7 邪神
三メートルほどの小さな滝。その短い距離で最大限に勢いをつけた水は壮大な自然を感じさせる音を高らかに響かせながら、次々と川で待つ仲間たちと合流していく。
緩やかに流れる透明な水を、ジルク、テイス、メルの三人は手で掬って渇いた口へと流し込んだ。
「ッパアアッ、幸せー」
「ハア、ハア、よく、そんなに元気、ハア、だな」
テイスは濡れた口元を右手で拭いながら、次に何をするべきか必死に考えていた。
ジルクのステータス画面に表示されていた???を数値としてみるためには、彼の力をなんとかして解放しなければならない。それだけではなく、いくつか表示されていたスキルの名前と内容までもが???となっていた。これも力を解放、操れるようになって初めて表示されるだろう。
そう考え、テイスは1ヶ月前から数多ある修行を順番に行ってきている。《傀儡の魔王》であるイナーシャを異世界で失った事も彼から直接聞いている。だから自分を責めているのではないかと思って言葉による慰めも試みているが、力が発動する兆しは今のところ現れていない。
そこでテイスは一つの賭けに出ることにした。
ジルクを精神的に追い込む。
もし失敗すれば彼はもう二度とテイスに心を開かなくなってしまうだろう。それでも人というものは、極地に陥ってこそ初めてその真価を発揮する。
ーーそのためには、《傀儡の魔王》を……
口に水を流し込み、テイスは意識を集中させた。
「ジルク、ちょっといいか」
ジルクは息を整えてから素早く顔を上げる。
ごめんと心の中で呟き、ついて来るように促す。続いてメルを一瞥し、ここにいろ、と伝える。真剣な表情でメルは頷き、僅かな悲しみを含む声で言った。
「行ってらっしゃい」
山を少し登って行くと少しずつ緑が濃くなり始め、生物の気配が消える。テイスの放った一瞬の殺気を感じた数羽の鳥が飛び去り、昆虫すらもその姿を消した。もちろんジルクにはまだ感じ取ることができない。
ーー全ては巻き込まないため。
******
向こうの世界にいた時ですら来たことがないような山奥で、テイスはその厚い唇を開いた。
「ジルク、やはり君には無理だ」
突然すぎる発言に頭が真っ白になるが、首を振って意識を縛り付ける。
「無理……って、何がーー」
「君に《傀儡の魔王》を救う力など無い」
ジルクも薄々気づいてはいた。邪神の力を解放するためにテイスは数多ある修行を行なっているのに、自分には力が発動する兆しすら現れていない。それでも、まだ一ヶ月目ではないか。これから毎日取り組めば、いつか必ず解放してみせる。
その子供じみた思想はテイスの言葉によって少しずつ壊されて行く。
「君には才能がない。実力もない。そんな人間が努力したところで力なんか解放できるはずがない」
自分の今までの行動を正当化するかのようにジルクは反発する。
「それでも俺は、イナーシャを救います。そのために俺はここまで来ました、テイスさんが修行してくれるって言ってくれたから俺はここまで来たんです」
「ならもう修行は終わりだ。魔王の事は諦めろ。君には何年、何十年かかっても一生救うことなんてできない。もしできたとしても、その間に一体何人の人が死ぬと思う?」
「でも、それでも俺はイナーシャをーー」
「殺人鬼の命の方が罪のない人々の命より大切だと言うのか!?」
太く響いたテイスの声は、メルにも届くほどだった。ジルクは顔を顰め、さらに言葉を吐き出す。
「イナーシャは殺人鬼なんかじゃない! 俺を闇から引きずり出してくれた、優しい人間だ!」
「そこまで魔王に執着するのはなぜだ?」
深く息を吸い、その全てを吐き出しながら答える。
「彼女のことが好きだからっ」
テイスは喉まで出かかった言葉を飲み込んで、心の中で言う。
……それだけじゃダメなんだよ
そこからテイスの言葉は吹き荒れる雷雨の如く、相手に避ける術を一切与えなかった。
「君がなんと言おうと、私は今から彼女のところへ行く」
「何をしに……?」
「勝てる希望は薄いかもしれないが、刺し違えてでも彼女を殺してみせる」
ダメだ、それは、それだけは!
そう考えたジルクの視界が黒く歪み、心の中から出てはいけないものが這い上がってきた。
「ダメだ……イナーシャは俺が、俺が守るッ!」
ジルクの意識はそこで途切れた。体の底に眠る邪神の力が代わりに意識を乗っ取って体を動かす。
「ああああ守る守る、だから殺す殺す殺すぅぅううっ!」
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