常温
人がいとも簡単に死んだ。最初の1人を皮切りに、状況が一変する。全員の顔が歪んだ。
そこからは二手に分かれた。勇猛果敢に挑む者と一目散に逃げる者。結論から言うと、あまりどっちの部類も変わらなかった。あの全身が液体状の悪鬼は目立った動きはしないのである。ただヌルヌルと動くだけ。ペタペタと床を歩き気色の悪い音を奏でながら、玄関先まで歩いてくる。
その間に殴りかかった男たちはすべて、身体の中に吸収した。逃げようとした者は、単純に家から出られなかった。ご自慢の吸着能力で地面を砂地獄と化し、動けないようにしてからゆっくりと体内に取り込んでいく。
「蟻地獄でも、蜉蝣でも、家でも、土地でも、鬼でもない」
「液体……としか表現できませんよ」
どのような元素がどんな結合をすれば、こんな化物が生まれるのか皆目検討がつかない。常温で液体だから、有害物質であるのか確定しているだろうが。何より物理攻撃が効かない事が立証されてしまったのが何よりの絶望だ。
「どうする?」
「分かりません」
奴はきっちり我々が隠れている草むらを睨みつけている。目玉がないのだが鬼の形相が顔のラインからハッキリと分かるのだ。涎のように液体を地面に垂れ流しながら、コッチを黙ってじっと見ている。その場から動けないのは、活動範囲があの家の中だけだからだろうか。
「奴はあの家から出られない。奴は人間を吸収する。地面を蟻地獄のように流体状にする能力を持ち、俊敏性は低い」
「あんな物理的攻撃がきかない無敵野郎は、そりゃあ俊敏性なんて必要ないですよ」
勝ち目があるとすれば、この本の内容だ。これは人間が想像した物語。人間は完全でない以上は、この物語も完全ではない。きっと、奴にも馬鹿みたいな欠陥が存在するはずなのだ。それが何かさえ分かってしまえば……。
「何でアイツはこの家から出られない……」
考えてみた。奴の本当の正体を。奴がしている事のおこないの全てを。
「奴が食べられないもの……。武器を吐き出していた……」
あの紫色の体液は毒のような色にも見える。古くから人類はある種の金属に殺菌作用があることを経験的に知っている。もし奴が鉄が持つ殺菌作用を恐れているとしたら。この考えが正しいとするならば。
滋賀栄助はあの家の中に突入する用意を進めていた。血染蜘蛛と同様に家を焼き切る作戦を思いついたらしく、燃え盛る松明を持って家ごと粉砕するつもりだ。確かにそれで勝てるかもしれない。しかし、時の鐘で逃げられている以上は、決定打となる保証はない。




