第初話 エイリアンりく 其ノ參
高校生活最初の夏休みを満喫するべく初日から宿題を片付ける新垣リクと幼なじみ達。しかし彼らが風呂場で『初』めて目にしたそれは、およそ地球の常識が通用しない謎の生命体で―――!?
「話半分なんて都合がよすぎるんだよ。半分も信じる必要なんかねえ。九割は疑ってかかった方がいいな」
003
例えば数学の授業でどう考えてもわからない問題が出てきた場合、よく言われるのは『わかるところまで戻ってみろ』という台詞であろう。これは算数・数学に限らず勉強の基本であるとも言える。その中でも特に数学というのは積み重ね学習の側面が強いので、前の単元を理解せずに新しい単元に突入するとどうしても躓きやすい。例えば数Ⅰの二次関数がわからない場合、中学三年生で習った関数y=axの2乗を勉強し直す。それでも駄目なら中学二年生で習った一次関数、更に駄目なら中一の比例・反比例の分野にちょっとずつ戻る。そうすれば、自分は一体どこがわからなかったのかが明確にわかるようになるのだ。なのでこの『戻って学習し直す』という方法を、今回は数学ではなく、状況把握に使おうと思う。そうすれば、何故俺達があんな状況に陥っていたのかがきっと手に取るようにわかるはずだ。
というわけで回想シーン。
確か昨日のことだったはずだ、
七月二七日、木曜日。この日は俺、新垣リクが高校生になってから初めて迎える夏休みの記念すべき初日だった。この春めでたく私立東雲高等学校に入学した俺達はその後大きな(目分量)問題を起こすこともなく無事に一学期を終え、この記念すべき夏休みの初日を晴れ晴れした大らかな気持ちで迎えることができたので、ならばついでに宿題を一気にすべて終わらせることによって残りの休み期間を有意義かつ傲慢な物にしてしまおうと目論み、本日は朝からこの新垣家に集合して宿題に勤しんでいる最中だったのだが、俺がキッチンから三人分の麦茶を注ぎ直して二階の自分の部屋に戻ってみると、白黒の少女が二人で何やら言い争っていた。
「だーかーらー! 胸ってのは女性の象徴であると同時に男性の憧れでもあるわけじゃない? 男性には備わってないからこそ女性の胸っていうのはより一層神秘的に見えるわけで、そうなってくるとやっぱり大きい胸の方が象徴に相応しいと思うわけよ。つまり、おっぱいは巨乳こそ正義、みたいな感じかしらね?」
こちらの白髪ロングヘアの少女は名を如月叶夢という。少々強気に見える釣り目の通り少し攻撃的な性格をしてはいるが根は女性的でとても正義心が強く、どこか高飛車な雰囲気を覚える。ただ料理や家事などが壊滅的なほどに不得手であり所謂女子力は全くもっての皆無であるため、俺や妹の作る食事を求めてご飯時にふらっとうちに出没することがままある。ちなみに家は俺の家の目の前で、道路を挟んだ向かい側の一軒家に住んでいるのだが、うちと同じく両親が忙しいためなかなか帰ってこられないらしく、しかしうちと違い彼女には兄弟が存在しないため、我が家への出没は寂しさを紛らわす意味での来訪でもあるのだろう。そういう点も含めるとやはり女の子らしさが残るというか、幼なじみとしてみても可愛げのある奴だ。
「その言い方だと女の存在意義は胸にしかない、みたいに聞こえるな。そんなことはないだろ。世の男が全員女のことを胸で識別してると思うなよ。第一そんな邪魔そうなものは付いていない方が生活しやすいし、寧ろ男に近い体形になることで互いの生活感が近くなるんじゃないのか?」
一方、こちらの黒髪セミショートの少女は押立引七海という。目元はややたれ目気味で女性的な顔立ちはしているが、如何せん口調がぶっきら棒と言うか、男勝りとまではいかないが少々荒っぽい部分もあり、見た目程女々しい奴ではない。表情もデフォルトが無表情且つ笑顔を見せる頻度も少なめで、俺や叶夢などの気の知れた連中以外の相手には基本ジト目の無表情で貫き通す、所謂クール系女子という奴だ。またそんなクールな見かけによらず実は重度のゲーマーであり、今までの人生でプレイしてきたゲームは軽く数千本に及ぶとまで言われている。実際今日の勉強会も実は彼女が提案したものであり、『さっさと宿題なんて終わらせて四機種レベリングを身に付けたい』という強欲な理由の元行われていたりもするわけなのだが、ただそんな彼女は叶夢と違い料理や家事などはほぼ完璧にこなせるので、やはり内面は家庭的な女の子で間違いないだろう。加えて虫が苦手というこれまた女の子らしい一面もあったりする。
