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プロローグ

 女神。

 ベンチに座って本を読んでいる銀髪美少女、イナーシャ・アーネルの美しさを表現する言葉を、ジルク・ユンガーの短い人生ではそれしか思い浮かばなかった。

 腹一杯に新鮮な空気を吸い込み、一呼吸したジルクは短く気合いを入れる。


「よしっ」


 右手で握っている指輪を背中の後ろに隠し、一歩ずつイナーシャに近づく。すると、ベンチから一メートルほどのところで、彼女はふと顔を上げた。


「よっ! 待たせちゃったか、イナーシャ」


「おはようジルク。私も今来たところだよ」


 立ち上がりつつ、イナーシャは肩まで伸びた輝くような銀髪を耳にかけた。二人で顔を見合わせ、にっこりと微笑む。


 今では幸せなジルクとイナーシャも、一年前に知り合うまでは、孤独の寂しさで心を染めていた。


 学年は違えど二人とも天才と呼ばれ、そのせいでクラスメイトからは勉強以外の話をされたことがない。次第に生徒との距離が開き、友達と呼べる人が一人もいなくなったある日のこと。食堂の片隅で一人昼飯を食べていたジルクに、勇気のない弱々しい声でイナーシャが話しかけた。それから毎日二人は一緒に昼飯を食べた。話が合って、同じ悩みも抱えていた二人はすぐに友達と呼べるほどに仲が良くなった。学校へ行くのも楽しみになり、日常生活でも笑顔が目立ち始め、学校以外でも合うようになった二人が付き合うのはもはや必然だ。


 八月七日。夏にしては涼しく、湿気の少ない今日はイナーシャの十六回目の誕生日だ。そのためにジルクは一週間前にプレゼントを買った。

 喜んでもらえるか、という不安で乾いた喉を深呼吸でうるおそうとする。しかし、湿気の少ない空気ではどうしても足りない。


「大丈夫? 何か緊張しているみたいだけど……」


 イナーシャの優しく、温かい声が耳に響く。瞬間、不安と緊張が嘘のように消え、勇気が生まれた。

 背後に隠した指輪を右手に持ち替え、左手でイナーシャの柔らかい右手をとる。


「俺は大丈夫だ。イナーシャのおかげでな」


「え? 私、何かジルクの役に立てるようなことしたっけ?」


 戸惑う顔も女神のように可愛らしいと、本気で感じた。


「イナーシャがそばにいてくれるだけで、俺すっごく幸せ」


 恥ずかしそうに顔を赤らめると、繋いだ右手に力を入れて、


「私もだよ」


 と囁く。


 ーー今しかない。


 そう直感し、指輪をイナーシャの右手に乗せて祝う。


「イナーシャ、誕生日おめでとうッ」


 手に置いたのは、紫色の花が飾られた指輪だった。イナーシャが口を開くのよりも早く、ジルクはポケットからもう一つのものを取り出す。同じ紫色の腕輪。その中央に、花形の穴が空いている。


