十三話 『ハジメさまのえっち』
エルティア・エル・エルメテルは、生まれる前からエルフの里の長となることが決まっていた。
更に生まれたエルティアは、容姿端麗な精霊族のなかでも一際、可憐な容姿を天命として授かった。
だから、生まれたその瞬間から、万人からとびっきりの愛情と優しさと羨望と好意。
おおよそ凡人が想像できる全ての幸福を注がれて育った。
……しかし。
お姫サマは真っ白で淡泊な場所に独り、人形と戯れていた。
「……あ? なんだ……ここは? ん? お姫サマ?」
気付くと俺は、そんな見知らぬ不思議な場所にいた。
遠いようで近い場所に、お姫サマっぽいエルフの幼女が無表情で人形遊びをしているだけ、他には何も存在しない。
そんな場所が少し怖い。
……幼女が、せめて楽しそうに遊んでいれば、気分が幾らかマシになっただろうに。
「ハジメさま? 何故、貴方さまが私の心窓におられるのですか?」
「……っ」
背後から、突然、聞き慣れたお姫サマの声。
振り返ると、そこにはいつもと同じ、清潔で美しい民族衣装のお姫サマ。
「しんそう?」
「……はい。誰しもがもつ、自我と心の最も深い場所……大切な想い眠る場所」
「つ……つまり、お姫サマの心の中……!?」
「それも奥深く……表の私がひた隠す……大切な場所。……ハジメさまのえっち」
「……」
心の中に入った?
……もう、なんでもありか。
烈風や電撃……そして心。
俺は何時からファンタジー世界の住人になったのだろうか。
「ハジメさまのえっち」
「無視してるんだから、繰り返さないでください。エロフ」
「ふふふ」
そっと笑い、足音もなく俺の隣に並らんだ、お姫サマは、
「ですが、これは表の私がハジメさまを受け入れたと言うことですね……繋がってしまったと言ってもいいですかね」
「……ん? お姫サマ。なんかいつもより、素直ですね」
柔らかい……とでも言うべきか?
いつもなら、俺の知っているお姫サマなら、挑発するとすぐに怒って拗ねてしまう。
「ええ、当然です。心の一番深い場所にいる私ですから……羞恥や怒りで心を覆い隠す事などはありません」
「そのノリだと、俺の知っているお姫サマとここにいるお姫サマは別人格って聞こえますが……」
「いいえ。私は私です。表の私よりちょっと口の軽い私です。ですので仲良くしてくださいね?」
「……」
言って自然に寄り掛かって来る言動は、確かにお姫サマ。
とりあえず一歩離れてから、
「俺、死んじゃったって事ですかね。貴女にマナを吸われて……」
「いえいえ。生きておりますよ? 私がキッチリとお救い致しました。助けを求められたので当然です」
「……」
「いやはや、あの状況で私に、救いを求める姿は滑稽……失礼、とても格好悪かっです」
「……」
無視だ。無視。
普段、思ったことを我慢してくれるお姫サマの方が、数倍マシな気がしてきた。
「でも、また命を助けて頂きました。このご恩は――」
「別に良い。そんな事よりも、俺はお姫サマの心の中で何をすれば良いのです?」
アレは助けようとした訳じゃない。
ただ、俺のせいじゃないと、言いたかっただけなのだ。
お姫サマには、勇者の助けだって、必要ないのだから。
「あまり……何かをされても恥ずかしいのですが……えっちです」
心の中を見られていれば当然か。
俺だってそんなことをされたら……いや、いろいろ隠してる俺の場合はもっとヤバい。
……よかった、俺じゃなくて。
「ですが、ハジメさまはすでに、私の心を覗いたようですね……」
チラリと、お姫サマの視線が幼女エルフに向く。
「お気づきかと思いますが、あの可愛い妖精は私です。今の私より、妖精がお好みですか? ロリコンさま」
「不可抗力だったんですが……」
たった独り。
人形だけを友達にして……遊んでいるお姫サマ。
ただし、けして楽しそうではない。
怖いくらいにつまらなそうに、全ての他人を拒絶するように……ただただ、黙々とたった独りの世界に浸る。
「いくら可愛くても、あまりじろじろと見ないでください。恥ずかしいです」
「……なんで独りで人形遊びをしているんですか?」
「……っ。……ふふ、聞かれたら答えてしまう私ですが、既に観た、貴方さまには、お解かりでは?」
「……」
エルフの姫として生まれたお姫サマは、その瞬間から、あらゆる幸福を浴びつづけた。
「万人から愛情を、万人から憧憬を、万人から好意を……私は受けて育ったのです」
だからこそ、お姫サマは、たった独りになった。
「だからこそ、私は、幸福と言うものが分からなくなりました」
この世全ての幸福を浴びせられつづけたお姫サマは、有り触れた幸福に感覚が麻痺してしまったのだ。
「私を愛する万人は、私に恋する万人は、私が受けた優しさは、私の立場、地位、容姿しか映しておりません」
それが、嫌だと思う事は……きっと、俺は理解できる。
「そんな幸福をどうして受け取れましょうか?」
だから、独りになったのだ。
誰からも幸福を注がれたくないから。
「そんな私を満たす為に、エルフの神託によって貴方さまが選ばれたのです」
「……ああ、なるほど。そういうことか」
お姫サマの悩みは、俺が求めて止まず、理解したいが、出来ない悩みとマッチする。
「貴方さまなら、私を愛さない。私に優しくしない。私を好きになることはない……そう、神託がおりました」
お姫サマが二年一組に転入してきたのは、好きと嫌いが分からない俺がいたから。
そういえば高根さんは、俺を学級委員に推薦したと言ったけど、お姫サマのサポート役については何も言っていなかった。
「ですが、せっかく、対等のお友達になれる貴方さまに、私は嫌われてしまいました……」
これが、あの大規模なマナ暴走を引き起こした理由なのだろう。
「好かれたくないのに……嫌われたくもない……か」
「はい。我が儘だと言うのは承知しております」
「……」
それも、俺は笑えない。
きっと俺も同じだ。
分かってる。
俺が誰かを好きになれないのは、好きになった相手に、好きになってくれた相手に嫌われたくないから。
だから誰も好きになれず、好きだと言われても否定する。
でも、仕方ないじゃないか。
「でも、避けることはないじゃないですか! 私、そんなに酷いことを致しましたか? 仲直りしてくださってもよいではありませんか! ……ただ、友達になりたかっただけなんですよ」
こんな我が儘な俺の気持ちも知らずに、どうして俺を好きになる?