ちなみにこいつらは二人ともG級能力者だったりもする。叶夢の方は『発火炎乱』という火を操る能力を持っており、対して引七海は電気を自在に扱う『蓄応放電』という能力を持っている。それぞれ火熱系と電撃系のエキスパートであり、各能力グループ内で最強の称号を持っているのだ。最強という表現はしかし正しいものではなくて、G級能力者という肩書は単に能力開発実験時に能力元素と個人のDNAの合致レベルが最も高い人材に与えられるものなのだが、それでも彼女らには、こと『最強』という言葉がお似合いな気がする。事実今まで俺は何人か、彼女ら以外の火熱系能力者と電撃系能力者を見たことがあるが、彼らの能力レベルは叶夢と引七海の足元にも及ばないものであった―――これについては、さすがはG級能力者と言ったところだろう。
「そんなのつるぺた連盟の嘆きの僻みにしか聞こえないわねー。確かに巨乳過ぎるのは気持ち悪いと思うわよ? でもだからこそ、あたしぐらいのベストなサイズこそ女性の象徴だと思うわけよ。つまりあたしこそが全女性の最も理想たるスタイルってとこかしらね?」
「言ってろ。そしてそのまま無駄な肉塊で肩を凝らせて永遠に整体通いでも続けてやがるんだな。なーにが全女性の最も理想たるスタイルだよ。少しは胸じゃなくて脳にも栄養行き渡らせたらどうなんだよバーカ」
「ば、馬鹿じゃないし! 自分にないものを私が持ってるからって妬まないでくれる? あれよ、胸が小さいから器も小っさいんじゃないの?」
「小さいんじゃなくて控えめなんだ。これから大成長してやるよ。お前も少し家事とかできるようになって女性らしさを成長させろよ」
「家事ができるかどうかは今は関係ないでしょ! ……あ、リク! 丁度いいところに来たわね!」
どうやら丁度最悪なタイミングで俺は部屋に入ってしまったらしい。自分の部屋に入るタイミングに最悪なタイミングというものが存在するだけでも既に意味が分からないのに、こいつらの意味不明な会話のキャッチボールを見ているだけで目の前が真っ暗になりそうになる。ここが俺の部屋でないのなら、手にした麦茶をお盆ごと放り投げて逃げたくなるくらいだ。
「ねえ。リクはもちろん、大きい胸の方が好きよね?」
「そんなことないよな。リクは無欲だから控えめな胸の方が好きだよな?」
男子高校生になんつー質問してきてんだこのド畜生共が。
こいつらの巨乳・貧乳議論については本日に至るまで耳に胼胝ができるどころか胼胝が大きくなりすぎて何も聞こえなくなるんじゃないかと思うほどに既に聞き飽きているのだが、どうだろう、過去にここまで直球な質問を俺に投げつけてきたことがあっただろうか。もしかしたら夏休み初日に勉強会なんて言う柄にもないことをやっているせいで頭がおかしくなっているのかもしれない。そう思った俺は、しかし俺自身は別におかしくはなっていないので思うことを素直に答えた。
「巨乳と貧乳って、なんでそう両極端なんだよ。別にどっちが好きってわけでもねえよ……あー、強いて言うなら結亜くらいの胸が好きだな。なんかこう、丁度いい大きさって言うか」
「「ああん?」」
思うことを言っただけなのにダブル睨まれた。引七海に至っては目元からバチバチと火花が起きているほどである。
理不尽だ……。
「何中途半端な答え出してんのよ。でかいのとちっさいのとどっちがいいか聞いてんのよあたし達は。あんたは何、大きいつづらと小さいつづらの二択を迫られた時に『僕はその中間くらいの大きさがいいです』って答えるわけ?」
「ほんとだよ。私達はどちらがいいかを聞いたのであって、別にお前の胸に対する好みなんか聞いてない。しかもそこで別の女の名前を出されるのが凄く不愉快」
俺の度し難い回答が許せないとでも言わんばかりの威圧で、俺の失言を叱責する少女達。
「焼き尽くすわよ?」
「感電死させるぞ」
片や熱気で陽炎揺らめく炎、片や飛び散る火花で宿題プリントの端が若干焦げている電撃。
両手に花―――否、両手に墓。
死ぬ未来しか見えない。
「ちょちょ、落ち着けよお前達。その解釈は間違っているぞ。大きいつづらと小さいつづらじゃ確かに二択しか答えはないが、お前たちの質問は別にどちらかを選ぶ必要なんかないじゃないか」
