第初話 エイリアンりく 其ノ伍
高校生活最初の夏休みを満喫するべく初日から宿題を片付ける新垣リクと幼なじみ達。しかし彼らが風呂場で『初』めて目にしたそれは、およそ地球の常識が通用しない謎の生命体で―――!?
「話半分なんて都合がよすぎるんだよ。半分も信じる必要なんかねえ。九割は疑ってかかった方がいいな」
005
俺と宇宙人は、今にも崩れそうな古いラーメン屋の跡地に来ていた。
「おいオマエ。やっぱ嘘じゃねえかよ。オレをこんなところに連れてきて一体どうするつもりだ? 言っておくけど、宇宙人からダシを取ったってロクなラーメンなんかできやしないゼ」
「宇宙人からダシって、そんなケロロ軍曹みたいな発想をしたことがねえよ、俺は」
間一髪一命をとりとめた俺は叶夢と引七海、それから舞姫に簡易的ではあるが状況を説明し、とりあえずこのまま全裸でいられると宇宙人ではなく俺の側が連行されかねないので叶夢に自宅から服を取ってきてもらってそれを着させ(胸のサイズ的に舞姫と引七海の服では間に合わなかったのだ。引七海の顔がそれはそれは不機嫌そうだった)、俺は彼女を連れて自宅から少々の距離にあるこの潰れたラーメン屋に足を運んでいた。お陰様で時刻は午後九時を回っている。
「へえ、ケロロね。オレはクルルが好きだけどな。あの嘘か本当かわかんない口ぶりがたまらなくそそるゼ」
「え、何? 宇宙人ってケロロ軍曹知ってんの?」
「宇宙人が宇宙人を題材にしたアニメを知ってるなんて当然だろ。敵情視察ってやつだよ」
そもそも宇宙人がアニメなんて物を知っていること自体、既に当然とはかけ離れていると思うのだが、しかし彼女の口ぶりはどうやら嘘ではないらしい。
「クルルと言えば、オマエはカレー先輩って言葉を聞いて他には何を思い浮かべる?」
「あ? まあシエル先輩かな」
「お、趣味が合うなあ。気に入ったよオマエ」
アニメの話題で宇宙人に気に入られてしまった。
非現実的な話ではあるが、しかし星々の外交もこんな風に丸く収まってくれれば温厚に事が進むのかもしれない。
「……んで、ここはカレー屋じゃなくてラーメン屋みてえだけどよ。こんなところになんか用か?」
「ああ。今からここに住み着いている浮浪者にお前を合わす」
「なんだよ。オマエは自分が犯すより誰かに犯されてるオレを見てる方が興奮すんのか?」
「そんな特殊的趣味嗜好は持ち合わせちゃいねえよ。そもそも俺は、エロマンガにしろ同人誌にしろ純愛イチャイチャ物が大好きなんだ。嫌がっている女の子に無理手を出すような下劣な真似などしない」
「はーん、真摯な奴だねー。オレは寧ろ、人にしろ物にしろ、誰かの物を騙し取るのが大好きだからなー」
「なんだよ。もしかして万引きの常習犯なのか?」
「いやいや、万引きなんてそれこそ下劣の極みじゃねえかよ。販売されてるものには金額的な付加価値がついてんだろ。そうじゃなくて、そんな軽いもんじゃなくて、愛情とか温情とか何かを大事に思う気持ちとか、そういう複雑に絡み合った感情が込められたものを騙し取るのが好きなだけだよ」
「万引きよりよっぽど重罪だな、それ……」
まあ理屈はわかる。恐らく人の彼女とか人妻の方がフリーな女性より興奮する、という男性の気持ちもそういうところから来ているのだろう。所謂寝取り物とかいうジャンルも、そういった諸君の欲求不満を解消するために発展したコンテンツなのだ。
人の恋人取っちゃいたい。
本来なら許されるはずのない感情で、だからこそそういう恋の方が燃えるんだとか。
まあ俺には関係のない話だが。
男女交際は誰も幸せにならない―――これが俺のモットーだ。世の中のセオリーに反しポリシーを無視したとしても、俺はこの一家言を掲げて無様に生きるつもりである。
愛した人を失うのは、もうこりごりだ。
「で、このボロっちい建物には誰がいるんだよ。ラスボスか?」
「さっきも言っただろ。浮浪者だよ。……まあ、ある意味ラスボスみたいなやつだけどな」
「へえ」