俺が一番嫌いな俺を、どうして他人が好きになれる?
「肌を合わせるのも、心を躍らせるのも、本物の友情を育むのも……私を好きになる方ではダメなのです。私を好きにならない……貴方としか、私の心は満たされないのです」
「知るか! そんなこと!」
「……」
俺は誰かを好きになりたい。誰かに好きになって貰いたい。
俺は好きというものを……知りたい。
でも、俺を好きになる奴を、俺は好きになれない。
そして、俺を好きにならない奴を、俺は好きになれない。
「俺とお姫サマは似ている……と、想います」
「……」
「でも、たぶん、まったく違う」
「……はい」
その違いは決定的で、
「俺は、そんなお姫サマが好きになれない」
「私は、そんな貴方さまが好きになれます」
「俺は、俺を好きになるお姫サマが嫌いです」
「私は、私を嫌いになる貴方さまが好きです」
永遠に交わる事のない平行線だ。
「私とお友達になってください」
「……嫌です。俺は恋人が欲しい」
「恋人ならいくらでも出来ます。お友達が良いんです」
「友人ならいくらでも出来ます。恋人が欲しいんです」
「「……」」
俺とお姫サマでは何も進まない。
何一つ、望みを叶えることが出来ない。
欲しいものを手には入れられない。
「ふぅ~~っ。まぁ……心を覗いてしまったお詫びとして、避けることは辞めますよ」
「本当ですか!」
「でも、あんまり近付き過ぎると、俺がお姫サマを好きになるかも知れませんよ?」
「……それも……良いのかも知れませんね」
「は……?」
そっと、開けていた一歩分の距離をお姫サマが詰めてきて、寄り掛かって来た。
そして、独り人形と戯れる自分の姿を悲しそうに眺めながら、
「あの私を救えるのは、貴方さまだけです」
「……」
「貴方さまなら……私を好きになっても良いのかも知れません」
「……なに言って、それじゃあ前提が成り立たない」
首を横に大きく振って、
「……っ」
俺の右腕にお姫サマの腕が絡まった。
辞めてくれと、振り払っても、離れない。
「私の名前……ちゃんと呼んでくださったのは……本当に貴方さまが、生まれて初めてなのです」
「そりゃ……お姫サマを呼び捨てにするバカはいないですよ」
「……そうですね♪」
「おいっ!」
さっと俺から離れて、くるりくるりとダンスを踊るようにターン。
その姿に目を奪われていると、お姫サマは俺の手を両手で掴んだ。
「――っ!」
柔らかい感触に、どくん。どくん。どくん。
と、心臓が鼓動する。
「表の私がハジメ様に告白することは、今はまだありません」
「……で、しょうね」
「でも、貴方さまから告白すれば、私はそれを拒まないでしょう」
「……そんな……こと……なんで」
激しい動揺。
視界がチカチカ点灯する。
「ふふ、貴方さまには二度、命を救われたんですよ?」
「……だからなんですか」
「他にも沢山の恩を受けました。それだけされて、揺らがないエルフ心はありませんよ」
それでは、お姫サマは既に俺を好きだと言うことか……
だとしたら、俺は……そんなお姫サマを……
「いや、それはおかしい。だって、その分、お姫サマには意地悪して――」
「……そういう意図でしたか。卑怯ですね」
「……っ」
「でも、だとしても、私はまったく気にしておりませんので……むしろ、そういう対応をされたいのですから」
「……いや、だとしても、それで好きってっ! そんなのおかしいだろ! そんな安すぎる! 間違いだ!」
なぜだか、意識が遠くなっていく。
意識だけじゃない。お姫サマの声も……景色も、なにもかも、
「そこは間違いありませんよ? なにせ、私が言うのですから……」
「っ! 待て! 俺はまだっ!」
「ふふ、もう待てません。お目覚めください。ハジメ様。……そして、お選びください。……どうか、再び、貴方さまが私を救ってくださる事を……」
お姫サマの楽しそうな微笑み……それを最後に、俺の意識はプツンと途切れて――
「んっ?」
次の瞬間には、薬品の香と眩しい光が射す、保健室のベッドの上だった。
そして、
「……お目覚めですか? ……ハジメ様」
「……」
俺の手を握って癒しの魔法を使っているお姫様がそこにいた。
俺の顔を見て、耳を下げ、申し訳なさそうな顔をする。
……どうやら、こっちは、現実の……というか、何時ものお姫サマみたいだ。