幕間 悲しき少年と悲しみの少女
――さて、ここからが僕の番かな。
これまでの盗賊行為で培ってきた速さを武器に無事に内に潜入を果たした僕は、大きく背伸びをして辺りを見渡した。
ここは俗に言うスラム街というものだろうか。
『独立』というよりは『隔離』と言うべきだろうか。
廃れた街から漂ってくる鼻に刺さるキツい汚臭と、感染するのではと錯覚してしまうほどの重たい空気。
これだったら、確かに落ちぶれた者達の、いわゆる『ゴミ捨て場』なんて言われてもおかしくないわけだ。
「盗賊時代を思い出すね」
あの頃はあらゆる国から追われている身だったせいか、こういう空気の中で生活してきた。だから、この空気はむしろ懐かしいくらいに思える。
「皆は今頃何をしているかなぁ……なんて」
今は昔に想いを馳せている暇もない。
あらかじめ準備していた服に着替え、口元を隠すようにバンダナを巻く。
人というものは、顔全体を隠すまでもなく口元を隠すだけでも相手が誰なのかわからないものらしい。
さすがに親密な間柄となれば話は別だけど、まさか敵国に堂々と入っているとは誰も思っていないはずで――
「……あらら」
そう思ったところで、家の壁に貼らされた何枚かの紙に気付いた。
「完全に僕達の似顔絵だよね、これ」
だからといって無防備なはずもなかった。
その数枚の紙にはかなり出来のいい僕達の似顔絵が描かれていた。
貼られてから長らく経っているのか、ところどころ薄れてはいるが目元から口までかなりのレベルで再現されている。
お金持ちの家にある肖像画にあってもいいくらい。
「……あれ?」
しかし、そこで僕達のパーティの人数より一枚だけ少ないことに気付いた。
僕達のパーティは六人構成。けれど、貼られているのは五枚。
セラフィ、イグス、ケイラ、シュリ、そして僕。
「リオンだけがいないや」
これを知ったらセラフィとケイラが顔を真っ赤にして怒りそうだけど、当のリオンはきっとどこか満足げな顔をするんだろうなぁ。
リオンは自分を過大評価しすぎだとよく言うけれど、僕達からしてみればリオンは自分を過小評価しすぎなんだと常々思う。
僕達のパーティのリーダーは名目ではセラフィになっているけど、実質的には間違いなくリオンだというのに。
「本当はリオンもいます、って書き足してやりたいところだけど」
そんないらんことをするな、とリオンに怒られることが目に見えている。
ということで、少し不服ではあったけど紙の後ろの壁に『一人足りない……』などという少しホラーを思わせる文だけ付け足してその場を後にする。
「さて、そろそろ行こうかな」
あまり皆を待たせている間に騒ぎを起こされても困るわけだし。
王城を探検する僕が言うのもなんだけれど、セラフィとイグスは本当に落ち着きがない。
それに加えて、セラフィとイグスの起こす騒ぎはいつも予想外なものだし、それを止めようにも二人を止めるのには僕達ではあまりにも力不足だ。
あの二人を止められる唯一の存在はリオンだけだ。
「それなのにリオンは……」
まぁ、リオンの思うところもわからないわけじゃないんだけど――って、はっ。
いやいや、そんなことを考えている場合ではないんだって、僕ってやつは。
一つのことになかなか集中できないのが僕の悪い癖だ。
また違うことを考える前に早く僕の役割を果たすとしよう。
「とにかくまずは行動から」
手配書はあるけど、実際に手配書を見てその顔を覚えている人はいるようでいなかったりする。
作戦通り口元だけ隠しておこう。
あまり大きく隠してしまうとそれだけで怪しく思われてしまうわけだし、これが限界だろう。
そんなことを考えながら大きな通りに出ようと足を一歩踏み出そうとしたところだった。
ウゥ――――――――――――ッ!!
