とりあえずもう限界じゃない?
しまったな……。
茂みをかき分ける音を聞きながら、俺は今日何度目になるかわからない後悔をしていた。
決して油断をしていたわけじゃない。それどころか、細心の注意を払っていたつもりだ。
蜘蛛型の強みは速さもあるが、それ以上にあの体勢。
低い位置に身体があるせいで、茂みの中に入ると簡単に姿を見失ってしまう。
そうして姿を隠したところで、持ち前の機動力を活かして相手を翻弄し、隙ができたところを突いてくる。
「うおっ!」
右から飛び出してきた蜘蛛型の攻撃を間一髪のところで避けると、そのまま蜘蛛型はまた茂みの中へと姿を隠す。
さっきからこればっかりだ。
ヒット&アウェイ。
攻撃自体はあたっていないものの、反撃できないタイミング、方向から責めることで、何もできない相手にストレスを与える戦法。
相手の我慢が切れ、隙が生まれるのを待つ。
厄介なことに、この方法は今の俺にはかなり効果的なのだ。
先の戦闘に置いて、俺はあまりにもダメージをくらいすぎた。正直立っているのも限界で、なんだったら今にも気絶しそうなほど。それを知ってのことなのか、この蜘蛛型、俺が倒れるのを待つように無理な攻撃をしてこない。
わざと隙を見せてカウンターを狙ったのにもかかわらず、この蜘蛛型はそれには釣られなかった。
相方を待って、確実に俺を殺そうとしているのかもしれないが、今の俺にはその時間すらない。
「テッドはどこに行ってんだ……」
さっさと出てきて片付けてくれないだろうか、とあたりを見渡してみるが現れる気配はない。
俺を見失ったか? いや、アイツならこの程度の広さの森、一瞬にして一周二周できるはずだ。なぜ来ない?
考えたところでアイツが来そうにないことに変わりはない。
覚悟を決めるしかない。
「さっきよりはやりやすくはなったが」
幸いと言っていいのか、さっきまでの二対一とは違って、今は人型のことを考えなくていい。
周囲の音だけに集中さえすれば、姿は見えずとも位置の特定はできる。
「油断はするなよ、俺」
先ほどの一件然り、ただの突然変異の魔物だと思ってはいけない。
俺よりも知性のある魔物、格上の敵だ。
音だけに気を取られすぎると、さっきみたいに音に釣られる。二対一ではなくなっても、決して自分が有利だとは思わないこと。
「っと……」
目を閉じると、ふらっと目眩のようなものを感じた。俺の身体もそろそろ限界が来ている。
キキョウと会話したことで多少体力が回復したのでは、と思ったが、結局のところ思っただけでそんなものはただの錯覚。
「短期決戦が好ましい……が」
ヒット&アウェイを仕掛けてくる敵に攻撃を与えるのはなんとも難しい。
俺に攻撃を当てようとしているようで、当てる気のない逃げの一手。
かといって少しでも気を抜けば、たちまち俺の首は地面にポトリ。
まさに今の俺には最悪の敵といっていい。
海のハンターと呼ばれる鮫が獲物を捕らえる際に円を描くのと同様に、攻撃のタイミングを待ち続ける蜘蛛型。
あちらから攻撃を仕掛けることはないだろう。あるとすれば、人型と合流した後、つまりそれは……。
「俺がやるしか、ないんだよな……」
押しても引いてもどうにもならないのならこじ開けるしか方法はない。
改めて状況を確認しよう。
高い学習能力のほかに、コイツらには知性や理性がある。俺の状況、自分の有利性、それらを加味した上で最善を選んでくる。
下手な隙に見せかけたカウンターを狙うのはほぼ不可能と思っていいだろう。
「手持ちには、スクロールが五枚。……だが」
五枚の内の四枚は俺がよく使う【壁】のスクロール。残り一枚は、俺にも実はわかっていない。
この一枚はつい先日、急にトーカから渡されたものだ。
――本当に命の危険が迫ったときに使って。
そう言われて持たされたこれは、どういうスクロールなのか、最後まで教えてはくれなかった。
ただ、最後に。
――地獄の先は、地獄かもしれないけど……。
って、怖ぇよっ。なんだ、なんなんだよ、このスクロールっ。
そんなことを言われたら、命の危険があっても使う気がなくなるんだが。
あの言葉の真義はわからないが、とにかく今これを使うべきではない。そう直感が告げていた。
「四枚の【壁】……まぁ、それしかないよな」
思いついた作戦は一つだけ。
それがうまくいくか……可能性は低い、けど。
「失敗すれば死ぬ」
その言葉は俺に重い緊張だけを与える。
しかし、その緊張感が負荷となるわけではない。
当然だ。
俺は普段からそういうことばかりをやっているのだから。
明らかに自分より格上の相手を前に逃げ出すことはアイツらが許さなかった。それどころか、俺はいつからか自身の死よりもアイツらの全面の信頼に恐怖するようになった。
その俺が今さら必然ではない死にビビるわけがない。
「……ふぅ」
ゆっくりと、身体の中に溜まった疲労を吐き出すように呼吸した。
いつだって俺はこの呼吸から始まる。トーカと戦うときだって、ヤンバとミアンを相手にしたときだって、俺はこの呼吸でスイッチを入れる。
敵の位置を聞き逃すな。相手がフェイクの音を鳴らそうとも、惑わされず、しっかりと相手を捉えろ。
そう自分に言い聞かせて俺は剣を【置換】する。
その瞬間、俺の真後ろから何かが飛び出す音がした。
後ろっ、と見せかけて……!
