宝石
武雷電は薄れゆく意識の中で怒りが込み上げていた。英雄を救うなど無礼千万も甚だしい。救う側であっても、救われる側ではない。そもそもお前は私の宿敵だったはずだ。その仇敵に救いの手を差し伸べられるなど屈辱の極みだ。この土壇場でまだプライドを主張する肉塊。
しかし、何も出来ない。動けないし、声も発生出来ない。
「久しぶりだな」
この泥沼の中心点にいた怪物。黙示録の第四騎士。青白い馬に乗った骸骨の騎士。宝石で装飾された神々しい王冠。腰には漆黒の大剣。黄泉を傍らに連れる死神。コイツは武雷電でも黄泉獄龍でもない。桑原紫陽花でも鮎川小次郎でもない。薬袋的が生きていた時代から姿を現していた悪霊。物語の登場人物。
「お前がコイツに『薬袋的は柵野栄助だ』って吹き込んだんだろ? 淵神様よお」
「…………」
「とっくに調べはついているんだ。淵神」
淵とは河川の流水が緩やかで深みのある場所である。泥や有害物質が沈殿しやすい為に生物活動が活発になる。豊かな生物相を形成する地点。
「…………」
「何で黙り込んでいるんだよ。骸骨には発声器官が無いってかぁ? そんなんじゃないだろ」
淵神と呼ばれる骸骨から狂気が漏れる。顔の皮など在りはしないが、それでも喜んでいるように見える。目玉がない。その目の中にある深淵に吸い込まれそうな気持になる。
「神秘的な生き物が集う場所が『淵』だよ。だからお前もそこで生まれた。お前は黙示録の騎士じゃない。お前は……ただの野良の悪霊だろう。お前が柵野栄助を目覚めさせた」
鮎川小次郎に憑りついてきた悪霊。諸悪の根源。
「お前と決着をつけに来たんだぜ。鮎川小次郎を小説家に仕立て上げて、桑原紫陽花を嘘の宣教家にした。正真正銘の悪霊……それが……お前だ」
「…………ふう。まあまあですかね」
骸骨は馬から降りた。青白く血色の悪い馬は……霞となって消えて行く。地面に両足をつけて……大きく息を吸う。妖力の塊が彼女の周囲を取り囲み、その一定空間だけは泥水が侵入しないようにコーティングしてある。騎士でも骸骨でも死神でもない。そこにいたのは……。
「えへへ。やっと会えたねぇ。柵野栄助さん。いつも楽しみにして活躍を見ていたよー」
「滋賀……栄助……」
そう。最初から踊らされていた。この江戸時代に死んだはずの悪霊に。全てはこの女の手のひらの上。思い描いたシナリオ通りに踊り狂っていただけだ。初めから全てコイツの仕業だった。
「そうそう。この世界をループさせているのも、外側から観測していたのも、鮎川小次郎を気色の悪い作家にしたのも、雪山で君たちを殺したのも」
大きく息を吸う。そして、子供のような大声を出す。
「ぜぇーーーんぶ! わ・た・し・で~~~す! あはは」
混じり気のない正真正銘の悪霊がそこにいた。




