投擲
「なんだあれ、お洒落か」
「そんなわけないだろ!」
禍々しさに磨きがかかっている。以前とは比べ物にならない妖力だ。曖昧だった殺意も今はハッキリと感じる。奴は変わってしまった。まるで、本物の怪物だ。
「逃げますよ。このままじゃ、殺される」
「ふふ。そう逃げ腰じゃなくてもいいんじゃないのか」
もう退散することしか頭にない絵之木実松と違い、なおも好戦的な様子の滋賀栄助。拳を固めて、腰をかがめ、情熱的な目で大鼠を見つめる。好敵手を見つけて喜んでいる。パワーアップに興奮している。
「ちょっと待ってください! 戦っている場合ですか!」
「ここで逃げるくらいなら、結婚した方がマシだ!」
何と何を比べているのかよく分からないと考えているうちに、戦闘が始まっていた。大鼠は水中に身を隠すと、シンプルに突進してきた。依然と変わらない戦法なのだが、依然と違うのは顔を水面に隠している点だ。奴は以前に戦った時は、泳ぐときに顔を外に出していた。
「違う生物に変わったみたいだ」
またも有り得ない行動をとる。水中から飛び上がったのだ。水中から攻撃するかと思いきや、何と空中から巨大な前歯を使って攻撃する。奴は以前にはそんな真似をしなかった。水練でもしているかのようだ。また、鎧などを着ているのであれば、身体が重くなっているはずなのに、随分と軽快な身のこなしだ。
「なにぃ!」
そして何より攻撃対象は…………絵之木実松だった。
逃げようと後ろ向きに駆け出していた男を狙った。当然、実松は唖然とした顔をする。予想打にしていなかった。一瞬だけ不気味な笑みを見せた。悪魔のような気色の悪い笑み。奴は巣を守るために戦っているわけでも、獲物を狩るために攻撃しているわけでもない。ただ、楽しんでいる。完全なる娯楽。
「ひぃ」
情けない声を出した。川の水の上に尻餅をつき、絶望の顔をする。死んだと思った、死を直感した。瞬間に横やりが入った。飛び掛かった大鼠の頬に、太い木の幹が飛んできたのである。投擲だ。滋賀栄助が木を投げつけたのだ。絵之木は恐る恐る栄助を見た。そこには木を投げた後のポーズをしながら、蔓延の笑みを浮かべた栄助がいた。
「ぐげぇ」
鈍い音をして砂利へと落下する大鼠。だが、致命傷にはなっていないように思える。すぐさま立ち上がり距離を取った。
「に、逃げられない」
奴の方が動きが速い。おそらく地上でも同じことだろう。逃げられない以上は応戦するしかない。
「出て来いよ、溝鼠。悔しかったらなぁ!」
さっきのクリーンヒットがよほど嬉しかったのか、滋賀栄助が絶好調と言わんばかりに挑発する。相手が言葉が通じる相手かどうかも分からないのに。




