水位
栄助の攻撃は無鉄砲の当てずっぽう。連続切りをしているものの、ただの一撃も与えられてないのだが、一つだけ効果がある。
「奴の巣が破壊されていく」
おそらく本人も狙っているわけではないだろう。ただ、その大振りが奴の隠れ家を崩壊させているのだ。戦いに割って入ろうと、絵之木も水の中へ足を踏み入れた。
「ぎぃぎぃぎぎぎ」
「逃げるだけで勝てると思ったか!」
勝ち誇った表情、自信に満ち溢れた気迫から、着実に大鼠を追い詰めていく。奴が上手く太刀筋を回避できているのは、隠れ家が多いからだ。木と木の間に隠れて、水流に身を投じる。そうした水面の細やかな動きで、滋賀栄助を翻弄していた。しかし、その隠れ家はボロボロに崩れていく。
初めはあの強靭な顎と前歯で反撃に出るかもしれないという不安があった。木の幹を削るほどの強さだ。人間の腕や足など一溜りもない。ただ、奴は依然と逃げ回るばかりだ。
「勝てる、このままなら」
不安がよぎる。頭の中で負ける可能性を考えてしまう。奴の習性を見る限り知能の低い生物とは思えない。あの化け物がこんなにあっさりと負けるはずがない。ここは奴のテリトリーだ、奴が最も戦いやすい場のはず。
「思い出せ、あの物語を」
百物語の中の奴の名前は『海狸鼠』。どういう生物やねん、狸なのか、鼠なのか。その両方が海にいる生物ではない。美女を追い回し、気性が荒い。時には人間も食い殺す。
「こいつは最後まで退治されていない……」
物語は「こんな生物がいました」って終わり方をする。討伐の仕方や弱点を記してくれたわけではない。この作者はそもそも、化け物退治の攻略本を作ったのではない、大衆に受ける怪談話を書いたのだ。
「ぎぃ?」
笑った、不気味な笑みをこぼした。次の瞬間に奴は口を開いた。前歯を栄助に見せつけるように。そして、遂に反撃に出た。栄助の腕に向かって噛みつく。それを刀を噛ませることで上手く凌いだ。しかし、今度は大鼠が栄助に向かって刀を咥えたまま突進する。
これには栄助も苦しい顔を見せた。あの怪力自慢の栄助をパワーで圧倒している。少しずつ川の下流の方へ押し出されていく。栄助も必死に刀を抜こうと力を加えるが、ビクともしない。刀を捨てて逃げる選択肢もあるのだが、栄助はそうしない。『暴神立』がなければ百鬼には勝てない。
「やばい、助けなきゃ」
と思うも、実は絵之木実松もポンコツ陰陽師だ。陰陽師の雑務は非常に得意だが、如何せん実戦向きじゃない。式神さえも一匹も持っていないのだ。栄助を庇おうにも手立てがない。
「来るな! こっちに来るな!」
栄助がそう叫ぶ。次の瞬間に川の水の流れを塞き止めていた、巣とは別の伐採木のたまり場に到着した。下は滝のように変貌している。ここまで水位が変わっているなんて。なおも力を緩めない、大鼠。このまま栄助を滝の底へ叩き落す気だ。
栄助が苦しそうにしている。足場が悪く踏ん張りがきかないのだ。
「俺が助けなきゃ。このままじゃ負ける……」




