軍配
蜘蛛の爪が伸縮自在に空を切る。目で追えないようなスピードだ。あの華やかな女性の死体は姿を変えていた。発狂音をあげ、目を血走らせながら、気色の悪い妖力を垂れ流す。等身大の悪鬼のはずなのに、凄まじい波動だ。
滋賀栄助も8本の腕の波状攻撃に対して躱すことが精一杯のようである。たった一歩の刀で必死に防いでいるが、後手にばかり回り攻撃に転じれない。また、崩れた木材の上では歩きづらく、踏ん張りが効かない。握力ではあの蜘蛛女に軍配があがるだろう。接近戦等はどう見ても不利だ。
唯一、血染蜘蛛の欠点をあげるならば、動きに無駄が多すぎることだ。棍棒を振り回す子供のように、ただ暴れ狂っているだけである。手練であれば、一撃を躱すことは容易い。節足を振り回す為に、威力はあっても俊敏性に欠ける。
追い詰められてなお、心が折れない限りは負けはない。そういう戦いだ。あと1手。あと勝因を裏付ける何かさえあれば形勢は逆転する。冷や汗を垂らしながら、何も出来ない自分を恥じるしかない。式神と契約しているわけでも、身体能力に秀でている訳でもない。まさに役立たず。出しゃばるなと言われても反抗できない。残られた役目は奴を観察することである。どうにかして弱点を炙り出し彼女に伝える事だ。謎多き無名の侍に。
「いやぁ。やっぱり一筋縄ではいかないな。血染蜘蛛。佰物語の妖怪と対峙するのはこれで七回目。まだ駆除できたのは一匹だけ。やっぱり人の姿になってもお前たちは強いよ」
血染蜘蛛は返事をしない。ニタニタと笑うだけ。
まて、何か引っかかる。脳内に一筋の疑問が浮かんだ。彼女は初めから派手な格好をしていた。これで相手をおびき寄せると。彼女はこの『佰物語』の妖怪の情報を知っているから。でも、撃退方法まで把握しているわけじゃない。苦戦しているのがいい証拠だ。実際の妖怪に纏わる古文でも、妖怪が一方的に人間を苦しめて幕を閉じる悲劇など山ほど存在する。佰物語。誰かが考えた創作上の妖怪。だったら……、その描いた人間の経験を元に描かれているはず。
奴が死体に擬態して生き潜めていたのは軒並み。いわば日陰だった。太陽の日が当たらない場所。そこに時間が経つにつれて日光の当たる角度が変わっていく。そこに真っ黒のお奉行の裃が反射した。そしてお奉行は殺された。
奴は眩い物を狙っている。奴は無闇矢鱈に明るい物を攻撃している。そこまではあの女も知っている。だから派手な格好をして来た。だが、もうじきに日が沈む。そこで真っ暗になれば奴は攻撃を止めて死体の中に戻るだろう。そうしたら、奴は抜け殻だ。ただの死体であり、妖怪本体への攻撃は通らない。
「なんだ、簡単じゃないか。血染蜘蛛の攻略方法……」