十五話 『良いですか? 良いですね? 言いますよ?』
「付き合ってられませんね。元気ならそれで良いですから、俺の心を……」
「ええ。見てしまいました」
「……ぁ」
……ぱりんっ。
と、甲高い、俺の最も大切な何かが、割れた音が、確かにその時、頭に響いた気がした。
脳がスーッと冷えていき、一瞬前と世界の温度が違う。
まるで知らない世界に独りぽつんと立っているような孤独感。
それは俺の絶望だったのかもしれない。
とにかく世界がガラッと変わったのだ。
いや、崩壊した。
何かのスイッチがカチッと入れ替わる。
さらっと認められたが、それは……それだけは……犯して欲しくない……事だった。
だって俺のそこは……俺の心は……俺の本心は……ぐちゃぐちゃで汚くて……臭くて……腐ってて……
「貴方の悩み。心のお姿……そして、形作った境遇……全て拝見いたしました」
「嘘だ……」
否定し、顔を覆って頭を押さえる。
視界がグラグラと揺れている。
座っているのに倒れてしまいそう気がするが、俺は一ミリだって動いてなどいない。
動いているのは視界だけ。
まさに、雷が脳に直撃したような感覚。
考えるだけで、動悸が起こり、吐き気がしてきて、体温が下がり、涙まで溢れる。
……そう、大の高校生が……プライドだけは高い俺が、泣くほど見られたなくて……隠してきた……心なのだ。
それを勝手に見られたなんて……。
そんな俺を見て、知って、お姫サマが何時も通りなわけがない。
だからこれは全て嘘なのだ。
「良いと思いますよ? 何一つやりたい事がないと言うことも」
「っ……辞めろ……嘘だ……嘘だろ……嘘だって……嘘だ!」
嘘な筈なのに、お姫サマから出る言葉は、否定しようがないほど心に重く深く突き刺さる。
全てを見透かされいるあの母と同じように。
俺が一番、恐れていたことが起こってしまった。
「空っぽで、虚無。それが悲しくて、否定する。でも、貴方さまは、自分を否定出来るほど強くない」
そう、俺は弱い。だからこそ、強い心を持つお姫サマを必要以上に嫌悪する。
「……心を騙せるほど強くなかった」
そんな自分を否定したかった。でも、自分を否定することも出来なかった。
「悲運に耐えられるほど強くはなかった……」
凡庸で有り触れた不幸すら、乗り越えることも出来ない弱者だった。
「だから、他人の思想に頼り、染まり、自分が何物なのか、自分の心が、何なのかを見失ってしまった……」
だからこそ、俺より強い者を羨望し、模倣した。しまくった。
でも、それで手に入れた俺は、やっぱり、仮初で俺じゃないと、受け入れられなかった。
「……ぁぁぁっ」
でも、そんなことを言われたって解らない。
俺は俺の心なんて理解していないのだから……
この気持ちすら、俺の物だと信じることが出来ない。
俺は自分すら疑ってしまうほど弱いのだから。
「貴方様の悩みの根幹は、貴方さまに貫くべき自分がないことです」
そう。俺は、凡人で凡骨で凡庸で、ただ弱く、なんの信念も持っていなかった。
お姫サマのような特別な理由も、特殊な環境も、俺にはないのだ。
ただただ弱いだけの凡人の凡庸な悩み。
普通の高校生が、厨二病を拗らせて、特別な英雄達に感化され、憧れた……名もない一般人の無謀な惱み。
「……ハァッ……ハァッ……ハァッ……ハァッ……ハァッっクゥゥうっ」
ああっ、お姫サマの言葉を否定できない。
分厚く築いていた俺の心の壁が、お姫サマの言葉で容易く壊される。
ぽろぽろと涙までこぼれる。
格好悪い。クソださい。何で、箱入りで、幸せしかしらないお姫サマなんかに、泣かされければいけないんだ。
「何一つ……持ってない……その点で言えば、本来、そんな悩みすらも……」
「やめろ!」
「……」
もう、ダメだ。
終わった。
これはダメだ。
こんなのは俺じゃない。
俺じゃないんだ。
……全然違う……違うんだ。
「かっこわるい。かっこわるい。かっこわるい。かっこわるい。かっこわるい。かっこわるい。かっこわるい。かっこわるい。かっこわるい。かっこわるいッ!! ……くそダサい。くそダサい……くそダサい。汚い……汚すぎる……有り得ない。そんなわけない。こんなこと……有り得ない」
「そうやって否定するから駄目なのです。その全てが貴方なのです。受け入れていいのです。変わる必要がないのですっ! ありのままのハジメさまをっ――」
「黙れ! お前に俺の何がわかる! 俺だって解らないのに!」
「……」
「全部。全部! ぜんぶっ!! お前のせいだぞ!」
もう何も考えたくない。
そんで落ち着いてから、全て忘れてしまおう。心の奥に……固くしまってしまえば、何時か忘れられる筈だから。
そしたらまた……俺は、
――ハジメさま。
名前を呼ばれた。両手を握られた。
顔を上げると……絶望で崩壊し、灰色の世界を映す瞳が、高貴で上品で美しい魔法の世界のお姫さまを映した。
世界観の違うお姫サマの姿は、少しだけ苦悩と苦痛を忘れらさせてくれる。
その姿だけで世界を色づかせ、絶望の極寒に暖かい希望をほんのり与えてくれる。