俺は振り返るように半身を仰け反り、それを体の正面で見切る。
そして俺の予想通り、それは蜘蛛型本体ではなく、ただの木の枝だった。
ここに来るまでの間にわずかに聞こえた枝を折る音。
魔物がそんな小細工をするわけがない。だが、コイツらを魔物とも今さら思うわけがない。
「本体は、ここだろ!?」
俺は剣を避ける勢いをそのままに回転するように右足を腰の高さで振り抜いた。
「グガッ!?」
踵にあたる感触が俺の予想を証明する。
顔面に強烈な蹴りを入れられた蜘蛛型は木にぶつかるまで転がると、驚くように顔を上げた。
なぜ、とでも言いたそうな顔だ。
「テメェはさっきから俺の背後、もしくは頭上を取ろうとしすぎなんだよ」
とにかく俺の死角を取ろうとするのは、おそらくこの蜘蛛型の特性というものだろう。
背後を取るための駆け引きをコイツは知っている。
ただ単純に死角から飛び出すのではなく、相手の動きを誘導し、確実な死角からの一撃を狙うスタイル。
「掴んだぞ、お前のスタイル」
俺はありとあらゆる剣術を学ぶために、ありとあらゆる道場、冒険者に教えを乞いた。それは自分の技術を高めるためもある。だがその他にも、俺はありあらゆる剣術を学ぶことで、未知の剣術を相手にしたくなかったからだ。
自分の知らない攻撃、太刀筋、剣技を相手に俺はなすすべもなくやられてしまうだろうから。
俺は知らない攻撃に対処できる天才じゃないから。
「迷彩懐忍剣術」
おそらくこの蜘蛛が倒してきた冒険者の中に、この剣術の持ち主がいたのだろう。ところどころアレンジが加わっているが、その根っこは同じ。
敵を翻弄し、最後は死角。
「今度はこっちから行かせてもらうぞ」
俺が真っ正面から突っ込むと、蜘蛛型は慌てたように横に飛ぶ。
「逃がさねぇ」
俺は蜘蛛型が寄りかかっていた木を思いっきり蹴ると、蜘蛛型を背後から追う。
背後を取られた蜘蛛型が次にするべき行動は。
「方向転換」
「ギッ!?」
蜘蛛型は飛んだ先にある木に全体重を乗せるとそのまま後ろを振り返る。
真っ正面から突っ込んでくる相手には、逆に真正面から返す。
その行動に驚いた相手の一瞬の硬直に軽めのジャブを与える。
「全部わかってるぞ」
蜘蛛型が飛びかかってくる直前に、蜘蛛型の顔に向けて剣を前に出す。このまま俺に飛びかかろうものなら蜘蛛型は間違いなく顔を貫かれて絶命するだろう。
「ギィッ!」
それに気付いた蜘蛛型はなんとかしてその未来から逃げようと、急遽四本の足で真横に飛んだ。
だが、本来真後ろに飛ぼうと重心を傾けていたのを、今さら横にずらすことなどできやしない。その反応、足の使い方は人間では到底できないものだ。横に飛ぶことができただけでもありえないと充分に言える。
しかし、だ。
「魔物だということを基準にすれば、ありえなくはない」
そしてそれは……すでにもう手を打ってある。
「ガァッ!?」
無理して飛んだ蜘蛛型の身体は空中で突如止まった。
まるで、そこに見えない壁があるかのように。
「驚いている暇はないぞ」
【壁】のスクロールに追突した蜘蛛型を地面にたたき落とすと、身体を押さえつけるように右手をかざした。
「重力付加」
この程度の重力操作でこの蜘蛛型は止まらない。だが、この一瞬の隙がほしかった。
俺は懐に手を伸ばし、すかさず正面の垂直に立てられた【壁】に垂直になるように二枚の【壁】を、蜘蛛型を挟むように貼る。
そして最後の【壁】のスクロールを取り出すと、地面と鋭角になるように貼る。
ひらがなの「へ」の形を【壁】で作り、その左右も【壁】で遮断する。さらに、地面と鋭角になるように貼ったため、この牢獄に囚われた蜘蛛型は自由に動ける空間がない。
ほんの少しでも動けるのであれば、スクロール自体を切り裂けるだろうが、重力付加も加えられたこの状況では、もはや計六本の手足をばたつかせるのが精一杯だろう。
「……はぁ」
なんとかうまくいった。
そう思った途端、身体の力がフッと抜けた。どうやら忘れていたダメージを思い出したようだ。
俺は牢獄の上に寝るように倒れた。
文字通りもう動けない。脱力して動かすこともできない腕を見てみると、ピクピクと痙攣を繰り返していた。
そもそも俺は蜘蛛型を倒す体力なんてなかったのだ。
剣を【置換】したときに、剣を握ったときに気付いた。少しでも気を抜けば剣を落としてしまいそうだと。そんな状態で、手榴弾にも耐え抜いた蜘蛛型の肉体にダメージなんて与えられるわけがない。
つまり、俺は追撃をしながら、追撃の威力など端から持っていなかったのだ。
追い詰められていく蜘蛛型が躍起になって、俺と同士討ちになろうものなら、それは決して同士討ちにはならなかっただろう。
「さすがに、スタイルはわかっても魔物の心まではわかんねぇよ……」
空を見上げると、木々の隙間から僅かな光が俺を照らしていた。悪くない気分だった。
だが、まだだ。
実はこの作戦、大事な賭けがまだ残っている。
この蜘蛛型を捕らえた後、誰がこの蜘蛛型を討伐するか、だ。
つまり、キキョウがあの人型を討伐して、ここに来ることが絶対条件。
「勝てるのか……?」
キキョウの実力を俺は知らない。
もし負けて、ここに来たのがキキョウではなく人型なのであれば……。
ガサッ。
「っ……!」
茂みの中から誰かが来る。
まさかもう決着がついたのか……?
全身から緊張の汗が吹き出す中、現れたのは――




