残酷
上の命令を忠実に守ることは、長々と続いてきた陰陽師の歴史として当たり前のこと。それ以前に今度目立った行動を取ったら、本当に殺されるかもしれない。ただし、ここで手を拱いていたら、何の関係もない住民が殺されている。もう被害報告が届いている以上は、目を逸らせない事実だ。
「うぅ」
絵之木実松は拳を握りしめた。冷や汗が流れる、唇をかみしめる、眉間に皺を寄せる。呼吸が荒くなる。
「まあ、そのまま悩んでいていいぜ。俺は行くよ」
暴神立を腰に差し、すっと立ち上がった。目はもう被害のあった地域の方角した見ていない。
「ちょっと」
「あのなぁ。私は陰陽師じゃない。まあ正義の味方でもないから、その住民がどうなろうが知ったことではないが、ここでどこの誰とも分からない奴の言いなりになって、動かないというのは癪に障る」
「そう割り切れるものでも……」
悩んでいる間にもう、栄助は部屋を飛び出していた。苦しそうに手を拱いていた実松の方を向きもせず、放置する形で。障子を閉めず、ドタドタと物音をたてながら、足早に屋敷を飛び出した。二階にいたので、栄助が走り去っていく背中が見えた。一度くらい、こっちを振り向いてくれることを期待したが、そんなことは無かった。
これで栄助が命令違反をしたことにより、打ち首は決定した。もう自分だけここにいても仕方がない気持ちがするのだが、それでも動くことが出来ない。歯がゆい気持ちに襲われるも、それまでである。
「栄助さん……」
心配そうな声を出した。何をおいても今すぐ追いかけるべきなのは分かっているのだが、それでも動き出すことが出来なかった。
★
「うわぁぁぁぁぁ」
既に何人かの陰陽師が到着していた。独眼巨人を取り囲み、式神や結界を使って抑え込もうとする。彼らとて、幾千幾万の悪霊を倒してきた猛者たちなのだが、それでも独眼巨人に全く歯が立たない。打撃、斬撃は鋼鉄の皮膚に響かない。遠距離攻撃もノーダメージ。少し暴れ回るだけで容易く結界は崩壊する。呪術を使った攻撃は効果はあるのだが、相手が『百鬼』である以上は致命傷にはならない。死んで、生き返るだけである。
滋賀栄助が持つ「暴神立」でない限り、致命傷は与えられない。彼らはそんな情報を知らないので、永遠に戦い続けるしかない。図体がデカく、腕力に優れており、無限の体力があり、鋼鉄の皮膚を持つ。逃げも隠れもせず暴れ回る鬼。誰がどう見ても脅威である。
そして、こう叫ぶのだ。滋賀栄助を連れて来いと。
唯一弱点として挙げられるのは、移動速度が遅いことだ。見た目通り、動作が機敏なわけではない。右腕を振り回すだけで家々は軽く半壊するのだが、住民の避難は完了している。陰陽師が台頭してから無関係な住民が殺されることはなくなった。
しかし……今度は陰陽師が喰われる番である。奴は式神には見向きもしないが、ぬっと左腕を伸ばし人間を捕えようとする。そして、掴んだ暁には大きな口の中に放り込むのだ。「鬼」ならば当然の所業。しかし、今は妖怪をすべて陰陽師が支配する時代であり、鬼が人を捕えて喰うなどあってはならないことだった。数年来、鬼が人を喰う姿などプロの陰陽師は目の当たりにしていない。
しかし、そんな残酷な光景が今は実現している。そして、襲い掛かる倒せないというシンプルな絶望。躱せるが、防げない。捕まったら、逃げられない。喰われたら、死ぬ。その場にいた人間の頭を恐怖一色で塗り固めた。




