熱狂
桑原紫陽花は俳優だった。カメレオンや鮃のように保護色によって背景に溶け込むのではない。存在感を出し過ぎて作品を喰ってしまう存在だった。原作を破壊し、物語を圧迫し、その圧倒的な演技力だけで作品を神作品まで伸し上げた。ドラマを見る視聴者も作品目当てではなく俳優目当て、映画を見に来る客もその俳優の次なる作品を求めて足を運んだ。
主役しかしない、のではない。主役しか出来ないのだ。枠役など一任したら世界観が崩れてしまう。アイドルのように顔が特別に良かった訳でも、ダンスが一流だった訳でも無い。その圧倒的な芝居に魅了されて熱狂的なファンを集めていた。
その彼の私生活は破綻していたという。息子の誕生日を知らず、嫁の顔など忘れて仕事に没頭した。近付く女性も多くいた。金に目が眩んだ人間が山ほど群がった。まるで引力でも発生するかのように、彼に回りには他人が大勢いた。性格が歪むのは言うまでもない。彼を最期まで人間たらしめたのは……自分は俳優とでしか輝けない。その一点だけは確信していた点である。いくら財界の人間と顔馴染みになろうとも、そこだけはブレなかった。彼は新しいことに挑戦しなかった。
英雄と自分を重ねた。自分は英雄なのだと思った。自分こそ英雄として生きる運命なのだと。
そんな感情を持って生きている人間が誰かから恨まれていないはずがない。人を救わない独り善がりの英雄。その彼の背中には山ほどの切り捨てられた屍の魂が群がっていた。生前と大して変わらないか。救われなかった人々の怨念。
「おい! 来るな! 来るなよ! 纐纈!」
唯一、親友と呼べた人間の名前を口にする。勿論、彼の近くに薬袋纐纈も余所者勇者もいない。誰もいない空間を眺めて怯えている。
「何をしているんです?」
獄面鎧王が本気で心配するような声を出した。どうやら彼には見えてはいけないものが見えている。黙示録の第四騎士。タロットの死神。青白い馬に乗った骸骨騎士。
「そうか。私は死ぬのか……そうか……わはははははは」
遂に壊れたような笑い声をあげた。仮面を両手で覆い、膝から地面へ落ちる。天空へ向けて声が枯れるように笑い散らかす。こんな道化の姿になっても、彼には何も起こらない。
「殺すなら早く殺せ! 私が恨めしいのだろう!」
その場にいた全員が息を呑んで見守っていた。もう誰も声を出せなかった。これが悪霊が魅せる幻覚だというならば、あまりにも残酷だ。いっそ迅速に絶命させた方が楽なのだろう。懺悔の深闇に包まれる。闇は……無限に増殖する。
「あぁ。我々は勘違いをしていた」
獄面鎧王はこの山から脱出していた。残りの仲間も同様に。こうなった以上は武雷電は見捨ているしかない。彼は……妖力を増幅させる貯蔵庫として選ばれたのだ。
「あの莫大な妖力は何処へ消えたのか。その答えを我々はずっと『薬袋的』の中にあると思っていた。でも、本当に回収していた箱は……鮎川小次郎。お前だったのか。黄泉獄龍が我々を百鬼にした黒幕であり、この世界に輸送した張本人。そして……それを可能にするためにお前は……妖力を回収し続けたのか」
武雷電の鎧が膨れ上がっていく。真っ青な鎧から紫煙が湧き出た。泉のように噴き出て溢れる。まさにこの世の終わりだ。これは妖力の爆弾ではない。怪鳥の膨れ上がり方とは違う。あれは妖力を包み込められていた。しかし今度はそうじゃない。風呂の水が溢れるように……外側へ無限に噴き出している。