「はあ? どういうことよ」
睨みつける叶夢の瞳に紅蓮の炎が揺らめいている。回答次第では家ごと焼失させられかねない雰囲気が漂っていた。
「つまりどっちでもいいってことだよ。大きいとか小さいとか、そもそも問題はそこじゃないと思うんだ。金の斧か銀の斧かと問われれば普通の斧と答えるように、金の巨乳か銀の貧乳かと問われれば普通の胸がいい……というか、胸の大きさなんてなんだっていいじゃないか。男がみんな、女の胸にしか興味がないと思うなよ? 重要なのは胸なんかじゃなくて中身だろ。胸で男を魅了するんじゃなくて、人格で男を惑わしてこそ、真の女性ってもんなんじゃないのか?」
とりあえず宥めるために俺の自論を口にする。しかしよく考えてみれば『女は外見じゃなくて中身だ』なんてよく聞く台詞だし、それに上手いこと言い回して見たものの結局巨乳と貧乳のどちらがいいのかという問いに対する回答にはなっていないため、しまった、俺の人生はここで焼き尽くされて終了かと思ったのだが、
「……確かにね」
「はい?」
ボソッと、叶夢が先ほどとは打って変わって刺の抜けた声で口にした。
「いや、リクの言う通りよ。確かに女ってのは胸が全てじゃない。というか寧ろ胸なんか見てほしくないわね。そう。そうよ。中身よ中身! やっぱり見た目だけ取り繕っても意味なんかないもの、性格良好で家庭的な女性こそ、今の男性が求める最もたる理想の女性像なのよ!」
この世の真理にでも触れたかのように瞳を輝かせた叶夢はそんな風に自己完結した後に先ほどまで言い争っていた引七海に向き直り、
「悪かったわね引七海、馬鹿にしたようなこと言って。だから大丈夫。胸が小さくても、めげずに頑張って!」
「……お、おう」
一方引七海の側は叶夢の完全に舐めた態度にカチンと来ているようだったが、「さーて、宿題なんてさっさと終わらせちゃいましょうかねー」と課題に向かい直す叶夢を見て、一つ溜め息をついた後に俺の方をちらりと見て、
「……サンキュ。助かったよ」
と小声で呟いた。
「気にすんな。いつものことだろ」
「こんなやり取りがいつものことなんて、私が成長していない証拠なんだけどな」
この二人が胸に限らず何かで言い争いをする場合、大抵精神年齢が低い叶夢から引七海に噛みつくパターンが多い。それに引き換え見た目より精神年齢が高い引七海は『叶夢は対抗するより無視したり冷たくあしらった方が面倒くさいことになる』というどうにもならない事実を知っているが故に、わざと思考レベルを叶夢と同一まで落としてまるで叶夢の発言にムキになって対抗しているかのように見せかけているのだ。ただそのままではいつまでたっても埒が明かないどころか、叶夢はますます調子に乗ってヒートアップしていくし引七海は引七海で知能レベルを落としたことにより脳みそが疲れるしで誰も幸せにならないので、いいタイミングで俺が助け舟を出す、という展開が俺達三人の中ではもはやお約束となっているわけである。ただ時として出す船を間違えると、逆に俺に文字通りの飛び火がかかるので救命ボートを出すこちらとしても慎重にならざるを得ないのだが。
「ほらほら、二人とも何やってんのよ! さっさと宿題終わらせちゃうんでしょ!」
叶夢が大人になれば無駄な言い争いに使う労力も減るので平和的と言えば平和的なのだが、しかし俺と引七海もどこかでこの飽き飽きしたやり取りを楽しんでいる節があるのかもしれない。そう考えるとこのやかましい幼なじみも、俺達の関係の上にはなくてはならないスパイスなのだろう―――ただし物理的にも激辛すぎるのが玉に瑕なのだが。
「言われなくてもやるって。寧ろ一番進んでないのはお前だ」
「ふふーん、甘いわね引七海。あたしはまだ本気の半分も出していないわ!」
「はいはい」
その後数時間はかかったものの俺と引七海は全教科合わせて九割近くの宿題は終えることができたのだが、半分しか本気を出していないはずの叶夢はそれ以上の本気を出すことができず(そもそも半分の本気という言葉自体矛盾している気がするが)、結果として時間の余った俺と引七海が彼女の宿題を手伝う羽目となったのだった。
全くいつも通りの日常だ。
俺達三人の幼なじみは、毎日こんな感じでどたばた過ごしている。