメテル様」
「……はい。何でしょうか?」
このクラスで、高根さんに匹敵する美貌をもち、普通に気さくで、優秀な上、リーダーシップもある生徒。
校内抱かれたい男ランキング、No.1という、謎の記録保持者でもある。
「どうか、ハジメくんを責めないでください。彼も反省している筈です」
「……いえ、私は――」
「今日からは、ハジメ君に代わり、僕、御影 光子が、貴女のサポート役を引き継ぎますので」
「……え?」
爽やかな微笑みで、周囲の女生徒をメロメロにしながら、よろしくお願いします。と、お姫サマへ握手を求めた。
ヨロシクは良いが、俺が反省してるとか言う世迷事はちょっと話し合いたい。
しかし、差し出された御影くんの手を前に、お姫サマは首を左右に振る。
「も、申し訳ありません。私……その……握手の文化は……」
精霊種が多種族に触る事を忌避している例のアレなのだろうが、友好の握手すら拒むのか。
俺だったら、そんな相手と、友好関係を築きたくはない。……昨日の恨みも込み込みで。
しかし、御影くんは俺とは違い、種族の壁を前に、笑顔で言う。
「いえいえ。僕の方こそ。いきなり失礼いたしました」
「いえ……失礼なんて事は……」
「起きになさらず。ゆっくりと慣れて貰えれば光栄です。では、何かあるときは僕に」
「ええ……はい。わかりました……」
御影くんの完璧な受け答えに、自分の小ささが身に染みたのか、お姫サマの耳がしゅんっと垂れる。
だが、すぐに笑顔を浮かべ、周囲の生徒達と言葉を交わしていく。
二日目だと言うのに、既に馴染んで来ているとは……やはり、日本は美人に優しい国である。
……さて。
「で、アレ何?」
お姫サマから視線を外し、目の前で上機嫌な高根さんに話を振った。
……いくらなんでもアレはないだろう。と。
「ん? サポート役交代のこと? ああーっ。言ってなかったね」
「そこじゃないです」
「ん? じゃあ、抜擢理由? それは~ね。元々、御影くんが、お姫さまのサポート役候補だったみたいだよ? だから、学校側としては好都合なんだって。ああっ、オクレ先生は軟禁してるから大丈夫」
「いやいや、だからそこじゃなくて」
「じゃあ、学級委員長の事? もちのんっ。そっちはまだ、やってもらうつもりだよ」
だから、お姫サマ関係や、学校関係など、どうでもいい。
むしろ、言う前に動いてくれたのには感謝しかない。
俺が聞きたいのは……
「なんで、俺、クラスの皆から、弾き出されてるの? 昨日のアレ、一方的に殴られたの俺なんだけれど……それで、このクラスの連中は全員、俺が悪かったって、意見な訳ですか?」
「え……っと。昨日の事は私、わかんないよ。でも、うんうん。君は悪くないね。……多分」
「……」
あからさまに悪いヒトを見る目で言って、距離をとる高根さんには、何も期待していない。
確かに昨日は、一人先に、帰っていたのだから……だから、
「コネコちゃん。ニフネくん。昨日、あのあと何があった?」
聞くべきは、今日も、俺の机で爪を磨ぐコネコちゃんと、バーベル(ダンベルじゃないのが謎)を持って筋トレしているニフネ君。
この二人は昨日、いたからすべてを知っているはずだ。
「ニャーン。にゃんにゃん。みんにゃ、ハジメにゃんが被害者なのは分かってるにゃよ?」
「……」
「でも、ハジメにゃんが帰った後、満場一致で、ハジメにゃんを悪にすることを決めてたにゃん♪」
「……」
くだらねぇ……だろ? と、筋トレを続ける親友に、汗を拭けとタオルを投げ渡す。
「つまりは……」
「必要悪ってやつだにゃん」
「ハジメに泥を被せて、あの別品お姫様を気持ち良く過ごさせるって事だろ」
「……」
コネコちゃんと、ニフネくんが説明してくれた通り、確かに俺を悪にすることで、お姫サマはこのクラスに馴染む事ができている。
……なるほど、皆、薄情だが、考えたものだ。
「……ハジメくん? 怒ってる?」
事情を聞いた高根さんが、俺の表情を伺いながら、尋ねて来る。
怒ってるか? と、問われれば……
「いや。全然。あのゴリラ姫に殴られるよりマシだし。……この方が、お姫サマの目標を叶えるのにはちょうど良い」
「目標にゃん?」
「……学校中の人間と友達になることだってさ」
俺が答えると、筋トレをしていたニフネ君も、爪を研いでいたコネコちゃんも、不敵な微笑みを浮かべていた高根さんも、全員が、クラスメート仲良く話すお姫サマに視線を向けた。
「にゃるほどにゃん♪」
「友達百人出来るかなっ♪ てか? かわいいじゃねーか」
自分の中で納得して呟く、コネコちゃんと、ニフネくん。
そして、
「全員と友達……ね。ハジメくんはそんなこと……出来ると思うんだ」
「友達の定義によれば、出来ると思いますよ」
「悪役のハジメくんを除いて?」
「……さあ? 俺は最初に友達になったので」
「ふぅーん。そういうこと……卑怯だね。ハジメくんは」
高根さんは、暗い声で俺を罵り、くるりと前を向いた。
もう話さないと言うことだろう。
更に、ニフネくんが立ち上がり、