少々入り組んだ路地をちょっと曲がった先にあるこのラーメン屋は、今は完全に跡地と化している。俺が小さい頃は何度か家族や叶夢や引七海達と訪れたこともあったラーメン屋であり、ここの味噌ラーメンは豚骨が結構効いていて俺は結構好みの味だったのだが、すぐ近くに別のラーメン屋が何件も立ち並んだことにより利便性の面もあってかあまりこのラーメン屋に足を運ぶことはなくなった―――そうして気が付けば、店を畳んでいたのだ。
中は完全に蛻の殻であり、数席ある客席とカウンターが残っている以外に、ラーメンを作る鍋だったりお玉だったりざるだったりと言った調理器具などは全て持ち主によって撤去されている。道具さえあればまたぞろラーメン屋を営業できなくもない環境ではあるが、しかし外装も大部傷んでいるし店内も老朽化が激しく、きっとラーメン屋を始めたいなら一から立て直した方がよっぽど無難であるだろう。
「じゃあ、入るぞ」
外側まで油で若干べたついた取っ手に手をかけ、ガラガラッと店の扉を開ける。こびり付いて店外まで漏れ出していた豚骨の油臭いにおいは店内にはより一層充満しており、こちらの衣服までギトギトしそうになる。ただ俺は、このいかにもな老舗感が実は結構好きだったりもするので、そこまで強い不快感は覚えなかった。
「うっわ、クッサ……はあ、今からこんなにおいも気にならなくなるくらいにメチャクチャに犯されちまうのか」
「このにおいが気にならなくなるくらいって、それ大分精神まで凌辱されちゃってるな……」
どうやら宇宙人にはこのにおいはきついものがあるらしい。まあ宇宙人に限らず叶夢や引七海でもあまり好き好んでここに足を運ぶことはないため、多分異常なのは俺やここに住み着く奴らくらいだろう。
「あン? なんだコイツ」
と、意外と滑らかに動く扉を開けて店内に入ったところで、宇宙人は異様な物を目にした。俺にとっては割と見慣れた光景であるが、どうやら彼女には理解に苦しむ状況らしい。この様子だけ見てると、案外宇宙も狭い世界なんじゃないかと思えてくる。
一人の少女が土下座をしていた。
店内は意外と広く、カウンター席も七席ばかりあるのだが、そのカウンター席の前で、さながら店主に対して深々と謝罪をする形で、一人の少女が土下座をしていたのだ。
「またか……」
まあ見慣れたと言ってもやっぱりこんな不良でも溜まりそうなボロい建物で、場所にそぐわぬ可愛らしい少女が額まで擦り付ける形で土下座を決め込んでいる状況は世間的にもよろしくないし、かと言って見て見ぬ振りをするのも俺の中の正義感がそれは何かが違うぞと語りかけてくるため、一応声をかけた。
「結亜。土下座はよせ土下座は」
「え? ……あ、ダーリン!」
そこで俺の存在に気付いた彼女―――暁月結亜は、すっと立ち上がり赤い髪を後ろで結ったポニーテールを振り振り揺らしながら俺の元へと駆け寄ってきた。
「会いに来てくれたの?」
「ああ。お前にじゃないけどな」
「愛をくれに来たの?」
「俺の愛をビラ感覚で配るような安物と見くびるな」
「ちぇー」
唇を尖らしながら不貞腐れる結亜は、そこで俺の横にいる見慣れない人物の存在に気付く。
「ま、まさかダーリン……新しくできた彼女を紹介しに!?」
「仮に俺に彼女ができたとして、それを真っ先にお前に紹介したらお前精神疾患を患うだろ。そんな真似はしねえよ」
「そ、そうだよね! 安心したよ……」
ホッと一息ついた結亜は表情を戻し、
「えっと、初めまして。暁月結亜です。この人の最愛の彼女です」
「勝手に最愛の彼女になるな。最果ての彼方に送り付けるぞ」
盛大に嘘をつく結亜を適当に叱責したところで、宇宙人が口を開いた。
「あ? おかしいな。オレもついさっきコイツに告られて彼女になったんだが」
「嘘をつくな嘘を。いや、軽い嘘ならいいけどその嘘はこいつにだけはついてはいけない―――見ろ、この少しずつ青ざめていく、絶望的な表情を」
見ると結亜の表情からは一瞬前々浮かんでいた笑顔が虹彩と共に次第に消え去り、後にはうっすらと口の端が上がった乾いた表情だけが残っていた。
