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称号

 ★


 「お母さん。お母さん」


 「はいはい」


 私が誕生してから幾何いくばくの時間が経っただろう。数々の時代を飛び回り、平成の時代に戻って来て人類に向けて戦いを挑んだ。とある若造に阻まれたせいで、芳しい結果は出なかったが、それでも陰陽師の世界や悪霊の社会には風穴を開けられたと思う。何より私は……娘を生んだ。名を『柵野眼しがらみのまなこ』。私が妖力を分け与えることで生み出した愛娘。


 「そのお母さんが過ごした薬袋病院ってまだあるの?」


 「ないない。噂では別の建物が建築されたとか」


 「へぇ。世界最強の悪霊を生み出した跡地に……英断だねぇ。お母さんが帰って来たらどうするつもりだろう」


 「う~ん。一度も実家に帰ったことないからなぁ。考えもしなかったなぁ」


 娘が私の誕生秘話を知りたがったので、覚えている範囲で説明した。絵之木実松との出会い、百鬼との闘い、薬袋纐纈のこと、そして……私自身のこと。


 娘はレベル4の悪霊となった。私よりももっと上位の悪霊。娘は世界を滅ぼす選択を取らなかった。今は何の気なしに生活している。


 海岸線に沿った海の家。今は季節が冬に差し掛かっているから、ここには誰もいない。悪霊が住み着く場所になど人間は集まらない。今にも海へと放り投げられそうな断崖絶壁に、妖力で模った家のような何か。そこには二人の悪霊がいた。


 「絵之木実松。それが私のお父さんの名前なんだ」


 「そうなるね。弱虫で臆病者で、その癖に冷かしで危険地帯に割り込んで、怖いもの見たさが人一倍強くて、本当は強くなれるくせに自分で弱くなって、家督放棄して、最後には自己嫌悪に陥って、死んでいった」


 そんな言葉とは裏腹に微笑ましい顔をした。


 「可愛かったなぁ」


 常人には理解できない愛情。それは娘である柵野眼にも理解できなかった。


 「で、お前はもう世界を滅ぼさないの? まあ好きに生きていいよって言ったのだけどさ」


 「それ、薬袋纐纈の受け売りだったんだね。まあ、今はいいかな。面倒だし」


 「そっかー。まあ好きにしたらいいさ。私にはもう何も出来ない」


 私の存在も消えかかっている。全盛期の力など既に失った。世界最強の悪霊の称号など娘に明け渡している。また、私の計画を阻んだ男は、私の力を吸収しレベル4の悪霊となっている。既に実力も追い越されてしまった。


 「進化……あぁ、進化かぁ」


 人間は生きていれば誰かを恨む。嫉妬をする。妬んで悔やんでオカシクなる。その狂った気持ちのエネルギーが妖力だ。それは生死を超越し、新しい生物を生み出し、時間と空間の概念を飛び越え、生物を進化させるに至った。そして、妄想を現実に変える力なのだ。世の中に怒りや憤りを感じる瞬間こそ情熱である。情熱こそが全てなのだろう。


 この物語で救われた人間などいない。最初から最後まで怨念と絶望で満ちていた。最終的に世界は脆くも崩壊した。間違いなくバットエンド。まあ悪霊の誕生秘話がバットエンドでなかったら笑い話だろう。


 「お母さん。こっちこっち」


 「ちょっと待って。もう瞬間移動も出来ないんだから」


 過去には興味がない。だから今回自分の過去を思い出すのは、何か自分の中で原典に帰ったことで、自分の気持ちと向き合うことができた。いや、歳をとったのか、私は。


 娘がお洒落な木製のロッキングチェアに座っている。その後ろに……絵之木実松の姿が見えた。死んでしまったあの人は、この子を受け入れてくれるだろうか。私たちは家族と呼べるのだろうか。悪霊と悪霊と故人。そんな家族を。


 「お母さん。今度はさぁ、ゆっくり歩こうよ。人間並みのスピードで。世界一周してみない? 私……色んな世界を見てみたいんだぁ」


 「あーそうだねぇ。でも、私がきつくなったら背負ってよ」


 「またまた。まだ数十人単位で人間を殺せる実力はあるくせに」


 「いいや。精神的な問題なんだよ」


 そう言って照り付ける朝日の方向、大海原へ二人で飛び出した。押し寄せてくる潮水を透過させる。そこには美しい海の光景が広がっていた。色々な生態系が渦巻いていて。眩しくてつい目を瞑ってしまう。


 他人を恨めしいと思った局地。他人を憎んだ成れの果て。苦しい思いを抱えて私は生きている。誰かの妄想が具現化した存在。でも……妄想こそが世界を生み出す原動力だ。人間は頭に浮かんだことを全て現実にすることが出来るのだから。所詮は私も人間から生まれた産物なのだ。


 揺れる椅子が置き去りになった。その椅子は榎で作られている。縁を断ち切る神木。


 「楽しい時も、悲しい時も、必ず終わる。人はそれを卒業と呼ぶんだよ」


 この日、柵野栄助は絵之木実松を卒業した。今まで心を温めてくれた夫を、ただの思い出に昇華した。あの人がいない世界で生きていく自信が無かった。あの人を亡き者にした世界を恨んだ。あの人の弱さを受け入れない世界に憤りを感じた。でも、そんな簡単なことじゃなかった。


 「あぁ、これが愛なんだぁ」


 私は彼を愛していた。これは誰に否定されても揺るがない。違えることのない事実。この愛を抱き締めて……生きていく。彼の為に生きるのではない。彼を……背負うのではなく、心に抱いて一緒に生きよう。どんなに時が経っても、彼と娘だけが私の家族なのだから。


 「いつか貴方に会いに行きます」


 そう言って二人は深海の底へと消えて行った。

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