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――リビング
「……!!」
そこは、異様な空間だった。
立ち込める濃密な甘い香りと……男女の匂い。
甘い香りの元は……棚に置かれた香炉か。
絡み合う、三組の裸の男女の姿があった。
ソファの上では、岸本が沢野の上にのしかかっていた。床上に寝転ぶ杉浦の上にまたがる川瀬。
そして……
リビングの中央で、座ったまま抱き合うような姿の男女。
一人は、矢澤。
もう一人は、こちらに背を向けているので顔は見えないが、髪の長い女。
あれは、まさか……
と、女が振り向く。
いや、違う。矢澤の身体ごと、音もなく回転したのだ。
矢澤の肩越しにこちらに向いたその顔は……
「なっ!?」
あの、仮面だ。
金と翠の、少々不気味なマスク。
女はそれをつけていた。
何だ? 何が起きている!?
これは……
これは、まるでサバトじゃないか。
五人は、焦点を失った目で行為に耽っている。入ってきた俺達のことなど気に留めもしない。
背筋を冷たいモノが走る。
間違いない。あの仮面は、この世の物ならぬ“何か”だ。恐ろしく、おぞましい“何か”。
思わず半歩、後ずさる。
『はははははは』
「…………!」
女が、嗤った。
脳裏に響く、“笑い声”。
その“声”は文さんの……いや、文さんの姿をしたあの女のもの。
「何をしている!? アンタは何者だ!?」
なけなしの勇気を振り絞ると真由の前に出、叫ぶ。
『ははは……何者、ね。アンタの好きだった文子じゃないか』
「……違う」
少なくとも、こんな事をする人じゃない。
この女は……その姿を借りた別人だ。
あの仮面の下は、何者なんだ?
……どうする?
いや……考えるまでもない。
「姿を表せ!」
仮面を引っぺがしてやるべく一気に踏み込み、摑みかかる。
だが、
『おっと』
「!」
“ヤツ”は矢澤の身体ごと、音もなく後方へと下がった。
まるでホバー移動みたいに。
さっきもそうだったな。宙にでも浮いてやがるのか?
いや、今はそれどころじゃない。
「喰らえ!」
とっさに足元の床に落ちてた服を蹴り上げる。
『……!』
よっしゃ。上手い事奴らの顔に被さった。元サッカー部を舐めんなよ。
っと、アレは……パンツか。男物の……
ともあれ、今のうちだ!
あんまり触りたくないが、あの仮面をパンツごと掴んで引き剥がしてやる!
が、
「!」
見えない“何か”に弾かれた。
手がしびれてやがる。どうなってるんだ!?
クソッ、どうにもならんのか? ……そうだ!
「スマン!」
すかさず反対の手で、矢澤の頭を張り飛ばしてやる。
「ふげっ!?」
『!』
命中。
矢澤のベッドバッドが仮面に炸裂した。
そして、一瞬弾ける光。
両者は折り重なって倒れた。
おっしゃ。今肌が触れてるヤツなら何とかなるだろうと思ったが、上手く行った。
さてと。
慎重に歩み寄る。
そして、仮面を外して……
ン?
突然フワリ、と仮面が浮いた。
そして女の身体はいつのまにか消えていた。女の上にいたはずの矢澤は床上に落ちる。その頭の上には、先刻のパンツ。
な……何だ?
仮面は俺を見下ろし……
『やってくれたな』
「……!」
脳裏に響く“声”。
まさか……まさか仮面が本体だったってか!? そんな、バカな……
「アンタは……何者だ?」
問いかける。
が、その直後。
「!」
背後から肩を掴んだ何者かに、床に転がされた。
「なっ……由真!?」
こんな力、彼女にはなかったはずだ。
そして彼女は、俺にのしかかる。
跳ね除けようと……ダメか。
普段の彼女からは考えられん力だ。確かにやや長身ではあるが、同年代の女性と比してもそんなに力があるって訳じゃない。
そういや確か、合気道っぽいのをやってたと聞いたことあるけど……幾ら何でも俺を無理やり抑え込むなんて出来まい。
くっ……っそ!
『はははははは』
チクショウ。余裕ぶっこきやがって。
『あの果実を食べなかったのは想定外だったよ。面倒をかけさせてくれる』
「やっぱりアレが元凶かよ! どういうつもりだ、アンタ!」
俺の……えっと、友人どもまで利用して、何をするつもりだ?
『ははは……復活さ。そして、復讐。私を生贄とした者どもへのな!』
「い……生贄だと!? そうか! その仮面は……」
仮面の中央、矢澤のヘッドバッドが命中した鼻のあたりが剥がれかかっていた。そこから覗くのは、茶色がかった灰色の……
「まさか、その下には……」
子供の頃に連れて行ってもらった博物館の、マヤ・アステカ文明展。
そこで見た、一つの仮面。ヒスイの仮面の下には、ヒトの頭蓋骨があるという説明だったか。
そしておそらくは、こいつのきらびやかな面の下にも……
『そうさ。私は神々への供物とされたのさ。日照りをもたらした神の怒りを鎮めるためにね』
なるほど。雨乞いのために……まさか!
「この雨は、アンタのせいか!?」
俺達を逃さぬため、という訳か。
『その通り。とはいえ……あちらよりも容易く雨が降るので拍子抜けしたがな』
……そうか。
「その怒りは理解できるさ。でも……今更復讐などしてもどうにもならんだろ? もはや、あの文明は……」
『黙れ』
「んぐっ!?」
と、ヤツの言葉と同時に真由が俺を押さえつけた。
同時に、稲光。
やはりあれは、彼女が招いたモノか。
そして仮面はゆっくりと俺のそばへと降りてくる。
その下には、朧げながらも半透明の裸身がかすかに浮かび上がって見えた。
あれは……生贄となった女の霊体か?
そりゃ、その境遇には同情するけどさ。でも、『同情するなら命くれ』ってのはナシだぜ?
何とかして反撃を……
と、思った直後、ヤツの“身体”が消失する。
そして俺達の方へと……
「おい! ちょっと待て!」
まさか!
手を伸ばし、それを阻止しようとするも虚しく……
『は……ははは。手に入れたぞ。我が器となるべき肉体をな! ははははははっ!』
真由の顔に、仮面が被さった。
そして、仮面の哄笑。
この野郎。真由の身体は……手前ェなんぞに自由にはさせん!
が……どうすりゃいい? このまま指くわえて見てるしかないのか?
考えろ……
と、俺に馬乗りになり、押さえつけてた真由の身体が動いた。
気がつけば、彼女はいつの間にか服を脱ぎ捨てている。
「手前ェ……何するつもりだ!?」
『決まっているだろう。我が肉体を再生する“聖餐”だ』
「え? ……ちょっ」
彼女の手が、俺の服にかかる。
「拓クン。……貴方が、欲しい」
「真……由!」
耳元で囁くかれた、身体の芯を蕩けさせるようなその言葉。
最早俺には、抗う事など出来ない。
あぁ……このまま、彼女と……
い……いや、ダメだ! 何とかせねば……
しかしその直後、俺は熱い泥濘の底へと飲み込まれていた。
「……!!」
強烈な快感。
いつもの彼女とは違う、触れ合う肌からも染み込んでくるような愉悦。
俺は夢中で彼女を掻き抱き、貪った。
もう、何もかもどうでもよくなった。彼女と、ずっと……