「おお、いい表情するじゃねえか。これが見れるから、やっぱ嘘をつくのはやめられねんだよ」
「誰を騙すのも勝手だけど、あんまり悪趣味なのはやめてくれよ。ましてや結亜は、大切な友達なんだから」
「今大切って言った!?」
一瞬で瞳に輝きを戻した少女がバッと食いついてくる。
復活早すぎだろ。
「今、私のこと大切な愛人って言った!?」
「愛人ポジションでいいのか!?」
衝撃的発言に俺は驚く。
「いやー、だってこのままいっちゃうときっと正妻ポジションは舞姫ちゃんになるでしょ? 一応ダーリンも私とデートはしてくれてるけど、やっぱりそれも遊び半分みたいなとこあるじゃない? そうなると、一番落ち着くのは愛人の立ち位置なのかなーって」
「正妻ポジションに変態ブラコンモンスターを配置すんなや!」
結亜の言っていることが素なのか本心なのかはわからないが、それでも妹を正妻にされるのはどうしても許せなかった。
鳥肌が立つ。
「へいらっしゃい。……あれ、新垣クンじゃないか」
と、店先でもめ合う客に気が付いた店主が、そんな風に気軽に俺達に声をかけてきた。
「いい所に来たねえ。丁度、昨日から煮込んでいたチャーシューができたところなんだ。食べていくかい?」
そんな風におっとりと話しかけてくる店主―――ではなく店主を装ったこの見るからに怪しい不審者は、名を無作為シグマと呼ぶ。主要五教科の中でも特に数学が好きな俺としては無作為という苗字もシグマという名前も非常に魅力的で格好いいと思ったが、しかしすぐに偽名だと気付いた。まあこんな身元不明の浮浪者の本名など暴こうとは思わないし、もしかしたら無作為シグマというのもそれこそ宇宙的確率で本名の可能性もあるので、あまり深くはツッコまないことにしている。というか俺の友人には『鬱無鬼魔未』という姓も名も不吉極まりない奴が実際に存在しているため、シグマという名前が本名だったところで別に何ら疑問は生じないのだが。
数学的名前と言えばもう一人、姓も名も数学用語から来ている人物が俺の知り合いにはいた。とは言えあの人は俺が人生で最も尊敬する人間なので、こんな素性も知れない怪しい人物と同じ天秤で比べること自体失礼極まりないのだが。
彼女もまた、偽名だったのだろうか―――その前に、元気にやっているだろうか。
「じっくり煮込んだからねえ。自信作なんだよ。と言うかチャーシューなんて、物凄い時間がかかるからこんなの暇人じゃなきゃ作れないよねー」
言われてみると、確かに油臭さでかき消されそうにはなっているが厨房の方からほんのり醤油ベースのダシの香りが漂ってくるのがわかった。丁度いざこざがあり舞姫の作った夕食を食べ損ねたこともあってか、空腹の俺にはいささか刺激の強い香りとなって襲ってくる。
「ああ、折角だから食べていくわ」
「是非是非。ついでに煮卵もあるから食べていってくれよ。ま、麺はないんだけどね」
この男が何者なのかは知り合って一年以上たった今でもさっぱりなのだが、どうやら料理が上手いらしいことだけはわかる。この蛻の殻と化したラーメン屋にどこから仕入れたのか自分で調理器具を揃えては、頻繁に料理をしているらしい。しかも味もかなり絶品で、俺もよく料理をするからわかるのだが彼は恐らく『ちゃんと料理のできる』人種なのだろう。クックパットやレシピ本を見ながら作るような素人感はなく、完全に目検討と自分のさじ加減で完璧な味を生み出しているのだ。こうなってくると是非色んなものが食べたくなってしまうのだが、しかし残念なことに彼は、何故かはわからないがチャーシューだったり煮卵だったりメンマだったり餃子だったりと、ラーメンの付け合わせとなるようなものしか作らない。一応何でも作れるらしいのだが、そんなラーメンありきの物しか作っているのを見たことがない。リクエストも受け付けていないようだ。しかもそれだけの物を作っておきながら肝心のラーメンは作ってはくれないので、いつも何か足りないモヤモヤ感を抱えながら俺は彼の料理をつまむこととなっている。