大きな爆発物が落とされたみたいな破壊音の後に、けたたましいサイレンの音が国全体から響き渡った。
何事もなく歩いていた国の人々達はその音に足を止め、僕も思わず動きを止めていた。
……これはやっちゃったかも。
と思ったのも束の間、どこからか放送が聞こえた。
『侵入者です。北西の壁が破壊されました。北西部の皆さまはただちに避難してください。繰り返します。侵入者です。北西の――』
間違いない。やってしまったようだ。方角から見ても間違いないわけだし。
「早くないぃ……」
まだ何の行動も起こせていないんだけど。
やってきたことと言えば、リオンの存在を壁に仄めかしてきただけなんだけど……。
でも、こうなってしまった以上覚悟を決めなければいけない。
とりあえずこれからの行動としては……。
「他人のフリかな、うん。これしかないよね?」
僕は何も知らない一般市民。
だから誰が壁を破壊したのかなんて、大体予想はつくけれど知らない知らない。
☆★☆
――私が生まれたとき、私という存在を自覚した。
私が目を開けたとき、私は不思議な液体の中にいた。
口元に機械が取り付けられていて、そこから空気の入れ換えが行われていたんだろう。
私が最初に見たものは液体越しの数人の顔だった。
喜びの表情だった。
液体越しだったから細かい表情までは読み取れなかった。
けれど、なんとなく。
なんとなく、この人達は喜んでいるんだろうな、とわかってしまった。
次に思い浮かんだのは、この人達が私を生みだした、という事実だった。
つまりこの人達が私の主ということになる。
主の喜びは……私の喜び。
だから……笑うべきだと思った。
思ったのに……。嬉しいのに……。喜ぶべきだと思ったのに。
顔の下にある小さな膨らみの内側がチクリと痛み、目から何かがこぼれた。
その何かは液体にすぐに溶け、未だにその正体がわかっていない。
それからは痛みの連続だった。
全身を細かい刃のついたもので切りつけられた。痛かったけど傷は一つもできなかった。
主は喜んだ。
メラメラと燃える獄炎の中に放り込まれて歩かされた。痛みに似た何かに襲われたけど身体に異常は得られなかった。
主は喜んだ。
寒冷耐性実験と称して、全身を凍りづけにされた。動けないけど思考だけはしっかり持てていた。
主は喜んだ。
人が見えなくなるほどの高さから落とされた。最初の一回で私の身体はバラバラになった。
主は苛立った。
そうすると、全身をもう一度あの液体の中に放り投げられた。バチバチという音がした後、気が付けば私の身体は元通りになっていた。
主は安堵した。
もう一度落とされた。今度は四肢が変な方向に曲がるだけだった。曲がった腕を何気なく元通りにした。
主は喜んだ。
磔にされた人を突然目の前に出された。その人の腕を掴むと、ゴキリッと力を入れずに曲げた。
主は拍手した。
次の日、同じ人が青ざめた顔でまた私の前に現れた。今度は足をボキッと折った後、力一杯引っ張ってそれを分離する。
主は腹を抱えて笑う。
次の日も現れた。何かを必死に伝えようとして口を開閉しているけど何も聞こえない。主の命令に沿って動かなくなるまで拳を赤で染めた。
主は頷きを繰り返す。
その次の日、次の日、次の日……。
主は喜び、苛立ち、落胆し、安堵し、拍手し、笑い、頷いて……また喜ぶ。
主が喜ぶ姿を見ていると、喜びを強いられるように私も笑う。
笑って笑って……何かを失っていくような感覚を味わう。
もうやめてほしい、と考えることもできなかった。
痛いのはもう嫌だ。熱いのも嫌。寒いのも嫌。身体をいじり回されるのも嫌。主が悲しむのも嫌。主が笑うのも嫌。人が動いているのも嫌。人が動かないのも嫌。人が人でなくなるのも嫌。私が私であるのが嫌。私が他人でも嫌。私が失われていくのも嫌。私が生まれたことも嫌。
何もかもが嫌になっていった。
嫌だけど何かに従うしかない私はやるしかない。
嬉しいけど嫌。嫌だけど嬉しい。
そんな毎日を繰り返しているうちだった。
苦しいよ……。苦しいよ……。
自分の中から何かが聞こえた。何かの悲鳴が聞こえた。
それが初めて「聞こえる」ことを学んだときだった。
あなたは……誰?
初めての「声」を発した。
けれど初めての問いに、初めての答えは返ってこなかった。
やめてよ……。やめてよ……。
初めて聞こえた声は、私の手で動かなくさせたあの人を思い出させた。
怖いよ……。助けてよ……。
突然、自分の内側が痛みを発した。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
この痛みから逃げようと思った。逃げないといけないと思った。
きっと私がいなくなったら主が悲しむけど、悲しむ主を見たくはないけど、そもそも主を見たくない。
私の身体はきっといろいろおかしいのだ。
こんな力はきっと間違っている。
間違っているのに……どうして私は。
――外の景色を見てみたい。
突然、そんなことを思った。
液体に包まれているとき、私はすべてを満たされるかのような感覚を得る。
外に出なくても満たされているから。出る必要はないのだと言われているかのように。
けれど、今日だけは違う。
今日は確かに何かを感じたのだ。自分もわからない何かを感じたのだ。
私を容器に移した後のほんの僅か、微かな一瞬だけ主は私から目を離す。
そのときに外に出よう。
私が知らない何かを見てみたい。
そうして、私は実行した。
容器に移され、主が私のいる部屋から出てすぐのことだった。
容器の内側から壁に向かって手を伸ばす。
ものを壊すのはこれまで何度もやってきた。ただ、今日は破壊の対象が違うだけのこと。
伸ばした手のひらに見えないエネルギーを集めると、一気に解放した。
ビュゥンッ。
という音がいつものように出る……そのときだった。
ドドオォ――――――――――ンッッ!!
私のとは違う爆発音が私の破壊音を塗り潰した。そして次の瞬間には、甲高い音が響き渡った。
きっとその爆発音が私を呼んだのだと、そう思った。
その音に引きつけられるように、私はようやく液体から脱出する。
ゆっくりと、ゆっくりと歩みを進めて……。
私は……。




