幽世
その栄助の大声の方向を向いた。すると、そこには見たことのある鎧があった。
赤い髪をした鬼が、その鎧を身に着けていた。細い腕で持ちきれないような大剣を引きづりながら。両目は涙に溢れている。苦しそうに呻きながら、歯を食いしばって此方へ向かってきていた。
「あれは……」
「百鬼の波長だ。あの鎧とあの剣士。どっちも百鬼だよ」
この騎士の名前はすぐに分かった。幽世と呼ばれる鬼である。赤髪に一角獣のような角。好青年な風貌と記載されていたはずなのだが、今のコイツは随分と様変わりしている。
「この物語は特徴的だったので、覚えています。最後まで、この鬼は登場しないんです。噂され、怯えられ、恐れられ、それで話が終わる。存在するけど、存在しない妖怪」
ただ、今は見る影もない。明らかに身体のサイズに合っていない鎧を着せられている。また、鎧自身から放たれる激しい邪気に苦しんでいる。大鼠の際も禍々しい覇気を纏っていたが、今回はそれをも凌駕している。立っているだけで泣き出しそうな恐怖だ。直にそれを浴びている、あの赤髪の鬼はそれ以上の苦痛だろう。
まるで押しつぶされそうな殺意。
「今日は戦争しに来たのではない。ただ話し合いをしに来ただけだ」
「信じるわけないだろ!」
栄助が何かをしゃべる前に、絵之木実松が大声をあげた。半分は自分自身の恐怖を消し去るためである。叫んで恐怖を紛らわせただけだ。そんな姿を、ただ木の上で眠そうに見下す滋賀栄助。
「そうか。信じてはもらえないか」
獄面鎧王。間違いなく百鬼筆頭の妖怪。だからこそ、実松が怯えきっていることなど、勘づいているとは思うのだが、それを鼻にかけることなどしなかった。
「分かった。では……」
大剣で首を刺し貫いた。噴水のように血飛沫が舞い散る。涙と恐怖でぐちゃぐちゃだった顔が、一瞬引きつり、半笑いになり、そのまま地面に背中から激突した。庭が一面血だまりになる。
「これで少しは安心したか」
意味不明。この言葉しか思い当たらない。何で来て早々に仲間を惨殺したのだろうか。こんな行為をして、何の意味があるのだろうか。そんな実松を見たからなのか、幽世の死体からテレパシーで声が聞こえた。
「コイツは紛れもなく百鬼の一体だ。貴様らの怨敵を一つ消してやったぞ。これは間違いなく貴様らにメリットのある行為だ。これで私の誠意は伝わったか」
まるで『死にたがっていたから、殺してやったんだよ』と言わんばかりの、抑揚のない話し方。
「さぁ、私と話し合いをしてくれ。単刀直入に言う。死んでくれないか。難しいことは言わない。滋賀栄助。貴様が死んでくれるだけでいいんだ。それだけで世界が変わる」
「眠くなることを言うじゃねーか。鬼野郎」
「死に方は問わない。そこまで贅沢は言わない。我々を助けると思って死んでくれ」
何の抑揚もない言い方で、媚びるわけでも、懇願するわけでもなく、まるで晩御飯中に醤油をとってくれとお願いするような言い方で、あっさりと言い放った。




