5
『……待て』
どれほどの時間、そうしていたのだろうか。
脳裏に響く、“声”に我に返った。
それは俺の中の、もう一人の俺。
『それでいいのかよ?』
我に帰る。
このままじゃ、俺も彼女も……ついでに友人連中も仮面の思うがままだ。
『そのまま快楽に溺れてていいんか? このままじゃみんな死んじまうぜ?』
……言われるまでもない。
こうなりゃヤケだ。
何としてでも真由は取り返す!
強引に身を起こす。
『……なっ!?』
仮面の“声”。
そうか。
身体が自由に動く。
仮面の支配力は、俺にはあまり影響を及ぼさないのか。
……そうか! あのドライフルーツ!
皆はそれをたくさん飲み食いしていたが……俺はほとんど口にしなかった。真由は、いくらか食べはしたものの、酒は大して飲んでいない。
食い意地張った連中が、あのザマだという訳か。
間一髪。あぶねぇ……
ともあれ、皆を助けねば。
そのままマウントポジション状態で彼女をロック。そして、
「想定外だったな。喰らいな!」
落ちてたスリッパを取り、仮面を殴りつける。
『ぬぐぅっ!』
狙い通り、ド真ん中に命中。そして、ヤツの“声”。
手応えアリ、か! 真由に向かって手を上げるのは少々心が痛むが……彼女を助けるためだ。
心を鬼にしもう一発……と思ったら、右腕を掴まれる。
そして、脚で俺の腰をロック。
と、更に背後から左腕を掴まれ、押さえつけられた。
誰だ? ……って、岸本か!
チッ、ヒョロいのになんて力だ!
更に杉浦が両肩を抑え込みやがる。
クッ……ソッ! 動けん。
と、傍らに立つ沢野が俺の顎を上げた。
……どうするつもりだ?
『さぁ……準備は整った。今までの“儀式”で十分“力”を得ることが出来たからな』
仮面が“嗤っ”た。
「“力”、だって?」
『生命が発するオーラ。それを我らは糧とする。特に“願い”や喜怒哀楽などの感情は、我らの“力”の源』
なるほどな。信仰心なんかはいい“糧”となる訳だ。
神様ってのは、案外そういう存在なのかもしれん。
それはともかく、こっから何をするつもりだ?
……ン?
「……!」
ふと視線を横に向けると、ナイフを持った川瀬が佇んでいる。
……まさか。
『そう。君の血をこの面に捧げるのだ』
俺の下で、“ヤツ”が嗤った。
「生贄かよ……」
『その通りだ。では……始めようじゃないか』
「……!」
と、川瀬のナイフが俺の頰を軽くなぞった。
痛み。そして、滴る血。
てっきり首でも突き刺すもんだとばかり思ってたが……
「一気にやるんじゃないのかよ」
『ふふふ……感情が“力”の源、といったはずだ』
「まさか……」
『その、まさかさ』
「!」
肩に突き立つナイフ。
先刻とは比べ物にならない、強烈な痛み。
渦巻く怒り、悲しみ、そして……恐怖。
『ははは……美味い。実に、美味い。あの実を食べなかったのは予想外だったが……これは嬉しい誤算だ』
「言ってやがれ」
……クソッ、恐怖感を抱くことすら、コイツの糧になるって訳か!
更に、逆の肩。
「ぐっ……ああっ!」
仮面に滴る血。
このままじゃ、なぶり殺しだ。
そして最後に喉を切り裂かれ、心臓を抉り出されるのか?
イヤだ。
何で、こんな。
イヤだイヤだイヤだ! 死にたくない死にたくない死にたくない!
更に、腕、胸とナイフが走る。
吹き出る血。
これだけじゃまだ命には関わらないが……それでも死が間近に近付いてくるのをひしひしと感じる。
俺は、ひたすらおののくのみ。
『いいぞ……恐怖と快楽の中で死んでいくがいい』
……!
ヤツの“声”で我に返った。
これじゃ、思う壺だ。こんな所で死んでたまるかよ!
俺は……俺はもっと、真由と……
身体を引き剥がそうと、足掻く。
『ははは……無駄だ。だが、足掻くがいいさ。安易に絶望されるのも詰まらない』
ヤロウ……言ってやがれ!
……おっ!? 足掻く俺を抑えようとした杉浦の手が、血で滑った。
行けるか!?
ダメ元だ。どうせこのままでは死、あるのみだ。
そんなら……
渾身の力を振り絞り、右腕を引き剥がす。
「おぉっ!」
血のおかげで上手くいった。
身体のあちこちが痛んだが、我慢だ!
そしてスナップを利かせてスリッパを一振り。
「!?」
急所に一撃を喰らい、岸本が昏倒する。
さらに、杉浦にも一撃。そして、悶絶。
……正直スマンカッタ。
だが緊急時だから仕方ないね。
『いかん!』
“ヤツ”の声。
すかさず川瀬がナイフを振りかざした。
狙いは……俺の喉元。
「チッ!」
とっさに左腕を上げ、それを受ける。
「ッ!」
ナイフは腕に深々と刺さり、骨で止まった。
強烈な痛み。
だが、死ぬことに比べりゃこれぐらい!
