河豚
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悪霊は追い払った。もうあの男の元へ行くことはないだろう。あくまでも希望的な観測だが。薬袋的は悪霊が見えて、『お願い』が出来るだけである。特に小難しい何かが出来る訳ではない。意のままに操ることなど不可能だ。あの男の元にも戻っている可能性は十分にある。
鮎川小次郎……だったか……。
祖父が怪しい研究をしているのは知っていた。あの病院の中をウロウロするように命じられていたから。薬袋病院には急病患者や難病患者が毎日運び込まれる。それを薬袋纐纈は笑顔で受け入れる。外科医のくせに精神病の治療にも手を出しており、日夜奇声を発する患者と戦っていた。大物政治家の後ろ盾があった。弁の立つ弁護士が不祥事を包み隠した。どこぞの三流学者が研究を手伝っていた。そんなことも知っていた。
両親はそんな祖父の経営の仕方に耐えられず身を引いた。疎外となり合わなくなった。人々は私の事を世界一楽しそうにしている女の子だと言う。だが、それは嘘だ。本当は……ずっと悩んでいた。自信が持つ忌むべき能力に。
悪霊はやって来ない。どこにでもいる。だから居場所を突き止めるとか、彼方からやって来るとか、そういう概念は違う。すぐそこにいるのだ。陰陽師の感知能力とも全く違う。彼女だけの表現しがたい力。簡単に言うと彼女は誰よりも優しかったのだ。
そんな薬袋的の日常が……ある男との出会いをきっかけに動き出す。
「すいません! 通して貰えませんか?」
鮎川小次郎は病院の前まできていた。短パンにジージャン、寝ぐせたっぷりの頭に、登山にでも行く気かと言いたくなる大きなリュックを背負って。小刻みにその場でジャンプをして、海水浴にでも行く前の子供のような顔をしている。
「すいません。関係者以外は立ち入り禁止なんですよ」
「僕はこの病院の委員長の娘さんの『お友達』ですよ。これって関係者ってことですよね!」
警備員は困惑した表情を浮かべる。訳アリの患者も大勢いる病院に、明らかに怪しい部外者を放り込む訳にはいかない。中に入ることを許さない警備員に対して腹を立てていた。口を河豚のように膨らませて地団駄を踏む。
「友達と遊びの約束をしに来たんです。通してください!」
大の大人が本気で言っているから始末が悪いのである。その場にいた人間全てが呆れ返っていた。
「……何をしているの? 小次郎さん……」
「あっ! いくわちゃん。おはようございます!」
「おはようございます。今は朝の7:30なんだけどさ……」
行動力があり過ぎて極めて非常識である。家が分からないから、彼女の病院まで押しかけてきて、まだ仕事の始まる前の時間から大騒ぎするのだから。
「あの時はすぐにいなくなっちゃったからさ。今度はちゃんと取材させてよ」