「イナーシャの指輪についた花が、俺の腕輪に空いた穴にぴったりはまる仕組みになってるんだ。これで、俺たちはどこにいても繋がっていられるのだ」


 自慢気に話すジルクに対して、イナーシャは心の内から溢れ出す感情を、涙として流していた。


「私、こんなに嬉しいプレゼントもらったの、初めて。ありがとうジルク。本当に。大好き」


「俺も好きだよイナーシャ。本当、会わせてくれた神様には感謝だな」


「本当、感謝だよ」


 再び顔を見合わせ笑うと、イナーシャは指輪を自分の左薬指にはめる。


「それってーー」


 ジルクの声はそこで止まった。隣のブランコに乗った小鳥の囀りだけが聞こえる。

 三秒かけて戻った意識に、彼は自分の目を疑った。

 一八五センチのジルクに対して、イナーシャの身長は一五七センチ。ほとんど抱きつくような形で、イナーシャはジルクの唇を奪っていたのだ。


「「んんっー!」」


 かすかに開いた唇の隙間から、互いの声が漏れる。女神の吐息を間近で感じたジルクは、彼女のことで頭が埋め尽くされた。

 ほのかに甘い香りから感じられるイナーシャの優しさ。

 そっと触れ合う唇の温もり。

 晴天の空から放たれる日光が、二人を暖かく照らす。


***********



 人気の少ない路地裏にあるカフェでお茶を終えた二人は、手を繋ぎながら元来た道を帰っていた。


「美味しかったね」


「ああ! やっぱりこの店のチョコケーキは最高だよな」


「ジルクの顔についた生クリームも食べられるしね」


 そんなことを話しながら、二人は角を左に曲がる。人気は完全に消えて、少し怖くなって震えたイナーシャの肩をジルクが抱き寄せ、呟く。


「今まで何度もこの道を通ったけど、変なことなんて一度もなかっただろ? それに、もし何か起きても俺が守るから」


「うん。そうだね、ありがとうジルク」


 ジルクの肩にイナーシャが顔を預ける。複雑な道の薄暗い路地を歩く二人の少し先に、太陽の光が差し込んだ。同時に、男の声が響く。


「これが今回の銀行から盗んだ分だ」


 息を切らしている男がそう言うと、二人目の男がアタッシュケースに入った札束をパラパラとめくって本物かどうか確かめる。男は頷くと、ポケットから白い粉の入った袋を取り出す。

 大金を渡す男がそれを受け取ろうとした。しかし袋を手に持つ男さジルクとイナーシャの声に気付くとすぐにそれをポケットにしまい直す。


「おいあんた、早くそれをくれよ! 一週間もそれなしで過ごしたんだ! もう耐えられねぇんだよ!」


 ジルクとイナーシャは再びカフェの方へと走り出していた。いち速く男達から離れて、警察に伝えるため。

 男は腰のホルスターから拳銃を取り出すと、その後ろ姿を容赦なく撃った。サプレッサーが音を消し、それに気づいたのは路地裏にいたジルク達とこの男達のみ。

 鉛は唸り声をあげてジルクの右足を貫いた。


「あああっ!」


 放たれた苦痛の声を指差して、男は命じる。


「あいつらを殺せ。取引はその後だ」


「ああもうっ! くそっ! 待てガキども!」


 薬に飢えた男は右手に愛用の拳銃を持って走り出した。

 走れないジルクに肩を貸しながら進むイナーシャを男が捉えるのは、そう遅くなかった。

 

「死ねえええ!」


 再び放たれた鉛はジルクの脇腹を削り取る。鮮血を撒き散らし、意識が飛びそうになりながらも懸命に歩いた。

 

「ごめんね。愛してるよ、ジルク。だから君だけでも逃げて」


 イナーシャはジルクを曲がり角に倒すと、男に立ち向かった。女の方は少し遊んでから殺そうと決めていた男はイナーシャを両手で拘束する。

 ジルクはあまりの痛みに悶絶を続けていた。痛い痛い痛い痛い痛い。その言葉と一緒に血を口から吐き出す。

 イナーシャのワンピースが破られて、短く音を立てる。ジルクの意識はその音に引き戻されて、大量の血を吐きながら立ち上がり、角から飛び出した。イナーシャの黄金に輝く左目と、深海のように深い青の右目は大量の涙を流していた。


「もう……やめ……ろ」


 男は手を止めることなくイナーシャの顔を、髪をめちゃくちゃに触る。

 床に血を撒きながらジルクは痛みすら忘れて男に向かって歩いた。やっと気づいた男は左手でイナーシャを触りながら、右手で引き金を引いた。

 二つの鉛が胸を貫く。


「こんな事されるくらいなら、私はーー」


 そう叫んだイナーシャはすべての力を振り絞って、男の拳銃を自分に向けた。ジルクのいない世界に、自分だけ生きているなんて嫌だ。その一心で彼女は引き金を引き、一瞬にして命を落とした。

 なんとか生きていたジルクもついに視界が暗くなって、全身を襲う寒さが次第に気持ちいい眠りへと誘ってくれているような気がして。血が滲むほど強く奥歯を噛み締めて、彼は最後に一つだけ願った。


 ーー生まれ変わって、またイナーシャと一緒に過ごしたい。

 

 ただそれだけを願いながら、彼の意識は天空へと運ばれた。

次回更新は今日の夕方六時です!

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