ナイフごと腕を引き込み、引き倒す。その身体は真由の上に倒れた。
『!』
オシ!
俺の身体が真由から離れた!
チャンスだ! すかさず足払いで沢野を転ばす。
よし。
そしてすぐさま服を整えると、ナイフを引き抜いた。
「ぐああっ!」
強烈な痛み。
が、構わん!
この怪しげな空気を作り出している棚の香炉を掴む。そして窓を開け、それを外へと投げた。
地面に落ち、割れる音。
これが効果はあるかはわからんがな……
『お……の……れ……しぶとい奴』
地の底から響く声。
振り返ると、血濡れた真由が立っていた。
怒りに逆立つ髪。
そのさまは、まるで鬼女。
真由の身体で、それは辞めてくれ。正直、もうそんな姿は見たくない。
……が、ここで引くわけにはいかん。
「へへっ、往生際が悪い事には、昔っから定評があるんでね」
軽口を叩き、自分を鼓舞。
まぁ、おかげで真由と付きあえたんだがな。
が……どうする?
ナイフを構え……いや、マズいか。
と、背後に立つ誰か。
ん? ……!
振り向こうとした直後、羽交い締めにされた。
「しまった! 矢澤か!」
うかつだった。てっきり気絶したままだと思っていたが……
そして起き上がった川瀬が、フラフラとした足取りで俺に近付いてくる。
クソッ。ナイフを奪い、また俺を……
脱出しようと足掻く。が、ただでさえゴッツい矢澤の腕からは逃れられん。
クソッ、どうすりゃいい? このまま終わりなのか?
それならば真由と肌を重ねた状態で死ねた方が幸せだったかもしれん。よりによって、こんなゴツい男に羽交い締めにされて……
と、尻に妙な感触。
ん? ナンだ、コレ……
おっと、そういえば。コイツも裸だった。しかも、あの匂いのせいで……
ってコトは、コレって……
ああああああ!
鳥肌がたった。
「うわ〜〜っ!」
思わず取り乱す。
あああああ! 逃げなきゃ! 逃げなきゃ!
その顔面に俺の後頭部をぶち当ててやる。
そしてついでに、足を払って投げ飛ばした。更に、川瀬の顎下をかするような掌底。
彼女はがくりと倒れ、昏倒した。矢澤は杉浦と折り重なって倒れている。我ながら、よくあそこまで投げ飛ばしたもんだ。
ああ……怖かった怖かった怖かった……
ある意味オカルト的な存在や死の恐怖よりも、こっちの方がオソロシイ。
無論、矢澤には“そっち”の意味で俺を襲う気なんて無かったんだろうが。
とにかく危機は脱した。火事場の何とやらだ。
岸本、杉浦は昏倒してるし、沢野はまだ倒れたまま。
後は、真由から仮面を引き剥がさねば。
とりあえず、ナイフは窓の外に捨てる。
出来れば相手を傷つけたくないし、また奪われたら厄介だからな。
……が、どうする?
どうやって仮面を剥がす?
いや……とりあえず、特攻あるのみだ!
ダッシュ。そして、タックル。
『……ぬうっ!?』
予想外だったのか、戸惑う“声”。
だが、今のうちだ。
すぐさま床上に引き倒し、馬乗りになった。
そして彼女の両腕を両膝で抑えると、仮面に手をかける。
が、
「クソッ!」
どういう原理か知らんが、顔にしっかり張り付いてやがる。しかも、付着した血で指が滑ってしまう。
どうしたものか。手や仮面を拭くものは……ないか。
と、
「!」
頭を両方から掴まれ……いやこれは、足か!
「しまっ……」
両足で頭を挟まれ、後方へと投げ飛ばされる。
「ぐうっ!」
「うっ!」
だが、何かがクッションに……
ああ、岸本と沢野か。助かったよ。
「すまん」
言い置き、立ち上がろうと……
「!」
“ヤツ”に首を掴まれた。そして、持ち上げられる。
真由の身体からは考えられない力だ。そしてそのまま首を絞められる。
『は……ははは……散々邪魔してくれたが、もう終わりだ。このままくびり殺してくれる』
うっ……ぐぅっ……苦しい。
振りほどこうと彼女の手を掴むが……ダメだ。
あ……意識が……クソッ、どうすりゃいい?
何か……何かないか!?
ふと視線の先に電灯が目に入った。
朦朧とする意識の中、思わずそれに手を伸ばす。
まるで溺れるものが掴む藁のように。
『はははは。何を無駄な……』
もう抗弁する気力もない。
そもそも、何の策もなくただ反射的に掴んだ――いや、掴んでしまっただけなのだ。文字通り無駄なあがきでしかない。これを掴んだ所で、何ともならないだろう。
そう。もう、一巻の終わり。の、はずだ。