阻喪
自分の事を恨んだ。悲しみの淵に沈んだ。両親は悪い人間では無かった。ただ娘を愛しているだけの一般人だった。何の罪も犯していない。小さな交通違反で切符を切られただけで、自分を悔いているような父親だったのだ。本当に殺さるべき理由などない人間だった。
それなのに、恐怖に歪んだ顔で死んでいった。ただ病院に従事する職では無かったという理由で。
「これ以上……誰にも死んでほしくないんだよ。私は誰にも死んでほしくないんだ」
「優しいんだね。僕は別に誰かが死んでもどうでもいいって人だけど。いや、小説の題材になって欲しいから、劇的に死んでほしいとは思うけど」
馬鹿にしているのではない。尊敬を感じる声質だった。言葉は極めて不謹慎なのに、優しさが感じられた。薬袋的は下を向いて苦しそうな顔をする。それを……鮎川小次郎が優しい手で頭を摩った。
「大丈夫。僕が死んでしまうんじゃないか、心配してくれるんだね」
この男は察しが良いのか悪いのか判断が難しい。自分が死ぬことを心配していることは見抜いた。
「でもね。人間は死ぬときは死ぬし、生きる時は生きるよ。生きているのも死んでいるのも、あんまり変わらないんじゃないかな。不老不死なんて言葉は間違っているのさ。人が幽霊を怖がるのと同じ。人間は生きている限り『死』を研究できない。分からないから怖いのさ」
そう言いながらも彼の手は汗ばんでいた。彼はこんな格好良い言葉を口にしているが、やはり死への恐怖は一定数はあるように見えた。
「僕は死なない。小説を書くって決めているんだ。僕はまだ……自分の世界を書き記していない」
「そうかよ……」
言葉が詰まってしまった。彼は取材の為に離れる気はない。死ぬ可能性を理解した上で、なお引かない。もう意味不明を通り越して狂瀾怒濤だ。
「お邪魔します。お兄さん」
気色の悪い蜥蜴のような気配。間違いない、祖父だ。薬袋纐纈。一丁前に紳士服を着ている。高価なハットを頭に乗せて優しそうな笑顔を浮かべる。薬袋的が世界一嫌いな人間だ。
「孫がお世話になっております。何か阻喪はしていませんか?」
連れ戻しに来たのだろう。薬袋的の周辺での異常現象を起こしている悪魔。連続死亡事件の現況にして薬袋病院委員長。世界一気持ちが悪い男。
「いいえ。そんなことないですよ」
誘拐と疑われてもおかしくない状況なのだが、彼は全く動揺していない。むしろさっきまでの死へのプレッシャーが消えて落ち着きを取り戻したくらいだ。優雅に珈琲を口にしている。
「あの……孫と何を……」
「小説の取材です。僕は小説家なんですよ。彼女を僕の次回作の主人公のモチーフになって欲しいと思いまして」
隠さずに言い放った。普通の人間が聞いたらドン引きして然るべきなのだが。この老人は喜んでいる。微細だが口が小刻みに動いている。目が血走っているようにも見えた。その姿が……いつにも増して恐怖を感じた。そこの骸骨騎士よりも恐ろしい。
この小説家が……百鬼将最後の一人……黄泉獄龍となる男。百物語の作者となる男である。




