洞穴
「はい、こんにちは」
水上几帳はニッコリと笑った。その笑顔は愛想笑いというよりも、まるで「ようやく会えたね」とでも言いたいような優しい顔だった。この人が百鬼閻魔帳と暴神立を渡した張本人だったようだ。滋賀栄助に関しては、少し顔が苦い。何かあったのだろうか。
「どういうことだ。水上几帳」
少し低い声で猪飼慈雲が質問する。眉間に皺が寄っていた。確かに不信感がある。単純に納得ができない。百鬼は新種の悪鬼だったはずだ。誰もその正体を知らないはず。それなのに、どうやって百鬼閻魔帳と暴神立を手に入れたのだろうか。土御門芥は興味なさそうに毬で遊ぶ。賀茂久遠は眉を細めている。親方様は何も声をあげない。天賀谷絢爛は到着したばかりで、畳の上に舞い降りるかのような動きで自分の座布団の上に座った。
「僕が独眼巨人から百鬼閻魔帳を奪い取った。そして彼女に渡したんだよ」
落ち着いた声でゆったりと答えた。独眼巨人から奪い取った。ということは、あの鬼はその二つを守っていたことになる。百鬼は本来であれば「百鬼強召陣」という紋章にような絵柄の入り口から現世に現れる。なのに、特定の場所に居座る百鬼がいるとは。
いや、前に戦った大鼠こと海狸鼠も活動拠点を限定していた。一度召喚されてしまえば、不思議なことではないのか。
「洞穴みたいな場所にあってね。眠らない怪物と戦うのは至難だった。倒せなかったから、動きを止めて横から抜き去り、飾ってあったものを奪ったんだよ」
「私のことを滋賀栄助だと思って貰えなかったぞ。お前が滋賀栄助だと思われていたぞ」
少し考えて意味を理解する。独眼巨人はずっと滋賀栄助を指名していた。しかし、奴は百鬼の怨敵であるという理由で戦いを望んでいたのではない。奴は百鬼閻魔帳を奪い返したかった、それが戦う理由である。しかし、奴から百鬼閻魔帳を奪い取ったのは滋賀栄助ではなく、水上几帳だったのだ。
独眼巨人は戦う相手を間違えていたのである。まあ、水上几帳から滋賀栄助へ閻魔帳は譲渡されているので、まあ戦うベクトルは間違えていなかったのだが。そして、間違いなく「お前から百鬼閻魔帳を奪い取ったのは滋賀栄助という人間だ」と嘘を教えられていたのである。おそらく獄面鎧王といった所だろう。
「僕の能力はご存知ですよね。弓削家の党首様が未来予知の能力を有しているのに対し、僕は平行世界への干渉能力を持っています。いわば異次元への入り口を感知することが出来る」
土御門家の結界術、賀茂家の感知能力、弓削家の未来予知、このようにそれぞれの家には特殊な能力がある。ただ、水上家の能力は知らなかった。平行世界、異次元、よく分からない言葉が飛び出してきた。
「百鬼が出てくる場所を察知出来るのか?」
猪飼慈雲の言葉に水上几帳はゆっくり首を振る。
「違います。僕は百鬼については全く分かりません。感知なら久遠さんの方が得意でしょう。未来予知も出来ませんし、占いも得意ではないので、本当にどこに百鬼が現れるのかは分かりません。ただ、異世界から来た人間に会うことが出来ます。ねぇ、滋賀栄助さん」
優しい声で、穏やかな口調で、説き伏せるように言い放った。
「あなたはこの世界の人間ではありませんね」