……こんな容姿があれば、幸福の貰いすぎで贅沢に悩むのも頷ける。
誰だって優しくして、愛して、この可憐な花を咲かせたくなるさ。
それを心底、憧れ、憎み、拒む、俺みたいな奴、以外は……
「私の心も見たのでしょう? 私だって同じ気持ちですよ」
「同じにしないでくれ……あんたの心は綺麗だった……真っ白だった。初雪と見間違うほど……でも、俺のは違う」
「当然違います。貴方の心は様々な色が混ざり合い……そして黒に戻る。その繰り返し……」
「なんだそれ……汚い。気持ち悪い……」
黒くて、染まって、黒くなって、また染まって……完全に壊れてる。
想像するだけで吐き気を催す世界。
それが、俺の心なんだ。
だから俺は、俺が一番嫌いなんだ。
「ですね。でも……でも、私は……私はそんな貴方が――」
「もう……何も言わないでくれ……良いんだ……俺にお姫さまの言葉は勿体ない……その優しさは、いずれ出会う王子さまにでもとっとくべきだ」
「ハジメさま……」
いま、どんなに清い言葉を貰ったところで、俺は汚してしまう。
生ごみだらけのごみ箱に捨ててしまう。
今の俺には……どんな偉大な人物の言葉も、どんな崇高な意義ある言葉も、腐った生ごみと同価値になる。
「もう……ほっといてください……憐れみとか……そういうのが一番、嫌なんです。……俺を、そんな目で見ないでください。同情……しないでください。見ないでください」
「……っ。解りました。では、私の話に戻りましょうか?」
「……は?」
泣きわめく俺を見て、お姫サマはニコリと笑って、俺の顔を優しく触り、袖でそっと拭うと話題を変えた。
……自分がどんな表情をしていたか解らないが、おそらく、鼻水を垂らしていただろう。
高校生男子としてのプライドもずたずただ。
でも、そんな現状すら受け入れられず、だからこそ逆に、だんだんと落ち着いて来ているから、また嫌になる。
……もういやだ。
「さっき、私は……ハジメ様の遺伝子を取り込んでしまいました」
「遺伝子……取り込む……」
「私の為にエルフについて勉強して下さっているハジメさまでも、ご存知ないようですね……」
「お姫サマの為に勉強なんかするわけ……」
「ないと?」
「……くっ」
いや、なんかもう、心を見られたのだからこんな否定に、意味がない気がしてきた。
いやいや、俺は、ほんの少ししか、お姫サマの心を見ていないんだから、お姫サマだってそうである可能性が大きい。
いやいやいや、そうじゃない可能性もある。
というか、いまさら、そんな事が晒された所で……ね。
もっとヤバい……場所を……さ。
ようやく、ようやく。落ち着いて来たけれど、なんかその分、ムカついてきた。
やっぱり俺、お姫サマが生理的に嫌いだ。仲直りなんかするんじゃなかった。
……いや、それも今更、意味のない話か。
……もう全部、どうでもいいのだから。
「しましたよ。お姫サマの為に猛勉強……寝る間を二時間も削って、ね?」
「ふふふ♪ やっぱり、そうでしたか。エルフについて詳しいと思っていたんです。ありがとうございます。とても嬉しいです♪」
「……ちっ」
……知らなかったか。
だとしたら、どうでもいいのだけれど、そこまで全てのことを覗かれた訳でもない訳だ。
それでも、俺の根幹を見られたのだから、気休めにはならない訳だけど!
「――で!?」
「せかなさいでくださいよ。ちょっと恥ずかしい事ですから。心の準備も――」
知ったこっちゃない。
俺はあんたのせいでメンタル崩壊したんだぞ!
あんたの目の前で、馬鹿みたいに泣きわめいちまったんだぞ!
何が「えっち」だ、あんたも裏で覗いてたんじゃねぇ~か! お前にだけは言われたくねぇ!
「――で!?」
「うぅ……じ、事実から順番に話します。我々エルフは子を成す時、交配を必要と致しません……もちろん、快楽を得るために、というのならできますよ?」
「……エロフめ、こんなに俺が荒んでるのに、頭はピンクか? 余所でやれっ! ケッ……だから女は嫌いなんだ。もう雌は全て滅びろ」
「荒み過ぎです。それではいずれ雄も全て滅びます。ふぅ~っ。良いですか? 良いですね? 言いますよ?」
「早く言え!」
すーっと大きく息を吸い込んで吐き出して……を続ける事、数回。
「(……私は……私を……私の悩みを……今、乗り越えます)」
「……あ?」
「(ハジメさまが見た私の心は……もう古いんです)」
「……何を?」
一人で勝手に呟いて、そして、硬い決意と覚悟を秘めた碧の瞳をいま開く。
「エルフが子を孕む時、必要なのは……必要なのは――っ」
真っ赤に頬を染めて、頭の後ろに耳を隠して、握る手にギュッと力を込めるお姫サマ。
そんな様子に俺の背筋がゾクッと反応した。
……コレはヤバい奴。
「おいっ! それってまさか!? ちょっ! 急に尿意がっ」
「逃がしません」
「おい! 離せっ! 漏れたらどうする!」
「漏らして良いですっ! ――必要なのはっ!」
「やめろ! それは俺に言うな! 大嫌いなんだっ――」
そこまで来てようやく、俺は悟ったが……
「恋い焦がれる……心……です」