10 災厄2
冬の空気が灼熱の炎に炙られて。
木製の家は次々と崩れ落ち、重い音を上げる。炎はその残骸を一瞬で包み込んで勢いを増す。
村に入ってすぐの所では最高級の絹を思わせる黒髪の少女が座り込んでいる。
血で染まる左手と緊張で震える右手で短剣を地面に突き立てていた。殺気で髪は逆立ち、帯電しているかのように宙に浮く。
一つでも多く魔王の情報を得ようと、メルは視線を走らせた。
宵闇の鎧が放つ輝きは、それが世界に二つと無い逸品であることを表していて、その上からでも見える体の曲線は言葉にならないほど美しい。
腰の左右には漆黒の鞘に収まる刀があり、背中にも同じ物がクロスしている。
「よ、四刀流………?」
二本しかない腕で、そんなことが可能なのだろうか。
いくら《傀儡の魔王》と呼ばれるイナーシャでも、さすがにそれは不可能ではないのか。
そう考え、まさかと思って彼女の腕を見る。
一刀すら使いこなせるのかわからないほどに細い腕。小さな掌ではとても四刀など持てそうにない。
両手には指抜けのグローブが着けられている。
そこでメルは、薄暗い光を放つ物を目にした。
銀色のリングに、紫色の花。一目見てメルは、その花がアジサイであることを理解した。その花言葉は、『無情』と『愛情』。
愛情?
無情はともかく愛情とは。イナーシャに、《傀儡の魔王》に愛情などあるのか。否。
そう決めつけようとした時、メルは指輪のはめられている指を見て驚愕した。
左手の薬指。それは、婚約や結婚の証であるはずの大切な指。
「……嘘………魔王が……心を許す相手なんて、いるはずか………!?」
声を漏らした時、ついに魔王が動いた。
無情のまま左腰の刀を抜き放った。じゃきぃぃんという盛大な音がメルの耳を打つ。
「くそっ、指輪が何だ! 恋人が何だ! 今は戦うことだけに集中するんだ」
そして、イナーシャは床を蹴った。その音がメルの耳に届く前に彼女は五十メートルもの間合いを詰めている。
右手の刀を左に振りかぶり、一閃。
漆黒の槍がそれを防ぎ、弾き飛ばす。
体制一つ崩さずに着地すると、イナーシャは声を漏らした。
「…………やっぱり、一刀だとダメか………」
それを隙と見て、メルは槍を飛ばした。あまりにも速く、軌跡すら見えない文字通りの光速。
しかしイナーシャは首を傾けるだけでそれを躱す。
右腰からもう一刀を抜き放つと、それを天に掲げて呟く。
「魔界より出でし者たちよ、私のためにその命を散らせ」
突如、晴天の空から生まれた雷がイナーシャの刀を撃つ。赤黒い刀身が真っ黒に染まる。その刀で虚空を斬り裂くと、その空間が消えた。無限の闇が広がる切れ目から、何匹ものゴブリンが飛び出してくる。
「……っ!?」
目の前の現象にメルは息を飲む。ゴブリンにメルを襲う気は全くない。その全てが、逃げた村人を追うように村の反対側へと向かっていくのだ。
「やめろおおーーーーっ!」
意識を槍に集中させて、出てきた側から全て貫く。しかしその間、メルはイナーシャに対して攻守不能となる。切れ目から出てくるゴブリンの数は異常で、一瞬でも槍を止めたら五匹は抜け出してしまう。槍は自力で動いているわけではなく、メルの突き立てる短剣から放たれる命令によってゴブリンたちを貫いているのだ。つまり短剣から手を離せば、《オーバーフロー》は解除されて槍は消える。
村人を守りたい一心で戦うメルに、そんなことできるはずがなかった。
無防備なメルを狙ってイナーシャが右手の刀を左腰に構える。一息に振り抜いた刀から斬撃が放たれ、メルの脇腹を削り取った。
「ああ゛っ」
痛みに喘ぎながら地面に踞るが、両手はしっかりと短剣を握っていた。
「……やっぱりこの体苦手………姉さんももっといい体くれればいいのに……」
そう吐き捨てながら、イナーシャは唇を尖らせた。彼女が初めて見せた感情を、メルは見ることができなかった。メルは地面に顔を押し付けて、荒い息を必死に繰り返している。
「王都の衛士なんかより全然強かったよ、君」
メルに向けて言葉を出すと、両手の刀を上段でクロスさせる。そして繰り出された斬撃は、今度こそメルの命を奪うはずだった。しかしーー
「守れええええええーーーーっ!」
流星の如く放たれた短剣は音もなくその姿を盾に変えると、斬撃をものともせずに完璧に防いだ。水銀のように全ての光を反射する盾。
燃えるような痛みで揺らぐ視界の端に、メルは一人の男を見た。
男にしては少し長めの黒髪と、茶色の瞳が清楚な顔立ちを作り出している。決意に満ちた顔はこの一ヶ月見たどれよりも凛々しい。
「……ジル、ク……」
ジルクはメルを優しく見つめると、微笑んだ。
「遅くなったな」
気づけば、メルの頬には熱く伝うものがあった。
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