閑話 『草』
お姫様が俺の隣の席に座っていたとある日のこと。
教室での授業中、ぺたぺたと、密着してくるお姫サマの肌が冷たいのは、年中森の中に住む、精霊族の特徴だ。
汗や皮膚劣化も人間と比べたら皆無と良いため、常に清潔で、爽やかな香りを纏っている。
お風呂に入る文化がなくてもコレなのだから、やはり、空想の世界と言われる魔法の世界から来ただけはある。
「ハジメさま。ハジメさま」
「……あ?」
板書する隙を付き、お姫サマが声をかけてくる。
鼻唄でも、歌っているかのような楽しそうな声色だ。
……授業中、無駄話をするな。と、言わなきゃいけない立場だが、お姫サマにはそれが既に無駄話。
「この前、助けて頂いた時も思いましたけど、あなた、汗くさいですよ? 身体はよく拭いた方がよいかと」
「……代謝がない、アンデットみたいな種族と比べたらな。それにあの時は部活中に、いきなり拉致られたし」
マナ暴走症候群であれだけ苦しんでいたのに、そんなことを考える余裕はあったのか。
この言葉にイラッとした俺が、責められる理由はないだろう。
「~~っ! あなたはそうやってっ! 責めて、けなすのは私だけにしてくれませんか? 他のエルフは関係ありません」
「じゃあ、運ぶとき、クソ重かった。痩せた方が良いんじゃないか? デブフ」
「~~っ! も~う、知りませんっ。 ……太ってなんていませんよ」
「……」
プイッと怒ってそっぽを向くが、肩と肩の繋がりは、離すことはない。
魔法の国の住人にとって、マナのない、この世界は滞在するだけで毒になる。
マナ暴走症候群は、本当に命が危ぶまれる危篤状態だったということだ。
だからお姫サマは、マナ供給が出来る暇があれば、常に補給しようとする。
正確には俺とお姫サマの体内で循環させているらしいが……人間にしてみれば、呼吸の様なものなのかも知れない。
それでも俺は意地悪らしいから、言いたいことは言わせてもらう。
「そんなに嫌なら離れてください」
「嫌だとは言っておりません……あなたさまこそ、ご迷惑に感じていらっしゃるのなら離れて貰っても構いませんよ?」
ちらりと、様子を伺って来るお姫サマの視線を感じた。
ぴくんぴくんぴくんと、耳を何度も痙攣させている。コレは、緊張と好奇心。
最初の日、教室に入る前と同じ動き。
エルフは言葉の声質から感情を読み取れるらしいが、エルフも……いや、お姫サマは、耳の挙動でだいたい解る。……気がする。
「万が一の時。痛い思いをするのは嫌なので……マナなんてものの状態、解りませんし」
「本心を、聞きたいのですが……」
「本心を、話したのですが?」
「~~っ!」
お姫サマのお怒りの視線を心地好くスルーして、黒板に視線を戻すと。
騒ぎすぎたか、コチラを向いていた前の席の高根さんと視線が合う。
「きみは卑怯だね」
「……っ」
声は出ていなかったが、ハッキリと脳に直接響いた気がした。
どうやら俺は意地悪ではなく、卑怯らしい。
――また、別の授業中。
「うーん? これがこうですから……これですっ!」
隣の席で肩を合わせたお姫サマは、数学のプリントを必死に解いていた。
しかし、
「それ……違いますよ」
「あなたが……教えてくれるのですか?」
「嫌です」
「ですよね」
科学のない魔法の世界に数学もなく、勉学に関しては小学生以下である。
教育に力を入れる先進国日本の高校生と肩を並べるには生きてきた環境が違いすぎた。
だが、二つの世界がお姫サマに求めている役割は、勉強ではなく交流。
「別にお姫サマ。学習留学生じゃなくて、交流学生なんですから、ムリに出来ない勉強なんてしなくて良いのでは?」
「あなた様のお気遣いは何時もズレておりますね」
「おい」
「せっかく、異界の知識を学べるのです。この機を逃す理由はありません」
相変わらず、志は大層なことである。
これが魔法の国の未来を背負う姫の姿……俺には到底、理解も真似も出来やしない。
しかし、その努力は無駄過ぎる。
「……なら、『さんすう』から入った方が良いですよ」
「馬鹿にしておられるのですか? ちゃんと受けたアダは数えておりますからね?」
「他人の悪意を讐と取るか、恩とれるかで、既に才能が決まる……って、どこかで聞いたことがありますがね?」
「では、あなた様は……悪意ではなく善意を向けるべきだと思います」
「……留意しましょう」
「さんすうから……ですか」
お姫サマには意地悪と、高根さんには卑怯と言われれるのは、悪意があるからか。
なるほど、考えて見れば当たり前だが、確かにその通りかもしれない。
「でも、お姫サマのこと嫌いだからなぁ……」
「心の声は心の中でつぶやいてください」
「おっと失礼」
「本当に意地悪なお方です」
つまりは、お姫サマが嫌いな俺は、意地悪から脱却することが出来ないということであった。
――そして、また、とある日のお昼休み。
当たり前だが各自、持参したお弁当を自由に食べている。
俺もまた、右に倣えでお弁当箱を開く。
誰もがそうであると確信するが、お弁当箱を開ける瞬間は、何とも言い難い甘美な快楽を感じる至高のひと時だ。
そこに何が詰まっているか? ワクワクが止まらないっ!
