水嵩
絵之木実松には作戦があった。勝つ算段がついたとまでは言えないが、だぶん奴の調子を狂わせる事が出来る自信はあった。
「まず、あの堤防を破壊します」
巣ではなく、堤防を破壊するのは、まず巣に侵入できないという点だ。あの巣は水中からしか入れないようになっている。長く水中を泳げる生き物でなければ、巣に侵入できない構造だ。巣の外側から破壊する、ないし炎などで燃やすという方法もあるが、奴を激昂させかねない。
奴は前回の戦いで明確な戦意を見せて来なかったが、それでも極めて警戒しなければならないのだ。奴には底知れない邪悪さを感じた。美女を襲うという百物語の物語と性質を体現していない。奴には謎が大きすぎる。だから、慎重には慎重を重ねるのだ。
注目したのはあの木の幹や枝で作られた巣だ。あの巣の構造を考えた。あの鼠は確かに泳ぎが得意そうだが、ほ乳類で地上でも活動している以上は、あの巣の中は陸地も存在するはず。川は春夏秋冬や雨などの影響により水嵩が簡単に増える。あの鼠が陸地で休息を取っている場合、水位が上がれば寝ている間に溺れることになる。
「つまり、あの堤防を破壊すれば、それだけであの巣には生きていけない」
奴が巣から外に出ない限りは、すぐに影響が出なく、かつ確実に奴を苦しめられる。
「栄助さん、どうですか?」
「回りくどすぎじゃない?」
「それがいいの!」
まずは暴神立を奪い返すことが先決だ。あれがなければ奴を倒せないのだから。
「では堤防を破壊します。とりあえずこの松明で」
「えい」
そんな間の抜けたやる気のない掛け声で、木の枝を蹴っ飛ばした。片手間に足で蹴飛ばすだけで、木はバラバラになり、川に流されていく。木を燃やしてしまおうと思っていた自分が恥ずかしい。
「なんてエコな自然破壊だ、筋肉馬鹿め」
「なぁ、これ本当に意味あるのかぁ?」
断言は出来ない。だが…………。苦い顔をする実松。だが、栄助の顔が笑顔になった。
「へぇ、意味あるじゃん」
奴が巣から出来きた。奴がイラついているのだ。この堤防にはやはり意味があった。奴にとってこの堤防を破壊されることは迷惑だったのだ。作戦成功、ここまでが第一段階。奴が栄助さんを追いかける間に、実松が川を潜って奴の巣に潜り込み、暴神立を奪い返す。これが第二段階なのだが。
「駄目だ、逃げましょう」
その前に打ち合わせで約束していたことがある。何か少しでも問題が起これば逃げる。陰陽師の戦いなど、いつだって長期線だ。時間をかけて何度も戦いを繰り返して、確実に勝てると確信してから勝つ。逃げないことを信念としている陰陽師など、ほんの一部の人間だけだ。
これはもう、逃げるしかないだろう。
あの大鼠は、得体のしれない人間の血管のような筋が浮かんだ、気色悪い黒い鎧をつけていたのだ。吐き気がするほど、気持ちの悪い異臭を放っている。思わず口を片手でふさいだ。
「ぐぐぐぐぎゃあ」