「じゃあ、オレは向こうに行くぜ? 悪役になった友より、ヒロイン役で美人の精霊さんだ。友達になって来るっ!」
お姫サマの取り巻きへと混ざって行った。
「おいおい……一心同体、以心伝心はどうした」
そのアッサリ友を切り捨てられるニフネ君を、俺は結構、好きだったりする。
「にゃーは、愛玩委員だから、悪党にも変わらず愛嬌を振り撒くにゃんよ?」
「……どうでもいいけど、コネコ君。さっき、男子トイレから出てくるの見たぜ」
「にゃぁ――っ!」
こうして、俺がお姫サマのサポート役から、悪役に晴れてジョブチェンジしたことで、異世界交流クラス、二年一組の日常は何の問題も起こらず進むのであった。
ただし、問題がないのは、あくまでお姫サマと愉快な仲間達にとってであり、敵役の俺は常に肩身の狭い思いをすることになった。
例えば、俺がコネコちゃんや、ニフネくんと中身のない話に興じていたとある放課後。
――ずんっ。
突然、お姫サマが近づいてきて、俺の机に平手を叩き込れた。
その一撃は、冗談みたいに机を紅葉型にへこませている。
……悪役なってから、皆の好意を受け取って、お姫サマには一切、近付かず、話さず、視線も出来うる限り合わせなかったのだが、それでもやはり、俺の失言を赦さず、焼討ちにでも来たのだろう。
「ひぃっ!」
「っ! ~~っ!」
俺を睨みつけるお姫サマは、耳を、例のごとくピンッと張って赤く染める。
そんなに怒るなら、近寄らなければ良いじゃないか! と、言ったらまた殴られるのが怖い。
「な、何でしょうか? お姫サマ。ま、また、機嫌を損ねることをしましたか?」
「そんなに……ても……ですかっ」
「はい!?」
「~~っ!」
「ひぃっ」
お姫サマは、机を軋ませながらも、細い手で拳を握り、歯を食いしばって怒りを堪えているご様子だ。
流石は、高貴な婦人。
この前みたいに決定的な失言をしない限りは、暴力を振るうことはなさそうだ。
「あの……ほんと……何ですか?」
「……っ」
「え? 何? 何なのこのお方?」
無言の威圧感に、コネコちゃんとニフネくんが足早に逃げて行き、俺はお姫サマの代わりに、呆然と見守っているクラスメート達に話を振る。
俺を悪役にすることによって、お姫サマを接待し、お姫サマの怒りを俺から避けてくれた生徒たちだ。
この状況も助け船を出してくれるだろう……と。
しかし、クラスメート達は皆一様に、首を横に振って、口パクで、
『解らない』
と、教えてくれた。
……確かに、解らないなら、助け舟を出すことも出来ないな。
「……」
「……」
沈黙が、一分……二分……三分……四分目で、
「さて。俺は部活に行こうかな」
席を立つ事にした。
会話は命の危険が有るため避けたかった……のだが。
「待ってくださいっ!」
「ひぃっ」
「~~っ!」
制服の背中を掴まれ、強引に引き戻された。
更に、耳を赤く染めてパンパンに張りながら、
「今日……クラスの皆様を私のお城に招いてパーティーを致します。……貴方様も来ていただけませんか?」
「……いえ。遠慮します」
「……っ。なぜですか?」
何故ですか?
……そのパーティーに参加したら最後、俺が歴史の闇に葬られそうだからです。
というのが、本心だが、
「えっと……部活があるので」
事実の方で我慢する。
いくら魔法の世界のお姫様のお誘いでも、俺は青春を謳歌する高校生。
部活が優先だ。
「……では、何時なら来ていただけるのですか?」
「活動的な部活なもので……朝も夜も土曜も日曜も祝日も、毎日ありますので」
「~~っ! なら、もういいですっ!」
ぷいっと、ちょっと可愛く拗ねて俺から視線を外すと、今度はコネコちゃんとニフネくんを誘い始めた。
そして、俺の机は崩壊した……。
「にゃ~は、ハジメにゃんと同じだにゃ~」
「俺は筋トレが……」
「高級マタタビと、騎士用のトレーニングルームをご用意しますが……」
「マタタビっ! 行くにゃん♪」
「猫に同じだ!」
更に、やはりというか、期待など微塵もしていなかったが、サクッと懐柔される友人達。
そこで、お姫サマがにんまり笑い再び、俺に視線を向けた。
「と、言うことで、貴方様のお友達は来るそうですよ? だから貴方様も――」
意趣返し。
俺の友人関係を取り込み壊し、孤立させる狙いか。
……別に二人がいなくなろうとどうでもいいけれど。
「いい加減にしてくれ!」
「……え? どうして怒るのですか?」
「当たり前だろ! ……俺が気に食わないなら、それで良いから関わらないでくれ!」
「……私は……ただ――」
「どいてくれっ!」
そういう嫌がらせが、ムカつかない訳ではない。
大きめの声を出し、道を阻む、お姫サマの手を払って部活へ向かった。
後ろで、クラスメート達が近寄って、すかさずお姫サマをフォローする声は聴こえたが、そろそろ本気で国家組織に処理されてもおかしくない。
そんな不安が募っていく。
……学校側が、もし、俺を必要悪としてこのクラスに編成したなら、その狙いは大成功だろう。
なぜなら、既に演技ではなく、本気で、お姫サマを嫌いになったからだ。