……ぱこっ。
「おお~~っ!」
お弁当箱を開けると、そこには贅沢な事に、唐揚げと、白菜とトマトのサラダ。卵焼きに、サラダのサンドイッチ……鯖の味噌煮と、豪華であった。
……昨日の晩飯と、今日の朝飯の残り……のような気もするが気にしないでおく。
バランスとかも悪い気がするが、こちとら花の高校生。
一食の栄養を考える歳ではない。
「にゃ~っ♪ お魚頂きっだにゃん。代わりに骨をあげるにゃん」
「あっ! おいっ!」
「お? じゃあ、オレは唐揚げだな。代わりはダンベルをやるぜ」
「てめぇら……鬼かッ!」
とかか考えていたら、横からハシが伸びてきて、鯖の味噌煮と唐揚げを掻っ攫われた
残ったのは卵と野菜……一気にしょぼくなった。
コレでは気分もどんよりしてしまう。
しかも、さらに俺の気分をさげるのは、にこにと抱擁力の高い微笑みを浮かべているお姫サマがいることだ。
お姫サマとお弁当を囲うのは、便所飯をしたくなるほど嫌なのだが……交流学生の体裁上、誰もが順番にお弁当を囲う。
そして、今日は俺の番であり、お姫サマの性格を考えれば、便所にすら突撃してくる可能性が否めない。
「ふふ、落ち込んでおりますね? では、そんなハジメさまに、施しを差し上げましょう」
「お姫サマ……っ!」
珍しく有益なお姫サマの行為に、初めて感謝をしかけたが……
「では、朝一番。里の畑で収穫したこの『マナの草』を」
「草……」
ちょこんと渡されたのは、どう見ても聞いても、不気味な紫色の葉っぱ。
……草以外が食いたいのに。
「代わりにこの……鳥の卵を頂きますね。コチラの世界の鳥の卵。興味があったんです」
「まてっ! それはダメだ」
パクり。
「はふ? だめでふぅたか? かえしまふ?」
「……」
卵焼きを奪われ、即座に止めたが、手が早く、既にお姫サマの口の中。
「い、いや……もう良いです。はしたないので早くお召し上がりください」
「ほうでしゅか? では、ぱくぱくぱくっ……ふぅ。甘くてとても美味しいですぅ~」
「それは、俺の母に言ってください」
「お母様がコレを? 解りました。では今日、ご挨拶しに参ります」
「嘘です。絶対に来ないでください」
「どうしてですか? あなたには一応、日頃お世話になんているんです。キチンとご挨拶を」
「そのノリだと寿報告だ」
「寿……」
結局、残ったのは草ばかり。
……というか、マナの草? 人間が食べて良いものなのか?
「大丈夫ですよ。マナが豊富で、漲る筈です」
「……」
マナが漲った所で、それを活用するのはお姫サマだ。
……お姫サマ好みに身体を改造されている気分。
よし、食べない事にしよう。
と、そんな事をしていたら……
「おい? 今の見たか? お弁当とエルメテル様の草。交換してくれるらしいぞ」
「なんだと! それは欲しい!」
「わ、私もちょっと興味あるかも……」
「同じく」
「「「「エルメテル様~っ♪」」」」
目をつけたクラスメート達が、お弁当を片手に群がって来る。
……どんだけ草が好きな連中だ。
「わっ! 交換ですか? ……しかし」
皆、自分のお弁当で一番、良いと思う一品を手にして。
何か圧の様なものを纏っている生徒達に、お姫サマは一瞬怯んで、横目で俺を見てきたが……別に助けを求めている訳ではなく。
俺に渡してしまった『マナの草』を後悔しているのだ。
いまさら返せとも言える訳もなく、だとしたら、寄ってきた生徒達を断る事も出来ない。
「……は、はい。良いですよ。お好きにどうぞ」
恨めしそうに睨んでから、すぐに完璧な微笑みを宿し、交換に応じていく。
すると、みるみるうちに、不気味な草が消え去り、豪華なお肉の山が出来上がった。
「うっ……」
草を貰って満足そうに散っていくクラスメート達の背中で、代わりに残った肉の山を意味深に見つめて……
「感謝して……頂きましょう」
呟いて唾を飲み込み、箸を付け、お肉を口に運ぶ魔法の国のお姫サマ。
一連の動作、全てに品があり、誰もがその仕種に見とれてしまう。……が、
ひょいっ。
「……え?」
「もぐもぐ……」
俺は、その肉を掻っ攫い、胃袋に入れてやった。
「ハジメ……さま? 何を?」
「悪いですね。ちょうどお肉が食いたかったんです」
「……? ……っ! で、では。そちらの草と交換してくれませんか?」
不思議そうにじっと俺を見つめてから、ハッと何かに気づき、そう提案してくる。
「肉と草なら、断る理由はないですね」
「……ありがとうございます」
もちろん、肉が食べたかった俺は、その提案に乗って、野菜とお肉を交換していく。
さりげなく不等化交換で。
「……ん? 珍しいね。ハジメくんが他人の食べ物を奪うなんて……そんなにお腹減ってたの?」
それを見ていた、高根さんが追求してくるが、無視する。
俺は肉が食いたかっただけだ。
「ハジメにゃんはツンデレだにゃん♪」
「……ん? どいうこと?」
「エルフのお姫にゃんはお肉が嫌いなんだにゃん」
「ふぅ~ん。そういうこと。優しいんだね。ハジメくん」
「にゃん」
だから、俺は肉が食いたかっただけだ。
他に意図はなかった。
「いえ、嫌いという訳ではないのですが……その。肉類は……苦手で」
「……ん。そういうことなら、私もサラダと交換しよっかな?」
「俺も筋肉ならあるぞ?」
「にゃ~はお魚が欲しいにゃん♪」
「え? きんにく? おさかな? ですか?」
もちろん、エルフ族が肉類を好まない事を知っていた……というのも関係ない。
「……ありがとうございます。ハジメ様」
「俺は肉が――」
「ふふ、それでも……ありがとうございました」
「……」
この時のお姫サマの笑顔は……悪くないと思った。