急所
一瞬の出来事だった。まるで道端で餌を運んでいる働きアリを踏み潰すように、何の躊躇いもなく殺した。鮮血と内臓が飛び散る。汚らしい毛皮が罅割れた地面に残った。そしてそれも……すぐに灰になって消える。
「あと一匹」
冷たい声だった。
「お前は……本当に悪霊だったんだな。どうしてお前をもっと早く殺しておかなかったのだろう。昭和の時代でも、江戸時代でも、お前がここまで覚醒する前に叩いておけば良かったんだ」
「なんだよ、それ」
既に獄面鎧王の能力は無効化している。獄面鎧王は他の百鬼に鎧として寄生することで、自分の妖力を上乗せして強化することができる。以前に海狸鼠に装着されることで滋賀栄助を苦しめた過去があるのだが。もう百鬼は自分独りだけになった。寄生する相手がいない。これでは野力が発揮できない。
ならばもっと早く能力を発揮していれば良かった。どうして状況が最悪になるまで真価を発揮しなかったのか。などと言わないで欲しい。彼はただの学者。軍人でも勇者でもないのである。能力を出し惜しんで、あらゆる可能性を考慮して、悩みに悩みぬいて、手を拱いていた。そして時間切れになった。
「私も殺すか」
「そのつもりだったんだけどさ」
欠伸をする。興味を失ったように明後日の方向を向いた。
「私だけは他の連中とは違った。あの政治家も弁護士も俳優も小説家も……お前を利用して自分が世界の支配者になることを夢見ていた」
「政治家と弁護士はそうだったな。俳優は正義の味方になりたかった、らしいよ。小説家は自分の世界が具現化するだけで満足って感じだったけどな」
「私は違う。私はお前という悪霊から世界を救いたかった。私が求める理想は現状維持だ。お前と言う悪霊さえ誕生しなければいい。世界が救われなくてもいい。今のままを望んだ」
「あーあー。そうなんだろうよ、きっと」
心底興味がなさそうだ。それよりも抱いている死体の方が大事そうで、慈しむように優しい顔を向ける。
「お前さぁ。悪霊と戦ったら人間がどうなるか知っている?」
「殺されるのだろう」
「ははは。百鬼最後の絶望的な設定を教えようか。百鬼は私によってしか殺されない。御雷の影響を受けなければ絶命できない。あぁ、百鬼同士なら殺し合えるんだっけ?」
その可能性は無くなった。だって、残っている百鬼は獄面鎧王のたった一人なのだから。
「何が言いたい?」
「自殺出来ないんだよ。陰陽師の力を暴走させた逆鱗蝙蝠って奴がいたけど。あれは自殺というより、自爆だからな。まあお前には出来ない芸当だよ」
あれは自身の中に陰陽師の妖力の波長を刻んでいたから可能だった自爆だ。根本的に百鬼にはそんな能力は備わっていない。簡単に言うと『死ねない』。およそ急所と呼べる箇所が存在しない。柵野栄助からの一撃でなければ、どんな傷も治せるし、粉微塵になっても復活する。今まで同士討ちを含めずに、百鬼を倒せた人物など柵野栄助を除いて誰もいないのだから。
そして、自分で自分を殺すことも出来ない。
「分かっているだろ? もうすぐ世界が終わる。私はこの世界そのものを動力源にしてタイムジャンプをする」
最期の一言をニンマリと笑って残酷に言い放った。
「お前を置いてな。決着なんてどうでもいいや。馬鹿馬鹿しい」