とは言え、単品でもそれらは舌を巻くほど絶品なのでそんなに気にならないのだが。
ちなみに持ち込みも持ち帰りも禁止されているので、袋ラーメンを持ち込んだり自宅でラーメンと合わせて食べることもできない。前にそれをしようとしたらすごく怒られた。
実にもったいない、と俺は常に思っている。
「ところで聞いてくれよ新垣クン。そこのヒーリング娘ときたら、相も変わらずおじさんに土下座を繰り出してくるんだよ。酷いと思わないかい? 今の時代、土下座だって一種の暴力だっていうのに。パワハラで訴えちゃうぞ?」
ヨレヨレのスーツ姿にエプロンというよくわからない格好をした浮浪者が、そんな風に訴えかけてくる。ボッサボサの髪型も相まって、どこからどう見ても完全に怪しい人物の風貌丸出しだ。
「今のご時世、お前みたいなのが警察に名乗り出たらそれだけで拘束されそうだけどな」
「えー。新垣クンはひどいことを言うなー全くもう。確かに警察も身内同士じゃ『お前の金は俺の金』なんて状態らしいけど、さすがに善良な一般市民にそんなぶっきら棒な対応はしないでしょ」
「一体何年前の話をしてるんだよ。現世の警察はそこまで荒れ狂っちゃいねえよ」
さりげなく自分のことを『善良な一般市民』と表したことにはスルーする。
ちなみに結亜がこうも頻繁にここを訪れてはシグマに土下座を決め込む理由は俺は知らない。聞こうとしても双方ともに上手い事はぐらかしてくるので、最近では俺もいちいち追及することはなくなった。なので、
「まあ、結亜も土下座は程々にしろ。女の子がむやみに土下座を決め込む物じゃないぞ」
と、適当に注意するくらいで済ませている。
「えっへへっ……ダーリンに怒られちゃった」
怒られている割にはニヘッと笑う口の端にキラリと八重歯が光る。
あまり懲りてはいないようだ。
「さて、新垣クン。チャーシューと煮卵でもつつきながら、話を聞こうじゃないか」
「えっ?」
「えっ? じゃあないだろう。わざわざこんな時間に来て、まさかチャーシューだけが目的じゃあないんだろう」
唐突に、シグマの方から話しかけられる。
「今日はどんな厄介ごとを抱えてやって来たんだよ。まあ見たところによるとその白い娘ちゃんが関わっているみたいだけど……違うかい?」
まるで俺がここに来ることがわかっていたとでも言わんばかりに、シグマはそんなことを口にした。
「……ああ。そうだよ、その通りだ」
「お、ご名答か。はははっ、おじさんは何でもお見通しだからね―――なんて、まあそろそろ新垣クンが宇宙人にでも遭遇しそうな運命が見えたから、適当に言ってみただけなんだけどね」
どこかの見透かした後輩なら本当にこの状況さえもお見通すのだろうが、しかし別に能力所持者ではない(かどうかは実際わからないが)シグマにはお見通すことなど不可能であろうから、先に言ったことが冗談だというのはわかった。ただ、彼は今、確実に『宇宙人』と口にした。俺から何を言ったわけでもないのに、彼はこの少女のことを宇宙人だと見抜いた。
「宇宙人だって……信じるのか?」
「あれ、本当に宇宙人なのかい? 地球に存在する人間だってある種宇宙人みたいなもんだからと思って言葉の綾みたく言ってみただけなのに……言ってみるもんだねえ」
明らかにそれが嘘だとわかるような口調で、シグマはおどけて見せる。
どいつもこいつも嘘ばっかつきやがって。
「へいお待ち」
と、シグマはここにいる客三人分のチャーシューと煮卵が載った皿をカウンター席に用意した。
「召し上がれ。箸は自分で用意してくれよ」
差し出された料理のそそる匂いにあらがうことはできず、俺はそそくさと席に着く。それに倣って宇宙人と結亜も俺の両隣の席に腰かけた。
「チャーシューはおかわりがあるから、もっと欲しかったら言ってくれよ―――まあ、宇宙人の口に合うかはわからないけどね」
宇宙人、の部分を少しだけ強調しながら、シグマは不敵に微笑んだ。




